悩みの後ろ側にあるもの - 2015.11.14 Sat
ブログの更新を楽しみにしていただいている方には、本当に申し訳ないのですが、そんな状況ですのでご理解ください。
コメントにて相談もいただいておりますが、現在は育児相談を休止しております。
記事の整理整頓がきちんとできていないので恐縮なのですが、さまざまなケースに対する、かなり多くの質問への返信が過去記事やコメントの中にありますので、そちらを探していただけたらと思います。
気づいていない方もいらっしゃるかと思いますが、『相談』のカテゴリーのみならず、該当する記事の下にあるコメント欄で、相談返信のやりとりをしている箇所もたくさん(むしろそちらのほうが多く)ありますので、コメント欄に目を通していただけると幸いです。
このブログの価値は、コメント欄にあるといってしまっても過言ではないかもしれません。
そんなわけで、相談のひとつひとつにお返しすることはできないのですが、子育ての悩みの元になっているものについて”気づく”ことで、子育ての悩みを軽くできるかもしれないことを今回は書いてみようと思います。
多くの人が、子育ての具体的なことや、子供の成長のあり方、子供の行動する姿について悩みを持ちます。
でも実のところ、その子供の姿のとらえ方によって悩みは大きくもなり小さくもなります。場合によっては、その悩みそのものが、「ああ、気にしないでいいものだったのだ」となることだってあります。
そんな、悩みを大きくしてしまうものの正体のひとつが、「不安と心配」です。
ほとんどの人にとって、「子育て」は未知のものです。
「こうなってしまったらどうしよう」
「これってよくないことなのではないか?」
「このままでは将来子供のためにならないのでは?」
そんなたくさんの先の見えない「不安・心配」が、ものごとをより大きな問題にみせ、悩みを深くしてしまいます。
そこからかえって逆効果なことをしてしまったり、それは解決しても別のところで問題を生み出してしまうといった、過剰な対応をしたりして、子育てを迷走させてしまうことも少なくありません。
例えば、「子供が泣くことをよくないこと」と考えている人だと、子供が泣くたびにオロオロして不安になってしまいます。
「よくないこと」だと考えているので、泣き止ませなければと必死にならざるを得ませんし、もしそこで頑張って対応しても泣き止ませることができなければ、「自分ではダメなのだ」とそこで子供への関わりの悩みがより深くなってしまいます。
自分の力でどうにかすることができないので、モノや食べ物で釣って泣き止ませようとしたり、なにか音の出る玩具で気を惹くことで泣かないようにしたりしてしまいます。
子供が泣かないようにと、あらかじめ先回りしてなんでも子供のよいようにと、過保護にしたり、要求をなんでも聞く「いいなり」になることで、泣かないでいてくれるようにと、腫れ物に触るような子育てになってしまう人もいます。
世間には、そのような「泣かせてはならない」といった子供を育てる人に強迫的に求める規範がゴロゴロしているのも、そういう親たちを苦しめる一因となっています。
いわく、
「人見知りはよくない」
「指しゃぶりはよくない」
「いつまでも授乳していてはいけない」
「いつまでもおむつしていてはいけない」
「好き嫌いはいけない」
「友達とうまく遊べなければならない」
「ものの貸し借りができなければいけない」
などなど、山のようにあります。
そういった規範のいちいちを、一生懸命子供に獲得させようとすればするほど、子育てはつらくなってしまうでしょう。
それは、本来自由闊達な子供を、ある一定の枠に押し込めよう押し込めようとする関わりだからです。
日本の子育ては、「しつけ」のメソッドの先入観が強くあるために、そういった傾向の子育てに非常になりやすいです。
でも、子供は往々にして、型にはめようとすればするほど、意のままにならなくなるのが現実です。
その結果、悩みが深い人、子育てにまじめなひと、一生懸命な人ほど、子育てを大変にしてしまう傾向があります。
子供は大人の気持ちのあり方にとても敏感です。
大人が「この子を泣き止ませなければ」と切羽詰まった気持ちになればなるほど、不思議なことにかえって泣き止まなくなってしまうものです。
子供の対応がうまい人ほど、おおらかに子供を受け入れることができる人であることが多いです。
子供が泣いていたら、「泣き止ませなければ!」と力んでしまうよりも、「あ~泣いているんだね~」とあるがままをなんのてらいもなく受け止められると、子供の心にもその余裕が伝わってその後の対応がたやすいということなどがあります。
他にも「不安・心配」を先に立たせてしまうケースを見てみましょうか。
例えば、早期教育がいま大変関心を持たれています。
では、その人たちにそれをさせている理由を聞いてみると、意外なことに明確な目的や必要性を持ってやらせている人はそう多くありません。
多くの方は、「周りがやっているから、うちもやっておいたほうがよいかと思って」、「先々になって、やってないことで困るよりも、やらせておいたほうがよいと感じて」、「遅いよりは早い内の方がいいだろうと思って」などなど。
そのように、必要性やその実用性を理解した上でというよりも、「安全パイ」として考えている人が多数を占めています。
なぜ安全パイを求めるかというと、やはり子供の将来に対する漠然とした「不安・心配」を解消するために、親は子供に「なんらかの行動の習得」(親の考えるところの”正解”)を求めているわけです。
ほどのよいところであれば、さほどの問題にもなりませんが、そういった親の「不安・心配」が大きく強く、それに歯止めをかける存在もいないと、子供に対する過剰な要求として、子供の成育を圧迫していってしまうことすらあるので、「不安・心配」を大人自身がセーブできないことは、子育てを難しくすることにつながってしまう場合もあります。
