子供の尊重の実践 vol.3 補足 - 2016.02.27 Sat
まず、今回テーマとしていることは、あくまで「保育における”子供の尊重”」についてです。
一般の方が、家庭での子育てで多く直面する”子供の尊重”にまつわる問題とはかなり違ってくることがあると思います。
家庭の子育ての”子供の尊重”にまつわる問題は、とかちさんのコメントにあったような「尊重」という言葉から、「過保護」「過干渉」「いいなり」「モノの与え方」などの適切なとらえ方がわからなくなってしまうことからくるケースが多いです。「子供の尊重」というテーマでも、保護者向けの講演ではそういった点を主にお伝えしています。
もちろん、いま述べていることが家庭の子育てではまったく関係ないというわけではありませんが、家庭ではそこまで事細かに概念的な理解をせずともさして影響はないかもしれません。
また、「背中に手を当てる」というのはあくまで”子供の尊重”という概念の理解のため例としてあげたものです。
問題は行動そのものなのではありません。
ですから、「背中に手を当てて誘導することがいけないのだ」とだけ理解してしまったら僕がお伝えしたいと思うことは伝わらないことでしょう。
例えば、「この子はどうせできないだろう」と決めつけをして、冷たい関わり方をするA保育士と、「この子は幼いなぁ」と思いつつ普段からもあたたかく関わってその子供との間に信頼関係が形成されているB保育士がいた場合。
この両者ともが、同じように背中に手を当てて誘導したとしても、その子供に与える影響は厳密には同じではありません。
つまり行動そのものに問題を見いだせるわけではないということです。
家庭の場合であれば、事細かに”子供の尊重”の理解がなされていなかったとしても、その多くはこのB保育士の関わりのようなかたちになることでしょう。ですので、一般的な家庭の子育ての範囲でいえば今回テーマとする「保育における”子供の尊重”」はスルーしてしまってもいいかもしれません。
(なかには、実の親子であっても”子供の尊重”が焦点となる「モラハラ」などケースはある。例えば、いま話題になっているゲーム機を親が破壊した事例のようなものでは)
さらに、行動面には例外もたくさんあるということ。
例えば、背中に手を当てての誘導だとしても、そこが交通事情などで安全性の問題があるとき、こういう場合は安全性が優先されます。そういうときならば、その対応も問題にはなりません。ただし、実はそういったときですら、”子供の尊重”を理解している人と理解していない人には、その対応に違いがでてきます。
また、その子が例えばその場に不安があったりするようなとき、その不安を解消して上げるために手を添えているといった「その子自身がそれを求めているor必要としている」ケースであれば、その対応は”子供の尊重”を損なうものではないでしょう。
このように、ひとつひとつの行動自体に是非があるわけではないのです。
つまり、「あれはしてはいい」「これはしてはいけない」という認識では、”子供の尊重”の理解にはなりません。
”子供の尊重”の概念と、具体的な関わり方をつないで認識できるようにすることがこの記事のねらいです。
そのあたり、一般の方にはややわかりづらいかもしれません。
保育などの実務経験を持っている方だと、「ああ、それはこういうことだよね」とご自身の経験・知識と照らし合わせて理解しやすいのではないでしょうか。
ですので、この一連の記事は基本的に保育士向けになっています。
また、ここで述べられているのは、あくまで”子供の尊重”の概念理解のための「一般論」としてのものです。個々の子供への対応法といった「個別論」ではありません。
ですので、その点からも「この関わりはいい」「この関わりがよくない」ということを述べているのではないことをご理解下さい。
個々の子供への対応については、今回テーマの「子供の尊重」と隣り合った概念である「個人の尊重」や「個性の尊重」という似てはいるけど、違う考え方の領域の問題になってきます。
(保育研修などではそれらもお伝えしますが、今回の記事ではとりあえずそこまで書く予定はありません。専門的になりすぎてしまって、多くの方にはつまらないかと思いますので)
ちなみに、これら”子供の尊重”と隣り合っていて関連する概念としては、いま挙げた「子供の尊重」「個人の尊重」「個性の尊重」の他に、「子供の人権の尊重」が考えられます。
これらは互いに重なり合う部分もあり、理解がむずかしくもありますが、これらが実践レベルでいかせるように理解されることは、大いに保育の助けになると思います。
以上、補足でした。
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● COMMENT ●
子どもは分かってる
3歳を迎えるまでは、言葉の発達が遅く、そこからの色々な成り行きで、現在、市の集団指導に通っています。
色々な成り行きの中で、保健師、保育士、臨床心理士の先生方の対応に疑問を感じる事があり、自分なりに調べているうちに、おとーちゃんさんのブログにたどり着きました。
始めから読ませて頂いています。
妊娠中、あちこちの母親学級やセミナーに参加したり、出産後も子育てのセミナーに参加したりしているのですが…
もっと早くにおとーちゃんさんのブログや書籍に出会いたかった!と思えて仕方ありません。
長くなってしまうので、色々な成り行き…としましたが、私にとっても子供にとっても、良い経験となったこともあります。
が、辛い経験となったこともあります。
もちろん、中には素晴らしい先生方もいらっしゃいます。
しかし、残念ながらそうでない先生方もいらっしゃって…。
子育てで悩みに悩んで、そして相談機関に行っても、そこでどのような先生にあたるかで、子供にとってプラスとなるのかマイナスとなるのかと、公的機関でもこうだと何だかなぁ…と思わされる日々です。
自分の子供だけでなく、同じクラスの子供達を見ていても思います。
自分のことをちゃんと見てくれている、信じてくれている先生に対してだと、言動が違います。
先生方の言動に、今のってどうなんだろう??と思うことも、子供達はもっと敏感に感じ取っているように思います。
子供達の言動や表情を見ていて、何とも言えない気持ちになってしまいます。
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おとーちゃんの本を拝読して感動し、ブログに辿り着きました。
最初の投稿から読みはじめ、今2011年途中です。
受容が大事、子供を大切に扱うなんて簡単にわかりそうですが、ブログを読んでみて、反省しきりです。
娘は1才0ヶ月、今のところ非常に困ることもなく、イヤイヤ期に備えるためてに読み始めましたが、今から改めるべき点ばかりです。
落ち込みましたが早く気づけて良かったです。
私自身ひねくれて育ってしまい、またそんな自分が好きだったりして、娘をいい子にしたいという思いがあまりありませんでした。
おとーちゃんのお子さんがそのまま大人になったような人に何人か会ったことがあります。
娘もそのような人になれたら幸せだと思いました。
ブログにあるノウハウのようなものを数日試しただけでも効果は絶大です。
そして、誉める認めるをたくさんするからでしょうか、なんだか私の性格まで素直になってきたような気がします。
私は3才から保育園に預けられ、卒園の少し前まで毎朝泣いていました。
暴力など荒れることはなく、先生の言うことをきちんと聞くまじめな子でした。
が、とにかく友達ができず、保育園が嫌いでした。
今でもその園の前を通ると目が潤むことがあります。
雨の日は室内遊びなので、友達がいなくてもおもちゃで遊んで時間を潰せるので、泣かなかったことを覚えています。
卒園の少し前に転校生が入ってきてその子と友達になり、泣かなくなりました。
友達がいないが第一の原因ですが、親があまり誉めてくれなかった、早引きして公文に行かされていた、私のクッキー缶が大きかった、いつまでも泣いている私を見て、年中の先生が担任の子に「年長さんにもなって泣くなんてダメだねー」と言っているのを聞いてしまったなども原因だったような気がします。
そんな私ですが、4月から娘を保育園に預けます。
娘の心を満たしていく参考に、引き続きさせていただきます。