一般の人考える「うまい子育て」 - 2016.04.19 Tue
『本当に子どもの為になる教育とは?病院の待合室で見た、とある父娘の素敵な子育て』
ここに出てくるお父さんの病院でした関わり方「お医者さんとにらめっこをしてくるから、時間を教えて」を僕は、タイトルにあるように「素敵な」対応とは思わないのです。
決してこういった対応をしている人を責めているわけではありません。
”悪い”というのでもありません、子育てにはいろんな状況がありますから、こういった”方便”を使うことも一種の手段としてあっていいこととは思いますが、それは必ずしも”目指すべきもの”と考えてしまっては、本当の意味で子育てを安定化させていくことは難しいのです。
でも、この記事のシェアや”いいね”が多数あることが示すように、こういった対応を「素晴らしい」「素敵な」と思う人が少なくないのが日本の子育ての現実なのでしょう。
僕は、子育ての専門家として、その見方に敢えて水を差すようなことを述べようと思います。
この話の状況で、本当に理想的な状態は、そのように「ごまかし」を使って「子供だまし」をしてしまうことではなくて、「お父さんはお医者さんと大事なお話をしてきますから、その間ここで待っていてください」と伝えて、子供がその言葉を信じて戻ってくるまで安心して待っていられる状態のはずです。
それができない状況にあるのでしたら、それ以外の方法、たとえばここにあるような”方便”を使うこともあるかもしれませんが、本来目指すのはそれではなく、嘘いつわりなくストレートに事実を話して、通じる方がいいはずです。
そういった観点からすると、この文中の対応はテクニックをろうしたに過ぎないのです。
でも、この筆者もおそらくそうであるように、日本の子育てでは、テクニックを使って子供を思うとおりにすることが、”よい子育てである”と最初から考えられてしまっています。
筆者も文中で、”(子供を)うまくコントロール”という表現を何度か使っています。
多くの人が考える子育てでは、最初から「子供はコントロールすべき対象」になっているのです。
このスタンスから子育てを組み立てていくと、結果的には子育ては難しい・大変なものとなっていきかねません。
この文中で「素敵な子育て」とされているのは、「子供をコントロールする子育て」の中でのうまいバージョンにすぎないのです。
このことは、こちらの記事で述べた「支配のレール」と同じものです。
僕の”仕事” vol.2
同じ支配のレールの上でも、それのいろいろな方法があります。
上から叱ったり怒ったりすることで、子供を思い通りにするもの。
モノやお菓子で釣るもの。
いいなりや下手に出ることで、子供に言うことを聞いてもらおうとするもの。
ごまかしや脅しで、それをするもの。
携帯ゲーム機などで、コントロールするもの。
以前にも、地獄の絵本や鬼のアプリについても触れました。
これらも、それをよしとする人がたくさんいますが、それを子育ての”目指すべきもの”、”正当な手段”と考えることはとてもあやういことなのです。
そのように支配のレールの上でもやり方はいろいろです。
それらは一般の人からするとぜんぜん違ったものに見えることでしょうけれども、僕から見るとそれは同根のものに過ぎません。
結局どれもが、子供を支配したり、コントロールしようとしているからです。
文中のエピソードは、それが”うまい”というだけなのです。
繰り返しますが、それが「悪い」とは言いません。
しかし、それを「目指すべきものだ」と考えるようになってしまうと、子育ては迷走しかねないのです。
うまいひとが、そういった関わりを受け入れやすい子供にその関わりをする分にはいいでしょう。
でも、そうでないタイプの大人や子供だったら?
また、そういったことができていたケースでも、年齢が上がって「子供だまし」がすんなりいかなくなったら?
