条件付きの肯定はいらない vol.7 - 2015.03.30 Mon
このシリーズは、もうあと1~2回でまとめますね。
『子は親を救うために「心の病」になる』 高橋和巳(筑摩書房)
という本があります。
この本は精神科医でカウンセリングの経験の豊富な著者が、親子関係から起こる心の病について、事例をあげながら解説をしているものです。
親の期待に応え高い学歴を得て一流企業に就職した男性がそこから引きこもりになったり、子供の甘えを許容できない母親のケースや、娘が思春期に拒食症になってから自身の成育歴を見つめなおした母親の事例、虐待がどのような人間を作っていくかなどをわかりやすく書かれています。
それによると、
子供は、親からいいも悪いも含めて生き方を引き継ぎ、その生き方が矛盾を多く抱えており窮屈であると、その親の窮屈さと矛盾を取り除くために、最後の手段(もちろん意図的なものではないが)として、心の病となるのだそうです。
それが最初に端的に表わられるのが思春期であると述べられています。
僕は保育士として多くの子供の幼少期の育ちを見ていて、ここで述べられていることが実感的によく理解できます。
なぜなら、それらの現在進行形の姿をいくつも見てきたからです。
その中で、本当に深刻なものはA子の事例のように、親がなんの疑問も葛藤も持たず、強烈に大人から子供へ要求を重ね、感情や行動を支配し、しかもそれを「正しいこと」をしていると信じて疑わないケースです。
子供は、親の生き方や価値観、他者への関わりをトレースしていきます。
やがて思春期になって適度に親に反発したり、家庭外の世界に居場所を見つけて新たに自分の価値観を構築できたりすればいいですが、それができなければ、その親からトレースされたものはそのままその人への呪縛となってしまいます。
この問題が根深いのは、当の親自身がすでにその親から引き継いだ価値観に束縛されてしまっているために、理屈では解決しない点です。
A子の事例では、母親の代では母親はそれに窮屈さを感じる問題としては表れてきていないようですが、その子であるA子にそれが濃縮された問題として出てきてしまっています。
先ほど紹介した本の中では、子供が心の病になって、それをきっかけに親が自分の生育歴や人生、子供に対してしてきた関わりを見つめ直すことで、親子間にある種の和解ができて解決する事例が描かれています。
現実にはそのようにカウンセラーにかかったりすることもなく、大人になっても親からの束縛に苦しむ人もたくさんいることでしょうし、親にとことん反発してそれでも親が後悔も反省もすることなく和解できずに、心苦しくも疎遠にならざるをえなかったり、絶縁してしまう人もいるでしょう。
近年話題になるものとして増えているのが、親から強烈に支配的な育ちを与えられて、挙げ句の果てに他者へと怒りや殺意を向けて犯罪を起こしてしまうものが見られます。
秋葉原通り魔殺人のケースは、子供の非を見つけては床に食事をばらまいて食べさせたり、友達を作らせなかったり、感情・行動を異常なまでに支配し束縛していった子供時代があります。
そのように極端なものは普通はそうそうないでしょうし、A子の事例のような徹底したケースもそんなに多いわけではありません。
ですが程度の差こそあれ、そういったA子の事例のような傾向の子育て家庭が増えているのは確かです。
A子の事例では、A子の母親自身は自己肯定感に問題はなく、むしろ「正しいこと」と信じて疑わないがために問題が大きくなっている特徴のものでした。
コメントでたくさん寄せられたもので多かったのは、親である自分が、支配や否定の子育てを受けてきて自己肯定感も低く、子供へも同じように関わってしまう。またそれらの関わりがよくないことには気づいているのだが、そこで起こってしまう感情が止められない。子供への見方・関わりがコントロールできずに苦しい、といったものでした。
A子の事例で起こっていることとは、ちょっと違うようにも見えますが、根っこのところはかなり近いところにあるのだろうと思います。
否定や支配の子育てを受け、そこでの親の価値観をトレースされ、その人の性格からや親を尊重しているがゆえに親の存在や行為を否定できずに、結果的にそれらが自分の内に自己肯定感の低さを作り出してしまっています。
ですが、それらの人は「子供への関わり方の問題」、「自身の感情の問題」のどちらにも「気づいて」います。
その気づきゆえに、大変なときさえ乗り切ってしまえばそうそう大きな問題としてはでてこないとも言えますし、出てきたとしても解決が可能だろうと思います。
これは大人の問題であり、さらには個別の問題なので、僕からこうすれば解決しますよといったことは言えないのですが、子育ての面から切り替えるきっかけになりそうなヒントだけでも述べておきましょう。
長くなってしまったので分割して次回につづきます。
↓こちらの本は同じ著者の方が、そういったケースのまっただ中にいる子供(小中高校生)向けに書いたものです。
自分の置かれた状況を客観的に見て、その問題を乗り越える助けとなるようにまとめられています。
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● COMMENT ●
親子代々の自己肯定感の低さ
No title
現在中学二年生の娘が五年生の時、「私のお母さん(私です)は優しくていいね、って友だちに言われるけど、私本当は生きてるの楽じゃないんだー。」と言いました。何のことやらさっぱりわからずそのままやり過ごしました。数ヶ月後に娘は全てのヤル気を失い学校も少しお休みしました。
そこで初めて私は自分の価値観を子どもに無意識のうちに押し付けていたことに気づき、そこから子どもに対してひとりの人間として接する努力を初めました。
私は私。娘は娘。お互いを尊重しあう関係になり、いま私はとてもたのしく生きています。
娘も超優等生だった殻をやぶり、今ヤル気に満ち溢れています。
頭ではわかっていてもうまくいかない場合はインナーチャイルド、アダルトチルドレンなどを少し調べてみるのも助けになるかもしれません。
とにかくおとーちゃんさんの書かれている、気づき
があればきっと大丈夫です。
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そんな父に育てられた私も、自己主張をしないようにと育てられました。自己主張する私を丸ごと受け止めてはくれませんでした。自己肯定感の低い私は自分の子を産み、このブログに出会えていなかったら、自己肯定感を高めようと取り組むこともなくそのままだったと思います。
人生で、正しいことを教えてくれる人に出会うことは大切なことです。それが私にとってはおとーちゃんさんです。
人間の生きる意味は、魂を成長させ、幸せになることだと知りました。
魂とは精神であり、心です。心は信頼関係と愛がなければ育ちません。ですから、幼少期の基礎段階で受容されたり、愛をもらうことが、いかに人生において幸福を幸福と捉える力をやしなうかと言うことを、今後もブログを通じて広がることを切に願っています。
また、親に対する恨みは、たとえ親が悪くても自分の依存の心から生まれている濡れ衣という興味深いことも知りました。
自分の中で浮かび上がらせている親の像は、自分の嫌なところを集めて投影しただけの『自分の心』だと。。
私の子供は、関わりによって自己肯定感を高めることもできるかもしれませんが、すでに人格が出来上がった父が、自分の人生の実績に自信も持てず、劣等感を抱えたまま人生を終えるのは、娘としても辛いので、なんとか自分を受容してもらうよう伝えて行きたいです。