子供の姿を構成する三つの要素 - 2014.07.16 Wed
しかし、子供の姿というのはそれだけで導き出されているわけではありません。
今ある子供の姿というのは、大まかに考えて
「関わり」
「環境」(人的、物的含む)
「生まれ持っての気質」
この三つによってでていると考えられます。
「関わり」というのは言わずもがなですが、
「環境」というのは、普通は物的環境のことを頭に思い浮かべるでしょう。
例えば、普段の生活空間がとても賑やかなところで騒がしかったりすれば、子供の姿も落ち着かないものとなったりとそれが影響してくるということが考えられます。子供によっては逆に、その同じ環境がどんなに周りが騒がしくてもそれの影響を受けない落ち着いた子供にするという可能性もあります。
人的環境というのは、直接的な関わりではなく周りにいる人から受ける影響というものです。
身近にいる大人が普段から怒鳴って話すような人だったら子供も同じように大声で話す子供になるかもしれません。
逆にそれと同じ状況でも、そういう大人の姿に萎縮してしまって自分から声を出せない子供になるという可能性だってあるでしょう。
「生まれ持っての気質」というのは、その子のもともとの性質の部分です。
活発であったり、おとなしかったりなどの、その子その子の特性というののある部分は「関わりや環境」から後々獲得したわけではなく、生まれ持ってきたものもあるわけです。
この部分は「いい悪い」で考えられるところではありません。
もともとそういうものなのですから、そこを踏まえてその子の成長を考えなければならないでしょう。
例えば落ち着きのない多動的な男の子がいたとします。
この落ち着かなさという部分が、もしかするとそれまでの生育歴の中で母親からのものすごい過干渉から作り出されてきてしまったことかもしれません。
それとも「関わり」ゆえにではなく、生まれ持っての性質としてそのような部分があったためかもしれません。
また、その両方ということも考えられます。
はたまた、上に兄がいてその子が活発な行動ばかりするタイプで、そこから環境的な影響を受けたのかもしれません。
もしくは、そこで見ている刺激の強いテレビや遊具などの物的環境からの影響があったのかもしれません。
そしてそれらのいくつか、または全部が少しずつあって今のその子の姿がでているのかもしれません。
もし、もともとのその子の気質が主な理由であったとしたら親のそれまでの関わりゆえの問題というのは少ないわけです。
この三つの要素、どれをとっても他の子供や平均と比べることは意味のないことです。
どれもその子その子に属する問題です。
つまりは子供というのは個別的に考えて行かなければならないということでしょう。
日本人のもつ「子供観」「子育て観」というものはとても画一的です。
個々がひとりひとり違うということは理解するのがさして難しいことではないはずですが、そうであってもそこをすっとばして「あるべき子供の姿」に照らし合わせて考えてしまいがちです。
「あなたのお子さんはよくしつけられていますわねー」としばしば声をかけられます。
もちろんそれは褒め言葉としてつかわれていることはわかるのですが、でも裏を返すと「しつけられていない子=大人の望む通りに行動できていない子 はダメだ」と考えられているわけです。
日本人はすくなからず子供をこの視線で見ています。
このことは結果として、子育てする人、特に母親を否定する方向に行きます。
母親自身もすくなからずその観点をもっていますから、誰に言われずとも自己肯定の意識に向かわせてしまいます。
これをしていると子育てはとても窮屈です。
子供の姿にはだれの責任でもない部分もあるし、すべての子供が同じことをしたからといって同じようになるわけではありません。
その点をもうすこし周囲も、子育てする当の人たちも知っていていいのではないかと思います。
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● COMMENT ●
No title
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新たな記事をUPしてくださり、ありがとうございます!
