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2023-03

「いい保育」と「上手い保育」 vol.3 - 2016.10.09 Sun

大人は子供を前にすると、ついつい「できないことをできるようにしなければ」と思ってしまったり、「正しい行動を身につけさせなければ」と考えてしまいます。

これは、人としての自然な気持ちでもあり、親心でもあり、善意でもあります。
だからそのように感じてしまうのも当然といえば当然なのですが、保育士は子供を育てる専門家としてそこにあえて「まった」をかけねばなりません。







なぜなら、その「できていないものをできるようにすること」が保育士の職務だと考えると、それが適切な援助にならなかったり、行き過ぎを生んでしまうからです。

(またもっと突っ込んだ話をすると、必ずしも大人が「できていないものをできるようにすること」という関わりをすることが、子供の成長のためにならないこともあるからです。
このことは、子育ての本質に関わるお話になってくるのでまたの機会に)





さて、そこで現代の保育士が理解していなければならない大事なことのひとつ。

それは、「”正解”を決めつけてはならない」ということです。

そのことは
「子供の理想像をあらかじめ頭に置いておかない」
「正しいか、正しくないかで子供を判断しない」
「すべての子供はみな違う」
「子供の姿を否定でとらえない」
「私が子供の姿を作り出さない」
「子供自身の成長を待つ」

などなどのことに派生していきます。


つまりは、「正しい子供像の型に大人が子供を押し込んではならない」ということです。

それをなんらかのテクニックや管理的関わり方を使って子供に「上手く」実行させていたのが、これまで一般に「保育」と考えられていたところの「上手い保育」です。





子供を「こうしなきゃ、ああしなきゃ」という思いが、念頭に強くあればあるほど保育は難しくなってしまいます。それが善意からのものであってもです。


これには、理屈ではなく心理的な面が多分に影響します。



人間は、一度「○○しなければ」といったことを決めてしまうと、それを守りたくなってしまう生き物です。特に自分の管轄下にある子供に対しては強く「守らせなければ」と考えてしまいます。(それこそ自分が守らないことであってすら、それを子供には要求してしまうこともあります・・・・・・)


「○○しなければならない」という目線で子供を見てしまえば、その○○が立派にできる子供は好意的にあたたかく見ることが簡単にできます。

しかし、そうでない子だったときはどうなるでしょう。
その大人が好意的に子供を見られる人であればまだしも、そうでなければ簡単に感情的な不快感がそこには生まれてしまいます。


「○○すべきだ!」
「しかし、この子はそれに従わない」

その状況にある保育士はどうなるでしょう。
そうなると、そこに心情的な波立ちが生まれます。

要するに、イライラやストレスを感じます。



そのイライラやストレスを、プロフェッショナルとしてコントロールし押さえられる人もいるでしょう。
しかし、それが山ほどたくさんになってくれば、そうそうはコントロールしきれません。

イライラやストレスをそこで解消する行動をとるようになります。


そして、怒ったり、叱ったり、冷淡さ、意地悪さを子供に向けかねないのです。

「その子に正しいことを身につけさせる」という大義名分の元に、自分のストレス解消のために子供に強く当たったり、疎外をし始めかねないのです。




ある大人の人が、自分の幼稚園時代の忘れられない出来事としてこんな話をしてくれました。

その人は子供のとき、食が細いタイプで給食を全部食べきることが難しい子でした。
しかし、「残してはならない」「きれいに食べなければならない」としきりにそこの先生から指導されるので、それでもなんとか頑張って食べようとしています。
しかし、食べきれないことが多くその先生からはたびたび冷たく当たられていました。

あるとき、頑張って無理して食べていたため、食べたものを吐いてしまいました。
すると、その先生は「吐いたものも全部きれいにたべなさい!」と怒ったとのことです。

大人になった今でもそのことは忘れられず、時々思い出すことがあるそうです。



現代でそのようなことをしたら、明らかに虐待です。
それは当時でも虐待ではあるのですが、そういった関わりを許容してしまう時代の空気があって、似たようなことがたくさんありました。
いまでも、そこまではしていなくとも本質的にはさして変わっていない人が存在していることを僕は感じます。



この人は、「子供は食事を残さず食べられるようになるべき」という強い信条があるわけですね。

それは職業的善意かもしれないし、その人自身の性格や、生育歴に由来するその人の持つ性向から来ているのかもしれません。

それ自体は必ずしも間違っていなかったとしても、実際にやっていることは「虐待」になってしまっています。


その人が考える「正しいこと」を、子供に「刷り込もうとすること」「実行させようとすること」、それは必ずしも適切な保育にならないのです。

しかし、往々にしてその「正しいこと」を子供に押しつける保育は蔓延してしまいます。



では、どのように関わっていけばいいのでしょうか?

