「受容」をしても子育てがうまくいかない人は読んでみて - 2016.09.10 Sat
この話は、この前の名古屋講演でお話しした内容のひとつになります。
僕が述べている「受容」「子供を満たす」ということを実践してみても、なかなか子育てが安定化していかないという人も少なくありません。
こういったケースの対応は個々に違うので、解決の方向性を伝えていくのが難しいことでもありました。
それはむしろ、子供の問題というよりも、親自身のおかれた状況や、性格、生育歴などなどのウエイトが大きいケースがあるからです。
ですので、直接お会いできてその人の人となりに触れて、「ああ、この人のネックになっているところはここだな」とわかれば、そのアドバイスができるのですが、こうやって文章にして広く一般化するような場合にはどう伝えていけばいいか難しいところでした。
このほどようやくそれを「このように伝えれば一般化して伝えられるのだな」というのを掴みましたので、ここでお伝えしたいと思います。
◆受容をしても空回りする人
子育てには「受容が必要」このことは、自信を持って言えることです。
しかし、人によっては「受容が大切なのだと理解し、それをしているつもり」でも、空回りする形になってしまう人がいます。
例えば、「受容」のつもりが、
・いいなり
・依存
・甘やかし
・モノで満たす
・「受容」と思う関わりをしても子供の姿の大変さがつのり、かえってストレスがたまる
そういった状況になってしまう人にとっては、「受容しましょう」ということが裏目にでてしまいます。
以下、その原因の解明と解決策です。
◆無意識に与えられてしまう「否定」
「受容」とは子供の側からすると、それは「肯定」です。
例えば、
「かわいいね。大好きだよ」と子供を抱きしめれば、その子はその人から「肯定」「受け入れられている」という実感をもらえて、その人への「信頼関係」をあつくしていきます。
しかし、「受容をしているつもり」「受容を頑張っている」人であっても、実際のところその子に「肯定」のメッセージになっていないことになる人がいます。
それは「無理をする人」「我慢をする人」「自己犠牲をする人」です。
まとめてしまうと、「頑張って子供に関わる人」です。
頑張ることの何が悪いの?と思われるかもしれませんが、あまりに子供への対応を頑張るタイプの人だとそこに「嘘」がうまれてしまうからなのです。
どういうことかといいますと。
例えば、腰が痛いとか、疲れていてつらいといったときにも、子供が「だっこしてー」と来たとします。
そこで、「受容が大事なのだ」と”頑張って”しまって無理を押して、抱っこしたとします。
それで子供は受容されたことになるでしょうか?
それは人にもよりますし、そのときにもよるでしょう。
このとき、大人がなんの無理もなく自然体で自分も楽しい気持ちになって笑顔で屈託なく「かわいいわ~」と抱きしめてあげられれば、その「受容」つまり「肯定」の程度はかなり高いものとなるでしょう。
しかし、そのとき大人が「腰が痛いのに無理をして」とか「疲れているのにうんざりしながら」、ようよう抱っこをしたところで、子供は「肯定」されるどころか逆に「否定」に感じ取ってしまいかねません。
子供は大人の気持ちのあり方に敏感なので、大人が無理をしていてもそれを感じ取るのですね。
こういった関わりが積み重ねられていってしまうと、大人の方は子供に一生懸命関わっているつもりなのだけど、子供の姿が安定していくところに到達しません。
子供は、自分が受け入れられていない(否定)と感じると、なんとか肯定してもらおうと、さらに大人に要求をぶつけていくことになるからです。そしてそのときの出し方は多くの場合大人からすると心地いいものではなくなってしまいます。
「否定された」という気持ちを受けた子は、必死になるので大人が「かわいらしいなぁ」などと余裕を持って関われる形では出さないからです。
すると、その人は受容するにしても、また「頑張って」うけなければなりません。
頑張ってうけたところで、ストレスは蓄積されていきます。
頑張って受ける余裕のないときは、つっぱねたり、イライラを出したり、無視になってしまいます。これもストレスを溜めます。
また、子供が「困ったこと」をすることで大人の気をひく形で受容を求めていたりすると、大人はその姿を押さえるために、叱ったり、怒ったりもしなければなりません。
