子供の心にぽっかり穴を開けてしまう Vol.5ー「叱る」で対応できないー - 2014.09.13 Sat
なにしろちょっと関わりたいだけで人を殴ったり蹴ったりすることが習い性になってしまっています。
集団での行動にもゴネを出して足並みをそろえることはできません。
友達関係も、なにかトラブルの種を探して歩いているようなところがあります。ゲームで負けた、ちょっと身体がぶつかった、そんなようなことをきっかけにしては人に当たったり、不平不満を爆発させます。
「子供の不適応な行動には叱る」という考え方一辺倒の人から見たら、この子の行動は「叱る必要のあること」ばかりです。
それこそ、このAを憎たらしく思うほどにそう感じてしまうでしょう。実際このAが転園してくる前の幼稚園の先生はそのようになっていました。この保育園の保育士のなかにも多少ともそう感じてしまっている人はいました。
僕が「叱らなくていい子育て」ということを述べたり、書いたりしているとやはり「それでもやっぱり叱ることは必要でしょ」とか、「そんな甘いことをいうからいまの子はダメになるのだ」というような意見も聞かれます。
たしかに世の中には「叱る」ことだけで、うまく成長を遂げさせてあげられる事例もたくさんあることでしょう。
しかし僕には、そのように「叱ることだけで子供がまっとうに育てるのだ」と考えていられる人がうらやましくて仕方がありません。
僕がこれまでたくさん直面してきたケースの多くは、叱っても臭いものに蓋をするだけで子供の成長にはなんの寄与もしないというものがたくさんありました。
「叱ることもとてもエネルギーがいることで、そのように向き合うことができるのは愛情があればこそだ、だから叱ることは愛情なのだ」というような情緒的な意見があります。
なるほどたしかにそれはそうでしょう。その子供に真剣に向き合う気持ちがなければ、本気で叱ることはなかなかできません。
(でも、「子供のために叱っている」と思っているだけで「自分のイライラをぶつけている」にすぎなくなってしまうことも現実にはたくさんありますが)
しかし、世の中には「叱るだけ」で改善するケースもあれば、叱ることが長期的にはプラスにならないというケースもあります。
そういうケースにおいて、大人が「叱ること」「イライラをはき出すこと」をセーブし、その子供のおかれた状況を斟酌してそれに理解を示し、その上で普通の人が憎たらしくすら感じてしまうような行動の子供を肯定的に受容するというのは、その「叱ることはとてもエネルギーがいる」という「叱る」よりも比較にならないほどに努力や忍耐というエネルギーの必要なことです。
「叱ることは怒ることと違って冷静で、理性的な対応なのだ」とよくいわれますが、この子供のネガティブな姿を否定ではなく包括的に受け止めるという行為に比べたら、その「叱る」というのだって全然感情的にできてしまうことにすぎません。
なんでも「叱る」や「体罰」で子供の姿をまっすぐに育てていくことができると思っていられるのは、よほどの楽観論を持っているか、性善説を信じているのでもなければそうそうにできないと僕には感じられます。
僕も「叱る」や「体罰」を使えば子供を適切に育てられると思うことができたらどれほど楽だろうと思います。
しかし現実はそうではありません。
叱ればいい、叩けばいいという意識で、このAに対応する人はこのAを徹底的につぶしていってしまうでしょう。
単純にたまたまそのとき子供が適応的な行動を逸脱したというだけならば、叱ってその行動が良くないことを知らしめればいいですが、このAのような適応的な行動ができなくなってしまう理由をたくさん抱えた子にそれをすると、大人は「その行為の否定」と考えてしていても、そのような子供にとっては「自分そのものの否定」ととってしまいます。
自己肯定感の低い子への否定的な対応は、さらにその自己肯定感を下げ、そのことが叱らなくてはならない行動をする理由を作ってしまいます。
そして人間というのは感情に支配されやすいものですから「叱る」ありきでアプローチしていると、当初「その行為の否定」と考えて対応していた大人も、だんだんと「その子供そのものの否定」という気持ちが出てきてしまうこともよくあることです。
