子供になめられる Vol.3 支配がもたらす自己肯定感の欠如 - 2014.06.20 Fri
右下の羊さんのカウンターだと20600ですが、こちらはPCからのアクセスしか数えないようなので、スマホ等を入れるとそれだけの数字になりました。
26000プレヴューではなくてユニークカウントで26000です。
プレヴュー数だと75000超になります。
びっくりしました。最初は何かの不具合かと思いましたが、先日つけたばかりのアクセス解析が非常に役に立ってくれました。
それでリンクをたどってみると、yahooニュースの↓の記事に<参考>として
共働き家庭の子どもは「かわいそう」ですか?
昨年書いた 子供にとって「かわいそうなこと」とは の記事があげられていたからです。
この僕の書いた記事の趣旨は、「子供をかわいそうにしてしまうのもしないのも親次第の部分がありますよ」ということなのですが、でもそもそもの保育の質に問題があれば本当に「かわいそう」な状況というのも出てきてしまいます。
保育士として、「保育」といいながら子供が本当の意味で「かわいそう」にしてしまっている状況を看過することはできません。
先日も、保育園の先生がこわいと言って行きたがらないというコメントがありました。
その事実が、たまたまなにかのことがあって子供が「こわい」と受け取っただけなのか、それとも子供を不安にさせるような関わりを常態として繰り広げてしまって「こわがらせて」いるのかはわかりませんが、もし日常から子供を威圧したり、不安にさせるような関わりでもって保育をしているのだとしたらそれは由々しき問題です。
そこの園がどうかは僕からはわかりません。
でも、そのような保育施設が実際に多数あることは知っています。
それをしているそこの保育者たちに子供を虐げているという自覚はありません。
その人たちは「当然」「当たり前」にすべきと思っていることを、当たり前にしているつもりなのです。
たまたまここであげた「なめる」という価値観にしても、子供を威圧することで従わせる「支配」でもって子供に対する関わりにしても、その人たちにとっては「当たり前」でしかありません。
なので、そのままでは少しも改善しません。
だってそもそも悪いことをしているなどと思っていないわけですから。
そうやって保育界は長いこと続いてきてしまいました。
本当にもう是正しなければなりません。
その人たちは「支配」を強化することが子供たちに言うことを聞かせる最良の手段だと信じているのでしょう。
前回述べた、余裕のない施設などではそうしなければ回らないと先入観で思ってしまっているのでしょう。
でも、真実は逆です。
保育者と子供との信頼関係をつくって、それによって子供と関わっていったほうがはるかに容易に保育を展開していくことができるようになります。
押し付けられた価値観ではなく、信頼関係の中から「よいもの」として価値観を与えられた子供たちは自分からそれに従おうとするし、大人が声を大きく張り上げなくても子供同士のあいだでルールを守り、守れない子には大人が口をださずとも子供同士でどうすべきかを伝え合い、能力の及ばない子には子供同士で手助けをしてくれます。
そのようになってしまえばはるかに楽になるし、なにより保育は楽しいものになります。
「それはたまたまそういう子供達だからできたんでしょ。私が見ている子供たちはそんな綺麗事では言うことなんか聞かないわよ」と反論する人がいるかもしれません。
しかし、そんなことはありません。
園の中で、子供が荒れていて保育士が新年度に担任として誰も持ちたがらなかったようなクラスが、1年でそのようになることも可能です。
それは保育士しだいなのです。
子供が不適応な姿(大人の望まない姿)ばかりを出していたら、その子に対して注意や叱責をするのは簡単です。
その子に受容や、優しい言葉掛け、肯定的に接するということは、ものすごくものすごくストレスフルなことではあります。
はっきり言って、叱ったり、怒ったりするのは楽なのです。
叱って、怒って、注意して、制止して、それだけで子供が思ったように育つのならば簡単です。
(自分の目の前でだけそれを現出させることで満足するのだったらそれは可能ですが)
でも、そうではありません。
だからストレスフルであっても、受け止めなければならないのです。
その大変なことをあえてできるか否かが、まさに現代の保育士に必要な「専門性」の最初の扉であると思います。
なぜ、子供を「支配」することがよくないのでしょう?