これもストレスを溜めます。
ストレスが溜まれば、余計に子供に余裕を持ってあたたかく関わることができにくくなります。
かくしてその子育ては悪循環におちいります。
◆子育ての基礎の基礎
ここまでのことは、これまでにもすでに何度も僕は述べています。
ここからが今日のポイントです。
そのようになってしまう人の場合、「その関わり方を気をつけましょうね」といった指摘やアドバイスをしたところで、あまり解決につながりません。僕はこれを多くの事例で経験しました。
例えば、「いいなり」になってしまう人は、行動を気をつければ改善するというわけではなく、その人自身に子供にそのように関わってしまう理由を持っていることが多いのです。なので、その人自身が気をつけたとしてもなかなか根本的には変わりません。
僕は「受容が子育ての基礎」だと思っています。
しかし、それ以前の段階があることに気がつきました。
それが「子育ての基礎の基礎」です。
子育ての基礎である「受容」は、子供が大人の関わりから受け取る「肯定」です。
しかし、子供はそのもっと基礎にあるところからも「肯定」をもらっているのでした。
それは、一緒に過ごす大人が「くつろいだ状態で過ごしていること」です。
前述の、「子育て頑張っているのだけどうまくいかない」という人たちは、
「次はこの子はどんな要求をふっかけてくるだろうか。私はその要望にちゃんと応えてあげられるだろうか・・・・・・」と不安感を持っていたり。
「この子はなんで私を困らせることばかりするのかしら」とイライラをかもしだしていたり。
子供に振り回されるあまり、育児に疲れ切ってしまって笑顔もでない状態になっていたり。
もともと笑うことが苦手だったり、自身の生育歴の中で家庭の中で”くつろぐこと”が許されない育ちを送ってきた人だったり。
などの傾向を持っていることがあります。
しかし、現在の子育てする人たちの多くが(特に女性は)、「私の責任でこの子の正しい姿を作り出さねばならない」という意識をもっています。
つまり、「子供に○○をすること」という形で子育てを理解していますので、子供への対応ばかりに目がいってしまいます。
しかし、これらケースの問題解決の第一歩、いとぐちになるのは、「子供にうまい受容をする」とか、「子供にうまい言い聞かせ方をする」、「子供にうまいしかり方をする」ではないのです。
どんなにそこを頑張ったところで、なかなかはかばかしい成果を得られません。
第一にするべきなのは、「大人である自分自身がくつろぐこと」なのです。
これによって子供は何が得られるのでしょうか?
それは「基礎的な肯定」です。
一緒に過ごす大人特に信頼する大人が、イライラしていれば、それがよしんば自分に向けられたものではなかったとしてすら、子供は不安になります。
これは大人でも同じですよね。
一緒にいる人が不機嫌だったり、怒っていたり、イライラしていればその場で過ごす自分もいたたまれない気持ちになりますよね。
逆に、その人がにこにこしていたり、機嫌の良さがかもしだされていたりすると、こちらも安心してくつろぐことができます。
現在は、子育てがとても関わる人の少ない閉鎖された状況で行われやすくなっています。
その中で養育者が、慢性的に不機嫌でいたりすれば、その影響は子供にダイレクトに現れます。
じゃあその解決方法はといえば、その逆を行けばいいのです。
その人の取り組むべき第一歩は、その人自身が「くつろいでいること」なのです。
このことのウエイトがとても大きいのです。
子育てを頑張ってしまう人、子供に関わるのが不得意な人、そもそも人と関わることが不得意な人、感情を表すのが不得意な人、子育てに一生懸命過ぎてしまう人、などなど。
「子供を○○にするために、私が頑張らなければ」といった思いを強く持つ人ほど、その気持ちゆえに、結果的には過保護・過干渉などをして子供の「依存」を作り出してしまったりします。
その人がまず目指すべきところは、「子供になにかをすること」ではないのです。
自分自身が「くつろぐこと」なのです。
これが「子育ての基礎の基礎」となるのです。
核家族化→共働き化
と社会の流れが進む中で、それまでは自然となされていた、子育てする人が「くつろぐこと」がいつの間にか誰も気がつかないまま、失われてしまいました。