子育てする上での考え方の基本になるものが欲しくて、おとーちゃんさんのブログにたどり着きました。
「満たされた子ども」の記事を何度読んだかわかりません。
そして、「今、息子は何を望んでいるのかな」と息子の姿を振り返りながら、自分の育児を振り返りながら、これまでやってきました。
ですが、子育てというのは難しいものですね。
>>もともとのその子の気質が主な理由であったとしたら親のそれまでの関わりゆえの問題というのは少ないわけです。
一般のお母さまたちは、ここの区別が付かずに悩んでいると思います。
それが、良いこと(穏やかである、明るい、よく寝る、大人を信頼しやすいetc)である場合、それが親の対応の結果であれ、もともとの性質であれ、悩む人はいませんよね。
「あら、私の育て方が良かったのだわ♪」なんて思っていれば、それはそれでいいと思うのです。
ですが、それがネガティブなこと(癇癪持ち、内向的、寝つきや寝起きが悪い、人を信頼する力が弱い、神経質、繊細etc)である場合、
「これは、私の育て方が悪かったせい?」と試行錯誤してらっしゃるお母さんが多いと思います。
わたしも、その一人です。
わたしは、しつけの問題だけではなく、日本人には
「穏やかで明るく、素直な子が良い」という「性質」の点でも
「子どものあるべき姿」を求める風潮が強いと思います。
これは、わたし自身も含めて母親が反省しなければならない点ですが。
それがすなわち、子どもの元々の性質に関しても
「母親が自分の子育てのせいだと思い込む」土壌に
なってはいないでしょうか?
もともとの性質に、良い悪いはないにしても
苦労させられる性質というものがあって、
このようなブログを見ているお母さんには
子育てで苦労している方が多いと思うのです。
ですから、おとーちゃんさんには、
少し対応を変えるだけでそれに応えてくれる子を持つ親だけでなく、
子どもの元々の性質のために苦労させられている母親に
対する目線も忘れずに、記事を書いて欲しいと思っている次第です。
またまた長文、失礼いたしました。
返信は不要です。
出版作業が滞りなく進みますようにお祈りしています。
暑くなりましたし、お体をご自愛くださいませ。
p.s.本が出版されたら購入させていただきますね!
No title
おとーちゃんさんの育児にはとても共感していますし、何度も何度も読み返し参考にしています。しかし、受容を心がける子育てをしようと思えば思うほど、わがままで奔放な子供に対して過剰なストレスを感じて苦しんでいました。
小さな子供がわがままで奔放であってもそれはある意味当たり前の姿であることを、私たち母親は日々の育児の中で忘れてしまうのかもしれません。きちんということをきき、人に迷惑をかけず、良い子してくれないと困る、というのが子供を連れて外に出たときにどうしても感じることです。バスや病院で騒がないか、道路でふざけて飛び出していかないか、他の子供に誤って危害を加えてしまわないか、そんなことを考えながら子供を連れていると、子供のわがままさや奔放さを受け止めることが出来なくなってしまうのかなと感じています。
(小さな子供に無理やり友達づきあいをさせようと思って集団内に連れて行ったり、無理に外出させているわけではありません。近所の公園で遊ばせたり、日々のスーパーへの買い物や病院程度の外出です。)
こうした日々を送っているうちに、他人に迷惑をかけることが恐怖症レベルで怖くなり、子供を抱えていることが申し訳なく感じてしまったりしてしまいました。世の中では「子連れさま」といって、迷惑を顧みずに他人に配慮せず子供を連れ歩く母親を揶揄する言葉もあるそうですが、私はそれとは反対に、萎縮してしまっています。
ちなみに、息子は特別手がかかるとかかんしゃくが強いわけではありません。他の2歳児と比べても、平均的なイヤイヤ具合(?)だと思います。愛想がよく、他児や大人にもにこにこと話しかけるなどとても積極的な性格です。好奇心旺盛で、いろんなものに首を突っ込んだり、なんでもいじったりするタイプです。これも、平均的なものではないかと思っています。つまり、特に難しいタイプというわけではないんです。でも私にとっては大変に感じるのです。母親側のキャパシティもひとそれぞれで、私は許容量が少ないのではないでしょうか・・・。
おとーちゃんさんの言われるように、子供を満たされた状態に出来ていれば親が困るようなことも減ってくるのではないかと信じていますが、上記のようなことで常にストレスを抱えて余裕を失っている母親には子供を満たすこともうまくいかず、悪いサイクルに入ることが多々あります。
たぶん私のように育児に不安やストレスを感じている人は多くいると思うので、そんな状態に陥ったときにでも、おとーちゃんさん流の子育てにシフトできるようなアドバイスがあったら、ぜひ聞いてみたいと思いました。私のような未熟で器の小さい母親でも、子供を満たして幸せにしたいと切に感じています。
ちび母。さん
この部分が、子供の姿としても、子育ての大変さ、悩みなどにも密接に関わっていて、問題の深刻化、複雑化につながっているとしばしば感じます。
顕著なのは、もともと自己肯定感の少ない人が子育てによって、さらにそれを低下させるという問題です。
そのことは実は子供以前の問題としてあるのですが、結果的に子供のネガティブな問題として出現します。
なので、親自身もそれの原因の一部に自分のあり方が関わっているということに気がつかずに、子供の問題として認識し悩みます。ときには、子供を否定的に見ることにもなります。