それは簡単に「自分に自信を持てない子」を育ててしまうからです。
「これをしたら大人に注意されるのではないか」、「怒られるのではないか」
支配が強化されてくると、子供は常にそのような意識を心に持っています。
子供というのはもともと大人を尊重し、信頼しています。
「子供になめられるな」と言う人は、子供には支配的に、威圧的に関わらなければ大人を尊重しないと先入観で思ってしまっているのでしょう。しかし、それは子供を大きく見損なった理解でしかないでしょう。それは子供を信頼しないということにほかなりません。
その大人が「支配者」であると、その支配者の価値観で自分とその大人との関係性を考えるようになります。
なので、そのように「何かをしたら怒られはしないか」と思って、何かをすることをためらってしまうのです。それは自分の行動に自信がもてないということです。ひいては自分に自信がもてなくなります。
また、「人の顔色をうかがう」というような行動も取るようになります。
これも自信のなさの表れです。
これらは「萎縮」というものです。
その他にも押さえつけられることへの「反発」や、大人に対して無関心になり本音のところでは尊重しなくなる「不信」というようなことも「育ち」として子供に獲得させてしまいかねません。
子供というのはそもそも「素直さ」や「無邪気さ」というのをふんだんに持っています。
その「素直さ」や「無邪気さ」がともすると子供の奔放な姿にもなってしまいますが、でも一方でそれがさまざまな好奇心となり、自分の身の回りのこと、世の中のこと、新しいことへの興味・喜びになり、成長の糧となるわけです。
たくさんの「支配」でかかわられる子は、素直さや無邪気さを押さえ込まなければなりません。
人によってはそれが「人がましくなった」「ものがわかるようになった」「おとなびた」と解釈しているのかもしれません。しかし、それは好ましいことではないのです。
大人の望む姿を強要されてきた子供は、こういう成長への活力というものがしぼんでしまいます。
「素直さ」や「無邪気さ」というものは、子供がふんだんに持つことを許された大きな美点です。
それを押しつぶして子供を支配してはならないのです。
それをよいものととらえた上で尊重し、それとは別に必要なこと(大人から見ての適応的な行動)をできるようにしていくことが大切なのです。
いま、大人のあいだでも「自己肯定感の欠如」というものがとても大きな問題になっています。
幼少期に自分に対する自信を持てない子は、大人になってもそれを引きずってしまいかねません。
「支配」で保育をする人は子供にそれをしているのです。
保育士はうまくやればその子供の人生を豊かにしてあげることもできます。
しかし、その逆もまたしかりなのです。
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● COMMENT ●
ありがとうございました
No title
今回の支配の記事は、自分の親と自分にあてはまる部分があるな。と気がつきまた少し、自分を客観的に見ることができるようになりました。
それで、自分もどんなに気をつけていても、息子にそうなっている時がある。とも気がつけました。
今の自分の目標は、自分に自己肯定感を持つこと、自分も息子も、今普通に幸せでそのままでいい。と思えるようになることです。
ですが、頭では、自分はそう思っていい、そう思えるだけの材料はたくさんあるとわかっていても、心はそううまく操れず、悪いことばかり気にして、勝手に不安になったりする時があります。
息子にはそうなって欲しくないので、気をつけていますが、やっぱり、、、母親である自分が自己肯定できてゆったりしてるのが一番なんだなあという結論に最近たどり着きました。ですので、これからは落ち込みそうな時に、一度冷静になって、本当に落ち込むような状況なのか、考えて見るようにしようと思いました。
お返事は不要です。
ありがとうございました。
実践している者の一人です。
息子が生後6か月の頃から読み始め、今ちょうど1年が過ぎました。
36歳で子供を産み、これからどんな子育てをしていこうかと、ちょろ-んと調べていたところで、このおとーちゃんさんのブログへたどり着きました。
“叱らない子育て”を実践して、本当によかったです。心のパイプ、受容、共感。ひとりの人間として気持ちを尊重すること。
子育ての軸が出来上がってきたな、と思うこの頃では、子供と接する毎日が楽しみになってきました。
子供の心の中がたま~に透けて見える(笑)←オモロイ。
私のだんなは、昔の育児での接し方をします。リフト、リフト、リフトの連続で最後はものすごい過干渉。
そして見ているこちらがおもしろいくらい、いっつもダメダメ言います。
子供は聞いていません。というか“ぽかーん”としているか泣いているかのどちらかです。
叱る前に心のパイプつなげたら楽なのにな~と思ってしまいます(笑)
だんなは、おとーちゃんさんのブログを読んでくれないので、私がいつも子供を見守っています。
これからも参考にさせていただきます。ありがとうございます。書籍化されたら買いますよーー。
無自覚
公園で見かけますよ。子供が子供の保育してるんじゃないか、っていう保育士さん。
園の名前がしっかり入っているエプロンされているのに…