その代わりに、「あなたが○○することで、子供の姿を正しいものにしなさい」という意識が、そこに入り込んでしまっています。
できる範囲からでいいです。
・テレビでも見て笑っているとか
・趣味のことをしてリラックスする
・夫婦で笑いながらなにか話をしている
そんな時間を意識的に作ってみてください。
簡単にできるのは、歌を歌うことです。
鼻歌だっていいです。
食事の準備をしながら、洗濯物をたたみながら歌ってみてください。
歌を歌うということは、リラックスしているということが子供には伝わります。
この基礎の基礎の部分が安定してくることで、ある程度までは子供の難しいと思っていた姿になんらかの変化が出てくるはずです。
子育ては下の積み木から整えていくとラクになるのです。
(この記事は、相談のカテゴリーに入れておきます)
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● COMMENT ●
本当に育児って、肌触り、ぬくもり、かわいい声や笑顔を丁寧に感じ取っていればそれだけでいいんだなと。
自己肯定感が低い私は、あまり考えてはいけない。考えれば考えるほど、不安や恐れが入ってきて、おとーちゃん式育児から離れていく。
そんな思考は、右へならえの、子供に考える余地も与えない画一化(そしてその先にあるもの)の格好のカモになる。子供が全面肯定されて育つことは、それらにとってとても都合が悪いことなんだと解釈すれば、
あれもこれも出来るようにしようなんて、むしろ馬鹿馬鹿しくてやってられなくなりました。
話が飛躍しちゃいましたが、おとーちゃんさんこれからも頑張ってください!
うちの子、かなりクッキーの缶でかいなーーって思い続けて6年子供を見てますけど、まあ生まれつき缶が大きいのもあるかもだけど、私が頑張って遊びに付き合う事がクッキーを入れる事になってなくて「もっともっと」を引き起こしてて、でもそれで自分はエネルギー消耗してるから「まだ足りねえのかようるせええええ」ってなってしまうし、もう「核家族で子供を見る事」という我が家の基本的な設定、これが無理ゲーを引き起こしているんだと実感しています。
今はもう自分は遊び相手ほとんどしてない。近所の子らを召喚してリビングを児童館状態にして遊ばせて、私は他の事してる。
子が2才くらいの頃に、あんまりにも一人遊びをしない我が子に疲れ果てて、「一人遊び出来ない 子供」かなんかで検索して、おとーちゃんのブログを発見した事、思い出しました。
子の特性と親の性格と環境のフルコンボなんだから、シュッと解決は無理だったのだと今は解る…
2歳後半の息子が、噛みつくやら叩くやらつねるやらで途方にくれていたのですが、リンク先の記事を見て、家でリラックスが全然出来ていないことに気付きました。
朝早起きさせなきゃ、外遊びさせなきゃ、遊び込めるようにしなきゃ、片付けさせなきゃ、何時までに寝かせなきゃ、とすべてが育児書にがんじがらめで時間に終われる毎日。気がつけば図書館で借りる本は絵本と育児書ばかり。
リラックス出来るのは子供が寝ている時間。あれ?子供にリラックスしている姿を見せてない!
子供の前でリラックスしてみようと敢えて昼からテレビをつけて子供とソファでゴロゴロしました。多分、当たり前のことなのです。それに気づかなかったんですね。素敵な記事をありがとうございます。
子育ては自分を赦す行為
なんだか一行読む度に面白くて大興奮してしまい、何度も手を止めながら読みました。
何故かというと、私自身ある思い癖に縛られながら子育てしていることに気づかされたからです。
それは「何があっても息子は私のように悲しい思春期を過ごさせたくない」という一念です。
私は学生時代に同級生から徹底的に心を殺される経験をしています。
誰へも攻撃はしてませんでしたが自分にも非があった事は今となっては冷静に振り返れますが、血祭りに遭ってしまったという思いは捨てられません。
それは幼い時からの劣等感と強く結びついています。
そして、自分の中で大変けしからん物でした。
そんなダメな自分をどうしても許せなくて封印することや目を背ける事に力を注いできていました。
