「おててピン!」は”おばあちゃん保育” - 2016.07.16 Sat
Yahoo!ニュースの中のデイリー新潮からの記事で
7歳置き去り事件の発端「人や車に石投げ」……『いやいやえん』中川李枝子さんは「命にかかわることは叩いてでも教える」
というのが上がっています。
その中で、『ぐりとぐら』の作者として有名な元保育士の中川李枝子さんの最近刊行された『子どもはみんな問題児。』の中の一節を引用して記事が書かれています。
ちなみに、これは中川李枝子さんに「北海道の置き去り事件についてどう思いますか?」とインタビューして返ってきたお話ではなく、おそらくデイリー新潮の編集者の人がこの事件に本の内容を関連付けて記事にしているだけであると思われます。『子どもはみんな問題児。』も新潮社刊。
中川李枝子さんにその著書の中で、”とっておきの方法”として本当にすべきでないことに対しては「おててピン!」という対応を書いているのです。
こちらの記事からその部分を引用しますね。
「ときに説明するより叩いて教えるのが先、急を要するということがあります。
そんな時は『これっ、いけません』とにらみ、『おててピン!』『あんよピン!』。
ここで勢いに任せて叩くのはご法度。ごく軽くさわる程度に『叩く』のです。
ガス栓をいじる。お友だちを蹴っ飛ばす、ひっかく、髪の毛を引っぱる。
そのたびに悪い手、悪い足を軽く叩きます。でも声だけは『ピン!』と厳しく叱ってください。
子どもは『うえーん、いたいよー』と泣いて、それでおしまい。
そのうち叩かなくても『ピンよ!』とにらむだけで『いたいよー』と泣くようになり、その効果はてきめんすぎるほどでした。
先生に『めっ』と叱られ、『ピン』の響きでいけないことだったと後悔、泣いて反省を示す。
これが私の勤めていたみどり保育園の日常のひとコマでもありました。
年長児になると、不思議とこの決まりごとは消滅して『めっ』も『ピン』も不要、聞き分けのよい子になっていました」
ちょうど僕も先月くらいにこの本を読んでいたのですが、この件は「ああ、今の時代に昭和の保育をずいぶんどうどうと書いているんだな~」と「あちゃー」といった気分で読んでいました。
これは、幸せな時代に幸せな家庭の幸せな子を幸せな人が育てた時にだけ通用する方法でしかないと僕は思います。
もし、若い保育士さんに「職場の先輩が子供に”おててピンッ!”って叩いているんだけど、どうなんでしょう?」と聞かれたら、「ああ、それは”おばあちゃん保育”だから、あなたは真似しないようにね」と忠告しなければならないことでしょう。
もしそれをしていったら、その保育士は例えば発達障がいなど特別な個性の強い子に対して適切な対応ができなくなります。
結局のところ、「しつけのメソッド」の枠組みの中で「できる子」相手に子育てを考えているのですね。
” 年長児になると、不思議とこの決まりごとは消滅して『めっ』も『ピン』も不要、聞き分けのよい子になっていました”
この思いは、非常に主観的なものです。
ぜんぜん気にしない子もいるでしょう。
でも、一生そのようにされたことを忘れない子だって出てきます。
「しつけだからそうすることは必要」といった考えで、どれほどの保育士がどれほど不適切なことを行ってきたか……。
実際に中川さんの周りには、そのような不適切なことはなかったかもしれません。
もしくは、子供への基本的な関わり方がうまく、受容などが十分に適切に行われていたために、中川さんがそれをしてもさして問題なく子育てや保育が可能だったかもしれません。
おそらくはそうなのでしょう。
しかし、それは現代において、決して一般化できないことなのです。
それをあっけらかんと、一般の子育てしている人に言えてしまうのだから、きっと幸せなケースしかみないで、もしくは幸せなケースを念頭に置いて書かれているのでしょう。
しかし、「いけないことをしたからとっさに叩く」
これは、「動物のしつけ」「調教」と同じレベルの考え方ではないでしょうか。
まさに”しつけのメソッドによる子供観”がここにはありますね。
「子供を低いもの」「わからないもの」とみなす、子供を尊重しない見方です。
人によっては、この本を「子育ての専門家が書いているのだから」と読む人もいることでしょう。
というかほとんどの人がそう思って読むのではないかな。
その人達の中には、「おててピン」が功を奏して、それで子育てが安定化していけるケースもあることでしょう。
そういう「幸せなケース」が。
