二つの論文について - 2014.10.23 Thu
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最近僕のライフはがりがりと削られています。
自分の力のなさゆえに、手をさしのべるべき子供たちを救えないと感じるためです。
先日、娘の幼稚園の園長、副園長に面談を申し入れて話を聞いていただきました。
別件もあったのですが、これまで障がいや発達に問題を抱えている子供たちへの対応で、あまりに不適切な点を多々目にしていたからです。
あまりそういった指摘を外部からされることを先生たちは好まないということも知っていますし、保護者の立場ですので娘への不利益も考えないではありませんし、また自分の保育へ見方が職業柄やや厳しくなっていることも自覚していますから、もしかすると気にしすぎということもあるかとも思い、ずいぶんと自重していました。
しかし、周りの保護者からもああいう扱いでいいのだろうかと感じている人がいることがわかって、しかしながら幼稚園側にそういった自覚は持っていないということも感じるので、その子供たちのためにもクレーマーと思われようとも言うべきことは伝えておこうと思い立ちました。
以前に、
『保育園の子供と幼稚園の子供 Vol.5 要支援児への援助』
この記事での事例は娘の幼稚園のことではありませんが、こちらの記事で述べたようなことを伝えたわけです。
具体的には嫌がっている子をはがいじめして引きずったり、日常的に手首をつかんで引っ張って行動させていたり、やりたくないという子供の姿に対して複数の大人がよってたかって「やりなさい」というようなアプローチを迫ったり、その子供たちがそこで屈託なく過ごしているのではなく、押さえつけられながら不満そうに過ごしている表情などを見てきました。
この記事はすでに4月24日に書いていますので、半年くらいは様子を見ていたということです。
極力先生方のプライドを傷つけないように、また単なる批判にならないように誠実に伝えたつもりなのですが、結局のところほとんどとりあってもらえませんでした。
話だけでもきちんと聞く姿勢をもって聞くだけでも聞いてくれて、その後に「これこれこういう次第でやっている、行き過ぎに見えた点があれば今後気をつける」なり、聞いた上での反論なりをしてもらえたのならばまだ納得のしようもあるのだけど、話を聞き届ける前から自己弁護のようなことや、ごまかしとも受け取れるようなこと、どこどこの教授や「優秀な」(4回繰り返して頂きました)カウンセラーの先生の指導や研修を受けているというようなこちらの話を牽制するようなことがほとんどだったので、僕の話を理解しようとする姿勢はないのだなぁと徒労感ばかりが募ってしまいました。僕もなにか立派な肩書きがあればもしかすると聞いてくれたのかもしれませんね。
指摘されたことで、次の日から腕を引っ張って誘導することは気をつけようという話になったのか、いつもなら腕を引っ張っている場面でもそれはしなかったのだけど、そのかわりに後ろから抱え上げて”リフト”をして子供を動かすことをするようになっただけだったので、本質的には僕が伝えたことは理解してもらえなかったようです。
それでもまあクレームおやじが見ているからと、外から見えるところだけでも気をつけるようになるだけでもましかなぁと思うようにはしているのですが。
それでも、なんとか理解してもらえないかと、翌日午前中の4時間を費やして
前々回の『「指導」の視点と「援助」の視点 -教育現場における障がい児援助の課題-』を書き上げて参考にしてくださいと副園長にお渡ししたのだけど、2週間後くらいにこちらから「どうでした?」と聞くまで感想も伝えてはもらえませんでした。
それで返ってきたお返事も内容には触れずに、「方法が違うだけで目指すところは一緒ですね」と言われただけで、僕からはその答えは「見るべきものはないので、今後も子供への対応は一切変える必要がないと考えている」というように受け取れました。
それでも、もし園内研修でもするのならばノーマリゼーションの理解について必ず理解の助けになれるようなことをお話しできますと僕の方から申し出て食い下がったのですが、それにたいしてはいまもってなんの返答もありません。
仕方がないので、論述としてまとめて
前回の『保育・教育現場における”ノーマリゼーション”の目的と意義』
こちらのかたちで、とりあえずブログにUPしてみました。
このブログはありがたいことに、保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校にお勤めの方も読んでくださっていますので、捨てる神あれば拾う神ありでどこかからでも要支援児への対応が前進してくれる助けになってくれればと思います。
閉じた耳にはいくら話しても伝わりません。このことは嫌というほど僕自身も理解しています。こういった施設になんらかのことを指摘しても、伝わる方が少ないということをなんども経験していますし、相談の中でも周りの方からもたくさんの同様の話を聞いています。
公立の幼稚園は時間的な余裕もたくさんあるし、研修などもその他のところよりもはるかに充実しているのだから、もう少し聞く耳を持っているのではないかと期待していたのですが、残念なことにどうもそうではなかったようです。
今回のことを周りの保育士や知り合いの幼稚園教諭などにすると、もっと深刻な事態があることも聞かされました。
保育所や学校というのは、放っておくととても閉鎖的になりやすい施設です。
