なんで”自由”が大切なの? - 2016.01.28 Thu
また、それを実践しているこの幼稚園が素晴らしいとも言いました。
なぜ、自由が大切なんでしょう?
なぜ、この幼稚園が素晴らしいのでしょう?
それについて、今回は書いていこうと思います。
子供になにかを教えよう、子供を伸ばそうといったとき、多くの場合”自由”の逆をすることでそれを達成しようとします。
多くの大人は「正しいこと」、「身につけさせるべきこと」などを設定して、まるで型にはめるようにそこへ持って行こうとします。
学校、幼稚園、保育園。
子供に関連する施設の多くが、そういった手法で子供に働きかけようとします。
うちの娘の通っている幼稚園は区立小学校に併設されています。
あるとき、区内の他の小学校で、校庭にある朝礼台に上って遊んでいた子供がケガをしました。
それを受けて、「朝礼台に上って遊んではいけません」というルールを新たに設けて子供にそれを守らせるように働きかけました。
たしかに、そのルールを徹底して守れば、子供が朝礼台から落ちてケガをしたりすることはないでしょう。
でも、そこに子供の学びはほとんどありません。
おそらく唯一あるのは、「ルールを守ることを身につける」ということだけです。
こういった型にはめるような関わりは、結果だけは出すことができますが、子供に学びを与えることはありません。
しかし、そういった型にはめて子供を”自分の考えている正しい姿にすること”が子育て・教育であると考えてしまう人にとっては、それを達成することだけで満足してしまいます。
大勢の子供を見ている施設というのは、どうしてもその性質上、「管理的」におちいりやすいです。
管理的に子供に関わっていく方が、効率がいいからです。
中身はともなっていなかったとしても、かたちとして結果を短期的に出せるので、大人からは「成果が上がっている」ように見えます。また、管理的に関わることは、その大人にとって「自分は子供にたくさん働きかけている」という満足感を与えてしまいます。
さらに言うと、学校の先生を目指すような人は「正しいこと」を元々の性向として好む傾向があります。
ですので、多くの施設において、放っておけば子供に対する「管理」を実際の方法として行っていくことになりかねません。
これは、学校・施設に限らず一般的な大人の志向でもあります。
子供に「正しいこと」を押しつけていくことで、子供に成長や学びを与えようとしてしまいます。
ですから、一般の人も子供に関心を持とうとすると、まず「過干渉」におちいってしまいかねません。
子供に「過干渉」をすることは、その大人は大変頑張っているようにみえて、その実、一番”大人にとって”楽な関わりかたなのです。
大人がルールなり、規範なりを決めてそれを守らせることを目的にしてしまえば、大人はただ怒っているか、叱っているか、ダメ出しや制止などの小言を増やしていけば達成することができます。
子供にふんだんな自由を与えて、そこで適切な学びを与えようとすることは、一見大人はなにもしていないように見えて一番難しいのです。
それを達成するためには、そこで学びが得られるように、たくさんの環境への配慮が必要です。そのための準備も必要です。
しかし、なによりも難しいのは、”子供の力を信じられる”こと。
また、その人材を育成することです。
子供に対して”管理”で関わろうとする人の根底にあるのは、その本人は意識していないかもしれませんが、「どうせこの子はできないだろう」といった子供の力を軽視した、みくびった見方です。
さっきの朝礼台の例で言えば、「どうせこの子たちは、そこで安全に遊ぶことができないだろう」という見方が心のどこかにあるから、それをまるまる禁止してしまうという”管理”の押しつけを手段として用いてしまうのです。
「この子たちには、理解したり経験を身につけられる力がある」と信じてあげることができれば、禁止という管理的な手段をとる必要はありません。
そのように子供を信じられるには、単にやみくもに信じるということではなく、きちんと適切に子供をそこに導いてあげられるだけのスキルや経験に基づいた、大人の側の自信が必要になります。
子供の成長や力を適切に知っており、理念的にも子供を尊重することが理解されていて、なおかつ具体的・実践的な力も身についていなければ、施設として子供を自由の中で育むことはできません。
いくら、この幼稚園のような建物を作ったところで、そこにいる大人がそのようでなければ、結局はあっという間に管理的な対応におちいってしまうことでしょう。
この園の園長は、そのような人材的な面でも自信を持っているからこそ、こういう思い切った方針がとれるのでしょう。
そのような信頼に足る職員を、集め、もしくは育てていくというのは、とても大変なことです。
さらに、踏み込んで見てみると、もうひとつすごいなと思うところがあるのです。
つづく。
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● COMMENT ●
No title
自由保育
子供は自由の中で学ぶことに最初は他と違う?と迷いを抱いたけれど、、
自由こそ、与えられたり教えられたりせず、自らが考え、実行し、お友達とも遊び、1人の時間も楽しむなど、子供は一日中考えることがいっぱいでどんどん成長してたくましくなっていきます。
お母さんの顔を描かせても個性的で同じ顔なんて1つもありません。
なにより先生たちが素晴らしい見守り方です。
しかしながら、どんどん園児は減っていきます。自由は人気がないですね。。
待ち、の姿勢。
ずっと読ませて頂いている、おとーちゃんさんのブログに我が子の幼稚園が紹介されて感動です。
たくさん素晴らしいところのある幼稚園ですがひとつあげると先生方の「待ち」の姿勢が素晴らしいです。
預かり保育後のお迎えの時、子どもが1人で帰り支度を終えるまで、先生も親もただひたすら待ちます。促す声かけはしても「早く!」とは言われません。始めの頃、いそいで靴下を履かせようとしたら「ママ、自分でできますから手は出さないでください」と言われました。ハッとさせられました。
入園してから、子どもってこんなこともできるんだ!という感動がたくさんあります。
良い幼稚園に縁があり本当に良かったと感じています。
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これから先、いくらでも世の中を窮屈に感じることがあるのに、何も今家庭で窮屈に感じさせなくてもいいのにと反省するものの、どうしたら二人の子供を取り返しのつかない怪我を負わせることなく「管理」せずに育てられるか悩むところです。
「自由」に関する記事、期待してます!