でも、「おててピン」からはじまって子供の年齢が大きくなったり、行動や自我が大きくなるに連れて、バシバシ叩きまくって、それでも子供が思い通りにならず、たくさんの暴言や怒りのなかで子育てを送らざるをえなくなってしまうようなケースだってでてくることでしょう。
結局のところ、「おててピン」は「行き過ぎないこと」を前提に「しつけのメソッド」で子育てを考えているだけなのです。
このYahoo!ニュースに転載された記事は、場合によっては子育てする人や子供を追い込むことになりかねないので、僕もここで危惧を表明しておきたいと思います。
僕に言わせれば、「おててピン」方式の子育てが行き過ぎてこじれた結果、今回の子供置き去り事件に発展しているわけです。
これでは問題視していることと、それに対する解決策が同じになっています。
そういった意味では、この記事は問題の本質をとらえていないと感じられます。
(まあ本のせんでんをしたかっ……ゲフンゲフン)
しかし、Yahoo!ニュースのコメントの流れは「”おててピン”なんかじゃ甘すぎる」という趣旨のものが多くて、「調教しろ」だとか「なめられるな」ということばが出てきています。
まだまだ子育てを心から楽しめるようになる時代が来るのは先になるだろうと感じてしまいます。
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● COMMENT ●
矛盾がある不思議な育児ですね。
手段ばかりを探して、根本的な問題に疑問を持たないのはどうしてなんでしょうか。
そんなことされたらいやだよ
だから私は親であれ先生であれ心をえぐるような言動はしないで欲しいと切にねがいます。
それこそ保育士とーちゃんがおっしゃるように信じることがどれだけお互いの信頼関係を深められこちらの言葉が届きやすいと私も感じているからです。
だけどそのように考える人がまだまだ少ないような現代とまた感じ生きずらいなぁとも思っています。
運営されていた保育園の中に父親から虐待されていた子が居たのだけど、50年後、本人から告白を受けるまで全く気付かなかった…と書かれていました。
毎日子どもと過ごしていて、本当に気づかないかなぁ…と読んだ時、正直、思いました。
おとーちゃんさんが言うようにそれは『幸せな保育』かも知れないけど、子どもにとっては、どうだったんだろう?
以前読んだ時の違和感が今回の記事で甦ったので、コメントさせていただきました。
叩いてはいなかったようですよ
記事がいつのまにか、撫でる→叩くに変わっていますね。
記者の主観で記事の内容が全くかわってしまっています。
怖いなと思いました。
本の宣伝のために逆効果になってしまったのでは……。
いまの私たちには、躾=叩く、というように刷り込まれているのですね。
是非、先入観なしで本を読んでみて下さい。
追記
同じような内容がかいてあるみたいですね。
2冊の本で食い違いがあるのかもしれませんね。
確かにこちらでは、叩いてはいなくて「なでて」いたと書かれていますね。
他にも「ママ、もっと~」の方には
『問答無用で「おててピン!」。それから抱いて耳もとで優しくやさしく理由を話します。』
と、書いてありました。
幼児は、大人からは逃げられないので、怖い存在です
3歳から高3まで、ピアノを習いました。4回も間違えるとぶっ叩かれました。個人宅で1:1。
練習は好きではなく、やらないから間違えるし、毎度叩かれてました。専門の学校には行かずとも、またピアノの才能はないにしろ、弾き語りを楽しんだりドビュッシーの簡単な曲を楽しんだりはできます。しかし、今だって…40歳近くても、例えば歯科でクラシックが流れていると、落ち着かずにドキドキします。
その後、先生は「叩いたりしない、魔法の言葉がけで子供は変わる」と言っていました。先生はちょっと?変わったようで良かったけど・・・その踏み台になってしまった私と同世代はみんないい思いしてないですね。
「え?私の方ができなくて、怒られてると思ってた」と他の人も言っていました。
「怖い顔をする」というのは、恐怖政治ですね。。。
そのような事を言ったご本人は、自身を律する力か、環境があったのかもしれない。
けれど、大抵の人間はそんなことはできなくて、自分にそれを許していると、どんどん自己愛が強くなります。かつて、歴史でもそういう人間が多くいたし、政治家や会社を自分で興した経営者もそういう風になりやすい。と、思います。
もしかしたら、不勉強で知らないけど、人間の脳は、吊り橋効果みたいな感じで 、偉ぶった言動を重ねると「偉いからやる」と勘違いするのかもしれないですね。誰にしもある自己顕示欲や、達成感と履き違えてしまう感じがします。