そこで行っていることを客観視する視点を持っていないと、問題があってすら気づかずに簡単に10年も20年も同じことをし続けていってしまいます。
今回書いた二つの小論文がどこかで少しでも役に立って、子供たちのよりよい育ちに寄与してくれることを願うばかりです。
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● COMMENT ●
No title
それは大変でしたね
心が冷えていくようなやりとりがあったのですね。
何の疑問も持たない中にに初めの一石を投じるのは、負担が大きいです。
おとーちゃんほどではありませんが、私も子供の保育園で気持ちが冷めていくような経験をしたことがあるので、少しだけ気持ちは分かります。
だけど、今回の記事アップと同様に、何らかの変化が生じてくるきっかけにはなると信じています。
どうか元気を出してください。
いつも、こちらの記事に励まされながら子育てしているので、今回は(余計かもしれませんが)私からエールを送ってみました。
パネコさんのコメントを読んで
>第三者からそのようなことを提示されても、それに対して柔軟に動く組織はありません。
本当にそうでしょうか。
私は仕事をしていて単なるクレームではなく親身になって意見を述べてくれるお客様がいたとき、その方にはただただ感謝の念しかわきません。なんらかのかたちでその意見を良い方へ活用させていただいています。
>今まで、誰からももんくがでず、大きな問題がなかったから。その理由だけで充分なはずです。
これも本当にそうでしょうか。
本当に行くところまで行って切迫したクレームがついてから対応を考えるようでは確実に遅すぎると思います。そういった深刻なケースになる前に問題を発見して対処するという姿勢は組織にとって、少なくとも健全な組織にとっては必須のものではないでしょうか。
文句がでないだけで理由が十分という姿勢でそこの職員がいたのでは、民間企業ならばとっくに傾いているでしょう。
この点はおとーちゃんさんの論文の注3にあったことがまったく当てはまっているとおもいます。
積み上げてきたものがあるといっても、それはいいことに対して言えることであって、問題があるといわれていることに対しては少なくとも検討するという姿勢くらいしめしてくれるのでなければ、子どもの親としてはとても安心してあずけられません。
「先生と呼ばれている人は、自分より上の先生の話しか聞かなくなってしまう、そうなったらそこは末期症状です」と会社の弁護士さんがおっしゃっていたのを思い出しました。
人を教える立場の学校の先生ならばなおさら外からの声には敏感でいて欲しいと思います。
私が聴きたい
おっしゃるようなこと確かにあると思います。
意見を聴くことができない人に当たってしまったようで大変残念です。
聴けるものなら私がお父ちゃんさんのレクチャーをぜひ聴きたいくらいです。
二つの論文は機会がありしだい私は活用させて頂きます。
このように真摯な意見をおっしゃって下さる方がいることは大変ありがたいです。
どうかこれにめげず今後も率直なご意見をぜひともお願いいたします。
No title
障がいを持った児童は養護学校や特殊学級に入学されられていた過去があり、それが今は通う学校を選択する自由が比較的あり、児童も、特別な支援を必要としている児童として認識されるようになりました。名称も特別支援学校と変わりましたね。
インクルーシブ教育は2006年に国連で障害者権利条約が締結され、日本も署名したということが背景にあると思いますが、正式に批准したのは今年の1月です。
その間国内法の整備をしていたということのようですが、本格的な啓蒙や変化はこれから現れていくと信じたいです。
No title
返信不要です
子供たちが、そういう扱いを受けていること、おとーちゃんの対応も糠に釘だったこと。
すごい勇気に、拍手を送りたいです。私なら、どうせ無駄だと思い言わないと思います。
今までこれで来たとか、問題が起きてないから、その対応は良いのか?といえば、違いますよね。
そもそも、子供だって1人の人間。
それに、自分(先生がた)がそんな対応されてどう思うか?と甚だ疑問です。
おとーちゃんの話は教訓になります。
いつもより難しい記事だなと思ってました
結果、おとーちゃんが表面的に変わらないように受け止ったというのは残念でしたね。
でも、多分表面的にはそう見えても、内側ではザワザワしているとおもいますよ。 公立とはいえ、他の素人(といっては失礼かもしれませんが)の保護者からみてもどうなん?という見えることはなかなか大きな問題だと思いますし、こどもにたいしても保護者に対しても、昔のやり方が通用しなくなっていると園の方も本当は感じているのではないでしょうか。
おとーちゃん、大人の方がかわることが難しいってよくいってますよね。引きずりから抱っこに変わったのも前進じゃないですか。全然物足りないと思うし、成長著しい子供にとっては早急に改善すべき点なのだとは思いますが。
おとーちゃんのなげかけは大きく意味のあるものだったと思います。 保護者にそういう人がいてくれるととても心強いです。
ライフはむーちゃんにチューしてもらって回復してください。
また記事楽しみにしています。
その心無い対応にがっかりしますが、おとーちゃんさんの訴えはけして無駄にはならないはずです。
今後保護者の間からこのような訴えかけが続けば、何らかの対応をせざるを得ないと思いますし…。
公立だからなのでしょうか?
