リンク 『子ども番組のいま』 - 2014.09.30 Tue
その中で、
「子どもの想像力を育てたい」アンジェイ・マレシュカ(ポーランドのテレビ・映画監督)
の一連の寄稿文があります。
現代はさらに高機能化してきたネットおよびネットツール、多種のメディアなどにさらされており、子供にあたえる文化というものもこれまで以上に真摯に考えなければならない時代になっていると言えるでしょう。
この中でマレシュカさんが言うように、それらのメディアがいいか悪いかという答えを出すのは簡単ではありません。
しかし、無頓着でいるべきでないのは間違いないでしょう。
日本は子供に与える文化というものに、これまでそうとう無頓着できていました。
日本ではあまり知られてはおりませんが、このポーランドはじめ東欧諸国というのは子供文化に対する長く厚い歴史と伝統をもっている地域です。
チェコのカレル・チャペックなどはご存じの方も多いのではないでしょうか。
多くの人が、子供の文化に対して理解と関心を示し良質なものを手に取ろうとするということはとても大きな意味を持ちます。
残念なことに、日本ではそういう文化よりもむしろメディアやコマーシャリズムのなかで華々しく宣伝される物をそのまま子供に与えるということが大半です。
すべてではありませんが、保育園や幼稚園などですらそういった傾向があります。
子供によりよいものを与えたいという目線よりも、メディアにより前情報が与えられている子供が喜ぶ物を与えるということが一般化しています。
そういった子供関連の施設ですら、目立つところにキャラクターものの飾りや遊具などが無頓着に置かれています。
専門家と目される人たちですらその地点に立っているのですから、一般の人が企業が作っているお金の回収装置のような商品にしか関心がいかないのも仕方のないことです。
そのようにもともと地盤の脆弱な日本の子供の文化の領域に、さらにネットツールの高機能化という次の時代の課題が押し寄せてきてしまいました。
マレシュカさんの文中からも感じられますが、僕は最近の子供が「子供でいられる時間」が短くなっていると思います。
大量の流行すたりのサイクルの早い情報にさらされ、本来ならば大人が使うようなツールを与えられ、コマーシャリズムのなかでファッションや恋愛要素をからめて魅力的に見える物を売りつけられ、子供が無邪気で子供らしい子供でいられる期間というのが確実に短くなりつつあります。
むしろそのように子供が大人びてしまうことを、「子供の成長」であるかのようにとらえ歓迎している大人もいるようです。
僕は、それら世の大人たちが無頓着に、子供をそうさせてしまっている現実には危険性を感じます。
都会っ子の僕ですら、虫やカエルを捕まえたり、花の蜜を吸ってその甘さを感じたり、ホウセンカの種を集めたり、「お手玉にするからとっておいで」といわれてほうき草(?)の実を採りに行ったり、そんな子供時代にしたことを今の子はほとんどすることができません。
そしてそれの代わりに、ゲーム機やお金で購った玩具で遊ぶことがそこにはあります。もしくは早期教育や習い事などの大人の世界の価値観からの評価の対象になることが、主要な物として子供に与えられています。
そのうえにさらに、ネットツールなどが無造作に触れられる環境というのを大人が作り出してしまっています。
これまでにも子供の文化に関心の高い人はもちろんいました。
でも、文化というのは一部だけはあまり意味を持ち得ないのです。
これは子供の物だけに限りません。広く人々に知られ触れられ関心を持たれてこそ、その文化のもつ力は大きくなっていきます。
裾野の広い山は高いものなのですね。
ぜひ多くの方に「子供に与える文化」というものへの関心を持って欲しいと思います。
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● COMMENT ●
No title
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早速子供と描いてだしたところ、年少クラス2組併せて50名近くの中で、ウチ以外は本当にすべて今流行の4-5種類のキャラで驚きました。
キャラものを描く中でも「これは写し絵っていうんだよ~」「これ描いて~」など家庭での会話はあったかと思いますが、そこまで皆同じようなものとは何なのだろう、、、と違和感を感じました。
子育てについての親の希望として「個性を伸ばしたい」と挙げる方は多いと思いますが、その言葉の意味を理解しているのだろうか、毎年入れ替わる流行を追いかけるのに疲れないのだろうか、、、としばしば考えます。
