僕の”仕事” vol.3 - 2016.04.04 Mon
田舎や下町の人だともう少しお若い方にもいるようです。
大家族や、兄弟姉妹の多い中で育ち身近に子育てを見たり、よいことも悪いことも否応なしに他者と関わる経験が豊富にあった世代では、自然と身につけられた感覚だったのではないでしょうか。
現在それは難しくなっています。
それはいいとか悪いとかいう問題ではなく、時代の流れというものですから、それにあった形を模索していけばいいのだと思います。
しかし、それがなかなか難しい。
決して子供のためとはいいきれない不適切な子育ても内包した、すでに強い先入観になってしまっている既成の子育て方法。商業主義的目的のために流布されている新たな子育ての価値観。
この二つの子育ての考え方が圧倒的に根強くて、本当に必要なことがなかなか見えません。
現実に、子供の親になる人には子育ての基礎を教える講座みたいなものが必要な時代になっているのかもしれません。
保健所でそれらしきものはあるけれども、あれは新生児の身体的なケアが中心なので、なかなかそこまでの役割にはなっていないようです。
実際、カナダのようにそういうことに取り組んでいる国もあって、以前にも紹介しようと思っていたのだけどまだ記事にできないままでした。そのうちまとめたいと思います。
僕は保育士になってたかだか20年くらいです。
しかし、一生懸命見ていると見えてくるのは20年間の子育てだけではないのです。
なぜなら、否応なしに子供の親自身の生育歴が目に入ってくるからです。
今回一連の記事では、単なる支配的な関わりの子育てだけでなく、もっと踏み込んでモラハラにまでなる子育てについて述べました。
このことは、いま現在の子供の子育てにある問題なのですが、同時に子育てする親の世代にもある問題です。
モラハラや強い支配の子育て、親の願望や要求を強烈に投影されて育ってきた人が大人になり結婚し子供の親となって、さあ子育てだというときになって、それまで順調な人生だった人がつまづくのですね。
単に、子育てがうまくいかないということだけでなく、それまで「順調だ」と思っていた自分の人生は「実は親の要求に従ってきただけだったのだ」ということにハタと気づかされたり、自分が我が子に向ける子育ての関わり方によって、自分自身が子供時代どれだけ嫌な経験をしたのか、どれだけ我慢をしてきたのか、そういったことがフラッシュバックしてきてしまったり。
目の前の子供の問題と見えていたものの原因は、実のところ遠く数十年前からつづく親自身の生育歴にあったりします。
親がそれに気づく人もいますし、気づかずに繰り返したり、気づいてはいないのだけど苦しんだり・・・・・・と、さまざまです。
子育ての相談を受けていても、いろいろと話を聞いていると本当にいつの間にか話が親自身のことになっていくケースがあります。
それはその人自身も意識していなかったのに、子供の話をしていたら自然とそうなっているのです。
多くの人が根っこに自分の生育歴を抱えており、それがよくも悪くも我が子の子育てのときに顔を出してくるようです。
自分の親(祖父母)と互いに和解し合えて乗り越えられる人、一方的に親を許すことで乗り越えられる人、否定し続けたり憎むことで乗り越える人、否定も肯定もできないけどつかず離れずでやり過ごしていくケース、それもまたさまざまです。
これが、お金持ちから貧しい人まで、学歴の高い人から低い人まで、社会的地位の高い人から低い人まで、すべてのポジションの人にある問題になっています。
もちろん、なにごともなく円満な家もあります。
しかし中には、その円満さはものすごい努力の積み重ねや、よい人との巡り合わせによって作り上げられているというケースもあります。
現代において子育ては、ただ子供を育てるだけでなく子供を育てる人も自分の人生を考えたり、もしかすると「取り戻したり」する重要なポイントともなっているのではないかと感じます。
それを僕は「子育てによる自己肯定」と呼んでいます。
このことは、なかなかそこを直接実現させられるものではありませんがそれを目標として、まずは目の前の子育てを「いいもの」にしていくこと、そのためにはその人ができる具体的な子供への関わり方を示していくことが僕の仕事なのだと考えています。
さらには、いい関わりの方法だけではなく、問題点やそのままでは気づかないことを指摘したり、今回の記事のようにモラハラや支配してしまうこと、体罰などにはNOときっぱり言う人がいるのだと伝えることも必要なのだと感じます。