近隣は私立の園が主なのですが、友人が子供を通わせている園で、数年前署名を集めて園長先生を辞任させたと聞きました。パワハラみたいでしたが…。
また、カトリック園では、進んで障害児を受け入れているところもありますし、そこもそんなひどい対応をしてるとは思えないです。評判のよい園ですし、そんな事あったら噂が広まっていると思います…。
だから今回の記事はあまりにひどいと感じました。
そんな歴史なんか壊したほうがいいですね…。
改めて尊敬しました!
No title
このブログの中では、違和感を感じられて当然だと思います。それは、おとーちゃんさんの考えを皆で共有し、それが正となっているからだと思います。
しかし、今回おとーちゃんさんが園に対して要求したことは、例えば人員の配置が少ないという法に反したことではないし、他の園児に危険や危害があるということでもありません。利害関係者でもない。
組織がそんな第三者の意見まで受け入れることは、難しいと思いませんか?
タニタさんがおっしゃっているのは、上記の様な正当なクレームについてだと思います。正当なクレームについてさえも、組織として受け入れるかどうかの判断は難しいものです。一担当者が共鳴して行動を変えることは簡単ですが。
私はおとーちゃんさんの保育についての考えは素敵だと思いますが、今回のことには疑問が残ります。組織からすれば、判定不能、正誤を判断できるようなことではないからです。
利害関係者である、対象の子供も親御さんは、何とおっしゃっているのでしょうか?その方も園の方針に心を痛めているのであれば、その方と一緒にいくべきです。そうすれば、園の方も対応をせざるを得ないでしょう。
再度、主観でのコメント失礼しました。
正論だけでは...
大変な思いをされたとのこと、すり減った心が回復するまでしばらくは難しいことを考えず、自分を大切になさってくださいね。
うちはその後大変順調で、おとーちゃんさんには本当に感謝してます!ありがとうございます(^^)
パネコさんのご意見、最初拝読したときは納得いかなかったのですが、二つ目の書き込みを拝読して、一理あるなぁと感じました。
おとーちゃんさんのご意見、考え方には私は賛成です。
ただし、伝え方が聞き入れてもらえない要因だったのではないかと思います。
いきなり私的な話になりますが、うちの主人は、間違ってると思ったことはけっこうはっきり物を言うタイプなんです。
自分が直の被害にあっていなくても、これは明らかにおかしいと思ったことは伝えようとする人です。最近は私が無用なトラブルを避けるよう言うのでだいぶ減りましたが(^o^;)
「気持ちはわかるけど、そんな風に言ったって無駄だよ」と私はよく言います。
実際、無駄なこと多いですよね。もちろん全部が全部ではないですが。おとーちゃんさんの行動も、少しの変化はあったとのことなので、全くの無駄という訳ではなさそうです。
でもなぜ無駄になってしまうのか。
子どもは正論では導けないのと同様に、大人も正論だけでは動かないのではないでしょうか。
私は大学時代、異文化交流について学んでいました。
異文化が交わるとき、そこには必ず摩擦が生じます。それぞれ異なる正しさ、価値観を持っているからです(パネコさんの仰る、歴史に当てはまるでしょうか)
異文化交流というと大袈裟な感じですが、これは国と国でも、地域と地域でも、個人と個人でも同じです(結婚は最大の異文化交流だそうですよ笑)
自分だけの正しさを振りかざしても、ほぼ間違いなく聞き入れてもらえません。自分が被害にあっているわけでもないので。
人の価値観の認識を変えるのは、おとーちゃんさんのほうがよっぽどご存知とは思いますが、大変困難なことだと思います。自分が信じてきた価値観を人に言われて覆すなんて、容易なことではありません。
それでもなんとかして変えたいのなら、そこに必要なのは私が思うに熱意と持続性、戦略です。
熱意は十分だったと思いますので(^^;(偉そうにすみません)
それを諦めず継続して伝えていくこと、
それから戦略。例えば、権威。
おとーちゃんさんの仰るように何か肩書きがあれば違ったのでしょう。
権威とはその為にあると思うので。
えらい人の意見しか聞かないと言うのはどうかなと私も思いますけどね...でもホームレスと弁護士の言うことだったら弁護士のが正しい気がする、なんてのは正直なところかもしれません。
他には、民主主義の力。
たった一人で立ち向かうよりも、複数人で意見したほうが良かったんだと思います。疑問は持っているけど行動に移さないだけという他の保護者を説得して巻き込むこと。
あとパネコさんの言う通り、当該児童の保護者がどう思っているかが一番効くと思います。「本人がなんとも思ってないんだからいいじゃないか」となりかねないので...
