相談 寝転がるばかりで一人で遊べない(2歳) ー遊びの原動力ー - 2014.09.14 Sun
いつも更新楽しみにしています。
二歳女児の母です。
遊びの相談なのですが, 今更なのですが, 何をして遊んであげたらいいのかわからないのです。
二歳になり、近所の児童館的なところでは狭くなり、同じくらいの子もいないのであまり行かなくなりました。最近では友達の家くらいしか行きませんが、そう毎日お邪魔するわけにもいかず。そろそろ外遊びも丁度いい季節なのですが, 外でちょっと歩くとすぐ抱っこを求めてくるので何しに来たかわかりません。
というわけで家で二人でゴロゴロしている状態です。なんせ私は子供の遊びというのが苦手で、積み木を積むだけとか、ひたすらままごとでフライパン煽ってるとか、食べる真似してるとか…
自分でもレパートリーが少な過ぎてあきれます。 同じことを好む子供でさえ飽きてるようにみえます(´・_・`) 絵本はちょこちょこ読みます。テレビは私がどうしても手が離せない時しか時みせていません。手遊び、お絵かきも短いです。
それで、私が家事をしている時、こどもが自分で遊ぶということをしないのです。別に常に全力で遊べ!と思っているわけではないのですが、指チュッチュしてゴロゴロ寝ています。ママかまってくれないかなーオーラ全開です。 おもちゃ出して遊んでいいよ、というのですが、自力で遊ぶ力がないようにみえます。
児童館の先生は、遊び方を知らないから、一緒にやって教えてあげたらいいと言っていましたが、先に述べたように遊びベタの母のため教えられず、先に進まないというか手詰まりな感じです。
子供にとって指チュッチュしてゴロゴロしている時間がながいように感じます。 ぐうたらしているようにみえるのがちょっといやです。 こんなんだったら幼児教室に通う方がお互い成長するのかなとおもいます。 テレビ(いないいないばあ)を見せると, 踊ったり歌ったりたのしそうです。
おとーちゃんはむーちゃんが二歳ごろ一緒に家にいて、毎日何していましたか?
ワンワンに負けている母にアドバイスいただけませんでしょうか。
毎日親子で退屈です´д` ;
子供を遊べるようにするというのは、簡単でもあるし難しくもあることです。
アプローチの方法だってたくさんあります。
僕はこのコメントを読んで、とっさに浮かんだのはまったく正反対の対応のふたつでした。
ひとつは、
子供との遊びについての情報というのはたくさんあります。ネットでも本でもその気になって探せばいくらでも見つかりますので、ちょっと手を伸ばしてそれらの知識を仕入れてがんばって遊びの提供をしてみてはどうかという考え方。
もうひとつは、指をちゅっちゅしてごろごろしていても子供は育つものなんだという考え方。
たしかにこの先ちょっと幼かったり経験不足だったりというある種の後遺症はでるでしょう。でも、大元のところで家庭に居場所がありそこで安心してすごせる、また基礎的な大人への信頼感などが持てているのであれば、そういった幼さというものもあとから(基本的にはですが)どうにでもなる部分ではあるということ。
もちろん、それらの基礎的な部分にプラスして遊びがそれなりにできるということは大切ではありますが、でも家庭における安心感というものがあるのはそれなりのひとつの合格ラインではあるという考え方です。
言ってみれば、いろいろもがいてやってみればいいじゃないということと、まあそのままでもいけなくはないからおおらかに認めちゃってもいいじゃないというまったく反対のふたつの考え方が浮かんできました。
どちらがいいというものでも、こうしなさいというものでもありません。そういう考え方・とらえ方ができるというお話です。
ほかにも、その状態では依存が強まってしまうだろう、とか依存傾向がそういう姿を作り出してしまっているから、「依存」を生まないように過保護過干渉などには気をつけて、自信がつくような関わりをしてみるといいかもしれないというような具体的な話も思い浮かびはします。
ただ、そのあたりは過去記事や過去の相談で述べられていることなのでここで繰り返さなくてもいいでしょう。
どういう状況におかれているのか、どういう対応をとるのか、どうすれば子供によいのかを最終的に判断して決めるのは相談者さんご自身です。
なので僕からは「こうしなさい」ということには触れないで、ちょっと別の観点から子供の遊びについて述べたいと思います。
>指チュッチュしてゴロゴロ寝ています
保育園でもこういった子供がときどきいます。
遊びを知らない、遊び方を知らないということもあるのは確かにそうだと思いますが。これらの子供にはその前にもっと足りないものがあるように感じるのです。
それは本当に心から「楽しかった」と思える経験の蓄積だと思います。
子供は、大人とはちょっと違って同じことを何度も繰り返して遊びます。
なんども同じ本を読んでと持ってきたり、毎日毎日好きな同じ遊びばかりをしたり。こういうことは多くの人も実際に子供の姿のなかで見ていると思います。
なぜでしょう?
