失われた感覚 vol.2 - 2016.07.30 Sat
「昔はよかった式」で考える人は、だから「昔のように三世代同居すればいいのだ」といいます。
こちらに詳しいですが、安倍内閣が出した『少子化対策(笑)』のひとつにまさにそんなことがありましたね。
こういった、「過去は自然と得られたものが現在は得られない」この状態がスタートラインなのですね。三世代同居が問題なくできる人で、それで解決する人ならばそれでもいいでしょう。
(でも、すでに祖父母の世代でもこの”感覚”は失われている人もすくなくありませんので、必ずしもそれがこの問題の解決策にはならないでしょう。)
しかし、そんな人は様々な理由から現代にはたいしていないはずです。だから問題になっているのですから。
水の流れは逆にはならないのです。時代を戻すようなことを考えても、それは本当に問題を見据えた施策ではありません。
「ないのだから、身につけるところから」これが現代の子育て支援のスタートラインです。
実のところ、「子供を可愛がるその仕方」、それ自体がわからない人も少なくないのです。
それが当たり前にできてしまう人にとってはなんの問題もないことだし、そういう人からはその人の問題が見えないことでしょう。
でも、現代は子育ての感覚が断絶してしまっているところから出発しているので、そんな基礎的なことの仕方がわからない、知らない、その必要性がわからない、その理解に飛躍がある、などなどいろいろな人がいます。
例えばこんな人がいました。
その人は子供が0歳の時から、子供に話しかけません。笑いかけもしません。
どうしてなのか聞くと、「赤ちゃんは言葉がわからないので、話したり笑ったりしても無駄かと思っていました」と言うのです。
その人にとってそれは本心でした。
そういうものだと思っていたのですね。
比較的多くの人は、「赤ちゃんであっても笑いかけたり話しかけたりしてあげることは大切なんだろう」ということを、自然にとか(実は自然じゃなくてそういう行動を見た経験がある)、子育ての本などでなんとなくでも身につけています。
その人もそういう文章を保健所がくれる冊子などで読んではいたのだけど、その人の感覚からはそれはスルーされていました。
この人自身、子供のことを大事にしていないわけではないので、他の人と同様に大切に思っているのですが、その人がその人の人生の中でそれまで身につけてきたものと、子育てで必要なものが噛み合っていない状態から子育てが始まっているのでした。
これは極端な例ですが、こういうことが程度の差こそあれ多くの人にある状態からいまの子育ては始まっています。
(ちなみにですが、こういった人がこのまま独力で子育てを続けていくとどうなるかというと。
ただ、赤ちゃんを可愛がったり、あやしたり、くすぐって笑顔を見ては楽しんだりする代わりに、自分の理解の及ぶことを代わりにその空いたスペースにいれていくケースがあります。
例えばその人は、子供を「可愛がる」という概念やその仕方は理解していませんが、子供には勉強が大事という知識は持っています。
その人自身、かわいがられるよりも、勉強を頑張らされる生育歴を持っていたりすればなおさらです。
すると、子育てでなにかする必要があるということは思うので、可愛がる代わりにそこに勉強を入れていきます。
それで結果的に超早期教育を始めたりします。
子育てはバランスなので、それでもさして問題なくいく場合もありますが、それだと子育てが難しくなるリスクははらんでいると言えるでしょう。)
さて、そういうわけですから、現代では家庭支援、子育て支援が重要になっています。
地域の結びつきが弱くなり、ご近所さんづきあいといったものが減っている時代でもあるので、この問題は自助努力では解決しない面があります。
つまり、なんらかの社会的サポートが必要になるわけですね。
それはいろいろな形があることでしょう。
育児支援センターなどの公的なものもあれば、NPOがそういったスペースを作ったりしているところもいまは増えていますね。
または、森のようちえんや共同保育的なところで、親も一緒に身につけるといったケースもでてきています。
そのように、各家庭内、地域のつながりではできなくなってしまっている状況なのだから、それを別の形で補っていけばいいわけですね。
また、それに本腰を入れなければ、子育ては送れなくなっている時代にすでにきていると言えるのです。
だから僕は思うのだけど、”子育てひろば”的なものが現代は重要なのです。
ふらっと行けて、そこで小うるさいこと言わずに、子供を遊ばせたり、子供同士での関わりを経験させたり、また子育ての悩みやグチを言えたり、ときには専門家のアドバイスが受けられたり……。
いま、ただ公園なんかに行っても、相手の親がどんな人かわからないから子供の行動などを過剰に配慮しなければならなかったりすることもありますよね。
そういった懸念なしに過ごせる場があったらいい、というかなければならなくなっているのだと思います。
しかし、こういうのって高い利用料をとれるものでもないし、またそうしたら意味がないし、でも、場所の確保など(とくに通年ともなれば)経費はそれなりに掛かってしまうので、公的な補助みたいなものがないと厳しいのですよね。
僕もそういう場を主催してみたいと思うのだけど、NPOでやっているところとかってどういう仕組みでなりたっているのでしょうね?
