相談 逆説的な「いいよ」 - 2014.07.10 Thu
先日、テレビを見ていて少し疑問に思っている事があるのですが、子育てアイディアと言うことで、こちらが望まない行動をしているときに、逆説的に「そのままやってていいよ〜」と伝えることで、子供の天邪鬼な所を刺激してその行動を辞めさせると言ったものでした。
勉強をしないで遊んでいるときに、「遊んででいいよ!」みたいな言い方です。
私自身もこう言った言い方をした場合、子供がやめてくれたりするのですが、たまに使ってみたりするのですが、このような関わり方はいかがなものなのでしょうか?
この方法ではうまくいく場合と、うまくいかない場合、全く逆の結果をもたらす場合というのがあるのではないかと思います。
うまくいくケースは二種類
その子が「本当にすべきこと」というのをきちんと理解していて、いましているその行為がそのすべきことにつながっていないと判断できることという前提があれば、どこかでしていることの区切りをつけて自分からその「すべきこと」をする状態にたち戻れるかもしれません。
でも、「本当にすべきこと」という理解がもともとない子、曖昧な子にそれをしたところで、その本来すべきことに立ち戻るというのは期待できないでしょう。
たとえば、食事を座ってとる習慣がなく、立ち歩いて好き勝手に食べることをこれまで結果的に許容されてきた子であれば、座って食べていない状態を「いいよー」と言われたとしても、まったくそれは響かないことでしょう。
うまくいくケースのもう一つは、そのテレビの人がそこまで想定して言ってはいないかもしれませんが、「いいよー」の結果をいくところまでいって子供に自分で責任を取らせるところまでする場合です。
乳幼児にそれを求めるのは無理な場合も多いと思いますが、
例えば小学校の中高学年の子供が夏休み遊んでばかりで宿題を全然しなかったというようなときに、「自分でちゃんと宿題することも考えて遊んでいるのだったらご自由に遊んでいいですよ」と言うように伝えたとして、それで自分でできればそれでよし、もしできなかったとしてそのできなかった結果起きるその子の困った状態というのに自分でとことん直面させることで、どうすればよかったか自分で悟れるように親が見守れる覚悟のある場合というようなときです。
それができるのであれば、このときの「いいよ」は、親が子供を信頼していること、自立心を育てること、自分の行動に責任を持つことなどなどを子供に伝えるプラスの方向に作用するでしょう。
でも、言葉とはうらはらに「させてやろう」という大人の意図でするのだったらば使わないほうがいいと僕は思います。
もし、その「いいよ」で子供がそのまま真に受けて、本来すべきことをしなかった場合、そしてその姿を大人が結果まで見届けさせることなく前言取り消しのような態度・行動を取った場合、その「いいよ」というのは結果的に「大人のついた嘘」であることが露呈してしまいます。
またそのような裏の意図のある言葉、つまりよく言えば「婉曲表現」ありていに言えば「イヤミ」というのは、それが人に効力を及ぼしもしますが裏表のある関わりはあまりいいことではありません。
もし、子供がそこからイヤミでもって他の子供を動かすことを学習してそれをしたとしたら、その姿というのを実際に見たらそれはとても意地悪な姿に見えるものです。
そのような子を実際に何人もみている僕からすると、大人がイヤミな言い方をして子供を意のままに操るくらいならば、よほど「やりなさい」とストレートに言ってしまったほうが情味があるような気がします。
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「いいよ」深いですね。
支援センターかどこかで同じような話しを聞いたことがあります。
よく意味が分からなかったのですが「なるほど、そういうことか」と納得出来ました。
個人的には宿題の例の話しのような時が来れば使うかなあ、とは思いますが言葉の裏を汲んで動くというのはなかなかに高度なコミュニケーションですね。
もう一つ、こういう使い方は「〜いいよ」の後に、どうせ言ってもやらないだろうけど、といった諦め?みたいなものも感じてしまうのは私だけですかね。
であるのであれば、「やりなさい」の方がよほど分かりやすくてストレートでいいですよね。