そういう時にいつも思うんですよね。どんなに小さくてもしっかりと「それは違うよ」と子供が言えたらなあ、と。
おしゃべりできないから大丈夫だろう、と思っている方もいるのかな、と感じます。
「不信」は本当によくないと思います。
我が子を目の前にしていても忘れちゃう時ありますけど、つながっているんですよね。
子供に余計なもの背負わせちゃだめだと思います。
それにしてもお父ちゃんさんがここでおっしゃっている「専門性」を持って頑張っている保育士さんが本業以外で疲れちゃうのは何とももったいないですね。
胸を張って頑張りすぎないぐらいに頑張っていってほしいな、と影ながら応援しています…。
れいまさん
本当に叱ったり、イライラしたりする前にそれをつなげておけばとても楽ですよね。
子育てしていれば、心のパイプがつながっていてもどうしても怒ったり、叱ったりしなければならない場面というのは先々でてくることもあります。そういうときだけそれをすればいいのだけど、昔ながらの子育てだと生活の多くの場面をマイナスの関わりで埋め尽くしてしかもそれがあまり身になってないという状況になってしまって歯がゆいです。
No title
おとーちゃんさんのブログを読み始めてから、私の子供に対する対応を改めることができました。本当にありがとうございます。子供と接することが楽しくなりとても可愛いです。
現在2歳7ヶ月の息子は、少し前にイヤイヤがおさまってきて楽になったな~と思っていました。
ところが、最近歯磨きとお風呂で頭を洗うことに対して、号泣しながら抵抗するようになりました。
頭は、主人と一緒に入ったときに、お湯が熱かったようでそこから駄目になったようです。歯磨きは原因が分かりません。
今の私の対応は、ある程度は本人が納得するのを待ちますが、ずっと泣かれると苛々してしまい、寝る時間も迫ってくるので、強引にやってしまっています。
この場面以外では、おとーちゃんさんがいつも書かれているように、先回りした関わりをして、心のパイプをつなげるように意識しています。
保育園に行っているので、帰宅後は一緒に楽しく過ごしたいのですが、最近夜の時間が憂鬱になってしまいました。
お忙しいとは思いますが、意見を聞かせていただけると嬉しいです。
No title
面談があり幼稚園の先生から娘が先生の顔色を伺っていると言われました。
先生はダメなことをした時は「ダメ!」と大きな声で怒るらしく、自分自身が怒られていなくても娘はびっくりするそうです。
先生にはその旨を伝えましたが、ダメな時にはダメと怒るようにしているのでと返ってきました。
私自身も物を投げたり本当にダメなことをした時は怒っているのですがそういうことも影響しているのでしょうか。
おとーちゃんさんの記事を読んで私にできることは家で全面肯定していいよ〜と受け止めてあげることだと思うのですが、親としてダメと思っていること(ソファーで物を食べたいということなど)はいいよ〜と言いたくないのでダメだと伝えています。
もう一つ気になるのが、
園では絵を描く時になると手が止まり先生が手を添えないと描き始められないようになっているそうです。
以前母の日に絵を描く時に自分が描いた絵ではないと泣いてもって帰ったので先生に聞くと、描けなかった部分があって描くのが止まってしまったので手を添えて描いただけですと話していました。
ほとんどは自分で描いたようなのですが一部分を先生に否定されたことが本人にはショックだったようでした。
私は自信をなくして欲しくなかったので、自分の思うように描いていいんだよ〜。と伝えて家ではのびのびと絵を描いています。
私は上手に描けることより、娘らしく描けることが大事だと思うのですが、限りある時間の中で描きあげるには先生が手を添えて絵を描くことは幼稚園では当たり前のことなのでしょうか。
幼稚園での話を聞くとかなり萎縮していると感じるので、家ではゆったり過ごさせてあげようと思うのですが、親として気をつけておくことはありますでしょうか。
幼稚園ではのびのびして欲しかったので萎縮している様子を聞いて園選び間違ってしまったのかなと思っています。
ペネロペさん
僕からはその幼稚園の様子がわかりませんから、それが正しいか正しくないかというのはわかりませんが、ダメなことをダメというのはまあわかります、ただなんとなくひっかかるのは、
>面談があり幼稚園の先生から娘が先生の顔色を伺っていると言われました。
ここですね。
顔色をうかがわざるを得ない個性の子供がいて、大人が顔色をうかがわせるような対応をしたときに、子供が大人の顔色をうかがったからといってそこが問題であると、家庭・子供の問題として提起してくるということに矛盾を感じます。
その子の個性は「園のやり方合わせて矯めなさい」という要求のようにとれます。
文面だけなので、実際はそういうニュアンスではないのかもしれませんが・・。
昔の軍隊ではこういうことを言ったそうです。
「靴を足に合わせるのではなく、足を靴に合わせろ」
そんな言葉を思い出しました。
>親として気をつけておくことはありますでしょうか。
子供の個性にもよりますから、何を気をつければどうなりますと言えるものでもありませんが、
参考になるかどうか、うちの妻の子供時代の話をのせておきます。