僕が知っている限りだと、人件費に関してはほぼボランティアみたいな状態のところが多いのですよね。
でもそれだと、どうしたって世の中に必要なだけの場所の確保ってできないのですよね。
今度機会があったらいろいろと調べてみようかと思います。
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● COMMENT ●
子どもプラザ
(以前、こちらのブログで相談させて頂きました。ありがとうございました。)
目黒区の児童館は乳幼児クラブ、区立保育園では子育て広場的な場所を提供しています。
が、福岡県の西南学院大学にある子どもプラザは特筆するほど素晴らしいと帰省して利用する度に思います。(すみません、リンクが貼れず。お時間あるときに検索してみてください。)
スタッフの方々は子育て経験者や保育士、幼稚園教諭の資格を持った方など様々で、ボランティアではなく、きちんと有給の仕事として携わっていらっしゃいます。その他に、大学の児童教育科の先生がいらっしゃる日もあれば、節分などの際には学生ボランティアが鬼をやってくれました。
スタッフの方々はママたちの話を聞いてくれたり、子どもたちの相手や、ケンカをほぐしてくれたり。その距離の取り方が絶妙で、そこに行くと、子どもになんとなく大らかに気持ちになれます。
そして、揃えてあるオモチャが素晴らしい。
ネフ社を筆頭に、保育士おとーちゃんが紹介されている良質の木のおもちゃの数々、暖かみのある手作りのおもちゃ。聞けば、開館当初のスタッフの皆さんがかなりこだわって揃えたものだそうです。
素敵な場所
私の息子が小さかった頃子どもに対して「あれしちゃだめ、こうすべき」だのと小うるさいママ友とは全く価値観が合わず強いストレスにさいなまれ続けました。またそんな時に夫の支えがあったかといえばほぼ皆無。夫に相談しなきゃよかったということばかり。
私はママ友とつるむことをせず気づいたら一人でいることを選んでいました。
なぜなら上記に書いたことプラス上下関係をつくろうとするママ友、自分の価値観を押し付けるママ友、境界線を乗り越えてずけずけと人の心に踏み込んでくるママ友、悪口などなど関わりたくないなぁと思う人がいっぱいでしたので。
そんなんでしたので森のようちえんのような、子どもを連れて親子で楽しみほっとできる場所があったらとどんなによかったかと思いましがなかなかみつからず息子も中学生になってしまいました(^^;
子育て真っ盛りの時には出会えなかったけれど近い将来森のようちえんのようなところで仕事ができたらなぁという思いがつよいです!
親子の居場所
自分が一人で子育てするのがつらすぎて、(この前のNHKのママたちが非常事態)で、一人で子育てできない本能的な感覚の意味がわかりました。森の幼稚園も自分で作りたいと思うほどいいですね。みんなで一緒に子育てしたい~そのほうが親も子も楽になる~と思います。
>ふらっと行けて、そこで小うるさいこと言わずに、子供を遊ばせたり、子供同士での関わりを経験させたり、また子育ての悩みやグチを言えたり、ときには専門家のアドバイスが受けられたり……。
まさにそういう場所が私の住む地方にはあります!
