骨なし魚に見るふたつの方向性 - 2015.01.17 Sat
骨なしの魚というのがあります。
サンマやイワシなどの魚を、人件費の安い東南アジアなどで、一度包丁を入れて背骨、中骨をとった状態で食用接着剤で再度くっつけたものを、日本に輸入し(そもそも日本で使うために日本人が作らせている)、それを焼いて調理し一部給食などに出しているそうです。
また最近、このようなことも多く見かけます。
公園の固定遊具が、危険だからという理由で撤去され、公園から遊具がどんどんなくなっていく光景です。
・「子供が魚の骨を喉に詰まらせた」
という事態があった場合、
→ 子供に骨を詰まらせない食べ方を伝える
ということと、
→ 子供に骨のない魚を提供する
というふたつの選択肢があることになります。
もしかすると、「そもそも魚なんか食べさせなければいい」という選択肢もでてくるのかもしれません。
僕のような一般人には、「子供に骨を詰まらせない食べ方を伝える」ということ以外は思いつきもしません。
公園の固定遊具も同様ですし、12月に書いたベーゴマの話にしても同様の側面がありますよね。
ベーゴマで遊ぶ
→トラブルになるから、遊ばせない
→トラブルにならない遊び方を模索させたり、トラブルになったときに解決する能力を身につけさせる
という、選択肢があるわけです。
問題が起きるので、それをそもそもないことにしてしまおうという考え方のことを、いわゆる”ことなかれ主義”と言いますよね。
特にこれを行政・地方自治体がするとき、”お役所主義”、”お役所仕事”などと言いますね。
ある自治体の公立保育園では、病原性大腸菌の感染を配慮して、園児が園庭で育てて収穫した野菜を食べてはならないという通達を出しました。
なので、収穫後、飾ってみんなで見た後は、こっそりと捨てます。
なるほど確かに、生野菜を感染源としたO-157などの蔓延というのが世間ではありましたから、厳密に考えたときそういった危険性がないとは言えません。
「子供の安全を第一に考えた配慮である」と言うのならば、それはそうなのかもしれません。
しかし、同じ自治体の私立保育園・幼稚園には、その通達はしていません。
なので、自由に収穫した野菜を食べています。
本当に「子供の安全を第一に考えた配慮である」と自治体が考えるのであれば、私立園にもそれを指示していいはずです。
また、行政にはその権限も義務もあります。
しかし、それはしていません。
つまり、このことが意味するのは、なにか起こったときに自分の責任の及ぶ範囲だけに、最初から問題の芽を摘み取る対応をしたということです。
実際は子供の安全を考えてしたことではなく、まさに、”ことなかれ主義”ですね。
最近では、アメリカや日本のような、消費を価値観の中心に据えて発達してきた国では、クライアント至上主義、ニーズ優先主義とでも言うものが潮流となっています。
「給食を食べたら、子供が喉に骨を詰まらせた」
というクレームがきた場合、
「じゃあ、ご家庭でも魚の食べ方をしっかり教えてあげてくださいね」
とは言えなくなっています。
行政は、そういったとき「ごめんなさい」をしなければならなかったり、場合によっては損害賠償をしなければならない可能性がある社会となっているわけです。
なので、”ことなかれ”で動く行政は、「骨のない魚」を好んで使うようになってしまっています。
このような社会のあり方には、僕は違和感を感じます。
いまの子供たちが、20年後大人になり、料理店で焼き魚を食べたとき、
「なんだこの魚は骨が入っているではないか、そのせいで喉に骨を詰まらせた。訴えてやる」
ということが、冗談ではなく現実になっているかもしれませんね。
よく世の大人は「今時の若い者は・・・・・・」という論調で話をしますが、今時の若者を作り出したのは、当の大人たちであり、その大人や若者が生きている社会を作ったのは、ひとつ前の世代の大人たちです。
大人は常に、子供たちや次の世代の社会に対して責任を負っているのだと思います。
須賀義一(保育士おとーちゃん)