No title
お月様を見つけるのが得意な娘。昼間の空に見える色の薄いお月様を見つけて喜ぶ姿。お月様が私のところに降りてきてくれたよって嬉しそうにお月様を抱える仕草。
何とも愛おしいです。
周りの子供たちの多くは、幼稚園生から小学生に至るまで本当に遊びの内容も話す内容も大人びていて、娘がメルヘンの世界観で話しかけても全く相手にされない場面が多いです(-_-;)
そのお母さん方もしかり。
文字も一切読み書きできませんが(やはり周りで書いている子がいると少し焦る気持ちはありますが・・・)、おとーちゃんの言葉を思い出し自信を持ってやっていきたいです。
文字は読めなくても絵本が大好きな娘は、私が読み聞かせた絵本を、次の時には自分で絵を見ながら覚えている内容を声に出して読んでいたり、お気に入りのお人形に読み聞かせをしていたりしています。
絵本の主人公になりきってシーンを再現して演技をするのも大好きなようです。
やはり今のような姿は今しかできない尊い時間ですね。
No title
リンク先拝見しました。
「想像力は知識よりも大事」
「想像力や創造性を持つのは人間だけ」
という言葉になるほどとうなずきました。
そして「想像力」や「創造力」はおとーちゃんの仰るように
体を動かす遊びや(良質な)おもちゃといった
「子どもの文化」の中で育まれるのだろうとも思いました。
私自身も、知識は「文字」という抽象化手段を手に入れてからの方が
効率的に取り込めるでしょうから、
今は「想像力」や「創造力」を育ててほしいな(ひたすら遊べ)と、
願ってはいるのですが・・・
「良いもの」「良い遊び」をと自分の子供だけを囲い込めば
自分の子供だけは良い子に育つ、というものでもないでしょうから
世の中とのバランスが難しいなと思います。
また、絵本の読み聞かせをしていると、おとーちゃんと同じようなことを感じます。
「絵本」という子どもの文化そのものの分野でも、
もちろんしっかり考えられているものもあるのですが、
「子供への視点」が無頓着なものも少なからずあるなということです。
(何というか・・・「子供だまし」なんですね)
大人の方も文化に対して、勉強が必要だなと思います。
子供は子供でいさせたい。
「子どもの時期はいつ終わるのでしょう。
ハッピーエンドを信じられなくなった時、自分の力を信じられなくなった時です。
自分の人生や周りの世界を、自分が変えられるんだなんて、信じられなくなってしまった時です。」
そんな淋しいことを… 読んで思わず泪がこぼれてしまいました。。。
子供が「終わるとき」=諦めを覚えるとき というのはできるだけ遅いほうが良い!!と心から思います。
できれば、いつまでも純粋で・・・ なんて夢物語かもしれませんが、内なる秘めた「力」を少しでも多く引き出せるように
諦めを覚えてしまった大人になっても、自分を変えられる!と信じられるような人になって欲しいです。
1,2歳の子供にまだ選択肢はない、与えるのは親なのですよね。
ちゃんと親が吟味して 流行にとらわれず、育てていきたいです。
日々追われてしまう中、ちゃんと立ち止まれて良かった。
いつもありがとうございます!! ※返信不要です。
とある子供向け商品について
ブログ記事内容と直接関係ないことになってしまいますが
とあるおもちゃについて、ちょっとお聞きしたいのです。
以前投稿させていただいた頃は
何が子どもにとっていいとか悪いとか
自分の育て方で子どもの将来がゆがむのではないかとか
細かいことから漠然としたことまで色々気にしていたのですが、
時間の経過とともにだいぶ楽に考えることができるようになりました。
とりあえず親に無理のない範囲で
子どもにいいと思うことを選んでいき
親が間違ってたとしても子どもに真剣に向き合ったということで
子どもが自分で立ち直っていってくれると思えるようになりました。
おもちゃについても
どれを選べばいいかとか
おもちゃのせいで子どもが悪くなるとか
子どもによい遊び方をさせて賢くするにはどうしたらいいかとか
考えていましたが
そういう「何かのせいにする」考え方がナンセンスであることがわかってきました。
というわけで深刻なことでもなく正解を求める相談でもないのですが
参考にさせていただきたいので書き込みさせていただきます。
最近、存在を知って気になっているのですが
室内用砂遊びおもちゃ(商品名「Dンシング・Sンド」とか「Kネティック・Sンド」とか)について
何か思われることありますか?