なんか色々長文で書いてしまいましたが、全然的外れならごめんなさい。
おとーちゃんさんの意見が伝わりますよう、願っています。
でもまずは無理せずゆっくり回復してくださいね(^^)
横ですがバネコさん。
でも、本当にそれで良いんでしょうか?本当におとーちゃんは部外者でしょうか?
>利害関係者である、対象の子供も親御さんは、何とおっしゃっているのでしょうか?
仮にこの親御さんが「力ずくでも良いからやるべき事をやらせた方がこの子の為だ、だから園の対応には満足している」と思ってたらそれでOKなんでしょうか?
日々、引きずられたり寄ってたかって「やりなさい」と言われる子を見て、他の子は何を思うのでしょう?
「発達に問題のある子は、ああいう扱いを甘んじて受け入れるべきなんだ。だってそれで大きな問題もないんだもん。」という事を学ぶのでしょうか。
そんな子達が大きくなって、一体どんな社会になるんでしょう。
我が子が通っている園にも、この春から要支援の子が来ました。でも、先生方は担当を決めて、信頼関係を作る事からトライしています。
子ども達も、「今日は顔をじっと見てくれた」など、本当に小さな変化を感じ取り、仲間意識が芽生えています。
運動会も、皆でどうしたら一緒に参加できるか考えて、リレーなど
「同じ距離を走るのは難しいなら、ちょっとにしたら参加できるんじゃない?」など子どもなりに意見を出したりしています。
本人も、だんだん心を開いています。
親御さんも色々説明してくれたりして、子供たちは
「皆と違う部分はたくさんあるけれど、その子なりに頑張ったり、皆と楽しんだりできる」という事を肌で感じているようです。
人員の配置が少ないという法に反したことではないし、他の園児に危険や危害がないから、誰からももんくがでず、大きな問題がなかったから、今までこうしてきたから、部外者(本当は部外者じゃないですよ。だって同じ社会の一員ですもん)は口を出すな、で本当に良いのでしょうか?
ノーマラゼーションとは別ですが、私もこのブログで「受容」を知るまでは、「叱らなくていい育児」がある事に気が付きませんでした。それ故に、叱る叱らないに迷走した時期もありました。
もしかすると、おとーちゃんの園の要支援児の親御さんは、我が子の今の扱いが正しいと信じているかもしれません。でも、おとーちゃんの考えを知る事によって、ノーマリゼーションの認識が変わる事もありえます。
政治と一緒です。知らなければ声すらあげれないんですよ。だからって、文句がないからって、何やっても良いわけじゃありません。
ただ、ゆかり改めこまゆかさんのおっしゃる通り、戦略は大事だと思いますけどね(笑)
いつもブログを見て、勇気と元気と明日から使える遊びのアイデアをいっぱいいただいています。
四歳の長男が、自閉傾向のある発達障害です。四月から二ヶ月だけ通った幼稚園で、やはり、集団に入れるために、無理やりな対応をされました。泣きわめく息子に無理やり靴をはかせたり、体操をしたくなくてまったく動かなくなった息子をあやつり人形のように後ろから動かしたり、、、。
直接園長先生と話し合いの場を持たせていただいて、いままでも息子のようなお子さんには同じような対応をしてきたこと、最初は泣きわめいてかわいそうに思えても、年中、年長と年齢を重ねると先生の言うとうりにできるようになるから任せて欲しいと言われました。
わたしが、今すぐできることよりも集団に参加したい気持ちを育てて欲しい、こういう子には二次障害を起こさないことが一番大事だと思う、と言っても、なかなか伝わりませんでした。最後に先生がおっしゃったのは、お母さんの要望であれば可能な限りそうように努めましょう、でした。わたしは、私の要望にそう、というよりも、息子の育ちについて真剣に考えて保育をして欲しいと思って、もうそれは言葉にせずに話し合いは終わりました。
発達障害の本を一冊でも読めば、そういった無理強いする対応がいちばんいけない、と素人でもわかります。でも、自分の母親くらいの、何千人と園児を見てきた園長先生にこのやり方で大丈夫!と言われると、ものすごい違和感を感じつつも、え??そうなの??と一瞬思ってしまいました。