傷ついた時から倍以上の人生を経てようやく冷静に思い出すことができて、自己分析もできるようになりましたが今でも人一倍「馬鹿にされる、弱くみられる」と言う事にとても過敏です。
そういう相手に遭うと「私にだからこんなことをするのではないか」とその感情にとらわれます。
これもじぶんでやっと認められるようになりました。
何故かとういうとこのブログを見ていて過去の記事を見ていて『親の成育歴』という文章を度々目にして、こんな私でも息子というものと出逢えたのだし息子はとてもかわいいし、息子の為になるのなら弱くてダサくて嫌いだった自分を赦してみようという気持ちになったからです。
そこから少なくとも自分のこれまでの現実を認めることはできました。
話はとてもずれますが、昔は被虐待児の映画や小説を見たりすると、出てくる『君は生きていてもいいんだよ』とか『君は悪くない』のフレーズで被虐待児だった人がどうして崩れ落ちるように涙したりする場面の真意がわかりませんでした。当たり前なのに何故、と。今ではわかる気がします。
自分への罪悪感と自分を赦せない思いでいっぱいだったのだろうって。
結果的に何も悪くなくてもそのような経験をしてしまった自分を赦せなくなってしまうからだろうって。違うかな…。
話は自分の子育てに戻りまして、まずは自分のこれまでを認めたまではよかったのですが息子が幼稚園で社会生活を送るようになって次に芽生えた感情が
「息子を私のような生い立ちにしたくない」
劣等感と心を殺されるような経験をさせたくない、という感情でした。
普段の私たち家族の生活はとても穏やかです、私も夫も息子もとても穏やかな気性です。
しかし、周期的に私にこのような感情が芽生えると私の心は不安でいっぱいになります。
息子が馬鹿にされたら嫌だからという理由で運動会の前に「かけっこスクール」に駆け込むかんじです。
先生の記事を心から楽しんで、いろいろ実践したりして子供もかわいいし、かわいく育っているのにこの不安感は何だろうと思っていたのです。
そうしたら答えがこの記事ででたなあ、と。
過去に心を殺されて人から馬鹿にされた自分が赦せなかったんでしょうね。
まずはここからだと思いました。
すぐには治らなくても私が自分を赦していければ子供もきっと自己を否定しないはずと信じたいと思います。
私も過去に馬鹿にされたことを赦してあげて精一杯今を楽しもうと思います。
すみません、長くなりましたがこの駄文でも一感想として
何かのお役に立てれば幸いです。
あと、お気づきかと思いますがアンチ?とされるメールをされている方も
なにか私のように「自分が赦せない」(決定的な悪事をしたわけではない)方もいらっしゃると思います。
先生の記事はそのような思い癖の暗い部分に光を指していると思います。
感謝の気持ちとともに今後も楽しみにしています。
ぜひ、楽しんで記事を書いてくださいね。
お身体無理せずに。
なんだかっても腑に落ちます。
私はおしゃべりも好きですが、一人の時間もとても大切です。
なので、可愛い子供でさえ、やはりずっと一緒にいること、自分以外の存在が気になってしんどい時があります。
もう無意識の範囲なんですが。
何も考えず、ただ一人でいたいだけなんですが。
でも、子供の事は可愛いし、考えてしまうんですよね…。
先にコメントされてた方と一緒で、図書館で借りるのは絵本と育児書。
たまに親や主人に子供を預けて見てもらっていても、何か落ち着かない。
子供と一緒にいるその時にくつろぎたいです。
だから、頑張って受容して可愛い子にしたい!って思ってしまってるんだと思います。
疲れがたまると、子供にぶつけてしまい、自己嫌悪、反省して落ち込んで、また受容受容…。
いいなりにはなっていませんが、疎外を使って言い聞かせてしまい、待つ、信じる余裕がなくなります。
どうしたらいいんでしょう。
どなたかアドバイスが頂きたいです。
でもおとーちゃんさんの本やブログを読んでちょっとずつ自分に変化が出てきました。テレビみたらダメかな~と思って控えてたのですが、見たいときは子どもと遊んだあとに一緒に見るようにしたとこでした。それで自分はちょっとはくつろげるようになってきたとこなので。
最近出掛けるとだっこが増えて腰が痛いので、痛いときは断ってたのです。それでもしたあげた方がいいのか悩んでいたのでこの記事を読んでホッとしました。
とっても納得しました!