実際に関わっていくと、このAのようなケースにおいて「できるだけ叱ることで埋め尽くさないように関わっていこう」と十分に意識していても、本当に危険な行為や人としてすべきでない行為など「はっきりNOといわなければならない事態」というのは少なくありません。
これに対してはどうしても「NO」をいわなければなりません。その中で「叱る」をせざるを得ない状況も多いです。これをうやむやにしてしまってはそれも子供のためになりません。
ですから、普段からこの「叱る」という「否定の行為」が、子供に「自分自身の否定」と取られないようにしてあげられるバランスをとれるだけの「肯定の行為」をたくさんしておいてあげることが必要なのです。
受容や信頼関係をつくる関わりです。
その子にイライラを感じていたり、その子の行為を憎らしく感じていたら、この普段の肯定的な行為をすることはできません。また行動のいちいちを叱ったり制止したりで関わっていてもできません。
「子供の不適応な行為は叱る」とはなから考えていたらそれはできなくなってしまいます。
このAのようなケース、
本人に悪意があるわけでなく、生育上の理由からネガティブな行動を出さざるを得ないというようなことは、「叱ることだけ」でどうにかなるような問題ではありません。
この幼児の段階で、そのネガティブ行動をたくさん「叱って」改善しようとしてしまったら、大人全般に対する信頼感というものを大きく喪失させて、のちのちにずっと大きな問題として出すか、A自身が苦労して長いこと自身の心の穴として抱えていかなくてはならなくなってしまうでしょう。
心の成長に穴があいている場合は「叱るだけ」でそれを埋め戻すことはできないのです。
「叱るだけ」で子供の姿が安定化していけるケースは、情緒の安定や他者への信頼感、心の余裕、自己肯定感などの子供の育ちの基礎的な部分がそれなりにでも備わっているものであるという前提条件が整っているものです。
いまの子育ての現状では、これらが十分に持ちきれていない子供というのが増えています。とても増えています。
そのなかで昔ながらの「子供の不適応な行動には叱る」「叱ってわからないなら叩く」というような大人の姿勢で関わっていくことは、心の穴にたくさんの怒りをためた人間をつくっていくことになりかねないと僕は強く感じています。
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● COMMENT ●
No title
叱ることはくせになる
今回の記事は、自分にも当てはまる部分があり本当に同感です。
私も娘を叱りすぎ、怒りすぎていて娘はネガティブ行動のオンパレードでした。
そしてそのネガティブ行動に対して威圧する、時には「釣り」で対応してしまっていました。
困り果てておとーちゃんのブログにたどり着いたのですが、その時に『「叱ること」多くの人が気づいていない落とし穴』(Vol.2もあり)の記事に、『「叱ること」はクセになる』ことが書かれていました。それを読んで目からうろこでした。
「叱ってはいけない」と頭ではわかっているのに、叱り続けてしまう。
さほど叱らなければならないような場面でもないのに叱ってしまう。
私はクセになっていたんだなと気づいて腑に落ちました。
知らず知らずのうちに「イライラ」を「叱ること」で発散させていて、ストレス発散になっているから余計に「叱ること」は増えていって悪循環に陥っていたのです。
冷静に自分が娘に叱った内容を検証してみると、何が何でも叱らなければならないようなことはほとんどなく、急いでいるのになかなかやらない→イライラする→叱る のように自分がイライラして叱っているものがほとんどでした。
そして娘のネガティブ行動を受け止めて肯定的に対応することの大変さを思い知りました。最初は娘もなかなか肯定的に返してくれない。それでもこちらは受容的な姿勢を崩さない。イライラを抑えたりわざと笑顔を作ったり自分自身との葛藤もあります。
やり続けられているのは、娘のネガティブ行動は「お母さん、私を受け止めてよ」っていうサインなんだと知れたから。
最近では娘も可愛らしくなり「叱る」ことは余りなくなってきました。(とはいえまだまだ未熟者の私ですので出てしまうこともあります・・・出てしまったら必ずフォローするようにしています。)
叱らなくても子育てできるんだなぁと実感しているところです。