つづく。

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● COMMENT ●

すごく良い記事です

3つの記事、本当に良い記事です。
おとーちゃんに心から賛同します。

続きを楽しみにしています\(^o^)/

我が身を振り返させられます

いつもブログを参考にさせていただいています。今回の給食に関する事例は非常に身につまされました。
我が家の長男(4歳)は食が細く、食べないと健康に影響が出るのでは、という不安から、長男に全部食べることを強いてしまっている(完食したら褒めたりお母さん嬉しいと伝えたり、一方で残した時は怒ったり冷たくあたったり)そんな自分は自覚していましたが、こうして客観的に事例を見ると、自分のやっていることが長男のこころに対して、将来にまで忘れられないくらいの非常によくない影響を与えているのかもしれないと改めて危機感を感じました。
しかし一方で、本人の希望どおりに食べさせていたら、食べる量は明らかに少なく栄養が足りているか不安です。
どうしたらよいのか・・・。次回の記事も楽しみにしています。

michikoさん

記事とは関係がないのですが、コメント欄お借りします。

私の息子(もうすぐ3歳)も食が細いです。食が細いというか、好きなものはたくさん食べますが(ドーナツなら一気に2~3個いける)好きではないものは食べません。夕食を3口くらいでごちそうさますると、「今日のごはんおいしくなかったんだな~」とすぐに分かります。まぁ私の料理の腕が悪いのですが・・・
食事が終わり手をつけていないものがあったら、「これ食べた?一口食べて~」と言います。これ続けてたら、何も言わなくてもとりあえず一口ずつは食べるようになりました。彼が全部手を付けて、それでごちそうさましたら、「残したもの、もったいないので食べてもいいですか?」は必ず聞きます。残したらもったいないって、知ってほしいので。
それでいっぱい食べてくれたときは、いっぱい食べてくれて嬉しい!って伝えてます。

最初は、本人がごちそうさました後に「これは?これも!もっと!」という対応をしていたのですが、そうするとごちそうさまの後にちょこちょこ食べに来るようになりました。それだとごちそうさまの意味がないと思い、本人のごちそうさまを尊重することにしました。そのかわり、ご飯の後に何か食べたいと言っても絶対に出しません。「ごはんの後だから、食べないよ~」で通しています。

喜び褒めるのはそのままに、量が少なくても落胆しない、でいいのではないでしょうか。私も幼少期は食が細く、また学生の頃も好き嫌いはありました。今息子に対しては、社会人になったときに食事を大切にする人になってくれればいいな~という思いでやっております。
栄養なんてどうにでもなります。そのうち味の好みも変わりますし、小中学生になっていけばだいたいは量も増えます。明らかに貧血だとか、何か不調が出ているのでなければ、本人の判断にある程度任せてもよいのではないかと考えています。
昨日は「これおいしいからぎゅっぎゅしてあげる~」と食事中に息子が抱きしめてくれました。ただの市販のシチューだったのですが。でも嬉しかった~久々に全部食べてくれました。

おとーちゃんと方向性が合っているかどうかは分からないのですが、うちではこうだよということでコメントさせていただきました。

ありがとうございます!

もなさん

コメントに対する経験談&アドバイス、本当にありがとうございます。

私が今している対応ではだめだ、よくない、と思いながらも、息子が結構な痩せ型なのが心配で、今している以外の対応ができずに悶々としたり自己嫌悪に陥ったりしていた中、丁寧にコメントいただけたことにが本当にありがたいです(涙)。

もなさんが息子さんに対してされている対応、非常に胸にストンと落ちました。今までネット等で色々な対応方法は見ましたが、一番納得・共感できました(正直な気持ちです)。我が家の息子はかなり素直なので(もしかしたらそれも私の抑圧的な対応のせいかも、と思ったりもしますが…)、「一口食べて」といえば一口は食べてくれると思います。その上での、残っているときの「もったいないから~」は目からうろこの対応でしたが、そっか~!と思いました。食事は栄養の面もあるけれど、食べ物に感謝して大切にいただく気持ちを持つことも大事ですよね。

まずは形から!?ということで対応を真似っこさせていただきたいと思います。私自身の気持ちを、沢山残されていても落胆しない、という方向に持っていくのが一番難しそうですが(苦笑)、息子本人の意思を尊重することをまずは大切に、を意識することを私自身が努力したいと思います。

そう、思い返せば私も小さい頃は食が細くやせ型でした。そして大人になった今はというと好き嫌いはなく食べるの大好きな標準体型です。それなのに息子には強いるなんて、人対人の付き合いとして考えても超理不尽ですよね…(汗)。自分のことも思い返すと、もう少し余裕を持った対応ができそうです(^^;

本当にありがとうございました!!!