子供の時を思い出せば、家で親がくつろいで笑っていれば、自分も安心しました。
学校や会社でさえ、身近な人がイライラしてたら、何か怒ってるのかな?と落ち着かないですものね。
おとーちゃんさんがFacebookであげていた、「ずっとひどいいじめにあっていたけれど、両親がとても仲良く楽しそうだったので、自殺はしなかった」という話を思い出しました。
くつろぐって、自分を受容出来ているってことですよね。
子供を満たす前に、まず自分を認める!ですね。
自分の子育てでも実感があります。
私の余裕がない時は、子供が少しぐずる→すぐにイライラし怒ったりする→子供が余計ぐずる→さらに私の余裕がなくなる、の負のスパイラルです。
自分に余裕があるとイライラもせず落ち着いて対応できて、結果としてぐずりもすぐ収まることが多いです。
なので、余裕がなくても落ち着いて対応しようと心がけていますが、難しいですね。子供2人といると(特に外出時やお風呂の時など)、常にものすごく気を張っている感じです。どちらかがぐずったりすると一気にてんぱりMAXです。楽しく過ごしたり、普通にしているつもりでも、子供が寝た後などは気が抜けてどっと疲れが出ます。
子供2人といてもくつろいで楽しめるようになりたいですが。。そのうちなるのかなぁ。
でも、1人目が赤ちゃんの時も、外出から帰るとどっと疲れが出ていたなあ。。
私がひとりっこで基本のんびりした性格なので、上の男の子は活発で目が離せない感じだし、ずっと気を遣っていなければいけないのに疲れるのかもしれません。
1人の時間が持てるとほっとしますが、他の方が書いているように、結局子供のことが気になり、見るのは育児本やおとーちゃんさんのブログです(笑)
でも、こういった一人時間が持ててこそ、可愛いながらも気を張って疲れる子供との時間が過ごせるんだと思います。
話は違いますが、私が参考にしている子育ての人は、佐々木正美先生や親野智可等さん、東ちひろさんなど、みんな保育士おとーちゃんさんと同じような方向性のことを言っているなぁとうれしくなります^^
これからも発信を楽しみにしております♪
なんとなく感じていました、私が体調を崩して公園にも行かずスーパーくらいしか外に出ないような日の方が、子供が落ち着いている。
良い子にしてくれるのは、私の具合を慮ってか?なんてかいかぶるように感じていましが。なるほど、私が無理しないで自分のペースで暮らしている日なのだと。
要は日頃はイライラして子供に接しているということなんですよね。そのことを教えていただきました。
母からは指摘されていました。「あなたは無理して寛大に子供に接しているのが見える」と。その言葉は素直に聞き入れられませんでした。自分は努力している、四六時中手間のかかる手強い個性を持って産まれてきた子供といれば、あなただって同じように参ってしまうわよ!と突っぱねていました。
おとーちゃんのご説明は心から納得できました。とても分かりやすく説明していただいて有り難いです。
昔から子供は親以上にはならない、なんて意味のことを言いますが、本当にそういうことなのだなぁって思いました。
早寝早起きやら、健康的な食生活やら、家の掃除やら、、元々親が普通に出来ているならばきっと苦労なく子供にも伝えられる。背中を見せて育てるということですね。そもそも自分が頑張らなくては出来ないことを、子供が産まれたからといってさぁ子供に教えよう!なんて頑張ってみても無理があるということだと感じました。
世間で良しとされる育児方法はきっと本当に理想的なのでしょうが、誰にでもすぐに参考に出来るわけではないのだなと感じました。それなのに、良いと言われることを全部子供にしてあげたくて無理をしてたのです私は。まずば自分を知って、無理のない範囲で子供と一緒に成長できるようにしたいです。子供って色々なことを考えさせてくれます。感謝しなくてはいけない。そしておとーちゃんさんにも感謝しています!これからも色々と教えて下さいね!
みかさんへ
みかさんは、頑張ってお子さんを受容しているのですね。
ちょっとがんばる方向を変えてみてはどうでしょうか?