おそらくこういう子は、現在の目の前にある遊びそのものだけから楽しさを引き出しているのではなくて、自分のなかにすでにがっちりとできあがっている「楽しかった」という経験を同じことをすることによって再現していることにより大きな楽しみ・おもしろみを感じているのだと思います。
例えば、
「お母さんがすごく穏やかで優しいときにこの本をなんの邪魔もされずに一緒に最後まで読んでくれた経験がすごく楽しかった」
ということが過去にあって、子供はその経験をはっきりと鮮明に記憶しています。あったことだけでなくそのとき自分が感じた気持ちの部分、楽しかった、おもしろかった、安心していられた、向き合ってもらえてうれしかった、そんなことまでがインプットされた記憶を子供はもっています。
後日またその本を読んでもらうという経験を通して、子供はその過去の事実と気持ちの部分も含めて再生上映することができます。
ちょうど小さい頃の子供の姿を取ったホームビデオを大人が見るとそのとき感じていた気持ちまで思い起こすようなことに似ているでしょう。
だから子供は、遊びの再現性・繰り返すということをとても好みます。
何の変哲もないちょっとした遊びに、その子が過去に経験した楽しさおもしろさといった感情までが付随しているからです。
子供はこういったことを大人が忘れたあとでも鮮明に記憶しています。
それはある意味当然なのです。大人は「今の目の前の遊び」しか見ていなくても子供は常にその今の遊びを通して過去の経験を繰り返しているので、反復記憶になっているからです。
子供をよく観察していると、このような今の遊びを通して過去の経験を思い返す言動をしたりということは多くの子にひんぱんに見られます。
僕がこれまでにみたような、遊びの時間でも遊べずに指をチュッチュしているような子は、過去の経験・遊びが本当に楽しかったという原体験をあまり持っていなかったように感じます。
最近の子は想像力などを使って遊ぶよりも、刺激によって遊ばせられるというのに慣れてしまっているので、遊びがうまくない、刺激にばかり振り回されてしまうという子はそういったチュッチュの子でなくとも多くなっています。
こういったチュッチュの子も、やはり即時的な大きな刺激でならば遊ばせられます。
逆に言うと、そういった刺激でもないと、遊びに取り組むモチベーションがわかないということなのでしょう。
子供の「遊びの原動力」というのは、「本当に楽しかった」という幼少期の原体験によって支えられています。
遊びというのは自由さ・自発さというのが大切だとは思いますが、それらの根底にはやはり大人が向き合ってくれて安心した環境で心から楽しかったと感じられることがあってのちに生まれるのだと思います。
ただ、兄弟が多かったりすると大人がいちいちそれをしなくても、子供コミュニティでそれがなされてしまうケースもありますが、一人っ子が普通という現代ではそれはあまりあてにできないことでしょう。
遊びというのは、ひとつ好きなものがあればそこから派生してあとは子供自身がその遊びの世界を広げていくことは可能です。
そらさんが本当に苦手なものまで無理してやることはないと思います。
かく言う僕もさして遊びの相手がオールマイティーにうまいわけではありません。
「遊びのできるは求めない」という過去記事があったと思いますが、いちいち「積み木で遊べるようにしなければ」とか「ごっこ遊びができるようにしなければ」とか、「絵が描けなければ」、「友達とルールのある遊びがうまくできるように」などと「できること」は求めなくてもいいのです。
