『遊びの中での声のかけ方』 Vol.1 - 2010.02.23 Tue
今日は「遊びの中での声のかけ方」というテーマなのだけど、やっぱり「片付け」については教えてあげません。多くの人が結局「片付け」に一生懸命になっちゃって、「遊び」がおろそかになっちゃうからね。
大事なのは「遊び」だよ。「遊び」。「遊べること」。
これのきちんとできる子はあとでいろんなものがついてくるからね。
生活のなかで大人の話を聞いて行動したり、言葉のキャッチボールができたり、一緒に歩いて散歩や買い物ができたり、ちゃんと座ってご飯が食べられたり、昼寝や夜の睡眠がきっちりできたり、危ないことをきちんと回避したりなどなど、「遊び」ができるっていうことはそういうこどもの行動と無関係でなく密接に関わってくるのだよね。
もちろん大きくなって勉強に取り組んだりするにも不可欠な力がこの乳幼児期の遊びのなかで培われると思います。
だから、小さいうちに文字を教えたりする人がいて、一見それは先取りして近道のようだけど、実は根本的な基礎の力をつけるべきときにそれをせず上ばかり積んでしまうことになるから、返って遠回りになると思うのですよ。今回のテーマとずれてしまうのでこのことについてはまたの機会に。
そう、大事なのは「遊び」なのです。「遊び」
このことは逆からみても明らかです。
大人の話を聞けなかったり、一緒に歩くことができなかったり、座ってご飯食べられなかったりする子は、まずたいてい良い遊びができません。
そこで、「遊び」の中で僕が取り組んでいることについて書きます。
こどももそれぞれ違うし大人もそれぞれなので、この通りにやったら必ずこうなるというものではないですからね。
その子その子の発達段階や普段からの関わり方なんかを考慮して臨機応変に対応してくださいね。
普段からもそうですが、遊びの中でいわないほうがいいキーワード。
「ダメ」
「うるさい」
「あぶない」
親子でいる様子を観察していると、こういった言葉をよく使っていますが、これらの支配・否定する言葉は、遊びを荒らす原因になります。
さらに、大人が発する言葉の価値をどんどん自分から下げていくことになります。
こういう言葉を言われなれている子はだんだん大人の言葉をスルーしていくようになります。
例えば、特に乳児のときに多いのですが、「あぶない、あぶない」と遊びをみていると言い続けている人がいます。、多くの場合それは正確には「あぶないかもしれないので、やめろ」と言っているのですね。
「あぶない」を口癖のように言っている人は、実はたいしてあぶなくないときでも発しています。こどもからすると「やろうとしたこと、やりたいこと」を制限し続けられてしまうということです。
慣れてしまうと大人の言う制止の言葉を無視してその遊びを続けるようになります。声をかけてもやめなくなってしまうのだから、そもそも「あぶない」という意味自体がなくなっていますね。
僕はこういうとき、自分で安全を確保できるよう動いてある程度はやらせます。
例えば、ちょっとした高さのとこに登ったりしたがることは乳児のうちでもよくあることです。当然、落ちたら大怪我や命の危険があるようなところではさせませんが、固定遊具の段になっているところにつかまったり、下を覗いたりするくらいなら、自分が転落や転倒の可能性のあるほうへ行って見ててあげればいいのです。
そして、本当に危険のありそうなときは「あぶない」と制止するのではなく、「どうなってしまうから、気をつけて」と伝えて考えさせます。
そして1回だけ言ったら、理解できるようジィーっと見守ります。
そして、それまできちんとした関わりを積み重ねてきた子であれば、必ず自分から危ないことをやめられます。
自らその行為をやめられたら、「ちゃんとわかってえらかったね」などときちんと理解してくれたことを認めます。
こういうことを繰り返すことで、言葉の価値はむしろ高まります。
以前お話した「叱らない子育て」の応用ですね。
ですので、僕は本当の本当に危険なとき(車道に飛び出してしまうような、石を人に向かって投げてしまうときのような)にしか「危ない!」といいません。なので、そう言われたとき、こどもは「ハッ」として止まってくれます。