某Bネルンドのショップで紹介されて以来
そのうち買ってもいいかなと思っているのですが。
例えばこれ(簡単に造形ができるらしい)に慣れてしまうと
ほんとの砂遊びがいやなものになってしまわないか?とか・・・
本物は本物、おもちゃの方は砂遊びごっこの偽物として
別々に楽しんでくれるなら問題はないですけど。
そういう捉え方も個人差でちがうと思うので、
「どっちでしょう」とおききするつもりはないです。
うちの子は粘土遊びがわりと好きで
今は家に油粘土がありますが、
特になんという作品をつくるでもなくたまにこね回しています。
この商品、ネットで評判を見ても
いいことしか書いていないのですが。
その観点が「汚さないで遊べる」といった大人の都合であるというのが
ちょっと気になるところです。
おすすめおもちゃを紹介してくださっているおとーちゃんさんの視点で
もし何かありましたら、よろしくお願いいたします。
なんにもなければスルーしていただいて結構です。
普段テレビの習慣の無い(私が忙しすぎて、テレビ見せてる隙が無いんです)年長の息子も、保育園の友達から流行アニメ等の話題を持ち帰って来ます。
親としては「よく知ってるね~」など感心したり質問して教えてもらったりしますが、そのために放映時間を調べたり、製品を買い与えたりはしません。
それが私の親としての選択です。
ただ、キャラクターものを全面否定するつもりもなく、息子に「描いて!」とせがまれれば、チラシなど見てせっせと描きます。
要は、親子のコミュニケーションツールの一つとして扱える範囲であれば良いと思うんです。
一方で、カエルのエルタや安野光雅の美しい絵本など、自分が子供時代に親しんだ本が今でも手に入ることに、それを守ってきた大人の意識の高さがあったのだろうと感謝を感じずにはいられません。
自分が小さい頃にわくわくしながら読んだ本に目を輝かせている息子を見るとき、共働きで忙しいながらも読み聞かせてくれた母の声を思い出して、嬉しかったことを追体験しているのかもしれません。
子供の時期
「子ども番組を語る」の記事を教えてmいただきありがとうございます。
この寄稿全文を読みましたが、読んでいてとてもワクワクしました。
(ワクワクをもっと感じたくて、小説『マジック・ツリー 追え!! 魔法の赤いイス』を楽天ブックスで注文しました。届いて読むのが楽しみです。)
子供には無限の未来が広がっていて、その未来を想像し、その未来では自分は何にでもなれるし、どんな敵にも立ち向かえる無敵の存在なのだな、と思うと子供が子供でいられる時期は本当に素晴らしいです。私も子供のころは空想が大好きで、自分が世界を変えられるし何者にでもなれると信じていました。そして、その頃の時間が今よりも何倍もゆっくりで密度の濃い雰囲気をいまだに覚えています。
小さい頃は本を読むことが大好きでした。(今でも大好きです。そして職業は司書です。)本を読むとその物語に入り込んでしまい、読んでいる最中に親兄妹、友達に話しかけられても全く気付かないくらい没頭していました。物語に入り込んで、あたかもその近くで実際に見ているかのように身近にお話を感じていました。アンジェイ・マレシュカさんの作品は見ている子供と物語の出来ごとの距離が近いようなので子供に受け入れられているのだろうなと自分の体験から感じました。
アンジェイ・マレシュカさんのように子供のことを考えながら作品を作ってくれる方が増えたらいいなと思います。
今の子供たちは、失敗しないように、最短距離で就職まで行けるようにお膳立てされて育っているように感じます。私は少しくらい回り道をしたって、道草食ったって、失敗したっていいと思います。私自身が挫折の繰り返しで辛い思いもしたし自分の能力のなさに絶望した時もありました。挫折しては自分と向き合って試行錯誤の繰り返しがあってこそ、現在、好きな仕事ができていて、子育てもおとーちゃんのブログに出会って上向いてきた自分がいます。そして今振り返ると回り道したこともかけがえのない経験だったと感じます。大人になってもまだ自分の力を信じているし、さすがに世界は変えられるとは思っていませんが、世界を変える一端にでもなれたらなぁなんて思っています。