安定した子育てをすることができれば、子供がよりよい育ちを得ることができます。またそのようになれば、親自身も子育てを通して自分自身を肯定することができることでしょう。
一人の子供を安定して無理なく育てられることは、その周囲にいる何人もの人を幸せにできることでしょう。それは人によっては人生を大きく変えることができるものになるかもしれません。
なので、僕は子育てを通して社会貢献していくことを自分の仕事と決め、そのためにできることを微力ながら続けていこうと考えています。
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● COMMENT ●
No title
おとーちゃんのブログは初期の頃から全て拝読してきました。それで自分の育ちについてある程度振り返ったうえで息子と出会い、
「子ができて初めてわかる親のありがたみ」を期待する実親に
「子ができて初めてわかる親のありえなさ」を実感しています。
私はいわゆる思春期・反抗期に猛烈な反発をしていたのですが、これは
「子育ては投資で、育ったあとの子供からは回収するものだという考えを持つ親、罪悪感で子供を支配しようとする親、育ててもらった恩を感じて親に従うのが子供の幸せだと信じている親」に対してのものだったのだなあと、反抗期から10年を経てようやく理解できたところです。それが私の「乗り越えた」だったのかなあ、と本記事を読んで感じました。
これからも記事楽しみにしています。
子育てによる自己肯定
私の母は、私に愛情はあったのだと感じますがストレスを受けやすく、少し支配的でかつ私に関係ないことで生じた苛立ちでも毎日私に向けてくる人でした。私はいつも平気なふりをしていたのですが内心とても傷ついていて、それを気づいてくれない母のことを憎いと思うようになりました。そして気付けば、早く死にたいと思うようになり、自分のことが大嫌いになっていました。
そのような中、私は10代のうちに出産し、母にしてほしかった愛情を言葉で示すことは毎日行っていましたが、子育ての基本的な方法が分からなくて調べていたところ保育士おとーちゃんさんのブログに辿り着きました。
何度も何度も読み返し記載してあることを心がけ続け、息子が2、3歳になったころ、今度は息子が私を受容してくれるようになりました。
おとーちゃんさんと息子のおかげで、自分自身を大切にすることができるようになり、生きることがとても楽しくなりました。おとーちゃんさん、息子だけでなく私の人生まで救ってくださって、本当にありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。
未だに母に対する憎しみは消えていませんが、母のことを昔のように、心から好きになりたいです。母の性格からして和解することはできないので、一方的に許すための方法を模索したいと思います。
ずっとお礼が言いたくて、書き込みました。これからも応援しています。長々と失礼しました。
皆さんのコメントを読んで感じたのは、子どもとの関わり方で悩まれている方は、自分と他人(母親にたいして子ども)との境界線が判断できなくなっているからではないでしょうか。私もそうですが、色々な場面で判断に悩んでしまいます。ここまでは子どもが判断し、ここからは親が判断する。もちろん年齢に合わせて対応を変えていく。それが出来ない。それは、自分の親に、かなり支配されて自主性を奪われたか、放任され年相応の判断力を教えてもらえずにきてしまったか。自分の中に、寄り添って、見つめられて、励まされて育った経験があればひらめくのではないでしょうか。
いつも不安で、気持ちの安定しない4歳の息子が、カウンセリングに通い、セラピストの方と遊んでいるだけでガラリと変わりました。(遊びを通してカウンセリングする遊戯療法を行なっています。)
ポイントは安心、安全な人をつくることです。今、私は病んでいるのでその人にはなれません。なので息子には安定下の子心の持ち主との関わりが必要です。第三者の力で、大丈夫なのですよ。
前まで、きちんと教えなければ、常識が育たなくなると考えて、息子に色々言ってきましたが、全然身になっていませんでした。しかし、全面肯定され、ありのままの自分を受け留めてもらっている息子は、愛で満たされいます。イライラしてしてしまった母に、いいんだよお母さん、と諭してくれます。大好きだよお母さん、と言って抱きしめてくれます。私もハッとなり、お母さんもあなたが大好きだよと言って答えます。私自身まだまだ病んでいるので、まだこのような、関係ですが、私もこれからカウンセリングに通って、愛着障害を頑張って克服します!