おとーちゃんの最近の記事でよく「大きな包容力」というのがでてきますね。
これもなんとなくわかってきました。ネガティブ行動に対してどうにかしてやろうと思うのではなくて、「はいはい。甘えたいんやろ~。こっちおいで~。ぎゅーしたろ」みたいにまるごと受け止めて大きく包んでやるってことですね。
以前、おとーちゃんに相談させていただいた時は、娘の弟に対する攻撃的な態度にどうにかしてやめさせてやろう、どうやったらやめさせることができるのか、で頭がいっぱいでした。おとーちゃんにも『「先回りした関わり」でもって問題行動がでたときではなくそれ以前のいい時間にプラスの関わりを少しずつ積み重ねていくこと」を教えていただきました。
それを長い目でやっていくということが遠回りなようではあるが欠かせないということも。私を含めて多くの人が即時性を求めてしまいがちですが、子育てというのは長いスパンで見たり考えたりしないといけませんね。
子供の姿をどうにかしてやろう、ではなくまずは、子供との信頼関係の構築が重要なんだなと、実践してみてようやく納得しています。
機嫌がいいと弟にやさしくしてくれたり一緒に遊んだりしていますが、だめな時はやはり攻撃の対象です。でも弟はなぜかねえねが大好きなようで「一緒に遊ぼ~」とか「○○ちゃん(姉の名前)好き~」とか言っています。それが救いです。
またまた長文で失礼しました。
まだまだ信頼関係の構築中なのでこれからも勉強させて頂きます!
今後の記事も楽しみにしています。
以前のように激しく怒ることをやめようと今現在努力中です。ずっと減ったと思います。でもやっぱり自分のイライラを抑えるのが難しくなってしまうときがあります(-_-;)
テレビで遊ぶ→扇風機で遊ぶ→絵本をバサバサ出す→ドアで遊ぶ→なんかよくわからず泣き続ける→私がシャワーしている時にシャワー設定温度ハンドルを回してしまうetc.
文字にしてみたりあとから考えてみたりすると、大したことないかもと思うんですが、その際中や続いたりされると、むかーっとしてしまうことがあります...。落ち着いて話して、聞いてくれるときもあります。でも繰り返しちゃったり。
このイライラの持っていきどころが難しいですね。本当に難しいのは子供の姿を変えることより、自分が変わることかもしれません。
記事にあるように、感情のままに叱り飛ばしたり叩いたりできたら楽だろうなと私も思います。でもしません。このブログを読んでなかったら少しはしてたかもしれませんが、おとーちゃんさんに大事な気付きをいただけたから、しません。
最近パパが仕事で忙しく、私自身も働きながら家事育児ほとんど一人で担当するのは疲れるなぁと思ってしまって少し心が挫けそうなのかもしれません(^_^;)せっかく前回アドバイスいただいたのにこんなネガティブな書き込みじゃだめですね; Aくんのお母さんと自分をシンクロさせすぎたかな(笑)
イライラからの切り替えと受容&先回りの関わり、頑張ります!
ゆかりさん
僕もありました。そういうのは人間だからしょうがないのです。
イライラや怒ったりしてしまっても、それをするべきじゃなかったとあとから後悔したり、自分を責めたりしても子供の育ちそのものにはさしてプラスになりません。
「人間だからイライラすることもある」と割り切ってしまって、ほかのところで子供と楽しく過ごしたり、気もそぞろになって子供の話しかけてきたときに上の空で受けごたえをしてしまうようなときにもうちょっと気持ちを向けて聞いてあげたりというように、できる部分で補いをつけていけばそれでいいと思います。
ちょっとだけ、やくにたつかもしれないヒント。
子供が話しかけてきたとき、普通は子供の方に顔を向けて話を聞きますね。
このとき、ほんのちょっとこのことをするだけで満足感を高められるというこつがあります。
まあ、効果があるかどうかはそのときどきなのだけど。
どんなことかというと、顔を向けるだけでなくて、そこから子供の方にグーッと顔をちかづけて話を聞いてあげるのです。
たいしたことではないのだけど、子供はそれで「自分は向き合ってもらえている」という実感をちょっとだけ強く持つことができます。
まあ、「持つことができるかもしれない」程度かもだけどね。
丁寧な返信、本当に胸に染みます。ありがとうございます!