もちろんそんなの一瞬だけで、速攻でケースワーカーの先生に相談して、幼稚園はやめて、児童デイにいまは通っています。毎日、すごくいい顔をして、信じられない位のスピードで成長しています。小集団だからということもありますが、先生の話、ちゃんときけています。
おとーちゃんさんのされたことで、今年の六月の、先生に無理強いされて、トイレも戻って
それまで、2、3時間に一回だったのが30分に一回になってかならずもらして、赤ちゃんになっちゃったみたいにずーっと指吸いするようになってた息子が、なんでか、救われた気がしました。全然関係ないんですけどね。でも母親の私も、あの時の泣きそうな気持ちを思い出して、やっぱり少しだけ救われました。
全然関係ないんですけど、そういうわけで、お礼が言いたくて、書いています。ありがとうございました。そして長文ですいません、、、
No title
専門用語出ててちゃんとしてるっぽいのに高卒の私にも読める平易なものなので、一体なんだろうと思いました^^;
幼稚園の対応、意外でした。
なんの学も無い女親がキーキー言うのはシカトしても
大卒で保育士の男性が文書持参で行けば、結構聞く耳持つもんかと思ってました。
それすら黙殺しちゃうんですね。組織の論理ってすごぉい。無敵ぃ!
ツイッターでフォローしてる方がいて、発達障害のお子さんのお母さんなんですけど、住んでいた渋谷区の小学校の支援が全然支援じゃないと言って嘆いています。
それこそただ「困った子」の隣について目を光らせて常に課題を強制するだけ。お子さんは荒れて荒れてしょうがなくて、2回学区を変わって、ようやく支援らしい支援をしてくれる公立小学校に通えたそうですけど、引越し代もかかったし、数年に渡る間違った対応の残した爪痕は激しく、今もお母さんは苦労されてます。
渋谷区の学校には「花まるグループ」という団体がコンサル役みたいに付いていて、彼らがその母子へやったやり方というのが「子供のわがままを聞くから付け上がる。主導権を取り返す」と言って、子供のパニックを煽るカタチで数時間拘束して服従を強いる、というもので…なんで今更ソレを採用する??って感じで、恐ろしいです。
むーちゃんとこの幼稚園も、強制させて服従させるやり方で上手くいってたのに、最近の子は甘やかされてていう事きかないから、もっと強制しちゃうぞ!ってことなんでしょうね。
私自身ADDの傾向があって、適切な支援を受けていればもっと伸びたかもしれない、と残念に思う気持ちがあります。
なんだか全然他人事ではなくて…おとーちゃんの話の顛末を聞いて、へこんでいますw
しかしこの記事に真っ先についたコメントが「気持ちは解るがやり方がまずい論」だったのには笑いましたw
よくある流れすぎて脱力~
強いほうの立場から戦略をレクチャーするだけのお仕事、うらやましいです。
当事者やるのはしんどいから、私も今度からそっちをやろうかな。
コメントを拝見して
変わるのは難しいだろうというのならわかるけれども、変わらなくて当然だというような趣旨になっているのはちょっと違うのではないかと感じます。
また、ご自身で「主観」でとおっしゃられていますが、「おとーちゃんさんの考えを皆で共有し、それが正となっているからだ」というあたり読んでいる人たちに対してまであまりに一方的な主観が入っていて、決めつけが過ぎるのではないかと思います。それは知りもしないはずの不特定の読者に向けられていて私もそのうちに入ってしまっているわけですよね。正直ちょっと不快になりました。
おとーちゃんさんはクレームをつけたかったのではなくて、子どもへの関わり方をもっと考えて欲しいという思いで伝えにいったのだと思いますよ。だからその親御さんと言いに行くとかいう話ではないのではないでしょうか。
記事を読んでみればわかるように、おとーちゃんさんはそういう反応が返って来るだろうことも予測しつつも、それでも言わずにはいられなかったわけですよね。そういった誠実さにたいしてこういうもの言いはないのではないかと感じました。
さらに横からですが
でも、どうしても書いておきたくて・・・すみません。
組織については、組織というのはそういうものだと自分も思っています。
変えることは難しい。
でも、自分はもっと単純に考えてしまいます。
幼稚園や保育園で自分の子供の友達が自分の尺度に照らして「それはあんまりだ」と思う態度をとられていた時に、意見を言いたくなるのって自然なことではないのでしょうか?
