「正解」と「考え方」 vol.2 - 2016.11.26 Sat
なんとなく、昔読んだSF小説にこんなような情景があったのを思い出します。
さて、このところ多忙につきなかなかブログの更新ができておりませんでしたが、前回の記事には多くの方の反響が寄せられていました。
事例を見ながらもう少しこのテーマをお話ししていきましょうか。
ある1歳の子がいました。
どうもこの子は大変暑がりなようで、夜布団を掛けているとそれを大変いやがります。
(もしかすると、暑がりなだけではなく、皮膚感覚の過敏さなどがあって布団の触感を好まないという特徴をその子の個性として持っていたのかもしれません)
ただ、布団をはいでしまう、けっとばしてしまうというだけではなく、布団をかけようとすると激しく抵抗して、キーキーと情緒不安定になってしまうことがあります。
真冬ですらそうなのです。
そのお父さんお母さんはいろいろと試行錯誤して、寝静まってから布団を掛けたり、布団やタオルなどいろんな種類を試したりしてみましたが、どれもうまくいきません。
一度、不安定になると夜中でもずっと激しくぐずったりするので、その対応に親としてもいっぱいいっぱいです。
しかし、なにも掛けないで寝ていたら体調を崩したり、風邪をひいたりしやしないかと心配になるので親としても必死です。
そんななか、あるときお父さんが「どうせ掛けてもはいでしまったり、ぐずった子供の対応に大人もへとへとになったり、寝れなくてイライラして日中不機嫌になったりしてしまうのだから、好きにさせてみようよ」と提案して、布団に寝かせてもあえてなにも掛けないということをやってみました。
すると、それでなんの問題もなくうまくいくのでした。
体調を崩すことも、風邪をひくことも、夜中にキーキーと起きてあばれることも、親がそこでイライラしたりストレスを溜めることもなく過ごせたのでした。
この事例の意味するところは、「子供が布団をいやがるのならば掛けなくていい」という「正解」を伝えているわけではありません。
「そういうやり方もあるんだ」という「考え方」のひとつを示しているだけです。
この子のケースではそれがうまくいきましたが、他の子では同じようにうまくいくというわけではないかもしれません。
そうしたところで、夜泣きやぐずりが出るかもしれませんし、すぐに体調を崩してしまうかもしれません。
いろんなやり方を考えてみて、または試してみて、その子、その家庭に合うやり方を模索するというのが、実際のところの真実であって、「これこれこうすべき」という子育ての「正解」があるのではないのですね。
なので、なにかを「正解なのだ」と親が思い込んでしまうと、それ自体が子育てのストレスを大きくしたり、我が子を否定的にとらえる原因になってしまったりしかねません。
しかし、現代の子育てする人には、そのように「正解」を求めたくなってしまう理由があります。
それが、子育てに対する「不安と心配の大きさ」です。
多くの人が、「子育て」というなじみの少ない仕事に対して(しかし責任は重く見える)、「不安と心配」を持ったところからスタートしています。
それがまず前提としてあるものですから、なんらかの「正解」によりどころを求めたくなってしまいます。
そして世の中の子育ての情報の中には、「これが正解です」といった文脈で言われているものも実際すくなくありません。学者の言うことの中にもそういうことはあるし、子育て産業の示すもののなかにもそれらはたくさんあります。
周囲の人の中にも「これが正解なのよ。できてないあなたはダメね」という方向で言ってくる人、見てくる人もいることでしょう。
「これが正解ですよ」と言われているわけではないことに対しても、そう思い込むこと、すがりつくことで安心したいという心理的な理由も親の方にはできてしまいます。
特に日本の子育てでは、「しつけ」という「山ほどの”できること”を目指す子育てメソッド」が一般的なので、「正解」を求める親の心理は強迫観念的になりやすいです。そしてそれが達成されなければさらに「不安と心配」が大きくなるという悪循環になりやすくもあります。
そういうわけで、子育ての「これはこうすべきだ」「こうしなければならない」といった「絶対的な正解」があるわけではなくて、
「その子供の姿」と「その子への対応」をつねに天秤に掛けながら、「その子には、なにがよりよいか?」という「相対的な正解」模索するというのが実際のところなのです。
そして実は、そこにはもう一つの要素が加わってくるというのが現実です。
それは、大人の心情です。
さっきの事例に戻って、ちょっとした仮定を入れてみます。
お父さんは、なにも掛けないで寝かせることで問題ないと思えました。
そしてそれを続けても実際問題は起こっていません。
現実を見ればそれがひとつの「その子にとっての正解」には達したと言えるでしょう。
しかし、お母さんはそれだと「体調を崩したりしないかとても心配」という気持ちが払拭できなかったとします。