お子さんに対して、言いたいこと、したいことをちょっと我慢してみる。
最初は、見守っていることが苦痛に感じるかもしれません。
そんなときは、自分の気持ちをそのまま、文章にしてみてください。
お子さんが、自分の思った通りの行動することもあれば、予想外の行動をすることもあります。
予想外の行動が、いい方向であれば、子どもに任せてみようと思ってきます。
任せられると、余裕を持って信じて待つことができ、一緒にいてもくつろげると思います。
大変だと思いますが、子育てがんばって待ってみてください。
みかさんへ
うちの子供達は母子一体の時期は終わり、自分は母とは別の人である事に気がついてしまった?ので、その分、生活全般において手も口も出せないし、学校や遊びで家を空けていることも多いので、いろんな事が勝手に運んでいき、いつも後始末は私、みたいな結末でカチンとくることも多いです
学校から電話が来たり、放課後は友達と悪さしてあわや大事故!母の想定外です
でも、それこそ子供達が幼かった頃は、子供の事が全て見えて安心できる反面、身も心も子供に占領されていて、上手く身動きが取れない
子供の前で母の全てが暴露される
感情垂れ流し〜な時も有りました
先日ふと、子供の自立(子供からの解放)まであと何年?と考えたら
さて、ここらでシフトチェンジしとかないとマズイな〜と思って、子供が巣立った後の準備をしよう!と企てている自分を発見したのです
ちゃっかりしてるな〜と笑ってしまいました
みかさん、今は、母子一体、1番大変な時なのではないかと思います
そのうち、少しづつ余裕が持てている自分を実感出来ると思いますよ
先日、長男が、お母さんの対処法ってタイトルの4コマ漫画を書いていました
私の事、そんな風に見てたんだぁ〜
私が恐れている以上の事が書かれていて撃沈しました
ここまで来ちゃうと開き直りです
わざわざ見せてくるのですよ
これが奴のやり方だな〜って思わず笑ってしまいました
みかさん、もう直ぐやってくる、心と時間の空白を楽しみに、お互い、取り繕いのない自分を見せていきましょうね
お母さんてこういう人だから、こうやって付き合って行こう、って子供側からも作戦立ててもらう位でも良いのではないかな…と思ってます
程度問題ですけどね
みかさん、見当違いだったらごめんなさいm(__)m
長々と書いてしまいました
おとーちゃんさん、いつもありがとうございます
泣けました
今回の記事は、本当にそうだなと思い、泣けて泣けてしょうがありませんでした。
私が子供を連れて年に2回ぐらい、主人の実家に遊びに行くと、いつもいっぱいいっぱいで追い詰められている様子の私を見て、主人の年の離れたお姉さんが、言ってくれるのです
「子供はね、とにかく抱きしめて、ヨシヨシってして可愛がっていれば大丈夫よ。あとは、時が来たらそーっとおろしてあげれば、ちゃんと自分で生きていけるから」
「子供だけじゃなくて、大人もそうなのよ?大丈夫?ダメでも怒りっぽくても反省なんてしなくていいのよ、そんな自分をヨシヨシって抱きしめてあげ続ければ、時がきてそーっとおろしたときに、ちゃんとしあわせに生きていけるの」
その時の私は、そのお姉さんの言葉が、子供をうまく抱きしめてあげらない私への責めの言葉に聞こえて、こわばった顔で「そうなんですね〜」と曖昧に返事するしかできませんでしたが…
おとーちゃんさんの文章を読んで、急にその言葉を思い出し、泣けて泣けて仕様がありませんでした。
おとーちゃんさんの文章がなにかの蓋をあけ、主人のお姉さんの言葉が時を超えて、私の細胞の1つ1つに染み入っていくような感覚になりました
まずは、自分から抱きしめてあげよう。
話はそこからだ…と心底思いました
ありがとうございます
同じ事を思っていました
私はなんとなく感じていただけですが、私(母)が心身ともに健康だったら家族の心身の健康もついてくる!と考えています。
そう思ったきっかけは…なんだろう??感じただけなのかもしれません。
だから私は自分の健康に一番気を使っています。
同時に上の子がお迎えの時に荒れるのは保育所で頑張りまくったからなのだとはっきりわかりました。
私も周りの人にももっと発信していきます!