しかしもちろんすぐにでも危険があるときは無理やりでも安全確保しましょう。
こどもは往々にして、出来ないことに挑戦していきます。
それは自分でできるようになってこそ意味があるのだから、僕は手を貸してやらせてしまうことはしません。
それをしてしまえば、いざ自分でできるようになったときに当然感じられるはずの達成感を奪ってしまうからです。
でも、中には大人に手伝ってもらうことを要求する子もいます。
そういうときは「ちゃんと見ててあげるから、自分でできるところまでやってごらん」と見守るだけにします。「そっか、一番上までいけなかったけど、大きくなったらいけるようになるからいいんだよ」とできたところまでを認めてあげます。
その日はそれで終わったとしても、こどもはこのことを必ず覚えています。
そして次来たときや、できるようになったときに、「(前はできなかったけど)デキタヨ~ミテミテ~」と大人に見せてきます。
そのとき大人もできなかった時のことを覚えていたら、一緒に達成感を感じてあげられてこどもにとっても、その喜びは最大限になりますよ。
「できること」はそれほど重要じゃないんです。極端な話、成長がある程度進めば多くのことは誰でもできるのです。それを自分の力でできたと感じられるかどうかが大切なのですよね。
こどもが何かを達成するには「心と身体」の両方がそこまで到達していなければできません。
大人から見て、身体がしっかりしていてそのことができるように見えても、気持ちのほうでそれを怖がっていたり、やりたくなかったりしたら、それはできないのです。
でも自然にできるようになることならば、それまで待ってあげればいいのです。
だんだん大きくなれば、待っているだけでは達成できないこともたくさんでてくるでしょう。
そういうことに大人が手を貸してあげるといいのではないかと思います。
「うるさい」という言葉、大人はこどもに対してしばしば使っていますが。
これはかなり強い否定のことばです。
声を発すること、しゃべることを否定するわけですから、その人を全否定することに近いですね。
それを大人は当たり前に使ってしまっています。これがこどもにとっていい影響を与えるか与えないかは一目瞭然ですね。
こどもは遊んでいると声が大きくなったりします。
でも別に悪気があってやっているわけではないのですから、普通に教えてあげればいいのですよ。ただそれだけ。
「あんまり大きい声で話されると、耳が痛くなっちゃうから小さくしてね」
「お部屋のなかでは普通の声でしゃべるんだよ」
「隣のおうちの迷惑になっちゃうから、もうちょっと小さい声にしよう」
「図書館では小さな声にするものなんだよ」
などなど、理由を説明して普通に言えばそれでいいのですね。
そうするとだんだん、こどもは自分で考えて声を調節できるようになります。
声の大きさをコントロールできるってことは、ある意味自分を客観視できるっていうことだから、感情をコントロールしたりする力にもなっていきますね。
「うるさい」と頭ごなしに言われてきた子は、どうして悪いのか理解しないままずっといってしまうので、結局大人に制止されたときだけしか直さない子になってしまいます。
ときどき、こどもが転んだり、頭をぶつけたりすると、泣いてもいないのに大慌てで飛んでいって「どうしたのっ!ぶつけたちゃったの、大丈夫っ?痛かったの?痛かったわねっ~;;」なんて大げさなくらい心配してしまうお母さんがいます。心配な気持ちはわかりますが、こういう対応は2つの点で良くないことがあります。
1つは、実はこれこどもの自尊心を傷つけることがあるということ。
たいしたことでないのに、「自分がとても大きな失敗をしたのではないか?」「大きな失敗をしてしまったのだ」と親が必要以上に大げさな対応をすることで失敗をしたと落ち込んだり、自尊心を傷つけてしまうのです。
2つ目には、オロオロする大人を見て、泣いたり、叫んだりすることで大人を支配することを学習してしまうのです。また大人に対する依存心を大きくもさせてしまいます。
ではどういう風に対応すればいいか?
