『大人は「結果」を作り出したくなる』のお話からふたつのこと vol.4 - 2016.12.18 Sun
その他の事例を見る前にこちらを補足しておきましょう。
そのもうひとつとは「管理」も「支配」もしないことです。
これも単なる行動面だけでなく、子供に向き合う心情からして「管理・支配」をしようとしていないのです。
例えば、「子供の自発的な行動を待つことが大切」と言ったとき。
靴を履くシーンでそれを実践しようとすると、ある人は「子供を待たなければいけない」のではと「頑張って」「我慢して」「イライラ」しながら待ちます。
つまり、このとき大人の心情には「やって欲しい」「できることを望んでいる」という気持ちがあるわけです。
また、ある人は「やろうとしないあなたを許容しません」という、子供への否定のニュアンスを漂わせて待ってしまいます。ここが強くなると「疎外」になっていきます。
これもやはり大人の心情に「やって欲しい」「できることを望んでいる」という気持ちがありますね。
子供は大人の心情に敏感です。
上のどちらも子供は、「否定」や「プレッシャー」として感じとります。
子供によっては、それらが積み重ねられすぎて、敏感であるがゆえにシャットアウトするようになり、大人から見える姿としては「鈍感」にもなります。いわゆる「言うことを聞かない子」などです。
この状態にしてしまった子に、さらに我慢を重ねてとか、否定のニュアンスを向けながら待つことを続けてもプラスになることはありません。
つまり、
「子供の自発的な行動を待つことが大切」
という言葉は、大人の行動だけでなく心情も伴わないとあまりうまく機能しないわけです。
(↑この部分が子育てを語る上でもっとも伝えるのが難しい点だと思います)
A保育士の心情はそれとは無縁です。
否定することなく、かといって「幼いのだからできなくてもしょうがない」と過保護な気持ちでもなく、ただ待てるのです。
だからこそ、子供が達成できたときにそれを素直な気持ちで認めることができ、子供もそれを素直な気持ちで受け止めることができます。
「○○ができるようにしてやろう」と大人が作為的に褒めるのとは色合いが違ってきますね。
さらに補足しておきますと、急がなければならないときなどまで待つわけではありません。
普段こうやって子供の自主性に任せて待つことや、その他のことで信頼関係を築いているので、待てない状況や急いで欲しいときは、そこで堂々と「急いで下さい」とか「私が手伝います」「それは困ります」などと言うことができます。
また、子供もその大人の言葉を信頼している(嘘がないと理解している)ので、素直にそれを受け入れたり従ったりすることができます。
許容する部分が前提としてあるからこそ、NOが言えるわけですね。
これはメリハリのある態度と言えるでしょう。
また、「素直な甘え」を出すことができるように関係を作っており、子供が甘えをゴネで出す必要がなくなっていることも見逃せない事実です。
受容は大人の方から積極的に(これもムリをしてとか頑張ってではなく)しているので、子供は生活面での行動にかこつけて大人の関心を引きつける必要がなくなっています。これが前提としてあります。
だから、そこで子供が自分で靴を履くという行動に、子供の側の無意識の”もくろみ”のようなものはなくなっています。
これが、受容の道筋をシャットアウトされてしまっている子であると、なんらかの理由をつけて受容を求め、それはゴネとして出てくることになるので、靴をはくという行動が単にそれだけの意味合いでなくなってしまいます。
例えば、靴をはくのを待ってくれるという状態を大人が自分に向き合ってくれる時間としたくなるので、いつまでも大人を待たせたり、なにかがうまくいかないと理由をつけて鬱積した感情をそこで出し大人にぶつたりすることになります。
(↑多くの人が子供の対応で悩む点ですね)
そのようにA保育士のここでの行動面としての「待つ」は、ただ待てばいいということでなく大人の心情面のあり方や、それ以前の個々の子供への配慮があってはじめて無理なく機能しているのです。
これがこの靴や靴下をはくのを待つ場面だけでなく、生活・遊びのすべての場面においてこのA保育士は実践しています。
また、それが可能になるだけの配慮も行っています。
それゆえに、子供を「大人の言うことを聞くように」管理・支配をする必要が全くないのです。
このあたりは、長年の保育士としての経験・知識の集積によって可能になっている部分もあることですから、我が子だけを育てている一般の親がそのようにできなかったとしても、それはそういうものだと思います。
多くの人が無意識に「子育て」「子供への関わり」と理解しているものは「子供の管理と支配」です。
それはあまりに当たり前になりすぎていて、ほとんどの人が子供に対して「管理・支配」の方向での関わりをしてしまっていることに気づいてすらいません。
シリーズ冒頭での、スカイツリーでの先生たちの関わりもそうです。
「管理・支配」での関わり以外があることに気づけなくなってしまっているので、子供自身に考えさせて適切な行動を導き出させることができなくなっています。
学校の先生になる人はもともとそのような関わりに”うまくはまる子”であった可能性が高いですから、子供に対してそういった自分のされた関わり方を繰り返してしまう構造的な問題もあるかと思います。
一般の大人もその多くが「管理・支配」の枠組みの中で子供に関わります。
子供に怒鳴りつけている人であれば、「ああ、あの人は子供を支配しているな」とわかりやすいですね。しかし、猫なで声で子供だましを言って大人の望む行動をとらせようとする行為も、お菓子で釣って子供の行動を大人のいいようにしようとするのも、お化けが来ると言って脅して子供の行動を作ろうとするのも、結局のところ「管理・支配」の関わりから一歩も出てはいません。