michikoさん

とても嬉しいご返信いただきまして、ありがとうございます。

私は食が細いうえに、水が嫌いで牛乳しか飲めませんでした。小学校では水道水がどうしても飲めなくて、体育の後は口をゆすいで渇きを紛らわせていました。でも(だから?)身長は160以上あるし、中学になってからは給食も食べきれるようになったし!今では水も好きだし!体重も標準です、胸はないけど!
心配しちゃうのも親心です。うちの子は好き嫌いなので、甘やかしてるのでは?と心配になることありました。でも、自分も水が嫌いだったし、それよりはましだな~と自然に思えるようになりました(笑)
子を持つ親として、お互いにふんわりと見守っていければいいですね。ありがとうございました。

保育園で。

私は保護者ですが、以前2歳クラスの生活を見学する機会がありました。
若い先生は、子どもの姿を冷静に見て、接しているのですが、年配の先生は、大人がそう言われても気分の良くない話し方をしていました。
「早くしなさい!」や、まだ3才にもなっていない男の子に「うんちが出そうだったら言わないと!」など…。排泄の処理もなんだか嫌そうな感じで。また、ご飯のときに男の子が他の子にちょっかいを出したようですが、その子が「やってない」と言っているのに「やりました!」と断言して話を聞いてあげない。味噌汁が少し服について泣いてしまった子が着替えたいと言っているのに、その思いを受け止めて話を聞いてあげないなど…。
おばあちゃんが家で孫をしかっているような光景を見た思いで、残念な気分になりました…

内容ばらばらのコメントです

色々読ませていただいている最中です。頑張ってるけど読む時間も記憶も中々難しいです(苦笑)
でも、息子への接し方は少し変わりました。もっとうまく「掴める」といいなと思っています。

あと、講演会を私の住んでいる地域でもやってもらえたらなぁと強く思いまして、
しばし考えてみて・・・現在、居住地で友人知人も居ないので個人で主催できるかを検討してからのご連絡ですね(汗)

全く別の話ですが、最近感じていることなのですが・・・
「子どものしつけ」というのがどうも「犬のしつけ」と同等感覚の人が多いと思います。
そうじゃない人も、「ちゃんとしつけてない!常識知らず!」っていう周囲の圧力でそうなっちゃう。

犬を飼うかどうかは自由
子どもを産むかどうかは自由
犬も子どもも命であることに変わりはない
個人の自由で選択したのだから自己責任だ
犬は飼い主がしつける
子どもは親がしつける

こんな感じです。

「今日の夕食を食べるかどうか」「何を食べるか」は選択する人はいるけれど、
「今日から一切食事を摂らないで生きていくかどうか」は日常生活で選択のしようがありません。

犬も子どもも命であり、持つ持たないが自由であっても、
犬は犬であり、イヌが絶滅してもヒトの社会は絶滅しない。
カテゴリーが違う。同じ部分もあるけれど、矛盾したり合わないところもある。
でも、全部ひっくるめて無理矢理同じカテゴリーに入れちゃう。
「型にはめようとする」精神がどこまでも広がっているように思います。

一旦、本来のそのものの形を歪ませて型にはめると、
無理にはめたものこそを「常識」かのように、人質のようにして
「子どもが泣きわめていてうるさい、迷惑だ、しつけができてない非常識だ」
というふうに攻撃する道具になります。

私は過去、子どもをもつことはないと思っていました。命を預かることはできないという畏れが大きかったし、機能不全家族に育って恐らくACでしょう。その頃は、子どもといるお母さんの光景は別世界に見えました。既婚で子どものいる人といない人の違いも色々見ました。子なし主婦というのは風当たりがとても厳しいから、真っ当な精神でいられない人が少なくないのも確かです。しかしやはり子どもはもってみないとどうにもわからないことがたくさんあるのもよくわかりました。
それからうちも貧乏だけど、貧困もどんどん進みます。ストレス社会もよりひどくなると思います。
そうすると「常識」(本当は歪んだものかもしれない)を盾にとって他人を攻撃する人は益々増えると思うし、「クレーマー」と言われたらというか言われるのを恐れて大多数の人は黙るし、黙れば鬱屈して、それは自分より弱い者・・・こどもや障害者、(養護)老人などに向かっていくのだろうなぁと思います。

ええと・・・全然違う内容のコメントですみません;。;
あと、他のところに分けて書きますmm


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楽しく無理のない子育てを広めたいと2009年ブログ開設。多くの方の応援があって著作の出版や講演活動をするようになりました。 現在は、子育て講演や保育士セミナーの他、『たまひよ』や『AERA with Baby 』等の子育て雑誌の監修やコラム執筆。『ジョブデポ保育士』の監修や育児相談などをいたしております。

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