「子供だまし」はずっとは通じないのです。
小さい内は、そういった関わり方が有効であっても、ある程度の年齢になると、それまで通じていたと思っていた「子供だまし」の関わり方は全然通じなくなって、そこから子供へ関わることが重荷になっていく人。怒ってばかり、叱ってばかり、子供への関心の低下や放任になっていく人もいます。
このお父さんのようなことがうまくいけばいいですが、そうでないケースでこれを目指してしまうと、ゆくゆくは子供が思うとおりにしてくれないことに、始終、腹を立てたり、イライラを募らせたり、モノやお菓子などでコントロールせずにはいられない状況になりかねないのです。
だからこういった関わり方は「コントロールのテクニック」であって、本来「目指すべきもの」ではないのです。
この点を認識しないと、現代の子育て難しさはなかなか変えていけないだろうと感じます。
この背景には、日本人特有の「”子供”の尊重の意識」があります。
これもとても大切なことなので、いつかまとめたいと思います。
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● COMMENT ●
No title
わかりますー
ありもしないこと言っておどしたり、
たいしたことないことおだてまくったり、、、
そういうの、
子どもナメてんのか?!
って感じていました。
子どもって、敏感ですよね。
人の目の動きなんかも全部読み取っていますよね。
大人の「コントロールしてやる」なんて気持ち、全部見透かされているんじゃないかな。。。
No title
なぜにらめっこと嘘をついたのでしょうか?
病院は静かにしなきゃいけないと説明した上で退屈してしまうならと数を数えさせるのは悪くないとも思うのですがどうでしょう。。
子育ての授業があるわけではないからその年、その場で大人しかったり良い子になったりしたらそれが最善の方法と思いがちなんですよね(>_<)
私も下の子は説明してもなかなか落ち着いてくれなくてご迷惑になるので結局YouTubeなど見せて大人しくさせてしましまいます。
難しいです。
アメブロにて
タイトルは「子供を親の思い通りに動かす方法」
...ぞっとしました(^o^;)
内容を読んでみると、そんなに変なことは書いてないんですよ。言うことを聞いてくれないときにどうしたらいいか、おとーちゃんも似ていることを仰っていたことがあったと思いますが、してほしい行動を予告するというようなことでした。いつも家に帰ってそのままテレビ見てダラダラしちゃうから、「家に帰ったらまずお風呂に入って、それからテレビにしよう」と言っておくということ。そしたらスムーズにいきますよ、と。
でも、それを「子供を親の思い通りに動かす方法」だなんて。
堂々とblog記事に書くなんて。
子供をなんだと思ってるのかな?
将来子供が自分のblogで「親を手のひらでうまく転がす方法」とか書かれたらどう思うのかな?平気なのかな?
おかしいと思わないことが怖いなと思った出来事でした。
残念なお父さん
子供に接するときの視点を変えれば、すごくいい接し方ができそうなお父さんだな〜、と思いました。
子供を思い通りに動かすのではなく、子供に待ち時間を楽しんでもらうんです。
病院だから静かにしていてほしいことを伝えて、子供がそれを理解してくれたとしても、そこは子供。性格や成長段階や気分などで、一人で静かに待っていられないこともありますよね。
これは子供自身には努力でどうにかなるものではないと思うので、静かに待っていられるような手助け=待ち時間を楽しむ工夫をしてあげたらいいと思うんです。
「にらめっこ」を思いつくようなお父さんなら、待ち時間を楽しむ工夫も上手にできそうな気がします。
お父さんが絶対に吹き出してしまうような変顔を考えるとか、お絵描きをするとか、絵本を見るとか、手持ちのぬいぐるみやおもちゃで遊ぶとか。一人で静かに楽しむ方法って、いろいろある気がします。
静かに待ってほしいことを伝えて、一人で静かに楽しむ方法をいくつか挙げて、あとは子供の自主性にまかせる。
子供の年齢にもよりますが、ある程度大きい子なら、普段の積み重ねがうまくできていれば、この方法できっと一人で静かに待っていてくれるのだろうな、と思います。
No title
でもこれ、紹介者はそちらの方向でとらえていますが、このお父さん自身は、おとなしく待たせるというよりは、子どもの恐怖心を和らげるための気遣いだったのではないのかなという気がしました。