子供に対しては「優しく伝えればいい関わり」なのだと考えられがちです。
(子供に優しく伝えようとして、かえって回りくどいぐだぐだとした小言になることなどよくあります。”弱いタイプ”の大人に多いです)
しかし、優しく言っても管理や支配の関わりはやはり「管理・支配」なのです。
「自主性や主体性が大事」という言葉が保育や教育の中で言われるようになってかなりの年数が経っています。数十年単位でしょうね。
しかし、それはお題目としてもてはやされるだけで、ちっとも達成されてはいません。
それは子供への関わりを「管理・支配」でしか実践的に理解されていないという、ほとんど気づかれないままでいた問題点を乗り越えていないからです。
保育や教育に専門家として関わる人は、このことを認識していくところから取り組む必要があるでしょうね。
でないと、これからの多様化・複雑化する子供たちに適切な関わりをしていくことはできません。
そこからスタートしないといくら一生懸命子供に関わろうとしたところで、ずっと昭和の時代の関わり方に何枚かオブラートをかぶせたものにしかならないでしょう。
しかし、現実には多くの保育士もそのことに気づいていません。
実際、A保育士の保育を見た他の保育士も、子供たちの成長度合いがとても高いということはわかるのですが、なぜそうなっているのか理解することができない人も少なくありません。
具体的な関わり方だけ教えたところで、子供をとらえる考え方などの理念的なところからきちんと積み上げないとそれは難しいようです。
今度の25日の保育士向けのセミナーでは、このあたりのことを含めて実践的に理解できるようにお伝えしたいと思っています。
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● COMMENT ●
最近、支配的になっていました
2歳ごろまでの自我が強く出てくる前までは、管理も支配もせずに接することができていたのに、自我が強くなってくると、なかなか。。
でも、最近怒りすぎているという自覚があったので、長男が幼かった頃の気持ちを思い出しつつ、管理も支配もしない気持ちで接することをやってみました。
おとーちゃんさんの言うような姿勢で接することができたかどうかはわかりませんが、「〜してほしい」という自分の願望を持たずに、目の前の子どもだけを見て、必要な声かけをする。
やってみたら、すごく楽でした。
こちらの希望を押し付けていないから、長男がどんな行動をしても「思い通りにいかない」というイライラを感じることがありません。
イライラしていないから、マイナスの感情の入った声で話すこともないし、受容が必要だ、と見てとれば、すぐにできる。
長男が機嫌が悪くて泣いていても、イライラせずに、感情の処理を本人に任せて静観していられる。
管理も支配もしないと、こんなに気持ちが楽なのか、と驚きました。
でも、ここしばらく管理・支配に慣れてしまっていたことを考えると、管理・支配しないやり方がいくら楽でも、気をつけないとすぐに元に戻ってしまいそうです。気持ちの余裕がないときは特に。
それに、管理・支配していないのではなく、管理・支配の気持ちを押し殺して、自分で気づかないふりをしているのではないか、という不安もあります。
もしそうなら、後からくる爆発が怖いです。
子育ては本当に試行錯誤の連続ですね。
それに、子育ては親育て、とは、本当によく言ったものだと思います。
がんばります。
ふに落ちました
昨夜、5歳のお兄ちゃんのトイレに付いていっていた2歳の弟が、しばらくトイレから帰ってこないので行ってみました。
すると、ズボンもオムツも脱いだ弟が、便座に座っていました。
まだ、オムツをひとりで脱ぐことに成功してなかった弟。
びっくりして、
「出たの?」
と聞くと、
「出たー」
と(真偽は分かりませんが)嬉しそう。
3年前から保育士おとーちゃんのブログを読み始め、支配管理をなるべくしていないつもりだったけど、やはりお兄ちゃんには、初めてのことだからできるようにしてあげなきゃという気持ちが強かったんだろうな。
弟は、まだまだ小さいと思えるし、いずれできるようになると知っているから、何も求めていなかったのに。
もちろん、保育園ではトイトレを始めてくれてるのは知ってるけれど。
私が何もしないからこそ自主的にできるのかも。
お兄ちゃんには、反対に、もう大きいんだからと期待してしまったり、弟ほど手がかからないから、受容不足になり、その結果ごねる姿が出てしまうんだろうな。
反省。
ちょうど、お風呂で大声で泣き叫び始めたら泣き止まないお兄ちゃんへの対応を、おとーちゃんさんに聞いてみたいと思っていたので、タイムリーに助かりました♪
質問
私自身が過保護、過干渉で育ち、子供に対してのさじ加減に悩みながら今まで来ました。
それで、今1番わからないのが、一年生の長男の宿題についてです。
以前、夏休みの宿題について、先生ご自身のお子さまについて少し触れていらっしゃいましたが、どのくらいまで声かけをするのが適切か…とても悩みます。
(宿題終わるまでおやつはなしとか、まだやらないの?など何回も声をかけてしまったりします。)
細かな子供の特性や、家庭環境に応じて違うとは思いますが、
先生自身がどのように接していらっしゃったのか知りたいです。
(このブログの読者様には、対象の年齢ではないかもしれないですね。すみません。)
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主人や父母の
〜できるようになった?や
まだ〜出来ないの?を
うまくスルーして子供(特に上の子)を信じて待ってあげないとですね。