虐待 ーいま我々に求められているひとつのことー - 2015.05.08 Fri
悲しく、なんともやるせない思いです。
生まれてからたったの4ヶ月。
何の罪もないどころか、自分の周りのごくごく狭い範囲でしか世界を認識していない時期です。
なぜ殴られるのかということはもちろん理解していないでしょうし、そもそも殴られるということ自体を痛み以外では認識していないことでしょう。
生まれたばかりの赤ちゃんは、つねに不安と戦っています。
まぶしいほどに明るく騒がしいところに突然生まれてきて不安な中、大人に頼ることでなんとか安心を得て過ごしています。
その内、大人が授乳させてくれたり、あやしてくれることで、その大人のことを信頼し、頼り、受け止めてもらいながら、周りの世界のことも「まあ、わるいものではないな~」とだんだん受け入れていきます。
大人を通してのみ世界とつながっているわけです。
その過程にいる子にとっては、そこでの大人の存在は世界のすべてといってもいいほどのものです。
その大人が自分を受け止めてくれないとしたら、その世界は絶望に満ちたものになってしまうでしょう。
亡くなられたお子さんが安らかに眠られんことを切に願います。
以前にも書きましたが、虐待を無くすために我々一般人ができる第一歩は、「子供を育てるのに叩く必要はない」と言えることです。
悲しいかな日本には、「子育てのために子供を叩いていい」という社会通念ができあがってしまっています。
このことは、子育てを深く考えない人にも、
「子供の行動は叩けばなんとかなる」という、安易な考え方を持たせてしまっています。
「子供のしつけのためならば叩いていい」
「子供のしつけのためには叩く必要がある」
「子供が言うことを聞かないならば、叩いてでも親に従わせる必要がある」
「叩くのは愛の鞭だ」
「子供をしつけられない親はだらしがない。親は子を叩けることも必要なのだ」
そういった、本当は少しも子供を伸ばしはしない子育ての手法が、まことしやかに語られています。
そのようなことを口に上らせる人も、全員が「自分は虐待をしてもいいなどとは言っていない」と口をそろえて言うことでしょう。
でも、その人たちがどう思っていようとも、結果的には
「子育てのためには子供を叩いていい」
という言葉は、子供を虐待する人たちの行動の理論的根拠となってしまいます。
それは、回り回って子供を虐待している人、子供を死に至らしめる人の背中を押して、その人たちにエールを送っているのです。
真剣に、子供への暴力的な虐待を無くしたいと考えるのならば、
「虐待はいけないことだよね、でも子供は叩いて育てるものだよね」
と言ってはならないのです。
本当は、
「私も子供を叩かないから、あなたも叩かないで育てていきましょうよ」
と、社会の多くの人が思い、言えるようにならなければ、このような悲しい虐待死はじめ、子供への虐待がなくなることはないのです。
「子育てのためには子供を叩いていい」
この、日本でまだまだ一般的な考え方は、あきらかにこれまでの世代が作り上げてしまった、負の遺産です。
これを変えていくのは、いまの世代に求められている責務であろうと僕は思います。
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● COMMENT ●
子どもの権利
子どもを人として尊重するって何でしょうね。
育児をする立場になってようやく、具体的な知識や子どもをとりまく環境を整える大切さに気づきます。叩くという負の遺産について、子どもの権利について、健やかな発達を保障していく社会について、親として考えるべきだと、おとーちゃんさんに賛同します。
こんなに可哀想な、何て酷い事をしているんだろう、と。
でも、もう関わり方がわからないのです。
今、もうすぐ2歳になる次男がおります。思えば、次男を妊娠して暫くしてから、次第に長男を可愛いと思えなくなってきてしまっていました。
悪阻のため、実母が長男の面倒を見てくれる事が多くなりました。
しかし、物で釣り、脅し、ばぁばの言うことが絶対なんだと従わせ、果てに私の悪口を当時3歳の長男に聞かせていたのです。もちろん、私のいないところで。
知らずの内に、私の言う事全く聞かない子になってしまいました。臨月付近では、わざとお腹を攻撃されたりしました。
自分の子なのに、気付いたら全く知らない子になっていた、そんな感覚に陥ってしまいました。あの頃の可愛かった長男はどこへ?状態です。
次男が落ち着いてきて、実母に長男を、任せてしまってからが原因なのでは?と気付いて、なるべく距離を置くようにしてから、少し落ち着いてきて、子供が甘えてくるようになりました。
しかし、今までが酷かったので、私が長男に生理的嫌悪に似た感情が出てしまうのです。自分の子なのに、自分の子だと思えないのです。
他人の子に、ベタベタ甘えられる感覚を受けるのです。(もちろん、次男を妊娠する前までは、この子のためなら自分の命を落としても構わない程、可愛い子でした
そんな自分にも自己嫌悪する毎日で、こちらのブログに辿りつきました。
こちらで、やってはいけないという態度は一通り、実母と私がもう長男にしてしまっていて、すっかり、可愛くない子、なのです‥。
今からでも、私が変わればいつかは可愛い子に戻るでしょうか?
この生理的嫌悪感は無くせるんでしょうか‥
子供にも、本当に可哀想でなりません‥
虐待をする親の気持ちがわかってしまう自分が恐ろしいです‥
泣ける環境
どうして、叩こうと思ったのか?
僕は、泣いてる子どもを黙らせたいから、だと思っています。
なので、子どもが安心して泣ける環境を作ることですかね。
悲しい事件
事件の背景は、わかりませんが、何か助けを求めたりしたのかな?何かやりきれない思いでいっぱいです。
はじめまして
睡眠不足の中毎日子供の世話。
ギャーギャー泣いて親の精神が悲鳴をあげる。
頼れる人もいない中ノイローゼから暴力に走ってしまう気持ちは理解してしまいます。
もっと一時保育がとりやすいと良いのですが激戦区では厳しいです。
こんな悲しい親子が減るために国も頑張ってほしいと感じます。
No title
叩いたら、もっと泣くだけ。
泣きやませたいだけなら、叩いてはいけません。
何の意味もないです。
「叩く」ことで、自分の気が済むだけです。
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