体罰で人を正すことはできない - 2016.02.05 Fri
事件そのものについてではありませんが、これを読んで僕も考えるものがありました。
少年父親「遺族に謝罪したい」 川崎中1殺害、第3回公判
川崎市川崎区の多摩川河川敷で昨年2月に起きた中学1年上村遼太さん=当時(13)=殺害事件で、殺人と傷害の罪に問われた主導的立場とされる無職少年(19)の裁判員裁判の第3回公判が4日、横浜地裁(近藤宏子裁判長)で開かれ、情状証人として出廷した少年の父親は「相談に乗っていればよかった。遺族に会って謝罪したい」と述べた。
父親は少年の性格について「気が小さく、口数が少ない。心に秘めてしまう。問題があれば言ってくれればよかった」と語った。うそをついたり、人にけがをさせたりすると、少年に正座をさせ、平手でたたき、蹴ることもあったと明かした。
(神戸新聞NEXT 2016/2/4)
主犯格の少年の父親の言葉です。
その子は、気が小さいんじゃない。口数が少ないんじゃない。その子の性格ゆえに、心に秘めてしまうわけでもない。
モラハラをする支配者の前ではだれもがそうなるだけです。
そしてその人に対して心を開くことはできなくなります。
”問題があればいってくれればよかった”?
言えるわけがない・・・・・・。
普段からモラハラによって、人格や行動の支配を受けていると、しばしば他者やモノに対しての攻撃性が高まります。
それに対して、暴力でそれを封じ込めようとすれば、その攻撃性はより大きくなるばかりです。そして、往々にして支配者に刃向かうのではなく、より弱い存在へその攻撃性を向けるようになります。
さらに他者へ支配的に関わりたいという欲求が生まれます。サディスティックな快感を求めるようになる場合もあります。
逆に、萎縮して自分の殻に閉じこもってしまうようになる場合もあります。
日本では現状、こういった少年犯罪において親の養育責任を問う法律はありません。
その結果、子供が親の不始末の責めを負わなければならないという、やるせない現実だけが残ります。
体罰は、例えそれでうまくいったという成功例の話があるとしても、決して適切な子育て方法にはなりません。
それはどこまでいっても暴力をともなった、モラハラでしかないのです。
そしてそれをされて育った人は、モラハラをする人格を獲得する場合があります。
つまり、体罰で子供を育てることはモラハラする人間を作りかねないのです。そうしてそれは連鎖されてしまいます。
体罰を振るって子育てする人、「子育てに体罰は必要だ」と主張する人、そういった人たちはすでにその人自身がモラハラ体質を持っている場合があります。そうなると、その人は体罰を振るうことを否定できません。
なぜならそれはすなわち自己否定になってしまうからです。
体罰を当たり前のこととしていた軍国主義教育時代から70年も過ぎているのに、いまだに日本の社会はそれを克服しきれていません。
むしろ、最近ではそういった「いまの子供は叩かれもしないで、甘ったれている」的な論がまた大きくなりつつあるようです。方々でそれを耳にします。
それでは、進歩するどころか逆戻りです。
「体罰はしつけ」という考えは、もう乗り越えなければならない時代です。
こういった悲惨な事件を繰り返さないためにも、ひとりひとりがその意識を持つことが大切です。
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● COMMENT ●
つい否定してしまうけれど…
No title
最近会わなくなったお友達に親から常に怒られ時には体罰を受けている子がいました。
うちの子は弱いのでその子のかっこうのターゲットとなり突き飛ばされたり、意地悪を言われたりしていました。
また親の前ではとてもいい子なのですが、親がいないと顔つきも変わり大人の私にまで強い口調で話していました。
うちの子が泣くと、嘘をつき、あの子が勝手に転んだなどと言うようにもなっていました。
何度かその子の親御さんに、そこまで怒ることないよ、とは伝えましたがその親御さんはそれが正しいと思っているので、一切聞き入れませんでした。
無理して付き合う必要はないので自然と離れて行きましたが、これから小学校にあがりその子とまた同じ小学校になり離れたくても離れられなくなる状況が戻ると思うと少し怖いです。
いつも親の顔色を伺い、遊びも、おやつを一つ食べることも親の許可なしではできなくなってしまっていることがかわいそうでなりません。