なにか一個でもそういった「あれは楽しかったまたしたい」と思えるような原体験を与えられればそれでいいです。
だからなんでもいいわけです。
子供と一緒に料理をして出汁の昆布を鍋に入れさせたり、味見をさせたり、一緒に床のぞうきんがけをしたり、掃除機を押す係にしたりなどと日常のなかでのことを一緒にすることで関わったり、
ベランダにゴザをひいてそこでお茶とぬか漬けを食べながら「やっぱり夏はいいねー」と子供とごろごろしたり、自分が楽しいと思うことを一緒にしてきました。
大人が子供とともに楽しめるのであれば、子供も大人と楽しんでいるでしょう。(大人だけが楽しんでいることにつきあわせるのは、たんに子供を振り回すだけだけどね)
「〇〇をしなければ」ということにこだわらず、一緒にたのしめることに巻き込んでしまえばそれでも子供は成長の足場を作っていけると思いますよ。
ただ、どうしてもそういうことも苦手な人もいますから、そういう場合はなんかの習い事に入れたりして外部でそういう世界を持たせるというのもひとつの手ではあるでしょう。
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● COMMENT ●
あそびについて。
子供の記憶
なるほど、子供はそのようなわけで、何度も同じことを繰り返しているんですね。すごいです。
一緒に毎日何時間も、というか最低限の家事する以外、子供の遊びに付き合わされてヘトヘトでしたが、楽しかったことを繰り返したかったんですね…。
こんなにすごいエネルギーはどこからくるんだろうと思ってましたが、蓄積されてきたものだったんですね…。原動力、よくわかりました。
幼稚園まであと少し…たくさん遊びたいと思います。
あと特におもちゃなどでの遊びでなくても、家事とか一緒にやったり、楽しくやる工夫をしてみようと思いました。
遊びにつきあって家事できない…じゃなくて一緒にやればいいんですよね。子供も覚えるし…。
薄々夫のやり方(休日に一緒に掃除したり洗濯物片付けたりしている)を見て思ってましたが、改めて言ってもらえると、ちゃんとわかったと言うか…いつもこのブログに救われています。
前回の記事もとてもためになりまして、自分が小さい頃手がかからず良い子だったのに、なぜか途中でポッキリ折れてしまった理由(やはり接食障害からの長い通院など…苦しい時代が長かったです、子供を産んで良くなったんですが)、自己肯定感が低い理由がやっとわかった気がしました。私は親に甘えられなかったんだと…。特に親から何をされたわけでもないのに、疑問だったんです(自分が何をされてなくても、父親から母親へのDVなど、色々ある家庭ではありましたが…)。今でも人に甘えるのがすごく苦手です。
小さい頃の記憶って、なぜかいちばん近い所にあります。
学生時代とかより、よく思い出せます。ほとんど匂いや感触や気持ちとして生々しく残っているんですが…。
だから息子には、幸せな記憶を残してあげたいです。
私も、親に守られていた安心感と温もりを、辛いときは時々懐かしく思い出して、泣いてすっきりしたりしています。
色々ありながらもそういうのちゃんと与えてもらったから、生きてこられたのかもしれません。親には感謝です。
育児キツイ事もありますが、もっと楽になれるといいです。つい気づいたら一生懸命悩んでしまうんですが…(^_^;)
長々上手く書けずにすいません、これからも楽しみにしています。本も待ち遠しいです!