町営の子育て支援センターです。
他の地域の支援センターは、決まった短い時間や曜日にしか空いておらず、自由に遊ぶよりも行事に力を入れすぎていて、着いていけない親子には利用しづらい所が多いといいます。
しかし、我が町の支援センターは朝9時から夕方四時まで、ふらっと来れて自由に遊んでふらっと帰れるし、ベテラン保育士である職員さんの見守りのもと、のびのびと子供を遊ばせる事が出来ます。煩わしいママ同士の派閥もカーストもありません。
最低限のルールとして、
・利用者はお互いに挨拶をしあいましょう
・自分の子供は自分で見ましょう
この二つは絶対に守る様に強く言われます。他にもいくつかルールはありますが、そう難しいものではないですし、上記の二つを守るだけで、全く見ず知らずの人達が出入りする公園とは違い、非常に居心地の良い空間が維持されています。
私は今年5歳になる上の子が生後四ヶ月の頃から支援センターにお世話になり、とても助けられてきました。
ですが、その素晴らしい場所も今は幾つかの問題に直面し、存亡の危機が迫っている様な感があります。
まず、少子化と共働き世帯の激増によって、利用者数が激減しております。
しかも、利用する子供達の年齢層も、かつては0歳~就学前と幅が広かったのが、殆ど0歳しか来なくなってしまいました。
その為、幼児向けの遊びをするイベントが組めなくなりました。
また、新米ママさんが先輩ママさんに相談したり友達になったりする事が出来ません。
そして、全くの子育て初心者であるために幼児の生態を知らない利用者が多数派となりました。それが今や少数派となった一歳以上の子供達とその保護者への不寛容の原因となり、長年の常連利用者との軋轢を生む危惧があります(もっとも、多くの常連が遠慮して利用を辞めてしまっているので、目立ったトラブルにはまだ発展していない様です)。
そして、利用者の減少により、予算が削減されていっております。
町営なので、予算は現場を知らない役場職員が采配しています。なので、利用者が増える様なイベントを組む様にと圧力がかかります。
今の町の状況では0歳児の保護者にアピールするのが最適ですので、赤ちゃん向けのもので民間業者を利用すればかなり高額料金を取られる様なもの、例えばベビーマッサージや子育て講演会などばかりが予定に組まれてしまいます。
すると、歩ける子供達はイベントのせいでフロアを自由に利用出来なくなるので益々寄り付かなくなりますし、イベントの時だけタダという言葉に惹かれて沢山の一見さんや勉強目的のボランティア志望の一般人までもが殺到するので、対人トラブルの発生リスクが上がってしまいます。
でも、そうして「実績」を作らなければ、予算どころかセンター自体が潰されてしまいます。
支援センターは町営保育園の一室を借り、職員も公務員の保育士さんとパートの保育士さんが勤めています。
町は少子化なのに保育園の空きが常にギリギリなので、支援センターの場所と人員は、町としては取れるものなら取りたいものでしょう。
支援センターの職員がベテラン保育士ではあれども公務員であるというのも問題で、年度末に突然辞令で異動してしまいます。その為、現場を熟知している素晴らしいセンター長が突如いなくなって、代わりに事なかれ主義の規則を作り出すのが趣味みたいな人がやって来たりして、その一年だけで利用者がかなり離れてしまったという事もありました。
という訳で、今は危機的状況にある支援センターですが、それでもおとーちゃんさんの理想を具現化した様な運営で、おおむねまったりのんびり楽しい空間となっております。
しかし、子供達の年齢が違うママさんと交流する事が出来なくなり残念です。
ただ先輩ママだというだけでお局様の様に見えるのか敵対心を持たれたり、専業主婦で二歳児を見てるということから仕事を持っているママさん達から妬まれ嫌味をぶつけられる事も増えました。
一利用者として思うのは、場所としっかりした管理者と少しの絵本おもちゃ(当町の支援センターはそれらの多くを町からのお金と寄付でまかなっている様です。)があれば充分なのですが、利用者の子供達の年齢の幅というのがかなり重要で、赤ちゃんしか集まらないなど多様性の欠いた状況では、理想的な効果は得られないと思っています。
地域子育て支援拠点事業
ネットで検索すると制度の概要や実施状況が確認できます。
一応、対象はおおむね3歳未満の子とその保護者です。
つながりを作るのが主な目的ですし、その後は幼稚園等に行く子が多いからという理由なのかもしれません。
制度ができたことによって多くの場所で取り組まれるようになり、その反面「制度至上主義」とでもいうような、柔軟性を欠いた対応を生んでいるのかもしれませんね。