いずれ孫に嫌われてしまうのかな…
3歳と1歳の娘息子がいます。
昨日、家族で花火大会に行きました。娘は、祖母(夫の母)に「雨が上がったよ!ほら、地面も濡れてない!」と、大きなジェスチャーで嬉しそうにしていました。
でも、いざ会場に着き花火が上がると、花火の音を恐がり「恐い、恐い」と抱っこをせがみました。祖母は、終始「情けない、恐くないって!自分で歩け、赤ちゃんだねー、もう連れて来ない、もう帰ろう!」のオンパレード。
夫と私には、恐いと言うよりも高揚した気持ちがそのような表現になってしまっていること、抱いて一緒に見ればいずれ楽しい気持ちに、と分かっていました。「もう帰りたい」となれば、帰ることなんて容易かった。
私と夫は抱っこして歩きましたが、祖母はそれを制します。そんな状況に、娘もいよいよ嫌になり「もう帰りたい」と言いました。
祖母は「そんな○○ちゃんはキライ」「バイバ~イ」と言いました。
私は、「そんなこと言わないでください」と自分の気持ちを言うことができませんでした。来た道を戻りながら「いいんです。私が抱っこしていたいんです」「○○は、恐いけど花火を楽しみにしてたんだよね。また来ようね」と、ずっと娘を離さず抱っこしているのが精一杯でした。自分が情けないです。
祖母は、花火を楽しみにした娘の子供らしい姿を見て「可愛い」と目を細めていたのに、ここまで「こうあるべき!」という考えに囚われてしまう…。本当に悲しい気持になりました。
RIEさんへ
私の60代の義母も孫が自分の思い通りに動かないとすぐこう言います。
そういう世代なんですかね。
嫁としては本人に直接言いにくいのもよくわかります。
祖母に何か言うのではなく、子どもに向かって「置いてかないから大丈夫だよー、わかってるから大丈夫だよー」とひたすらフォローすることで、
子どもを守ることと祖母に釘を刺すことを両立できるのでは、と期待します。
そんな察しがきく姑なら苦労しないかもしれませんが。
次男嫁さんへ
あれから、いろいろな思いを巡らせていました。
自分の考えをもっと上手に表現したいと思うようになりました。
もっと、笑顔でさりげなく、ただ自分はこうなんです…と。
きっとそれは、母にではなく娘に向けて言ってあげたい言葉。
「私が抱っこしてあげたいんだ~」
「○○は一生懸命なんですよ~」
「私はそれでいいと思ってしまうんです~」
「今は出来なくても、これから出来るようになるよー」
正直、母なんてどうでもいいです。
娘を笑ってフォローしてあげたい。
大人なんだから、親なんだから、もっと、自分の気持ちを言葉にしないとね!
次男嫁さんに励まされました。
ありがとうございました!
だいぶ昔の記事ですが、ふと思ったことがあるのでコメント致します。
中川さんのやり方は、犬にコマンドを刷り込ませる、服従訓練にそっくりです。
私も犬を飼っているのですが、初めはなかなかいうことを聞かない犬に対して神経質な位に訓練していました。
でも、コマンドを覚えても、それは覚えただけで、納得をしていないので今一つ信頼関係が築けていなかったように思います。
その後考えを変えて、犬が楽しい気持ちになれるような暮らしをするようにして、コマンドはやめ、子どもと会話をするように接するようにしました。散歩も犬のペースで歩き、犬が立ち止まっても待つようにしました。
そんなことをしているうちに、なんとなく犬も落ち着いてきて、犬との暮らしがすっかり楽になりました。
犬の世界ではまだまだ服従訓練が大事とされていますが、そうではないという考えも少しずつ広がりつつあります。
犬も人も、嫌なことをされて何かを覚えるという時代はもう終わっているのだと思います。
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子どもがガス栓ひねろうとしたら、子供がビクッとするように大声で「いけません!!!」と怒鳴るだろうなぁ。
だって、年少さんにはガス栓をひねるとガスが出て中毒死するなんて説明のしようがないじゃないですか。
先日カッターで子供にオモチャをつくってやっていた時、3歳の息子も2歳になったばかりの娘も興味津々のぞきにきて、そのときは「てて出したら、この紙みたいに切れてしまうから出したらいかんで」と言うと、二人とも少し下がってじっと見つめていましたが、それとは次元が違うような・・・
しつけについては、いますぐできなくても、本人がやりたいと思った時に教えてやればいいかなという気持ちになりつつあり、おとーちゃんさんの仰ることがわかってきたかな、と思っていたのですがパラダイムシフトはまだまだ私には来ないようです。