どうやってそれをセーブしたらいいかと考えると、子供についての知識を深めたり、子育ての経験者や専門家に適切な対応の方法を教えてもらったり、それは気にしなくても大丈夫なことだと言ってもらうこともそうでしょう。
でもその前に基本的には、必ずしも問題解決、ここでいうと「子育ての正解」を教えてもらうことを求めるのではなく、子育てのいろんなことを話せる場や相手があって、自分の思いや感じていることが「悩み」になってしまう前の段階で、小出しにできていることがいいのではないかと思います。
僕はこれを、「共有化」と呼んでいます。
いまは人とコミュニケーションをとることが難しくなりつつある時代なので、子育ての「便利グッズ」のようなものは増えたけれども、こういったヒューマンリソースの部分は著しく少なくなってしまっています。
(実際に、人付き合いが苦手な人ほど、子育てを難しく感じている人が多いようです)
子育てをする仲間同士で、そういう場を持ったりするのも大切でしょう。
特にこれからの時代は、お父さんにこの点の意識を持ってもらうことが、子育てを良いものとしていくためには大事かなと感じています。
お仕事が忙しくて直接子育てに関われる機会は少なくても、子供に直接関わる人(実際的には今のところたいていはお母さんでしょう)の気持ちを受け止めてあげて、共有してあげることが子育ての大きなサポートとなっていくと思います。
このとき、お父さんの方も「それは間違っているだろ」「こうしたほうがいいんじゃないか」ということは別にいわなくてもいいんですね。かといって、自分の意見を出してはいけないということではありません。
その問題に対して、「自分はこう思っているのだけど」と結論を急がずに、まずは考えや想いを両者で共有していくことこそがいいのだと思います。
子育てには「正解」を見いださなくてもいいのですね。
子供はとても柔軟な存在なので、素晴らしいことにけっこうアバウトなものですらきちんと育っていけます。
ですので、まずは焦ったり不安になって正解探しをするのではなく、「共有すること」が大切と覚えておいてください。
- 関連記事
● COMMENT ●
No title
不安にかられているとき
まだ腹筋が弱く上手におならが出せず
いつも泣いてました。(おならに限らずうんちやおしっこでも泣いてました。)
産院の助産師さんも、訪問の保健師さんも「特に問題ない」的な対応で…
私的には初めての子育てで泣かれることで、自分の睡眠も食事の時間もとれず、人格崩壊的な悲惨な状態なのに…今できる正解!が欲しかったなぁ…
色々調べて、おなら体操や綿棒浣腸…そういえばやってたなぁ。
共有できる人もなく…(近しい赤ちゃんはあんまり泣かない赤ちゃんだったり)
それでもなんだかんだで、もう4歳の息子。
今はなんだか、そんなこともあったなぁ、的な感じて当時を振り返られます。
今は泣いてもかわいい(^_^)
パンにはさんだウインナー落っことした~とか布団がはさまって上手くふすまが閉まらない~とかかわいい?理由で泣いてます。
確かに当時の助産師さんたちが言ったように、「問題ない」結果になっています…。
(これから他の問題もでてくるでしょうが)
でもほんと渦中の時って、聞く耳持つの難しい(>_<)
共有できる仲間…いるといいですよね…。
父親との共有
悩みの前の段階として、気になるなあ、というのがあるんですね。その段階で外に出してしまえれば楽になれるけど、1人で抱えてると、雪だるま式にあれもこれも巻き込みながらどんどん大きくなってしまう…と思います。
そうなるまいと、夫に話しても、彼は受け容れるのではなくて、返して来るんです。その、〜すれば?ていうのも、出来るんならやっとるわ、て話で。
解決は求めてなくて、聞いて欲しいだけなんだと言っても、無理と言われます。
おかげさまで子供に関してはそんなに問題を感じていません。しかし父親と母親として、夫婦としての関係は困った事になっていると感じます…そして、解決出来ない気もしています…
それで、子供は無理をして良い子でいるのではないか?と考えてしまいます
親の夫婦仲が悪くても、子供は幸せになれるでしょうか?
私は夫に対しても、正解探しや理想の押し付けをしているのか…どうすれば止められるのでしょうか…
生き方の癖のようで、不安と心配のタネを見つけて安心する所があります…
育ち直しの機会、良くしていける、と思うために、過去ログを読み直してきます。
トラックバック
http://hoikushipapa.jp/tb.php/840-53747e3e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
色々とあって将来が不安になり、小3の息子に春頃から習い事(算数教室)を増やしたのですが、これが息子にはノリが合わずすごく負担が出た上に、字が汚くなって計算がかえって雑になりミスが目立ってきたので本末転倒だと夏には辞めました…。辞めて息子はイキイキとした感じに戻りました…。
まさに、おとーちゃんさんの仰る、将来の不安に駆られて動いた失敗例です。
特に、働いていて時間も手もかけられないとなると、つい不安で安易に習い事に頼ろうとしてしまいます…。毎日の宿題も週末くらいしか理解度をチェックしてやれないですから、フォローがなかなかできませんしねえ。
でも、いろんな人にその話をしたら、うちもうちもー!って感じになって、ちょっと救われました。これがおとーちゃんさんのおっしゃる不安の共有化の効用なのでしょうね。
そして、不安に駆られてたときは、あんまり他の人の話を聞いてなかったなーと改めて反省しました。
不安な時って、自分の短期的な不安解消に都合の良い情報を選択的にチョイスしてかえって泥沼にハマる気がします…。
不安のコントロールは人生永遠のテーマかもしれませんね。