怪我しているときは大人がいって適切な治療をしてあげて下さいね。
今回は、怪我ではなくちょっとぶつかってしまったときのような対応の仕方です。
その1
「あ~~ころんじゃったね~~~」と普通にのんびり見たままを言います。
するとこどもは、「あれ、お母さんそんなに心配していないし、それほどたいした失敗じゃなかったのかな? うん、そうだきっと。」
とそのまま遊びに戻れたりします。
その2
そのときの驚いた気持ちや、痛かった気持ちのほうが大きい子は、そのまま遊びに戻れなかったり、泣き続けたりします。
こういうときなにを求めているかというと、共感してもらうことなのです。
だから「あ~ころんじゃったね~痛かったね~ビックリしたね~」と受け止めてあげればいいのです。
「自業自得よっ」とか「ママがアブナイっていってるのに、言うこと聞かなかったあなたが悪いのよっ」なんてことは「共感してもらえなかった」、「わざとやろうとしてやったのでもないのに怒られた」と「抑圧ポイント」が1~2ポイント増えますので言うのはやめましょうね。
もちろん、大怪我やぐったりして動かないときなどは大いに心配してくださいね。
しかし、こどもが遊んでいたりする中で自分で転んだり、壁にぶつかったりしたときはそれほど大きな怪我になることは少ないです。自分でやった分にはたいてい怪我は小さいです。
一方で、他児に押されたり、なにかをぶつけらたりと相手のいる怪我は大きくなることがあるので注意が必要です。
以前にも話しましたが、こどもは遊びの途中でも大人を確認してきます。
しかし、この確認したときに見ていないことを繰り返すとこどもは確認しなくなっていきます。
そうすると、遊びが荒れ怪我が格段に増えますので、こどもが自分で遊んでいるからといっても目を離さないようにするといいです。走りまわったり、暴れたりしているときは特に。
ほんとは事例とか入れてわかりやすくお伝えするつもりだったのだけど、どどんと長くなってしまいました。
室内での遊びとかにほとんど触れてないので、また次回に続きます。
それでは今日はここまで、おやすみなさい。
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● COMMENT ●
全く同感です!!
ちえっつママさん
> ↑とっても大切だと感じてて、親として「自分でできた」を応援してるところでした。
そう、大切なのは「自分でできた」ってことなんですよね。そういう積み重ねが意欲あるこどもを育てるのだと思います。
> 「転んだ時の対応」
> ↑うちも同じ感じです。むしろ、手をついて転べたからすごいじゃなーい!って誉めてあげます。最近は転んでなくても、わざと遊びで転んで「僕、手ついたよー♪」って得意げ。ポイントをはずさないで、誉めてあげると子どもって単純だから伸びていきますよね。それは、実感中です。
否定でしつけたり、教え込んだりではなく、「ほめ」たり「肯定」して育てていくのが大事ですよね。そういう下地ができた子は自分から伸びていけますしね。
> 今回のこの記事、とっても素敵なので、取り上げてもいいですか?
> 続きも楽しみに待ってまーす♪
↑了解です。こちらこそありがとうございます。
今回は原稿の書きためがあったのでもうUPしちゃいましたよ~。
訪問ありがとうございました。
よろしく。
「ダメ」
「うるさい」
「あぶない」
確かにこの言葉をよく使うお母さんのお子さんは、遊び中でも思いっきりの笑顔がないです。
顔色見てたり。
他の子との調和がずれてて...お母さんは、何でうちの子は?と不思議がってて。
ではまた。
カントリーママさん
> よろしく。
> 「ダメ」
> 「うるさい」
> 「あぶない」
> 確かにこの言葉をよく使うお母さんのお子さんは、遊び中でも思いっきりの笑顔がないです。
> 顔色見てたり。
> 他の子との調和がずれてて...お母さんは、何でうちの子は?と不思議がってて。
こちらこそありがとうございます。
そうなんですよね、そういう様子になってることが自分に原因があるとはなかなか考えられないものなんですよね。気づいてあげられたらこどものいい笑顔みれるのにね。
これらかもよろしくおねがいします。
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↑とっても大切だと感じてて、親として「自分でできた」を応援してるところでした。
「転んだ時の対応」
↑うちも同じ感じです。むしろ、手をついて転べたからすごいじゃなーい!って誉めてあげます。最近は転んでなくても、わざと遊びで転んで「僕、手ついたよー♪」って得意げ。ポイントをはずさないで、誉めてあげると子どもって単純だから伸びていきますよね。それは、実感中です。
今回のこの記事、とっても素敵なので、取り上げてもいいですか?
続きも楽しみに待ってまーす♪