「受容」をしても子育てがうまくいかない人は読んでみて vol.2 - 2016.09.12 Mon
「子供のことを大事にしたい」、「大事にしなければ」と考えています。
しかし、現代の子育てではその気持ちゆえに、子育ての難しさが生まれてしまっています。
例えば、子供への関わりの出発点が「負い目」である人が少なくありません。
「本来このようにしていかなければいけないのだけど、私はそれができていない・・・・・・」こういう気持ちがあって、そこから子育てをスタートするのでネガティブな気持ちが知らず知らず入ってしまいます。
いろんな理由はあるでしょうけれども、世代間のギャップがその原因のひとつとなっているのではないでしょうか。
自分自身の育ってきたとき、まだ自分の母親は専業主婦であったとか、仕事はしていても比較的時間に余裕がある状況だった人は少なくないと思います。
そこと現代の母親自身が忙しい状況と比べたら、自分がされたような子育てを我が子にできなくともそれは当然と言えば当然なのです。
(たとえ親の持つ余裕は同じであっても、”与えなければならないと考えられるもの”、”しなければならないこと”が増えていることも言えます)
しかし、人はそこを比べてしまいますから、自分がされたことを我が子にできていないと思うと、ついつい「負い目」が先に立ってしまいます。
そのような気持ちなどがあって、子供を大事にしていることを「努力」や「自己犠牲」で証明しようとしてしまいます。
それをすると、子育ての迷走が始まりやすいです。
僕は、著書のサインを求められたときの添える言葉のひとつに、「子供はいつでも親の一番の味方」という言葉を書くことがあります。
子供は、表面的には「○○ちゃんちは~~でいいな」といった言葉を口にすることはあったとしても、本質的には常に親の味方です。
じゃあ、「○○ちゃんの家の子になりますか?」という選択があったときに、それに「はい、そうします」と決める子はいません。
よしんばどんなに欠点があったとしてすら、その親のことを常に肯定したい、味方でありたいと子供は強く思っているのです。
だから、親が子供に対して「負い目」を持つ必要などないのです。
たとえ自分の家が貧しかろうとも、親が時間的に余裕がなかろうとも、それもひっくるめてその子の家庭であることをその子供は理解します。(親子間に情緒的なつながりが形成されていない場合は、その限りでないこともある)
でも、親が負い目を持ってしまえば、子供はその状況が受け入れづらくなります。
結果的に、依存を生んだりしてしまいます。するとその子育ては大変になります。
「負い目」を持つということは、言い換えれば「親が自分自身を肯定できていない」ということです。
人には欠点あるものだし、家庭には問題を抱えることだってあります。
それは当然のことなのですね。
それでも子供は、それらもひっくるめて親のこと、自分の家庭のことを常に「肯定しよう」という気持ちを強く持っています。
親がみずからその状況を否定してしまうのは、子供のその思いに冷や水をかけることになってしまいます。
子供は「お客様」ではなく、家族という共同体の一員なのですね。
どんな親であったとしても、子供は常にその親を肯定しようと思っていますから、そこをもっと信じてあげていいと思います。
「おっかなびっくりやる”正解の子育て”」よりも「堂々とやった”下手な子育て”」の方が得るものが大きいのではないかなと思うのです。
それがどうしても必要な場面はでてくるにしても、「自己犠牲」をすることで”子供を大事にしていることを証明”しようとしなくていいと思います。
日本の子育てでいちじるしく足りないのは、「言葉を使うこと」です。
「自己犠牲」で子供への思いを証明しようと頑張る前に、もっと言葉を使うべきです。
「私はあなたのことを大切に思っているよ」
「いつでも心配しているのだよ」
「大好きだよ」
ちょっとしたことだけど、この積み重ねがあってそれが子供の中で”揺らぎない自信”として核になるまで大きくなれば、それは将来にわたっての「生きる力」になることは確実です。
それは、親が自己犠牲をすることで関わったり、将来への布石として「できること」の獲得や早期教育などに躍起になったりすることよりもずっと大きなことだと僕は思うのです。
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● COMMENT ●
まずはお母さんを認めてほしい
おとうちゃん先生のように子育てをしたいと思いつつ、なかなか上手くいかなくて、それがストレスになって、ストレスになるくらいなら、気にしない方が良いのかなって思いつつ、でも、やっぱりこんな風に子育てしたい!と思ってやっぱり上手くいかず・・・を繰り返しています(汗)
一時期は気にすればするほど、逆に支配的な関わりになってしまって(やって欲しくないことはキチンと伝えるとか、弱い大人の姿にならないようにと思っていたからだと思います)
今は受容しなきゃって思って、もしかしたら弱い大人の姿になってるかもなと思います。
でも、なかなか思っているようにならずに、ストレス溜め込んで、たまに爆発しちゃいます。
そんなこんなでダメな母親で、これで良いのか分からず闇雲に子育てしている状況です。
だからこそ強く思うのは、まず母親である自分を肯定してほしいってことです。
頑張ってることとか、悩みながら子育てしていることを誰かに「上手くいかなくても、それで良いよ」って言ってほしい。
そしたら、おんなじように子供にしてあげられるかもって、今回の記事を読んで思いました。
というか、子どももおんなじ気持ちなのかな?