自分の子供が被害にあっているとき以外は、その園の保護者は第三者なのでしょうか?
「教育方針です」といわれたら、子供に害を与えていると感じる行為についても何も言うべきではないでしょうか?
変えられないことに対しては、主張する行為はすべて無駄なことでしょうか?
自分なら、ヘタレなので言わずに黙っているかもしれないけど、黙っていることが本当に気持ち悪くてしょうがないと思うのですが・・・。
そして、子供たちに「実害」がなければ、よいでしょうか?
声を上げることができない子供は一杯います。
自分もそうでした。
結果、年長時で排便が不自由になり、チック性になり、ようやく病院につれていかれましたが、ストレス性のものと診断されました。
どうして解決したのかは覚えていません。
でも、結局親に自分のストレスを自分の言葉で伝えることは、最後までできませんでした。
組織ということについても、なかなか変えられないもの、という意見については同意です。
でも、変わらなくていいものだとも思いません。
普通の企業体で「クレームに対して正誤の判断がつかないから説明もせず放置」ってありえないと思ってしまいました。
それが当たり前なら、このネット口コミ万歳な世の中、組織体として意識が低すぎると思います。
あと「ライフがガリガリと削り取られています」というおとーちゃんさんに対して、「組織を変えることはできないと憤ることはおかしい」と伝えるのはどうなのか、と思うのですが・・・。
変えられないと改めて痛感するからこそ憤るのであって、自分だったら、「そう、あなたは無力なんですよ」と言い放たれた気持ちになります。
おとーちゃんさんへの同意コメントしか書くな、という意味ではありません。
「こういう方法で伝えた方がよかったのではないか?」なら、それは意見だと思います。
弱っている人にどういう言葉で自分の思いを伝えるべきかは、もう少し考えるべきではないかと思います。
おとーちゃんさんのライフが気になります。。。
いろいろ書きなぐってしまい、お目汚し失礼いたしました。
おとーちゃんさんも、急に寒くなってきたので、お体に気をつけてください。
No title
2歳の女の子の母です。
おとーちゃんさん、お疲れ様です。
幼児教育に関わりはなく、障害のある子も身近にいないのでわかりませんが、はがいじめにして引きずるって、街中では通報されてしまうような暴力事件ですよね。
園児の見ている前で行われているなら、仲間がそんな扱いをされていることに怖がる子もいるでしょうし、逆にハンディキャップのある子には、そうしてもいいと思ってしまうかもしれないと思います。
我が子に「あの子は嫌がってるのに、なぜ、先生は引きずっていくの?」と聞かれたら、親として、どう説明しろと言うのでしょう?
その先生達に、模範解答を聞かせてほしいものです。
幼稚園や保育園の先生って、基本的にとてもいい人が多いと思うのです。
状況がよくなることを願っています。
おとーちゃんさんのブログはいつもとても楽しみにしています。
寒くなってきましたが、どうか、ご自愛下さい。
なんで?
荒れるからあまり書きたくありませんでしたが、身近に存在する事実の話を非難するより、現実と理想の距離を縮める方法、自分が出来る方法を考えましょうよ。
ちなみに私は、子供を大人の望むフィルタを通して見る夫を相手にするので精一杯です。
保育園に不満は無いと言えば嘘になりますが、より強い影響を持つ父親や親族、そして何より自分の関わりのほうを優先して考え直しています。
そよかぜ号さんへ
》よくある流れすぎて脱力~
》強いほうの立場から戦略をレクチャーするだけのお仕事、うらやましいです。
ごめんなさい、荒らしたくはないのですが一言だけ。これは私の書き込みへのご意見でしょうか?(バネコさんの書き込みは気持ちはわかるけど云々ではなさそうなので)
おとーちゃんさんのご意見がなぜ伝わらないのか、
伝わってほしい、どうしたら伝わるかと、稚拙ではありますが私なりに懸命に考えた上での書き込みだったので、こういう風に捉えられてしまうとしょぼーんなのですが(笑)
でも、ちょっと余計なお世話だったかなとまだ数時間しか経ってませんが反省し始めました。
おとーちゃんさん、おせっかいだったらすみません。そして私の書き込みを読んで不快になられた方、すみません。
あとバネコさんのお名前見間違えて、前回の書き込み間違えまくってしまいました(´・ω・`)
大変失礼いたしました...。
No title
どこぞの「優秀な」教授様より、実績積んでらっしゃるのは、今までのコメント欄が証明してくれますよ!一体どれだけの母が救われたことか!