親からもらえなかった愛は、他からでももらえるのです。他の人の力を借りて自分自身も満たされていかないと。私の両親は今も病んでいるのであてにはならないから。
おとーちゃんさん、ありがとうございます。
少しずつ
私自身のことや、まわりのママ達を見ていると両親の受けてきた育てがいい意味でも悪い意味でも影響を大きく与えていますよね。
確かに私の父、そしてその兄弟達は(みな80過ぎ)ゆったりと構えています。孫にプレゼントなんて私が準備してあげないとすっかり忘れていてしませんし、お小遣いももちろん忘れているし。。。でも、じっくり相手をしてあげるんですよね。受け入れてあげてる。一緒に笑ってる。そうすると子供は別に物なんて貰わなくても大好きなんですよね。
そうかあ、昔はあったんだ。。。
今の私達の状況では難しいですね。だからこそおとーちゃんさんがおっしゃるように伝えていかなくてはいけないんですよね。
私も自分の子育てからもっともっと楽に、目先にとらわれずゆったりとやっていきたいと改めて思いました。
そして、子供を愛しながら、自分とも闘いながら試行錯誤して頑張っているママ達みんなにエールを送りたいです。(私にも)
No title
確かに、主人の両親が70代後半、80代前半で、主人自身とてもいい育ちをしてきたんだなと感じます。
それにくらべてうちの親は60代ですが、支配的で上下関係の子育てで孫に対してもそれがでてきていてうんざりです。
三人の母になり、日々大変だなとおもうこともありますが、今、しっかりと向き合ってあげることが将来につながると信じてがんばりたいと思います。
私自身、自己肯定感が低く、子育てで困ると常に自信がなく友達に相談していましたが、今はおとーちゃんさんの教えをもとにとても自信が持てるようになりました。本当に、本当にこの出会いに感謝です!明日からも大好きな子供たちと主人とがんばっていきたいと思います!
No title
遊びに行ってもゴロンと寝転がってテレビを観ているだけなのに。
そういえば子供たちがじいちゃんにゴネたりふざけたりしているのを見たことがありません。
よく思い起こしてみるとじいちゃんは、子供が遊びに飽きたようなころあいに「おんぶしてやろか」とか「公園に行くか」と声をかけています。
これが受容!?
こんな近くにお手本がありました!
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子育ての大まかな理論(というと少し堅すぎるでしょうか…)とでもいうべきものを学んだとして、もう一つそれと同じくらい大切なのが「子育ては十人十色。実践は理論通りには決していかない」ということを心に留めておくことかと思います。
私の場合なのですが、よい子育てをしようと思うと、自然にやるというよりはやはりつい頑張ってしまうんです。心をラクにするために適切な方法を学んだはずなのに、今度は理論に振り回されてしまう場合もあります。
でも家庭という場は、子どもが学ぶ場であると同時に子どもを含めた家族みんながくつろぐ場でもあります。
私はつい頭ばかりで考えてしまう人間なので、理論に合わないことがあるとつい心をピリッとさせてしまうのです。多分そのせいか、自分もリラックス出来ずに疲れてイライラするし、子どももそれを感じ取ってイマイチくつろげてないように思います。頭ではこれじゃあかんと分かってても、なかなか心が追い付きません。
いいお母さんになりたいがために気を張りすぎて、却って理想のお母さんからは遠ざかってしまう……頭でっかちな私のジレンマです(苦笑)
「理論を学べ、でも理論に頼るな。」そんな一見矛盾したような感じが今の私の目指すところでしょうかね…。
私は自己肯定感の低い人間であると自分で感じています。自分の気持ちに自信が持てないので、つい理論を盾にしてしまうのだと思います。なので、息子に対しても、彼の気持ちを大事に出来ずに理屈で責めてしまうことも多々あります。
息子が生まれるまでの20数年は、自分が否定されるのが怖くて人の気持ちから逃げてきたように思います。
そんな自分を育て直すのに、もしかしたら20数年くらいは掛かるかもしれません。そうだとしても、息子の気持ちにきちんと向き合いたいので、時間を掛けながら、焦らず、気を張りすぎずに、自分を育てていけたらと思っています。