私の住んでいる地域では、市民センター内の一室が子育て支援センターという名のプレイルームとなっています。基本的に出入りは自由ですが、曜日・時間帯によって年齢制限があります。歩けない子と歩ける子で、事故を防ぐ観点からだと思います。そんなに広い部屋ではないので・・・また同年代の悩みを言い合ったり、保護者同士のつながりを作る目的でしょう。
開放はされていますが、常に職員の方が部屋にいるわけではありません。事務所に行けばいらっしゃるのかもしれませんが、行ったことはありません。職員の方に相談ごとをするような雰囲気はありません。
季節のイベント等も、その年齢別の時間帯にしてくださってました。
市町村ごとに取り組まれており、地域ごとの特色が出しやすいようになっていますが、その分質も大きく違うのだなぁと皆さんのコメントで感じました。
現代では必要ですよね。が、誰のために必要なのか、ということが理解される必要があると思います。私が勝手に感じていることですが、お母さん方は、「子どもにとって必要な場所」だと思っている気がします。子どもがのびのび遊べるしたくさんおもちゃもあるから…という「子どもの為」で来ている人が多いと思います(まあ、プラス自分がママ友とお話しする、というのが目的の人も多いと思うけど)。
それも間違ってはいないけど、たいていこういう場所にくるのは、(私の地域では)せいぜい2歳くらいまでの小さい子で、そのような小さい子は、まだ、このような場所でわざわざしょっちゅう遊ぶ必要はないんではないかと思います(3、4歳くらいからは子ども同士の遊びはある程度必要だと思います)。親の息抜きでたまに来る、親に付き合ってもらっている、くらいの感覚が必要なんじゃないかな~と。
少し前にもコメントさせていただきましたが、子どもは小さければ小さいほど日課(生活リズム的なもの)が重要であると思うので、おうちでの生活が一番大事だと思っています。(親が生活の中で教えられる大切なことってたくさんあると思うんです。外で遊ばせるにしても、2歳くらいまでならおうちの周辺で十分だと思います。自分の家の周辺をよく知ることで、ご近所さんとのつながりも生まれますし…。)そこを丁寧に過ごしたうえで、たまの親の息抜きに…支援センターを利用する、という感覚です。
でも、おとうちゃんさんが言われるような感覚、を失った人には難しいのでしょうが…。
ただ、私が住んでいるのは地方ですが、おとうちゃんさんの過去のエピソードであるような困った親は、あまり見かけない気がします。感覚、まだ少しは残っているのかな?「それで子供は大丈夫。きちんと育つ」感覚はある程度あるものの、でも、何かしてあげないといけないのかも…と不安を感じているのか?近所の公園ではなく、車で大きな遊具のある公園に連れて行ったり子育て支援センターにいったり(おかげで近所の公園には誰もいません…)。
それが悪いわけじゃないけど、3歳前の子が毎日親が決めたばらばらなスケジュールを組まれると、子どもの生活リズムや精神的な影響ってどうなんだろうと考えてしまいます(こちらは車移動がメインなので、車ばっかりの移動も小さい子には気にかかります)。
おとうちゃんさんが言われるような子育て広場、絶対必要だと思います。ただ、そこに行くと「子どもに良いんだ」って、その場をあまり必要としていない子どものお母さん方が思っちゃっている状況がなんだか気になっていたので、思わずコメントしてしまいました。(なんか偉そうなコメントになっていたらすみません。おとうちゃんさんはもう十分分かった上で、書いておられることと思っています。)
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と、ひょっとして同じ問題でしょうか。
(リンク先の記事を引っ張ってきて済みません。)
過干渉の記事を読むと「私は過干渉かもしれない」と、支配の記事を読むと「私は支配している」、放任の記事だと「放任かもしれんな」と、ブログを読むたびフラフラフラフラ気持ちが揺れて、「そんなこと言ってたら子育てできんやん!」となんだかよくわからなくなって投げやりな気持ちになってきていましたが、お二人の今回の記事を読んで、ようやく目が覚めてきた気がします。
「子供を可愛がるその仕方」?
わかります、わかります。ちゃんと子供との双方コミュニケーションを楽しめています。
ああよかった、おかしな子育てをしていなかった。
ああよかった、おとーちゃんさんの仰っていることがわかってよかった!!
ありがとうございます!!!
自分が間違った育児ばかりしてきたように思えていたのですが自信が持てました。