子供への関わり方のコツ 「不安は隠す」 - 2016.08.05 Fri
ただの菌が入ってなった結膜炎だったのだけど、万一、人に伝染るものでもいけないので一応受診してきたのです。
そこは、先生の対応が丁寧でお年寄りにもその人その人にわかるように説明してくれるので、年配の人にも人気があります。
そういうわけもあって、とても混んでいます。
朝一で行ったのに、終わったのは12時を過ぎていました。
そんな混んでいるところでしたので、待っているのはなかなか大変です。
1~2歳の子をベビーカーに乗せたお母さんが来ていました。
待合室に入ってすぐから、「ママー、ママー」と呼びかけています。
なれない場所で不安だったのでしょうね。
声のトーンが、不安さを表している様子でした。
まあ、病院で、なおかつ混雑した待合室、それを暑い中来たというわけですから、疲れたり不安になったり子供であれば当然なりますよね。
その不安さから「ママー」と呼びかける声が、だんだん大きくなり、神経質な響きを帯びてきていました。
それに対して、そのお母さんは「シーッ」と返しています。
人のいる場では子供がいると気も使いますし、現代の子育ては周りが寛容でなかったりするのもあって、ついつい親はこの「シーッ」を頑張ってしまいます。
でも、この場面でそれを考えてみると、それだと意思の疎通が噛み合っていないのですね。
子供は不安があって呼びかけている。つまりその呼びかけの思いは「安心させてほしい」と子供は言っているのですね。
それに対して、周囲の事情の説明や、どうして静かにして欲しいのかといったことを全部とっぱらったところで、静かにすることだけを「シーッ」という関わりで、要求していますね。
これは互いに噛み合っていないわけですから、どちらの思いもどうしたって平行線です。
このお母さんは、その子を乗せたままベビーカーをおけるスペースにポジショニングして、すぐお菓子のラムネを出して与えていました。
「子供はわからないだろう」というところから出発して、「ごまかし」による解決にすぐに行ってしまいました。
しかし、それで思い通りの姿になっていたのは、口に入れるまでのほんの一瞬でした。
これはもったいないことです。
これと同じようなことを、他の場面でも子供への関わりとして常用していくと、大人がみずから「わからない子」にしてしまう可能性を高めてしまいます。
このときどういう方向性で対応をしていけばよかったかというと、
まずは子供の気持ちを聞き取って(汲みとって)、それが「不安からきているのかな」と思えば、それを解消するように関わればよかったのですね。
できるだけ、あたたかくおだやかな調子で「うん、ちゃんと一緒にいるから大丈夫ですよ~」といった感じで、最初の「ママーママー」の時点で受けてあげるといいですね。
子供のとのやり取りでは、この「受ける」というプロセスがとても大事です。
(むかし書いた「オウム返し」についての話でも、そんなことがでていましたね)
子供への関わりでは、この受けるプロセスなしには、その次のことは入りにくいのです。
(実は、対大人でも、お年寄りに対してもそれは同様です)
もし、「ここでは静かにしてほしい」という思いがあるにしても、「受けてから」ならばそのメッセージは伝わりやすかったかもしれません。
しかし、いきなり「シーッ」ではまず伝わることはないでしょう。
さて、でもときには子供がどういう気持ちでいるのかよくわからないときもあります。
また、子供の気持ちを感じとるのが苦手・うまくできないという人もいます。
そんなとき、「どうしたの?」という言葉を使います。
なるべく、穏やかな調子で「どうしたの?」と問いかけるのです。
そこで、子供がうまく受け答えして伝えられるかどうかはあまり問題ではありません。
その「どうしたの?」を通して伝わる、「あなたの気持ちを受け止めますよ。あなたをちゃんと見守っていますよ。安心していいですよ」というメッセージが大切なわけです。
だから、言葉だけ「どうしたの?」を使ったからといって何かがうまくいくわけではないかもしれませんね。
その大人の思いのメッセージが大切なわけですから、そのときの調子にゆったり感や、安心感、「あなたの気持ちを聴きますよ。受け止めますよ」という姿勢をのせて伝えるわけですね。
このとき、現代の子育てする人がしばしば、はまりやすくそこから難しくしてしまう傾向が、このメッセージに「不安」をのせてしまうケースです。
「子供がなにを訴えているかわからないわ。こまったわ」
「うまく対応できずに、子供の困った行動が収まらなかったらどうしよう……」
そういう気持ちを常に子育てで持っている人だと、それによって子供は安定しにくいので、その人の子育ては余計「お手上げ感」が高まってしまいます。
そういうときは、大人の「不安」は隠してしまうのです。
それがたとえ虚勢でもいいから、「不安」のトーンはないかのように装って子供に接してしまったほうが、子供は安定しやすいのでその人の子供への関わりはだんだんうまい方へ向かっていきます。
しかし、子供への関わりに不安が隠せない人、「うんざり感」が慢性的になってしまっている人、余裕がなく神経質にまくし立ててしまう人などは、それゆえに一生懸命に頑張るのだけどなかなか思わしい方へ行ってくれないことがよくあります。
「〇〇にしなければならない!」と大人が強く思ってしまう前に、ワンクッションおいて「受ける」というプロセスをちょっと意識してみてください。
人によってはもしかすると子供への関わりをいい方に持っていけるポイントかもしれません。
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● COMMENT ●
タイムリーです
たしかに、外ではどうしても即効性のお菓子、などに走りがちです。
旦那にも、お菓子はやめて、といいたいのですが、なぜダメなのか、なぜ私はお菓子で騙すことが嫌なのか、を自分でうまく説明できず、いつもお父ちゃんさんの分かりやすい説明に納得しています。
私も理想は子供に向き合ってほしい、旦那は体面を気にしてすぐ静かにさせる技、に入るけど、それじゃあ根本解決にならないんだよ、ということだったのですが、それがまさに今回のお話ですね。
毎回毎回私が言いたくてもうまく言えないことをとても論理的に説明してくださってるので、こちらのサイトを旦那にも逐次見せていきたいと思いました。これからも宜しくお願いします。
だからなのか、小学3年生の子供から自分と同じ不安感が強く感じられますが、自分を変えない限り子供も変われないだろうなって思ってました。
「不安は隠す」
これはとても良いかもしれませんね!
自分の不安を無くさなきゃ、でもどうすればって悩んでました。
子供がすでに大きいのでどれだけ変われるか分かりませんが、毎日の態度をみなおして、実践してみます。
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こりゃ止めなさいと言っても、ここはレストランだから云々と言っても聞く耳持たんな、どうしたものかと黙って見ているうちにダンナが息子の足を押さえて音が立たないようにしました。
他人様に迷惑をかけない応急処置としてはこれが最善の策だと思うのですが、どのような方法がよかったのでしょうか。
「今日は楽しかったね~。カブトムシ手で捕まえられたな~。」などと言うとますますエスカレートするような気が・・・
夏でなければお弁当作って気を遣う所へは行かないようにするんですがね。