おかげさまでだいぶ安定した楽しい時間が多くなりました(^^)
でもついイライラしてしまってあとから反省しちゃうこともやっぱりあるので、そんなときはこちらのおとーちゃんさんのアドバイスを思い出したいと思います。
それに顔を近づける、やってみます(*^^*)
本当にありがとうございます!
雑多ですmm
>僕が「叱らなくていい子育て」ということを述べたり、書いたりしているとやはり「それでもやっぱり叱ることは必要でしょ」とか、「そんな甘いことをいうからいまの子はダメになるのだ」というような意見も聞かれます。
素人のただのママである私が、一方的な怒りで叱りつけている、ということを指摘すると、こう言われます。私がダメママだ、というふうに決めつけようとして、具体的に「他児のおもちゃをとったらどうするんだ?(叱るのか?どうせ叱らないでしょ?)」と責めてきたりします。
目の前の相手を否定・非難してくるのは自己正当化のためで、こう言う時の顔つきはみんな同じになります。
それから、今の小学校中学校でも聞けない子が多くて問題なんだ、と言ってきてみたりもあります。その問題は親が作った、放任してる、どうせお前もそうだ、そうだからダメなんだ、と強くぶつけてこられます。
(まれに確かに完全放任の人もいますがごくまれだし、中には怒るのがとにかくいやだという人もいますよね?!)
でも子どもの問題行動には色々な場合がある、ということですね。大事ですね。
ところで昨日かな、尾木ママの番組観ました。
発達障害の子どもをもち、経験を積んでどっしり構えてるママさんと、まだ受け止めたばかりのママさんがいました。
私は、私が生まれた時には重度身体障害の兄がいたので、障害児のきょうだいとして育ち、いつも母とその兄(長兄)と過ごしていたから、小学校時代は特に「なんてまぁ異様なんだろう」と思ってどこか馴染めませんでした。生きづらい、と思ったわけではありません。
障害者の作業所(就労を目指すタイプではない)の子(といっても成人)が、帰り道で道端の畑のねぎを土ごと食べながら帰ってきた!という話があっても、「あらまあいやあね!」って大概、笑い飛ばして終わりです。
そういうふうに、生まれつき育っているのは、大人になって障害時の指導を勉強した、というのとは違うんです。(だから私のポイントはずれてるだろうということを保育士さんにも伝えてはいるのですが、なかなか伝わりません…)
テレビで皆違うことへの寛容さが要するに出ていて、同じ気持ち?考え?の人がいてよかった、と思いました。でもママたちは努力していました。他者にどう伝えるか。私も見習いたいと思いました。
うち、最近、怒ると「まぁま、まぁまぁ!」って泣かれるようになってしまいました。ネットで調べると3歳児にはよくあるようです?!
「ママ!ママ!」って・・・もしかしたら怒ってる私がいやなのかな。
ひょっとしたら怒りすぎですよ、と教えてくれているのかもしれないとふと思いました。
私は怒りのコントロールがへただし、自己中な怒り方をしてしまうことがありますから。
私は宗教家じゃないし、神も仏もないもんだくらいに思っているのですが(苦笑)、神様からの伝言をもって、やってきている、伝えるためにきた、こどものまなざしは神様のまなざしだ、となんだかそんなことを思いました。
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ほとんどの記事とコメントを拝見させて頂きました。
とても論理的でわかりやすく、
読んでいて為になりました。
息子に良かれと思ってしていたことが、
逆効果だとブログによって気付かされたことも多く、
もっと早くこちらのブログに出会えてたらなあと思いました。
毎回、更新を楽しみにしています。
書籍も絶対買います!
これからも応援しています。