ニーズという魔物 vol.1 ー保育評価のからくりー - 2014.10.15 Wed
この記事は数年も前からいつか書かなければと暖めていたものです。
こうままさんからいただいたコメントに刺激されて、このように実現することができました。ありがとうございます。
こんなことがありました。
某チェーン展開をしている企業の保育園でのこと。
盛夏の8月ごろ。
午後3時半をまわった時刻、2~3歳児をつれて園外に散歩に行くのを見かけました。
それが毎日のようにあるものだから、顔見知りになっていたそこの保育士にあるとき、この暑いさなかに午後から散歩に連れ出して大丈夫なの?と聞いてみました。
すると、午前中はたっぷりプール遊びもしているし活動量は十分だから、熱中症や熱射病のリスクを冒してまで本当は出るべきでないと思っているのだとのこと。
よくよく聞いてみると、親からの「外遊びをたくさんさせて欲しい」という要望を受けた園長からの指示でそうしているとのこと。
いまでは熱中症の危険性なども広く知られるようになっています。
しかしそれだけでなく、午後の園外保育(散歩)というのはリスクが高いものなのです。
午後は子供も大人も疲れてきていますし、注意力なども散漫になってしまいます。真夏ともあればなおさらです。
その分ケガやトラブル・事故のリスクというのが上がります。
家庭でひとりふたりの子供を見ているのとは違って、集団でのそれは思わぬ結果をもたらす可能性があります。
身体的な疲れや、注意力のおとろえなどはどれほど注意したところで、人間である以上避けられない部分もあります。
保育中の事故、とくに重大な事故(大きなケガや死亡事故、置き去りなど)は、そういう情報に関心を持ってあつめていると、午後の園外保育中というのがとても多いことに一般の方でも気がつくと思います。
また、同じその園では年長クラスの午睡を、これも親からの要望で、5月から取りやめることにしていました。
年長の担任に話を聞くと、就学を考えて後半の適切な時期で午睡をやめるというのは考えていないわけではなかったが、現状は時期尚早だったと感じているということ。
午後や遅番時のケガやトラブル、子供の不安定な様子など明らかに増えているので、担任としてはいまからでも午睡を再開したほうがよいと判断しているそう。
しかし、これも親の要望を受けた園長の指示でせざるを得ない状況になっているとのことでした。
しかしさらに、それを受けて年長クラスよりも低年齢のクラスの親からも「夜寝ないので午睡を年長同様にやめてほしい」という声が出てきており、それがどうなるか心配しているとも話していました。
(この事態については過去記事で述べたことがあります)
『相談 夜寝ようとしないので昼寝をやめるべきか? 追記あり2014/08/22』
保育は近年、営利企業の認証保育所制度導入、こども園構想、営利企業の認可保育園参入、新システム導入など、一連の流れの中で「保育のサービス業化」が急速に進んでいます。
そのなかで、親向けのアピールやニーズへの関心というものが注目されています。
むしろ当の子供のこと以上に、現状は親の顔色をうかがうことに保育園側は必死になっているのではないかという印象すら受けます。
この動きは営利の園だけにとどまっていません。
公立園や社会福祉法人の認可園にも当然のように波及してきています。また社会の情勢から嫌でもやらざるをえないことになりつつあります。
もともと、保育に確固たる理念もなく長年やってきているようなところも実際にはたくさんありますから、特にそういう人は簡単にいまの時流に流されています。
もちろん僕は、子供を預けている親の意見を聞いて保育の問題点を改善していくことや、適切なニーズに応えていくということを否定しているわけではありません。
既存の園が、ずさんな保育や非難されるようなことを平然と続けてきたという現実も重々承知していますから、多くの方がこれまでの保育園の体質を変えていかなければならないという意見をお持ちであることは存じています。そしてそれは僕もまったく同意見でもあります。
しかし、ここではそれらまで含めての話にすると複雑すぎるので、まずはニーズに左右されてしまうことの問題点に絞った話をさせてください。
こうままさんのコメントから『トップ保育園と下位には大きな差 東京保育園ランキングを使い倒せ』このサイトをご紹介いただきました。