でも親はその子が言うことを聞くので(親の前だけ)その子がいい子だと今は思っているようです。
どうやったらそういう子を救うことができるのかいつも自問自答します。
親御さんもうちの教育に口を挟まないで欲しいという感じです。
いろんないじめの事件が起こるたびに子を持つ親として胸が痛む日々です。
No title
この記事の短い文章からだけでも、父親の子を思う気持ちはものすごく伝わってきます、
もし私の子が、人に大きな怪我を負わせて平気でいるようになったりしたら、私も「何とかしたい」という気持ちが強まって、この父親と同じようなことをしてしまうかもしれません。
あと、少年といってもほとんど大人の19歳。親子関係だけでなく、社会的な人間関係や社会システムからも人格形成の影響を受けているはずではないでしょうか。
こういう事件が起こるたびに親の責任にされすぎているように感じます。
おとーちゃんさんの仰る「体罰を当たり前のこととしていた軍国主義教育時代から70年も過ぎているのに」は、学校教育や社会の目にも当てはまることだと思います。
No title
平手で打ったり、蹴ったりという暴力的な対応によって、子どもの反省や更生が促されるとはどうしても思えなかったです。特に、この少年のように、親に対して言いたいことも言えないような関係に育ってしまっている場合において。
このような事件が起こるたびに、自分の子ではない子に対して、今以上にできることはないのだろうかと自問し、もどかしさを感じてしまいます。
うそをついたり人にけがをさせる…そういうことがあった場合、どうしてそのようなことをしてしまうかの背景ですよね。
その元が解消されなければ、いくら体罰で矯正しても、その時その場ではおさまっても、このような恐ろしい事件への布石へとなりかねない。
親は自分を振り返らないと。
子どもがうそをつくのなら、うそをつかなきゃならない状況に追い込んでないか。または、今まで自分もうそをついてこなかったか。
子どもが暴力振るうなら、自分も暴力を振るってこなかったか。(このお父さんは完全にやってますよね)
子は親の鏡だから…親がやることやるんですよね…
だって、一番身近な見本ですもん。
あと、厳格な父親ですが、
昔ならじいさん、ばあさん、近所の方、等々、ワンクッションとれる場が間々あったかもしれませんが、
今の各家族時代、母親までもが厳しいだけなら子どもに逃げ場はありません。
たまりにたまったフラストレーション、報われない感情は他人か親か自分かにいずれ牙をむくでしょう。
なんて考えてる私も子育てで色々勉強させられてます…。
先日は子どもから「ぼくを怒らせたくなかったら、ぼくの言うこと早くやって!」
って、言われちゃいました…。
怒った時の私のセリフ、そっくりそのまま返されてる…。
言われて嫌なことは、言わないようにしなきゃ…。
ホントに子どもは親の鏡だと思います…。
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程度の差はあれ、親というものはなかなか自分の子どもの悪い部分を受け入れることが出来ない生き物なのではと思います。例えば些細なことなんですが、私は息子が「幼稚園めんどくさいー行きたくないー」なんて言おうものなら、ついつい「そんなことないでしょー。ほら、幼稚園行ったら大好きな○○君と遊べるじゃん」なんて言っちゃうんですよね。何というか、息子の否定的な発言を覆したくて、息子の「幼稚園めんどくさい」という気持ちをいきなり頭から否定してしまう(言い方こそ柔らかいものの、でも多分そこがくせ者なんです)。しかも自分は善意のつもりだったりするんですよね。
でも本当は、子どもが不満や不安を親に正直に愚痴ってくれるのって、すごく大事なことなんだと思います。攻撃的でも好意的な言い方でも、愚痴る(=本音を言う)度に正論で諭されたら、「この人は私のこと分かってくれない」って心を閉ざしてしまいそうです。(現に、私は自分の親に対してそうなってます。)
子育てを通して世の中の出来事を見てみると、意外なところで通じることがあったりして、何気なく自分が子どもに対して振る舞う言動が適切・妥当なのか時として考えさせられます。
今回のブログ記事を拝読して、岡本茂樹という方の「反省させると犯罪者になります」という著作を思い出しました。子育てや教育では、子どもが悪いことをすれば強制的に反省させることが当たり前、その当たり前のことが人を更に悪い方向へ駆り立てることがあるという内容が、まさに子育て中の自分の身に重なるところがあって興味深かったです。