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● COMMENT ●
綺麗に魚を食べられること=褒められるべきこと
どうやら、近所の公園に二階の屋根の高さほどの崖があり、崖の上から伸びているツル伝いに壁を登り、何と!崖の頂上まで登り切ったのだそう。
もし、ツルが切れて落ちたら、大事故につながるだろう高さに驚き、何やってんの!と声を荒げそうになりました。
が、私の子供時代にはもっと危険な事してたよな…
ハラハラドキドキをやり遂げた後は自信をつけ、時にはあまりの怖さにひるみ、時には大怪我をし、時には親に見つかり止められ、身をもって危険を感じとったではないか。
うちの子供らは、かみ砕けそうな魚の骨は噛んで飲んでしまう位のたくましさは身に付けているし、外遊びを沢山させたし、キャンプもするし大丈夫!と、まあまあの自信を持っていたのですが、子供を危険にさらすような場所や行為が昔に比べ格段に少なくなっていると言う認識が私自身から薄れてしまっていて、子供たちの経験不足、経験する場所や機会すら与えられていない事実もボヤッとしかわかっていなかった。
私自身甘かったと、気付かされました。
親からすれば恐ろしい遊びだけど、子供の成長には必要な遊びだったのです。極論かな…
公園の遊具の安全化が進んだことで指を挟んだり、振り落とされたり、空き地が消滅した事で整備されていない場所で落ちているものを拾って遊んで手を切ったり、変な液体が付いてしまって水道がないから葉っぱで拭くとか砂をかけて乾かしてみたり、森や林で木や草をかき分けてチクチクが洋服に沢山付いていたり、木登りで枝の強度を確認してみたり、秘密基地を作って手にトゲが刺さったり、今ではほとんど耳にしません。
公園での外遊びには匹敵しないくらい自然の中、整備されていない場所で得る経験は重要なんだ。と、改めて感じました。
今の子供たちが大人になったら…
私は一主婦ですので、大きな事は出来ませんが、この気づきを大切に日々を過ごしてみようと思います。
どうか末永く
さて記事の件ですが、おとーちゃんさんがよく仰っている「弱い大人」の集団が今の大勢なんでしょう。社内でも、パワハラ怖さに叱れない上司、個性尊重の名の元の教育放棄など横行していますから、対外的責任については推して知るべしです。
昔から家の体裁を個人よりも重視する文化なので、これは一朝一夕には変わらないでしょう。なので、自分自身に対する鼓舞でもありますが、草の根的にちまちまやっていくしかないですね。
出版を機に、きっと今まで以上の悩み相談が来るでしょうし、本の原理主義者みたいな人や、怪しい団体の勧誘もあると思います。テレビの取材はおとーちゃんさんの意思とは異なる筋書きを持ってくるかもしれません。
しかし、共感する人、救われる人、おとーちゃんさんの支援者もたくさん出てきます(彼らは節度があるので目立ちませんが)。
どうか、ご自分のペースで長く発信を続けてください。事なかれ主義の人達が最も好むのが、「雉も鳴かずば」の格言です。世の中を変えねばなりませんが、彼らのペースになってはいけません。
余計な心配かもしれませんが、どうかご自愛を。
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書籍化もおめでとうございます!!!
ことなかれ主義・・・ 気がつかないうちに自分のそんな大人になってそうで ハッと気付かされました。
「危ないから」 と何もかも排除した世界だけでは、1人立ち~自立はできませんよね。
まだ1歳10ヶ月、まずは自分で食べられることに重点を置いていたのですが、
魚の骨取りも少しずつ挑戦してみようかと思います。
イヤイヤ期で何でも自分でやりたがるようになってきたし、やってみろ!と。
さんまの塩焼きなど、綺麗に食べられると気分も良いし、褒められます(笑
今の大人でも出来ない人はいますし、ね。
「常識」という枠が変わってきてしまう時代の流れもあるとは思いますが、
自分で判断して、大切なことはきちんと教えていきたいと考えていきます。