とうぜん、それでは問題は解決しないし、子育ての大変さばかりが募ります。
僕がずーーーっと子育てについてばっかり四六時中寝ても覚めても考えてきて行き着いたのが、「子育てによって自己肯定はできないのか?」というところです。
たとえばの話、子育てについて大変さばかりを感じていた人が子供とくすぐりあそびを続けるようになって、「今日は笑顔で一日を終えられた」、「気がついてみたら昨日は一回も怒らずに過ごしていた」そういった実際に手触りのある感触を子育ての中で経験できること、それが子育てを通しての自己肯定を大人のほうができるのではないかということです。
そのために必要なのは、簡単な課題から挑戦して、実際の手応え達成感を感じていくことです。
公文式の算数学習と同じですね(笑)
だから、子育てを感情論、精神論にしてしまうのではなくて、それらをひとつひとつ具体的な関わりに還元して手触りのあるもの、手応えのあるものとして子育てする人に提示していくことだと思うのです。
人によりスタートラインというのはまちまちなはずです。
ちび母。さんはちび母。さんなりに、小さくてもいいから手の届くところからその手応えを積み重ねていくことができたらいいのではないでしょうか。
それは世間で立派と考えられていることでなくていいと思うのです。
子供が花に喜んで水をあげている姿を見てかわいいなーと思える、そんなことからでいいのではないかと思います。
No title
ちび母さん。のご相談に大きく共感し、おとーちゃんさんのご回答に涙しました。
ありがとうございます。
メッセージの中で、母自身の自己肯定感について触れられていましたが、私自身このメッセージを読むまで自分の自己肯定感について考えたことがありませんでした。しかし、おとーちゃんさんの指摘の通り、自分自身が自己肯定感が低いまま育ってきてしまった人間なのだということに気が付きました。これは私自身の育ちの中での問題だと思います。振り返ってみると、私の母もとても過干渉で、いつも他人に迷惑をかけないようにと私に指導していた人だったからです。
また、これは他のお母さんから聞いた話ですが、幼い頃に「トイレに行った?」「とりあえず今のうちに行っておきなさい」と何度も何度も言われて育ったがために大人になっても外出するとトイレを探さずにいられない性分になってしまったという話があります。私もこれに近いことがあり共感しましたが、親になるとついついこのようなことを子供にしてしまいがちなのですよね。おとーちゃんさんの過干渉についての記事を見ると、こういったケースとリンクしていると感じます。
おとーちゃんさんの育児は私にとってとても共感できて理想的なものですが、それをすべてそのまま行うのは今の自分にとっては負担になってしまうこともあるということが分かり、もうすこしハードルを下げて出来ることからやっていこうと気づきました。まずは子どもをかわいいと感じられる瞬間を増やしていき、育児を楽しめる余裕を持っていきたいと思います。
ときどき、おとーちゃんさん流のやり方は我が家ではうまくいかなかった、と書かれているコメントを目にすることがありますが、もし私のようなケースの場合であれば今回のおとーちゃんさんの返信コメントが参考になるかもしれませんね。どうかこのやり取りがそのような人の目にふれて励ましになることを祈っています。
おとーちゃんさんありがとうございました。
ぞうさん、共感ありがとうございます。
ちび母さんとおとーちゃんのこのコメントのやりとり、是非本文(?)に載せていただけないでしょうか。似たように感じてる人って多いと思うのです。私もだし、私の周りにもいます。なのでコメントのやりとりだけだと目に触れないけど、本文にアップしてブログを読んでる多くの人の目に触れるといいなとかんじています。
以前に2度ほど相談させてもらいました二卵性双子女児の母です。
お陰様で先日3歳になり、色々と悩んだりもしましたが、今ではおとーちゃんさんのいうかわいい子に育っており、毎日慌ただしながらも楽しく子育てしています。
今回のテーマについても、よく考えるのですが、これも踏まえてまた相談させてください。
来年4月より、年少で入園を考えているのですが、双子のクラス分けについてです。
候補の園が
①少人数で年長まで全て1クラス
②年長まで2〜3クラスあり、年少は同じクラス、年中以降は別クラス
最初は少人数がいいなぁと①を希望していたのですが、ずっと同じクラスは本人達にとってよいのか?と悩んでいます。
・お互い(もしくは1人が)依存しないか
・先生や他の園児に二人を比べられるだろうから、その事で嫌にならないか
この二つが気になります。
また、2歳10ヶ月位から私無しでも2人でいつも遊べるようになり嬉しいのですが、他の子達も一緒に遊ぶ場所で、2人しかダメで他の子は入っちゃダメということが二回ほどありました(ビニールプールが数個ありその内の一つに入って2人が遊んでいる状況)。みんなで遊ぶ場所だよと促しましたが、園に入っても2人でずっとくっついてしまうのかなぁ、それもどうかなぁと考えます。
①の園長先生は、絶対バラバラに遊ぶから問題無いと言っていましたが、②の園長先生はずっと一緒にいてしまうので年中からは離しますとのお話しでした。
そこで保育士おとーちゃんさんが担任した双子ちゃんや、お知り合いに双子の方が多いと言われていましたのでその方々のお話などから、双子のクラス分けはどのようにするといいとお考えになりますか?