書いてて気づいたかも(笑)
とりとめのない文章ですいません。
でも、ちょっと自分を元気付けたくて。
そしてきっとおんなじように受容されたいお母さんはいっぱいいるハズなので。
おとーちゃんさんはお子さんに
「言葉を使う」。こちらの記事を読んで、わたしもやってみようと思ったのですが、なかなか恥ずかしくてうまくできませんでした…もともと2才の次女には「かわいいね~大好き!」と言えるのですが、4才の長女にはなんだか唐突すぎる感じがして…
そこで、実際おとーちゃんさんはお子さんたちに、どのような時どのように言葉をかけられているかお聞きしたいです。
ちょっと前の自分
本当に次男が産まれてから急に長男との関係がうまく行かなくなって。つい先週くらいにはおとーちゃんにメール相談しようかとも思ったほどでした。
まさに子供の親への温かい気持ちを無下にしていたんです。
「おとーさんはおばあちゃんから産まれたなんてズルい!」
そんな言葉を聞いて、真に受けて、傷ついて「じゃあお母さんはあなたのお母さん辞めます!」なんて言ってました( ;∀;)息子はそんなつもりじゃなかったと泣いてました。でもなかなか気持ちが切り替えられなくて。
でも、ある晩に「腰痛い」と言ってたら、サッとたたきに来て、「お母さんが困ってたらいつでもすぐに助けるの!」とカッコイイことを言ってくれました。
こんなに温かい気持ちを向けてくれる息子になんてことをいってしまったんだろうと、「この前はごめんね」と泣いて謝りました。
本当に子供は、いつだって親の味方ですね!
次男も加わった生活を強力な味方とまた毎日楽しく過ごしたいなと思います!!
長男が居ることで、次男のグズグズもたのしい雰囲気に変わります。
本当にありがたいです!
Fがない
プラスのフィードバック(=F)をすると、相手に気持ちが伝わるよ、と。子供が「大人が喜ぶから、またこの行動をしよう」と自発的に動く方が、大人が常にダメ出しするよりも素敵な関係を築けますよ、と。
3歳の娘も、認める言葉が欲しいようです。「扇風機に指を入れなかった。お姉さんみたいな行動した」と扇風機の前を通るたびにアピールします。
「認める言葉掛けがほしいのかな。プラスのフィードバックをしよう」と思ったのに、こちらの行動が変わらないまま1週間経ちました。
たぶん、だから娘はこの1週間、何回も何回も「扇風機に指を入れなかった」と言っているのでしょうね。。
意識して、意識して、意識して、笑顔やプラス言葉のフィードバックをしてみます。
素敵な記事をありがとうございます。
まったくもってその通りです
夫婦間でもそうですよね
日本のお父さん!!!奥さんをもっとほめて!!!
言葉を使ってほめるということを義務教育で取り上げてほしい
と強く思っています
大好き!
心に浮かんだ時は、時々伝えてます。
先日、雨の中自転車で保育園から家に帰り玄関に入った時、
濡れたのに泣き言も言わずクツ脱いでる後ろ姿がかわいいような頼もしいような感じがして
「息子君大好き!」
と、唐突に言ったら、「はぁ?」というような顔をして
「なんでぼくも大好きならママも大好きなの?」
と言われました。
それって…?
「きゃあ、相思相愛ってこと?」
とギュウっと抱き締めると
「そうしそうあいってなに?」
と言いながら、まんざらでもない様子…。
5歳の息子相手にバカップルみたいですが…まあ、時にはいいかな、伝えたいので…と思ってます。
コメントせずにはいられなかった
でも、よく読ませて頂いてはいるのですが、今コメントせずにはいれなくなり、アタシの心を軽くして頂いて、気持ちが楽になったので、夜分に申し訳ありませんが、コメントさせて頂きました。
考えすぎ、普段から自分に自信がない、周りからはいつも笑ってていい子育てしてるよね、なんていわれたりしますが、オンオフが激しく家ではいつもマイナス志向… そんなアタシがやっと子供が3歳半になり、少し成長できてきたかななんて思いながらまだまだ色々調べて自信のなさはつづいてます😅
でも、堂々とやった下手な子育てとゆう言葉につい、にやっと笑い、心が楽になりました‼︎☺
確かにおっかなびっくり、向き合うのが怖いとゆう部分があり、だからか子供は他のママに遊ぼう遊ぼうゆってます😅
自然体、お客様ではなく、家族の一員‼︎
その言葉にもはっとしました。
これからも見させて頂きます!
明日は自信をもって子供に笑えそうです☺❤
本当にありがとうございました❗
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するとやっぱり、自分は親が私にしてくれたようには子供にできてないな~~、と。両親がどれほど忍耐強く私のわがままを聞き、遊びの相手になってくれたか、子を持って初めて気づくことばかりです。
晩婚で高齢出産の私は、自分のしたいことばかりしてきたので人一倍わがままでしょうし、このわがままと自己中をなんとか直さないと子供への共感なんて絶対にうまくできない、これじゃあ子供がかわいそうだと常々思っています。
でも子供への負い目というよりは、親のようにできない自分への苛立ちかなぁ。結局私は自分のことしか考えていないのか???
決して悲劇的に捉えているわけではありませんが、潜在的に子供に接する時の気楽さを阻害しているのかな?
少し前に、無理をして子供の相手をするのは自己犠牲とはちょっと違う気がすると書きました。大人は一人で自由に好きなことができるしどこにでもいけますが、子供は大人の助けがないとどこへも行けないし、大人にそばにいてもらわないと情緒も不安定なので、子供を優先してやらないとアンフェアだと思うのです。
"「堂々とやった”下手な子育て”」の方が得るものが大きいのではないかなと思うのです。"
↑この言葉には大変励まされました。あれこれ堂々巡りの思考を続けるよりも何も考えずに毎日楽しく過ごしたほうが子供たちにとってもよい子供時代を送ることになるのでしょうね。