『子供』と『子育て』の価値を高めたい Vol.4 子育てを単純に - 2014.06.24 Tue
ではどうしたらいいでしょう?
僕が思うのは、子育てに単純で明快な「これでいい」というものを打ち出していくことです。
そう、「子育てを単純に」することなんです。
現代では、子供に必要だと思われるものがとても多くなってしまっています。
たしかにそれは事実でもあります。
例えば「ネットリテラシー」などということを、子供に交通安全を教えるようなことと同様に必要になるなど一昔前には考えられもしませんでした。
しかしそれでも、子育ての本質というのは実のところ大昔から変わってはいません。
「不安」と「心配」というものがあり、それらが様々な子供にまつわることを複雑に見せてしまっていますが、それらの多くは本当のところそうそう慌てなければならないものでもありません。
保育園で早期教育をしている人たちに話を聞きますと、「本当にそれが必要なことであると思ってやらせているわけではない」人の割合の多さに驚きます。
「なんとなく」と曖昧だったり、「周りがやらせているから」「メディアなどで盛んに言われているので」、「やらせておいたほうがあとで慌てないだろうから」などというように漠然とした目的でしかなく、なんらかの考えがあってや必要性を重んじてというわけではない人がとても多いのです。
つまり、考えた結果やらせているのではなく、情感的・感覚的な「気分」からさせているというわけです。
前回見たように「不安」と「心配」というのもその情感的・感覚的なものと言えるでしょう。
この前の事例にあげた早期教育の教室にいって自傷行為まででていた家庭も、私立小学校入試を目指しているというような確固とした目的があるのではなく、やはりそのように「やらせておいたほうがよろしいのではないか」という漠然とした理由からでした。
今の子育てする人たちには、本当の手で触って確かめた実感はないのに気持ちだけが先行して子育てが「難しく」「複雑に」見えてしまっています。
たしかに難しく複雑になった部分がないわけではありませんが、それらも全く別個の対策が必要なことではなくて、昔からあった子育てに必要なことの中にそれらを乗り越えるものも含まれているのです。
なので、問題が難しく・複雑に「見えてしまっているだけ」なのです。
子育ての難しく見える部分というのを落ち着いて取り去っていけば子育ては単純になりこれまで大きかった「不安」と「心配」から解放され、子育てを楽しんでいくという余裕を作っていくことも可能ではないでしょうか。
結果としてはこの「余裕」によって、現代で新しくでてきてしまった子育ての課題というものも乗り越えやすくなるのです。
だから、できることなら慌てる前に子育てを一度「単純に」してみたいと思います。
つづく。
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勉強をしないで遊んでいるときに、「遊んででいいよ!」みたいな言い方です。
私自身もこう言った言い方をした場合、子供がやめてくれたりするのですが、たまに使ってみたりするのですが、このような関わり方はいかがなものなのでしょうか?
ご意見頂けると嬉しいです。