夏休み最後の日 - 2016.08.31 Wed
以前に、子供を「信じて待つ」、「失敗させる勇気」といったお話をいたしました。
なにごとにつけそうなのですが、夏休みの宿題も我が家ではそのようにとらえています。
僕も妻も、「宿題やりなさい」とはうるさく言わないようにしています。
それは今年だけではありません。
毎年の積み重ねです。
去年と一昨年は、けっこう大変でした。
「夏休みたのしい」とばかりに満喫して、息子もあまり前もって宿題を済ませていなかったために、8月最後の二、三日は計算ドリルなどの宿題に追われていました。子供の方がイライラしたり、涙ながらになんとか終えたり。
5年生の今年はようやくその教訓が生きてきたようです。
夏休みの前半わりとはりきって取り組んで、まあ中頃は「宿題なんだっけそれ」といった時期もありましたが、それでもぼちぼち自分で意識してやっていたようです。
後半もまあ多少ドリルなどたまってはいるようですが、そうそう無理なくできる範囲でラストスパートをして全部終えられたようです。
ただ、これはあくまで「積み重ね」として、そのような方向に持って行くことが可能になるというのが大切なのです。
これまでそういった関わり方をしていない子に対して、いまだけそのようにしたとしてもそれははかばかしくはいかないでしょう。
それこそ夏休みの宿題に限らず、小さい内からの生活のさまざまなところでも、失敗を恐れず、無理のない範囲で「できること」「できそうなこと」はやらせたり挑戦させたりの積み重ねがあります。
子育てはつながっているので、積み重ねがとても大事だと思うのです。
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信じて待つ
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子供を信じて待っていれば、“大人の理想とするカタチ”に沿って、(さらに言えば、大人の希望する時期に突然)子供はできるようになる、そんな風に捉えていたように思います。
多分そうじゃないんですよね。
大人から見れば、なんかちょっと違うように見えるかもしれないけど、でも子供なりに模索して、ちょっとずつ、子供なりの“できる”に近づいていくことなのかなと。
こんなこと書いてて思い出したのは、私の母も、娘である私のことをとても強く信じていた人だったなぁと思います。母の理想を実現してくれると。決して厳しすぎるお母さんではなく、むしろ子供に甘いくらいだったけれど、お母さんといると窮屈で居心地が悪くてたまりませんでした。
以前、おとーちゃんさんが紹介されていた「お母さんはしつけをしないで」という本を某ネットショップで検索した時、一緒にオススメとして出てきた本で、田中茂樹氏著「子どもを信じること」という本を読んだのですが、こう書いてあるのに、今更ながらショックを受けました。「子どもを信じるというのは、待っていればいつかは〇〇することができるようになるということを信じることではなく、たとえ何が出来ても出来なくても、この子は自分で幸せになる選択をしていける、何が出来ても出来なくても、この子は愛するに値する子だと信じることである。」
また、この方の本を読んで、黒柳徹子さんの「窓際のトットちゃん」を思い出しました。何度注意されても同じ失敗を繰り返してしまうトットちゃん。そんなトットちゃんに、毎日毎日「君は本当はいい子なんだよ」と言い続けてくれた校長先生。彼女の他のエッセイも合わせて読むと、彼女が如何に同じ失敗を繰り返してドジを踏んでしまうか、それなのに彼女がどんなに魅力的でかつ自己肯定感の高い女性かがよくわかって面白いです。
「子どもを信じて待つ」というのは、私が思っていたよりも遥かに、ゆるやかでおおらかで、でも本当はとてもシンプルなことのはずなのに、私にはまだまだ奥が深く、難しいことのように感じられるのです。