むしろその幼稚園にも絶対読者の方いると思います笑
補助の先生が一人付き、必要であれば子供たちが手を貸す形で、日々の保育、リレー大会、卒園式などを行っていました。
クラスが終了する時は、良い経験をさせて貰ったと感謝の気持ちでいっぱいになりました。
でも、実際は、信頼関係を上手く築けているケースばかりでは無いと思います。
私の知るところでは
ダウン症の甥っ子が公立小4年生の時、ある日突然、先生に前髪をパッツンと切られて帰宅。(上手く言葉に出来ないのをいい事に、理不尽な事を沢山されたようです)
それには流石の兄も怒りを覚え、上へかけ合ったと。
でも、兄の力不足も有ったでしょうが、話を通すには大変な時間と労力がかかり、また、何より気持ちも治らないと。言っていました。
甥っ子のケースのように、何か起こった時、もし、おとーちゃんのような方が、その先陣を切って声を上げられていたら…話の進度も違っていたことでしょう。
今回のおとーちゃんの行動で、園側に目に見えた反応は無かったとしても、
無駄では無いと。
後々おとーちゃんに感謝される保護者の方が必ず出て来ます。
また、組織としては動かなくても、
そこで働く先生一人一人、誰かしらには届いているかもしれない。
私はそう思います。
甥っ子の件もあり、力が入ってしまいました。
おとーちゃんさん、ありがとうございます。
えーと?さんこまゆかさんそよかぜ号さん
すみません、先ほどバネコさんに意見したぴょんです。
ちょっとおっしゃる意味が分かりかねるのですが・・・
>事実の話を非難するより、現実と理想の距離を縮める方法、自分が出来る方法を考えましょうよ。
上記の方法として、おとーちゃんは園に意見し(私もそれに賛成です)、
それに対しバネコさんはそれは部外者がするべきでないし無駄だと言ったのですよね?
そして私は、バネコさんの「部外者が意見するべきでないし無駄」という意見は違うと思っている。
バネコさんが、「現実的にその手段は無駄だから、もっとこう訴えるべきでは?」という意見なら、批判にならずに、建設的に「いや、むしろこの方法はどーでしょう?」みたいな感じで盛り上がったと思うのですが。
そして、そよかぜ号さん、こまゆかさん
「気持ちは解るがやり方がまずい論」は、バネコさんに対してだと思うのですが、バネコさんは「やり方がまずい」じゃなくて、「やるな」と言ってると思うので、たぶん誤解しています。(偉そうにすみません!)でもニュアンスとしては、「やるな」って何じゃいと言いたかったのでは?こまゆかさんんと対立意見ではないと思います。
違うのかな?
えーとさんは何を批判しているのでしょう?
No title
二つの論文読ませてただきました。私も長年福祉畑の風通し悪い組織の中で働いてきたのでよーく分かります。確かにトップの考えはなかなか変えられないし、すぐに状況は変わらないかもしれないけど、なにかしらの布石にはなったと思いますよ!経験からも、外からプチッと風穴空けるの、実は結構効果的。
さて、一つ目の論文ですが、私の職場(児童デイなど)の新人バイトパートさんの研修資料の一つとしてお借りしたいのですが大丈夫ですか?もちろん出展は記します。ただ、もう少し噛み砕いた形で要約文乗せるかもしれません。バイト学生さんには原文で十分伝わりますが、パートのおばさんにはちょっと難しいかもなので・・・
ちょうど「援助とは何か、指導と援助の違い」という研修を計画していたところでした。既存の意識を変えるのは並大抵のことではないことよく分かります。でも、誰かがやらなければ絶対に変われないんです。私もおとーちゃんにちょっとだけ前に進む勇気もらいました。
お互いに頑張りましょう!応援しています!!