ご回答ありがとうございました
と思ったことはなかったですね。
私自身毎日時間がなくて、忙しいので、時間は効率的に!と思い込んでいるところがあったかなと思います。無意識に子どもにも、ちゅっちゅの暇があるなら想像力を鍛える遊びをすべきだ!という考えを押し付けていて、だからイライラしたんだなと思いました。
これまで私が一緒にやっていた遊びが、心に残るほどではない、そんなに楽しくないというのであればもう少し努力と工夫が必要ですね。
自分は絵や工作や裁縫は好きだし、得意です。色々作ってあげたりもします。でも一緒にやると、邪魔してくるのでストレスになっちゃうんですよね… 自分の思っているクオリティにならないから。 もうちょっと気楽に、一緒に楽しくやれるよう工夫してみます。
ほんとだ
もうすぐ2歳の子が1人で遊びながら色々話していることを聞いていると、
確かに、過去の経験から想像をふくらませていますね。
見ていて飽きません、面白いです。
楽しかったという気持ちを蓄積していっている、
そこに関われるというのは、本当にうれしいことです。
自分が楽しいことを一緒に楽しむ、ということが大事なのですね。
遊びのバランスは、おとーちゃんの記事を読んで勉強して頭の片隅に
(あの遊び、全然させてなかった、忘れてたわ、ということにならないように。
でも、これができるようにならなきゃ、とこだわらず、大らかな親でいたいなと思いました。
そらさんは、絵、工作、裁縫など得意だとのこと、
遊びのネタ満載でうらやましい!
私は裁縫は全て母にお任せ・・・
違うかも知れませんが、
うちの子は、お腹がすいた、疲れたのとき
ゴロゴロ、かまってーが増えて、何だか能動的に遊ぶ力が急激に落ちます。
親が家事で忙しいときって、子どものお腹がすいた、疲れたの時間と重なることもあるのでは、と少し思いました。
体験の大切さ
おとーちゃんがたびたびおっしゃっている、「生活体験の積み重ね」ってすごく大切だなと、改めて痛感しました。
3歳になったばかりの娘がいますが、2歳半くらいからおままごと遊びのなかで自分で設定を作り、ストーリーを展開するようになりました。
(自分が母親や先生になっての保育園ごっこ、お弁当を作ってぬいぐるみとピクニックごっこ等等)
完全に一人遊びととして没頭することは少なく、私も参加させられるので、付き合うしんどさはありますが、彼女のストーリーに乗っかれば良いので、「どんな遊びを提供したら退屈しないか」ということに頭を悩ますことは減って楽になりました。
それにしてもおままごとで遊ぶ姿を見ていると、見事に自分が体験したことの再現か、私の行動のコピーなんですよね。
笑ってしまうくらい。
イマジネーションを使う遊びというのは、体験したことの再構築であり、無から生まれるものではないんですね。
料理の真似も、そんなとこまで見てるの?と思うような細かいことを再現しています・・・。
我が家はキッチンゲートはありますが、1歳半くらいから私が台所に立つときは解放していますので、料理をしている時は結構そばでウロウロしています。
安全に気を配らなくてはいけなかったり、家事も捗らないので大変なこともありますが、その時の経験が生きているのかなと思いました。
ただ一緒にいて見てるだけでも、子供って多くを吸収しているし、むしろそんな体験が大事なのかな、と感じた記事でした。
そらさん
その子の分身みたいな人形を作ってあげるのです。余裕があったら家族の分もあるといいですよね。
この自分を重ねられる人形というのは、ただ遊びだけでなく心の成長にもいろんなところでプラスになりますよ。
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子どもが同じ遊びを繰り返すこと。
これは子どもと過ごす中で何度も経験していました。
楽しかった過去の経験も重ねて何度も味わっていること。
これについては考えたこともなかったです。でも、なるほど!と深く深く納得できるものでした。
私は子どもの頃から遊ぶのが大好きで、今も子どもと遊ぶ(主に何かを作ったりする)のが楽しくて仕方ありません。
大人になると、作っても捨ててしまうかな?とか無駄かな?と実用性がちらついてしまいます。つくった結果の成果物も出来栄えだとか芸術生だとか考えてしまったり…。それをこえてでも作りたいと思ってつくるのが本当の趣味だなぁと思っています(^ ^)
無意味なものを自由に作って存分に遊べるのが子ども時代の醍醐味。遊びは究極の無駄であり、究極の贅沢だなと思います。おとーちゃんさんが記事に書かれていたように、遊びを通して身につくこと(器用になるとか、集中力がつくとか)を前もってご利益的に期待するのは本当にもったいないって思います。遊びはどこまでも遊びで、無目的であってほしいし、そうあってこそ遊びだと思ってしまいます。
今ふたたび、子どもと一緒にそんな貴重な時間を過ごすことができてとっても幸せです。