病院であっても自制ができず騒いでしまう子ども、病院だからこそ何か心がざわざわして騒いでしまう子ども、病院だから静かにできる子ども、親の言うことは素直に聞ける子ども、病院だから何か怖くて静かになってしまう子ども、紹介者は騒ぐ子どもに焦点をあてていますが、実際の子どもたちは色々です。
このお嬢さんは、お父さんがこう言わないと騒いでしまう子どもだったのでしょうかね。時計を見させて数を数えさせるのも、このお父さんにとっては 娘さんへの時間の教育だったのかもしれませんね。
こういう方は、少数いらっしゃるから素敵に見えるんだと思います。
教科書的ではないですよね。
紹介記事を読んでみて思うこと。
この記事を読んで思うのは、テクニックの良し悪しよりも、この記事を書いている方の『気づき』かなと思いました。筆者が「脅し言葉」の悪影響について発見した喜びとその熱に、読者は心うたれてイイネしてるのかなぁと思いました。(もちろん、筆者の方はコントロールとか思い通りに動かすといった表現をしていることから、まだもともとの考えから突き抜けてはいないのかもしれませんが)
先日行った病院の待合室で。騒ぐ子どもを大きな声でしかり、ジュースを与えてはこぼされ怒鳴るママを見ました。加えて「うるさくするとお医者さんに注射してもらうよ」という祖母…。この祖母・母・子よりは、記事の父娘の方がはるかに素敵だなと感じました。でも、おとーちゃんさんの指摘のとおり、やり方がきれいなだけで根は一緒なんですね。
この病院でみたママに悪気なんて全くなく、母親としての役割を全うしているという誇らしさと高揚感のもとで、これらの注意の仕方を繰り返していたので、親子関係の問題は根深いなぁと思いました。
少し前、友だちママが言っていました。子ども(幼児)と何かでもめた時、感情に任せて「でていきなさい!」という言葉がでかかったけれど…。思春期くらいになった子どもの姿がよぎって、これを言っていたら、いつかきっと本当に出て行っちゃうなと思い、いうのを止めたんだそうです。
似たようなことが私にも時々起こります。これを子どもに言い続けたら、し続けたらどうなるかな?とか、この言動が裏の意味として別の良くない行動を学ばせてしまってないかな?とか。啓示的なひらめきがよぎります。
人間としてもって生まれた感覚なのか。後天的に身につけたものなのか。子どもが赤ちゃんの頃におとーちゃんさんのブログと出会い読むことで身につけた視点なのか。いずれにせよ、この視点に助けられていることは確かです。空間的にも時間的にも少し引いてみられる習慣がもてたら穏やかな子育てができるのかもしれませんね。(とはいっても、日々自分の言動について反省すること度々ですが)
他のコメントにもありましたが、大人が『今』しか見られないくらい切羽詰まっているのかもしれないですね。だからこそ瞬間瞬間をコントロールしようという発想になるのかなぁと思います。大人同士も互いをゆるしあったり認め合ったりできるようになりたいです。炎上とか、批判の応酬とか。識者たちですら議論ではなく感情のぶつけ合いばかりで。狭量な大人どうしが社会を子どもを生きにくくしているのかもしれませんね。大人も、ただ長く生きていることに胡座をかかずに、子どもと一緒に学ばなければと思います。
子ども騙しが通用しなくなったとき
私も今までさんざん、子どもに脅しやごまかしといった子ども騙しをしてきてしまいました。でも最近では、それが子どもに通じなくなってきたと本当に感じます。お恥ずかしながら、ここまで来て初めて「子ども騙しを通そうとするのでは親子関係が歪んでしまうだけだ」ということを痛感しました。(今までもよくないとは分かっていながら)
子ども騙しが子どもに通じなくなったとき、大人の取る道は、更なる強硬手段か、或いは今までのやり方を反省して子どもに歩み寄るか、正にこれは子育ての別れ道だと思います。(おしいれのぼうけんが何十年と読み継がれる名作なのは、最後に大人と子どもの自発的な歩み寄りが描かれたからではないかと思います。)
それにしても、少々疑問なのは、子ども騙しとメルヘンってどこにはっきりとした違いがあるんだろうと思います。紙一重のように思えるのですが…、子どもをコントロールしようという大人の打算が含まれてしまうと子ども騙しになっちゃうのかな?