「それでも大丈夫そうだ」とはなんとなくはわかってはいたとしても、でもどうしても「不安を感じる」という状況です。
その不安がストレスとなり、イライラを生んで、子供に優しく接することができなくなってしまったり、そのことでお父さんと対立して夫婦げんかが増えてしまったり・・・・・・。
そんなことが現実の子育てでは起こります。
子育てというのを理屈の上や、育児書の中では、「子供」と「子供への対応」があるばかりです。
しかし、実際はそれだけではありません。
そういった要素も軽視できないことです。
このような事態に対して、「これでいいんだから、あなたが我慢しなさいよ」と母親を責めてもなにも解決しません。
それだと母親が心理的な「我慢」を強いられるばかりで、それはストレスやイライラ、怒りとなり、やがては回り回って子供にも悪影響を与えてしまいます。
「個々の子供の状況を踏まえた上での正解」であっても、それが必ずしも「解決」にはならないわけですね。
子育ての問題では、しばしばこちらの方のウエイトが大きいこともあります。
ここからさらにその人に合わせていろいろなやり方が考えられるわけですね。
「子供に必要なこと」だけでなく、「そこでその人ができること。また、できないこと」という視点が出てきます。
子供だけでも個々に違いがありますが、さらにそこでの親のあり方によって、子育てのあり方・実際の対応で考える範囲は広がってきます。
それらもひっくるめて、はじめて「その子の子育て」が見えてきます。
- 関連記事
-
- オビ=ワンに見る主体尊重の関わり (2018/12/03)
- 子育てのパラダイム転換 vol.2 ー本当の尊重ー (2018/10/04)
- 子育てのパラダイム転換 ー「させる」から「する」へー (2018/10/03)
- 子育てで本当に大切なこと (2017/12/26)
- 大人は「結果」を作り出したくなる (2016/11/30)
- 「正解」と「考え方」 vol.2 (2016/11/26)
- 「正解」と「考え方」 (2016/11/19)
- 子育ての「正解探し」にならないで (2016/08/16)
- 「不安と心配」について (2015/11/15)
- 悩みの後ろ側にあるもの (2015/11/14)
- イニシアチブは大人でいい (2015/10/20)
● COMMENT ●
実感しています
思わず笑顔になってしまいました^_^
正解探し
不安→正解探し→方法を見つける→実践→不安の解消…と、なれば良いんですけど、ならないんですね。
夫の考える正解と、私にとっての正解とのズレも、これで良いのか?と不安のタネ…子供の姿に一喜一憂…
記事の続きも、楽しみにしています。
トラックバック
http://hoikushipapa.jp/tb.php/977-ff0e489d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
ここ数週間、弟への態度が意地悪気味だった長男は、着替えや保育園の支度のときに以前のように手をかけてやるようになったら、だいぶ落ち着きました。
自分の気持ちの方が弟の気持ちより大事、ということも多いものの、全体的に弟に対して許容できる心の余裕が出てきたように感じられます。
今は、長男の「1人でやるのはさびしい。お母さんに全部やってほしい」という気持ちと、私の「もう5歳だし、できるんだから1人でやってほしい」という気持ちの間をとって、作業の主体は長男、私はお手伝い、ということで一緒にやるようにしています。
それでうまく回っているのですが、時々、私が「1人でできるんだからやってほしい」という気持ちを抑えられず、長男に押しつけてしまうことがあり、そうするとてきめん、長男は荒れ気味になります・・・。
子どもへの接し方への自分なりのやり方を見つけることと同じくらい、自分の気持ちの落としどころを見つけることも大切だな、と感じます。
これは余談なのですが。
今日は私に用事があって、ほとんど一日中夫と子どもたちだけで過ごしました。
子どもたちはさびしかったようで、私の帰宅後、特に長男はいつもより言うことを聞かず、ふざけてばかり。
いつもなら「穏やかに指摘する → 強めに言う → 叱る」となるのですが、以前このブログに書いてあったことを思い出して、強めに言わずに「どうしたの?」と聞いてみました。
すると、おふざけがピタリと止まり、「甘えたいの・・・」という返事。
あまりの素直さに笑ってしまいました(笑)
「そんなことしても甘えられないよ。お母さんが嫌な気持ちになるだけだよ。甘えたいなら、こっちにきてギューしよう」
というと、素直にそばにきて抱きついてきてくれました。
まだまだ甘えん坊で幼くて、5歳なのに大丈夫かな、と思うことも多いのですが、素直に育ってくれているようでほっとしました。
私が焦らず、息子の成長を信じて待つことが一番大切なのだろうな、と思います。