双子2人のタイプによると思いますが、何かアドバイスいただけると嬉しいです。
ちなみに園としましたが、我が家の地域では保育園か幼保一元の幼児園しかなく、候補の二つは幼児園で8〜16時の8時間です。
お忙しい中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
ちびたさん
>
> ちび母さんとおとーちゃんのこのコメントのやりとり、是非本文(?)に載せていただけないでしょうか。似たように感じてる人って多いと思うのです。私もだし、私の周りにもいます。なのでコメントのやりとりだけだと目に触れないけど、本文にアップしてブログを読んでる多くの人の目に触れるといいなとかんじています。
実は同じ要望がいくつかありまして、すでに
『相談 子供への関わりをどこから始めるか』
の記事として転載してあるんですよ。
双子母さん
・先生や他の園児に二人を比べられるだろうから、その事で嫌にならないか
子育てはどんな問題にも明らかな正解というものがないのですが、これに関してもいま言えることは
「なるかもしれないし、ならないかもしれない」
ということです。
例えば、保育園などなかった時代、双子は家庭で一緒に過ごしています。
じゃあその、一緒に過ごしていることで、子供の依存心が高まってしまって、子供の育ちに本当に大きな支障をきたすようなことがあるか、と言えばそんなことはないわけです。
互いに依存してしまうこともあるでしょう。
でも、それが全部が全部デメリットになるわけでもありません。
きょうだいが近くにいることで安心して過ごせたり、自信を持って物事に取り組んだりとプラスに働くことだってたくさんあることでしょう。
ご自身が双子だった大人の人に話を聞くと、多くの人に共通してでてくるのが、「双子扱いされることが嫌だった」というものです。
このことは、小さい頃は互いに依存し合うところがあるにしても、成長のある段階では双子という存在であることから脱却して、自分を求めるという強い自立心が出てくる過程があるということだと思います。
子供の成長というのはその過程で、様々な問題を乗り越えながらしていくものです。
大人が心配を先回りして、問題が起こらないようにといった方向で考えてしまうと、本来ならば乗り越え獲得していく成長というものが返って得られなくなってしまいます。
心配や不安はそれにとらわれてしまうと、どんどん大きくなってしまいます。
いま悩んでいるような、先のことの仮定の心配というのは「あるかもしれないし、ないかもしれない」のです。
このときに大人の姿勢として大切なのは、問題がでないようにしなければと子供を過剰に守ってしまうような配慮ではなくて、なにかあってもこの子は大丈夫だと信頼してあげられることだと思います。
また、依存といっても、子供が子供に頼るような依存というのは、せいぜいが「心強い」と感じられるといったたぐいのものであって、成長を阻害してしまうような依存となることはまずないでしょう。
成長を阻害してしまうような依存というのは、親が過保護だったり過干渉だったりすることで、子供の心が自立の方向へ伸びていけなくなってしまうようなケースです。
なのであまり気にしすぎない方がよいかと思いますよ。
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私自身もそう言われ自分も子どもも否定されているように感じ、嫌な思いもしましたが、今はおとーちゃんさんのブログに助けられ、この子らしさを大切にしようと思ったら一切外野の意見が気にならなくなりました。
初めての子育てできっと迷いながら手探りで子育てしてる方も多いと思います。
おとーちゃんさんの本が出版されることによって、
世の中のお母さん達が救われまた子どもも救われることを切に願います。