いつもありがとうございます(*^.^*)
ありがとうございます
今回の記事は私の悩みが集約された記事でした。
本当に心の重石が取れた様に、目から鱗という言葉では足りず衝撃を受けました。
私自身は可愛がられた記憶が多いのですが、年の離れた兄と姉はいつも不機嫌な父と自信のない母に育てられ自己肯定感が低く、兄に関してはうまく社会生活を送れないほどになってしまい、そんな兄を見て、親の様な子育てをしてはいけない、私が頑張らないといけない、と子供の前では自分が自分らしくいられませんでした。その反動でストレスがたまり、定期的に爆発してしまって些細なことで自分でもびっくりしてしまうくらい子供を怒ってしまいます。
悪循環だったのですね。
ありのままの自分を認めてあげよう、癒してあげようと心から思いました。
何事も嘘はいけませんね。子育ては小手先のテクニックではどうにもできないと実感しました。
本当に今回の記事には救われました。ありがとうございました。これからも応援しています。
長文失礼します。
最近このブログに出会い、読ませて頂いています。
初めから読み進めていくうちに、私自身の成育歴について当てはまることが多く……
娘の育児のために読み始めた筈が、いつの間にか自分自身を見つめる機会となりました。
私は、幼児期から祖母に教育されて育ちました。
祖母は元小学校教諭で、退職と同時に書道教室を始めたので、根っからの「教育者」でした。
当時の私は、3歳で自分の名前を平仮名で書くことができ、来客があると玄関まで出て三つ指をついて挨拶する子供だったそうです。小学校入学前には、自分の名前を漢字で書き、校歌も歌えました。
それを厳しく(或は叩かれて)教えこまれた記憶がないので、幼児期の私はそれなりに楽しく学んだのかもしれません。
小学校に入学してからは、十字架に磔にされ口から血を流している女の子の絵を描いたり、友人に通信表を付けて評価する支配的な遊びをしたり、自分で自分の髪の毛を抜いて前髪にはげを作ったりする子供でした。
その頃になってやっとSOSを発することができるようになったのかも知れません。
他人と比べられ続け、一番であることを要求され続け、「できる子、いい子」としてアクセサリーのように祖母に扱われる日々に、限界を感じていたのでしょう。
そのような状態の私に対して、母が何か対処してくれた記憶はなかったのですが、おとーちゃん様のブログに出会ってから、母はどんな私のことも肯定し、ゆったりとした気持ちで受け入れ続けてくれていたのだと気付きました。
意図してそのようにしていたのか、母の天性の才能なのかは分かりません。
今では、私が子育てについて相談しても、気が抜けるような返答しかしてこない母ですが、いい意味で肩の力が抜けると言うか、気持ちにゆとりを与えてくれます。(実際、私自身が「大丈夫」と言って欲しくて相談している節もあります)
実は、このブログに出会うずっと前から、娘をくすぐっていました。
初めは、娘の笑い声が聴きたくて始めたことでしたが、今ではくすぐろうと手を構えて見せるだけで、ケラケラと笑いながら逃げていく遊びのひとつになっています。
一方で、祖母は私の娘に対しても教育する気満々です。0歳の娘のために、小学校全学年分の筆順の教材を既に用意しています。利き手等についても拘りがあり、週に一度は電話してきて、娘の様子を知りたがります。
私のような子供にはなってほしくない、と漠然とした不安はありますが……幸か不幸か住まいがかなり離れているので、気持ちは受け取っておいて、娘に任せようと思っています。
これからも、おとーちゃん様のブログにヒントを頂きながら、のんびりゆったり、娘に向き合っていきます。
お忙しいでしょうが、ご自愛ください。
応援しています。
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娘と二人きりの時は、大きなぬいぐるみをまくらにして二人でゴロゴロしたりリラックスできるのですが、息子がいるときにそんなことしようものなら「母ちゃ~ん!」とダイブされたり、ぬいぐるみに乗ってドシンドシンとやられたりで、とても横になってはいられないと思います。
去年の冬はぼんやりしている時に後ろから不意の一撃を食らい、1週間ほど立てなくなりました。公園でお会いするお母さんにその話をすると、飛びつかれて肋骨を折ったお母さんもいらっしゃるとか。
「こちょこちょ~」とくすぐると、大暴れした息子の石頭が私の頬骨にゴツン!
動いてない時は禅問答が始まり、「ねこのおうちに鼠返しがついとったら、ねこどう言う?」「ねずみをライオンが食べたらねこどう言う?」と、難題を次々とふっかけてきます。
男の子はみんなこんな感じで、解決策などないと思うのですが、慣れですかね。
唯一読書タイムは、じっといてくれるので、読み聞かせがいちばんリラックスできる時間です。
歌もいいですね。うちは一人が歌いだすと親子三人の大合唱になるのですが、体でリズムを取りながら力いっぱい歌う子供たちを見ているとかわいいなぁと思います。