No title
小論文はそういったいきさつからの掲載だったのですね。
園長さんの反応はお父ちゃんさんの予想よりも悪かったですが(せめて、話を遮らずに聞くくらいはしてほしいですね。)、少なくとも、腕を引っ張って動かすことはなくなった。(続くかどうかはわからないですが)これが、その子にはプラスになったと思います。
自分がその子の母親だとしたら、本当に嬉しいと思います。
お返事は不要です。
No title
皆様に共通しているのは、今回のおとーちゃんさんの主張は正である、という前提だと思います。あるいは、概ね正だろうと感じている。だから、組織として対応すべきであり、当事者にも歓迎されるべきことである。そういう考えが多いように思います。
しかし、私は前提として、おとーちゃんさんの主張を正とはしていません。組織が正かどうか判断することはできない、あるいは非常に困難である。なので、組織としてそれを受け入れないことは一般的な行動である、と言っているのです。
なぜ、組織が正誤を判断できないのか?それは、おとーちゃんさんの主張に正当性を判断できるものがなく(実害がない、またははっきりと実害があるだろう根拠がない)、おとーちゃんさんが主張をする立場にない(おとーちゃんさんはこの件において、全くの部外者です。何一つ負うべき責任も被る被害もないので)から。
組織が、第三者の意見も検討すべきだという意見もありますが、無責任な立場から述べられた判定の困難なことまで検討する必要がありますか?そんな組織は無能ですし、検討する時間を他のことに費やした方がよっぽど有意義です。
幼稚園が組織としてそこに存在しているのであれば、その組織はすでに『正』です。その幼稚園を選んで、入園して、卒園した人がたくさんおり、それがその組織の実績であるはずです。同様に、その組織内での指導方法が正であると評価されてしかるべきです。
私は、幼稚園側が正で、おとーちゃんさんの主張は正誤が判断できないもの、かつおとーちゃんさんはこの件についての利害関係者ではない、という視点でこの件を捉えています。なので、組織としてその主張は受け入れられないだろうとコメントしたのです。
私の勤めている園でもあります…
発達障がいのあるお子さんに対する対応が…うーん…と思ってしまうこと…
「今日も本当に戦い疲れたわー」と先輩保育士…今日はやらなきゃいけないことがあったからお当番をカットしたら、発達障がいのお子さんが暴れたそうで…
そりゃあそうなるだろうなぁ…と思っていたら、それを言い聞かせ、次の活動の場所まで引きずって行く戦いをしたそうで…
学年も違うので、わからないけれど…普段からそういう戦い方をしているんだろうなぁ…と。でもみんなそれに異を唱えるわけでもなくその先生頑張ったねー!諦めちゃいかんよね!と…
まあ不安を受け入れているよりは、ほらほらやるよ!と無理矢理にでも参加させていたら、子供の方が諦めるのかなぜか参加できるようになったり無理矢理乗り越えさせられてしまうこともあるんですけどね…
だから、自分は間違っていない!とより思い込んでいったりするわけで…目に見える結果が全てなんですよね…
私も時々ありますゆえ、おとーちゃんさんの小論文で、すごく反省しましたm(__)m
バネコさんの意味がわかりました
私はバネコさんのおっしゃる事を勘違いしていたようです。
最初は「おとーちゃんの意見なんてそもそも聞く気はない(聞く気がないから正誤判別も不能)、組織はそういうもんだから(それが正しい姿だから)何もするな」と言っているのかと思いました。
まず前提として、バネコさんのなかでおとーちゃんの意見が正しいのかはわからない、というのがあったのですね。そして、組織として、今までそれで成り立っていたからリスクはとれないと。
保守的な意見や、部外者の認識など、諸々私とは考え方が違いますが、バネコさんに対する違和感はなくなりました。
おとーちゃんの園は、そもそも聞く気がないようなので、依然としてそれはどーかと思いますけどね。
ありがとうございます。
おとーちゃん、私は素人なので要支援児に対する正しい対応はわかりません。でも、おとーちゃんの論文のように、子供に寄り添っていけたら、それが一番だと思います。無理やり引きずられる姿を見せられるむーちゃんや他の子にも、悪影響がない事を祈ります。
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今回のおとーちゃんさんの行動は、組織という形を成しているものにはどうやっても受け入れられることはないと思います。
組織には組織の理論があります。そして、もう一つ、歴史があります。この歴史というのは、多くの場合において、理論にも優先します。今までずっとこうやってきたから、というやつです。
幼稚園には幼稚園の歴史があり、積み上げてきた理念があります。例え最高責任者といえども、積み上げてきたものを壊すことは容易ではないはずです。
これがもし、むーちゃんが実際の被害にあっているということなら話は別です。利害関係者の内ですから。しかし、第三者からそのようなことを提示されても、それに対して柔軟に動く組織はありません。
幼稚園側がはっきりした理由を示さなかったからといって、それに対して憤るのもおかしな話です。それで、今まで、誰からももんくがでず、大きな問題がなかったから。その理由だけで充分なはずです。
主観だけでコメントしましたが、認識が間違っているところがありましたら申し訳ありません。今後も楽しいブログを期待しております。