5歳の長男は子ども騙しは通用しません。でも、私がぬいぐるみの役をしてぬいぐるみとおしゃべりするのは実に楽しそうにやります。ぬいぐるみは喋るわけないということは、もう分かっているはずなのに、「この子はぬいぐるみなのに生きてるんだよ!」とか「(ぬいぐるみが)ご飯食べるの当たり前じゃん!生きてるんだから!」とか冗談とも本気ともつかない口調で真面目 に言ったりします。メルヘンって、真面目で真剣な遊びですね。(もちろん遊びだから、肩肘張ったものではないのですが)
おとーちゃんさんのお陰で、我が子は病院で注意するようなことは今まで一度もありません。むしろ、病院には我が家にない絵本が沢山あるので、待ち時間が娘とのいい時間になっています♪
話はそれてしまうのですが、絵本でも子供だましのような絵本が沢山ありますよね。読んでいてとても気分が悪くなります。
愕然としました
私はおとーちゃんのブログの何を読んできたのかとショックでした。
それほど、ごまかしやテクニック的なものに違和感なく使ったり、賞賛してきたということですね。私を含めて世間では本当にこれらが蔓延?しているのですね。
もっと気を付けなければ。おとーちゃん、ありがとうございます。
そのために言語・非言語コミュニケーションを繰り返してお互いを尊重しあうような信頼関係を時間をかけてつくりましょう、でも子供は本質的に親のことを愛しているんですから親が完璧でなくてもいいんですよ、昨日より少しだけ子供の目線に近づきましょう、ということですよね。
日常に忙殺されているとどうしても目先をとりつくろう誰でも共通なテクニックがほしくなりますが、同じ言葉で叱っても褒めても、信頼関係のあるなしで結果は真逆になります。命や他人の迷惑になるときは叱ったり制止したりすることになりますが、それ以外の場面でも、子供が親や周囲とどのような信頼関係を持っているかで、諭す側の表面的な態度が同じでも返ってくる反応は変わってきます。
本文を読むまでもなく「うまい子育て」「素敵な子育て」「子供のためになる教育」という惹句を「親から目線でうさんくさいな」と感じるようになってくると思います。そもそもこのブログを読まれている方はおとーちゃんさんの考えに近い方でしょうから。大丈夫です。
むむむ
「早く着替えないと鬼が来るよ」みたいな嘘で脅す声掛けはしていません。
でも「早く着替えてパジャマ王子になろうよ」みたいな脅さないけど嘘をまじえた声掛けはたまにしています。(「風邪をひいちゃうから早く着替えよう」みたいなこともそれより多く言っていますがなかなかきいてくれません。)
子供はごっこ遊びが好きなのでパジャマ王子だったりパジャマ恐竜だったりになるために喜んで着替えています。
こんな嘘も良くないのでしょうか?
この記事のパパは別に脅しているわけではないし……と何がいいのかわからなくなっています。
コントロールは付き物
コントロールの手段も、重要ですが…
コントロールして目指す子どもの姿が、重要です。
コントロールはするが、あとは子どもに任せるのが、理想ですね。
それはごまかすとか嘘とか、そういう面では無く、「子供の意思は無いものとされてるのかな」と感じたことでした。
たった2分弱でも、その子供は「別に本当に必要なわけでも無い診察時間を数えさせられている」のですよね。
お湯が沸騰するのを見てて貰って教えて貰うなどの意味のあるお手伝いとは全く違う無意味さ。子供の純粋な気持ち、親の役に立ちたいという気持ちを、見事に徒労感に変えている。
子供が病院で何を感じるかとか、どういう気持ちになるか、そういうことまでコントロールしたがっていると思いました。
とにかく子供の自由を認めない違和感です。
待ってる間に他の人を観察したり、絵本を探してみたり、そういう自由を与えないようにしてるんだなと。
子供が数の敏感期で、数える機会を作ってるだけかもしれない。でもそしたら「にらめっこ」と言う必要も無いし、思いつきもしない。
まぁでも、この父親は皮膚科ということですから、水虫とか恥ずかしい場所のトラブルだった可能性もありますね。誤魔化したい気持ちが妙に作為的な手段になったのかもしれません。そう思うとちょっと微笑ましい。
人には色々事情がありますから、こうやって乗り切るときもあるでしょう。