うちの妻が幼稚園にいくとき、地縁血縁のしがらみで親ものりきではなかったけれども、ビシバシやるのが売りの軍隊式幼稚園にいれざるを得なかったそうです。
そこはいまでもお受験幼稚園として人気ですが、子供に関わる仕事をしている者からからみると、子供を支配して言うことを聞かせるのがじょうずなのだなぁという印象のところです。
知人がその近所の飲食店で働いていますが、そこに通園している親子が来店すると子供はやりたい放題をしているそうです。
つまり、子供の本当の姿に働きかけて育てているわけではなくて、園の中で言うことを聞く子を作り出しているというのが現実なわけです。
そんなところに妻が幼稚園時代通っていたわけですが、その園のなかでも特に評判の悪い人が担任になり、低月齢児でなかなか集団について行けなかった妻は、ずいぶんと目の敵にされていたそうです。
妻の母はあっけらかんとした性格の人で、園から何を言われても「園は園よ、いわせておけばいいのよ」とハイハイとは聞くけど、それを真に受けて妻にどうこうしなさいということを一切言わなかったそうです。それがあったので、なんとか乗り切れたということを言っていましたよ。
あとは、友達の中に助けてくれたり、かばってくれる子がいてそれが救いだったようです。
なので、園にいくこと自体は嫌ではなかったそうです。
子供というのは、帰属意識を持ちますからそこでよくない関わりをされていたとしても、その集団に行くことというのは基本的には望むもののようです。
No title
おとーちゃんさんの感じられた通り、
その子の個性は「園のやり方合わせて矯めなさい」という要求のように取れる
と私も感じました。
娘の個性を認めて伸ばしてもらえると感じず、娘がどんな気持ちで園の中で過ごしているのかと考えるだけで泣きそうになりました。
先生曰く、まじめでがんばり屋さんですとおっしゃいましたが、先生にとっては褒め言葉をおっしゃったつもりのようですが、私に取っては全く褒め言葉ではなく、先生に認めてもらえるよう無理して頑張っているのではないかと娘の姿を想像するだけで悲しくなりました。
園で頑張っているためかその反動でしばらくは家で荒れていました。
皆が幼稚園帰りに公園で遊んでいるのにそこに参加することもなく、早く家に帰りたいと言っていました。
夏休みに入る前から先生のことが好きと話すようになり、幼稚園のお友達とやっと慣れ始めたので安心していた矢先のこの面談でした。
「もっと遊んでいたいのに遊ばせてもらえない」と娘が言ったので
「幼稚園変わってもいいんだよ。お母さんと他の幼稚園見に行ってみる?」と伝えたら泣き出して「この幼稚園がいいの!変わりたくないの!」と言いました。
おとーちゃんさんのおっしゃる帰属意識があるということだと思います。
娘がそこまで言うのに、親の意志で他の園に変えてしまうことはよくないでしょうか。
主人は途中で園を変えるのは娘によくないと言いますが、私は娘が無理して頑張っている姿が想像できるだけに園を変えたくてしかたがありません。
ひとつの救いは、娘を大好きでいてくれるお友達がいて、そのお友達が集団の遊びに誘い出してくれて遊べていることです。
ただここでまた先生が一人で絵本を見ている娘をよしとせず、集団での遊びに誘い出してくれる子を持ち上げるような表現をしていたこともかなり引っかかりました。
新しい場所に馴染むのに少し時間が掛かる子なので、慣れた頃にまた違う園に変えるのも娘にも負担があるとは思うのですがあと2年半過ごす園生活、何とかのびのび過ごさせてあげたいと思っています。
娘が変わりたくないと言うのに親の考えで変えるのはよくないでしょうか。
娘の意志を尊重したいと思いつつも、まだ娘では判断できないことも多いと思うのでどうしようかと悩んでいます。
またお時間のある時いつでも構いませんのでご意見お聞かせ下さい。
宜しくお願い致します。
ペネロペさん
その先生としては「あるべき子どもの姿」(と思っていること)に子供を改変してあげることが自分の職務だと真剣に考えてしまっているのでしょうね。
僕だったら「先生がなんといっても、あなたはあなたのしたいようにしていいんだよ」と伝えてあげますね。
ありがとうございました
おとーちゃんさんの様に娘にも伝えたいと思います。
本当にありがとうございました。
このサイトに救われています。
子供が大好きで最近、やりたかった保育のアルバイトにつけました。
でもそこのリーダーの先生に言われること、その先生の指導に疑問を抱いていた時にこのサイト?を見つけました。
私は子供になめられている。私の時は言うこと聞くのに、あなたの時にしないのはなめられているからと言われました。
子供が泣くとうるさいと言い、言うこと聞かない子は病気呼ばわりで、寝ない食べないと怒りまくります。しつけしないと!と言います。私にはその姿がどうしても子供の為ではなく、先生がやりやすい環境にする為のしつけでしかないかんじがして、あまり言われることをやりたいと思えません。その私の態度も許せないらしく、先生に甘えるのはなめられているからと。
このサイトの文章を読んで、気持ちが救われました。
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今日見たらすぐに変えて下さっていて(そして、かわいい☆)、これまで読めなかった記事も読めるようになりました。
ありがとうございました!