おとーちゃんが記事で書かれている「子供に与える文化」ですが、本当に真剣に皆で考えないといけないですね。メディアもしかりおもちゃもしかり。食についてもでしょうか。
息子の保育園では夕方合同保育になると0-2歳児が1つの部屋に集められてTVアニメを見ています。最初その光景を見たときはびっくりしました。また、娘の保育園行事の打ち上げがあり(私的なもので保育園は関わってません)行ってみたら、親と一緒に来た4-5歳児から小学1年生の子供たちのほとんどの子がDSを真剣なまなざしでやっています。その間、母親たちはお話に夢中・・・。それも異様な光景でした。
皆がそれはおかしいよって思ってくれたらいいのだけど、そうでもなくてまだまだ関心は低そうです。
No title
何となく、私が子供や思春期だった頃に、それまでの子供らしい子供番組のアンチテーゼとして作られてウケた子供向け番組のノウハウが、アンチテーゼの刺激としてではなく、王道な子供番組として提供されていることに、子供を育て始めてから違和感を強く感じていました。(例えば愛嬌のある悪役とか)
あと、こんな地味で起伏のないのは子供ウケしないかなと見せたロシアの人形アニメをすごく熱心に見てたり。
子供の感性が独特なことを忘れずにやっていけたらいいなと思いますが、現状は色んなものがあって迷う日々です。
miyuri さん
ほんとの砂遊びがいやなものになってしまわないか?とか・・・
本物は本物、おもちゃの方は砂遊びごっこの偽物として
別々に楽しんでくれるなら問題はないですけど。
大人がなんらかの価値観を植え付けてしまわない限り問題はないと思いますよ。
例えば、「砂場の砂は汚いからこっちで遊びなさい」のように提供しては、子供は実際の砂を厭うようになることでしょう。
そうでなければ、遊びの数ある選択肢のひとつと理解すると思います。
返信ありがとうございました。
以前にも別なおもちゃで質問させていただきましたが、
またもや特定のおもちゃについてきいてしまいました。
前ほどこだわりはなくなってるんですが。
いいおもちゃを選ぶことは親が責任をもつという観点から
長い歴史のあるおもちゃや、
商売の目線ではなく子どものために考えられたおもちゃを選びたいと
思っているので、
こちらの不思議な砂はごく最近出てきた商品なので
ちょっとおうかがいしてみたいなーと思ったのです。
考えてみたらお外遊びやお砂遊びは
これの比較にはならないですね。
子どもも砂は造形あそびでなく感覚的に体で遊んでる感じですからね。
余計な心配したかもしれません。
砂遊びに似てるけど全然ちがうものというのは
子どもの方がちゃんとわかってそうです。
とくにおとーちゃんさんが
このおもちゃ、この点が、よくない。というお考えをお持ちでないみたいなので、
自分なりに検討したいと思います。
どうも、ありがとうございました。
更新楽しみにしています。
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読めるようになったりできるようになってからは、読まずにはいられない、乗らずにはいられない人生が一生続くのだから、そうじゃない時期にしかできないことをしてほしいものです。
日本の最近の人気子ども商品は、大人の心をとりこにすることに絞っている気がしますね。かっこいい俳優を起用したり、コレクター心を刺激したり…。子ども向きと見せかけて大人をターゲットにする→大人がとりこになれば自分も楽しいから子どもにどんどん買ってあげる という風に、子どもにいいものかどうかということは全く置き去りにされているように思えます。子どもは未来そのものなのに、お金儲けの対象にしか見られてないというのは悲しいことですね。