素敵な話だと思うのはちょっと違うと思いますが、あれこれ試してみたり、いけないなーと思いながらお菓子で釣ったり、テレビで釣ったり、することもあります。そして「やっぱり寝る前にテレビ見せると寝ないな」などと気付いて、どうやって寝る前に見せないようにするか考えます。
考えるためにはあまりに疲れないことが必要ですが、子供が小さくて何人もいると疲れた日々が続くこともあり、端から見て非難されることもあるでしょうね。病院でギャーギャー騒がれることもあるでしょう。皮膚科だと子供たちは元気でしょうから余計ですね。
ギャーギャー騒いでる子でも、「具合が悪い人がいるところだから、騒がないで」と言う母親であればいつか伝わるだろうと思います。でも今静かにすることに必死になって、鬼やなんかを出してしまうんでしょうね。
まあでも、子供を周りの目を気にしてコントロールしようとあれこれ試してるだけ、普通の親なのかなと思います。やり方は色々でも、私はそこまで酷いことにはならないと思います。子供も普通の範囲で育つんじゃないかな。
やっぱり本当に困るのは親も子も大声でクレーマーみたいな言動をする傍若無人な人たちです。ごく少数ですが。自分がしたいからという理由で他人に害を及ぼしても全く気にしない、むしろ当然だと感じている人間が、心底恐ろしい。都心にいるからなのか、とても多国籍になったからか、文化が違うだけとも思えず、怖い思いをします。
真面目に一つ一つの言動のあり方をチェックするよりも、おおらかに自分を見つめ人と繋がり、心身を守る術を身につけさせてやりたいと最近心から思いました。話が逸れてすみません。
たりないさん
>こんな嘘も良くないのでしょうか?
え~、これはママとの楽しいごっこ遊びになっていて、いいのでは?
子どもも楽しく、親もうれしく、二人でニコッと笑顔を交わせていい時間になりそう。
それこそ、心に寄り添ってる系では。
母親の「かわいいなぁ」という思いと子どもの「楽しいなぁ、うれしいなぁ」という思いが交錯できれば嘘も方便なのでは(笑)
(本文の父娘は交錯できてない気がする)
それにこれは、子どもの心の中のファンタジー?ものがたり?を育てるのにつながるいいことなのでは、とも思ったり。
すみません、横からつらつらと…。
それにしても、パジャマ王子や恐竜で喜んでいる2歳児なんてかわいくてしょうがない。
確かにそうだけど。
記事の内容は、おとーちゃんさんの意見寄りです。あの作り話をする父親にある種の気持ち悪さを感じます。
でも、他の方も言われてるように待てない子だったら、暴れてしまう子だったら、どうしようもなく連れて行かなければならない状況だったら、どう行動するのがよいのでしょう?
おとーちゃんさんは記事の中でよく、「僕は○○には、疑問がある」といったやや否定的な立場から意見を述べていますね。確かにおかしいこと、疑問があること、正していくべきことはたくさんあります。しかし、その記事の中で解決策はなかったり非常に軽いものだったりだと感じます。押し付けないようにしてるのかな?
でも、ここを読んでいる親はまだ子どもが小さく親としては私を含め新米で「じゃあ、どうしたらいい?」と思ったまま答えが出ず「確かになぁー」だけで終わってしまうことが多い気がします。
「答えは自分で探すもの」と分かってはいます。しかし、新米の親なのでそこまで考える経験値がありません。記事の中で解決案としていくつかの案をあげてみていただけるとよりためになると感じます。
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私もおとーちゃんさんと同じように「先生とお話ししてくるから座って待っててね」と言うと思いますし、子供が素直に聞かないようなら、「ここは病院で頭の痛い人や気分の悪い人がいるから大きな声を出したりドタバタしたらつらいよ」と言います。
それでも「自分が嫌がることを全てやってくる小(子)悪魔」がふざけて騒ぎ出したら・・・(その可能性は非常に高い)
「いい加減にしなさい!」と怒るか、自分が診察室に入らなくてもいいなら持参した本を読んでやるかします。
怒っても逆効果なのは薄々気づいているので、最近は昂った気持ちをセルフコントロールさせようと、深呼吸させたり落ち着くまでじっと立たせたりしていますが実用化は程遠いです。
最善の策は何???