ここでいうところの「保育園ランキング」というものを全否定するわけではありませんが、これにはある種のデータマジックとでもいうものがあることは実情を知るものとして指摘しておくべきだと思いました。
このランキングは「第三者評価」というものが元になっているわけですが、事実上これの主な基準というものが預けている保護者からのアンケート・満足度で成り立っているということです。
実際に親からも見て明らかにわかるような優れた保育をしていたり、育児相談を受けたり、地道な親との信頼関係の構築をしてそういった子供を預けている保護者の満足度を高めているというところももちろんあることでしょう。
しかし、現実には保育の内実とは関係なしに、とりあえず親の要望を受けて満足度を高め、不満を少なくしさえすれば高い評価になってしまうのです。
最初にあげた話の園も、実はランキングの上位に入っています。
現実は、そこで働く保育士自身ですら子供のあり方、保育の実情に危機感を感じているのに、親の要望を黙って聞き入れることで「良い保育」していることになってしまっているのです。
ほかにも僕はランキングの上位に入った園の実情を知っているところがいくつかあります。
それらを保育士としての視点から保育に点数をつけるとしたら、及第点に達していないところもあります。
繰り返しになりますが、すべてがそうというわけではないでしょう。その高評価が示すとおり、優れた保育をしているところもあるはずです。
ただ、本当に子供の健全な育成のために良質な保育を展開していることと、この満足度をあげることは必ずしも一致するわけではないということです。
親から見えるところを立派にしていれば、見えないところ(例えば日中の保育内容など)手を抜いてもなんら問題なく、このランキングはあげてしまうこともできるのです。
これがいまの保育界をとりまく現状になっています。
目先の親からのニーズに振り回されてしまえば、あるところでは「子供の育ち不在」の保育が行われていってしまうことでしょう。
こうままさんの指摘にもあるように、おむつがいつ外れるかというのは個々の個性・発達の上に判断できることであって、「いついつまでに外れます」というのは子供ではなく親の方を見た保育をしているということになります。
もし、その「いついつまでに外れます」を到達すべき目標として保育士に課したとしたら、なかには意に染まないことを強いられる子供というものがでてくることでしょう。
多くの子のなかにはどうしても排泄が確立しようのない発達状況に置かれている子供だっています。そういう子はこの保育園ではとても苦しむことになるはずです。
もし、自分がそのたびに遊びを中断されて20分ごとにトイレに無理やりいかされる子供の立場になったとして、事情がわかって言葉がしゃべれるのだとしたら、「なんであんたらの宣伝や点数稼ぎのためにトイレを強制されなければならないんだ。アホか!」と言ってあげることでしょう。
しかし、それをアピールポイントとしてどうどうと発言できてしまうあたり、そういった保育園はそもそもの保育・子供の育ちというものを大して理解をしていないわけです。
子供を健全に育てることへの理念や専門性を欠いているからこそ、簡単に親の顔色をうかがって子供の育ちに関係無く、子供を思い通りにするということができてしまいます。
ここで僕が述べたいのはこれまでの保育園の擁護というわけではありません。むしろ、こういった自体を招いたことには既存の保育界の責任というものが大きいだろうと考えています。
明確な「保育」としての専門性を打ち立てられず、それを一般に広く知らしめることができなかったことが、保育士としての専門性以上に、その人その人の気分にすら左右されることのある「ニーズ」というもの発言権を大きくしてしまった原因があることと思います。
このまえ
「幸せ」ってなんなんだろう vol.3
の記事を書きました。
親の「ニーズ」というものに対して保育士が専門性を打ち出せないとしたら、例えば、この記事にあげたような事態の子供を保育士は救うことが出来ないということです。
「お父さんお母さんがいまのうちからたくさん勉強をさせたいということですね。
じゃあこの子の性格が日々ひねくれていっていますが、自分は親のニーズには逆らえないので口をつぐんでいますね。
自分が担任を外れるか、保育園を終えて小学校にいってしまえば自分は関係ないので、それまでこの子の問題行動を抑えつけておけばいいや」
ということになっていきかねないでしょう。
ただ、この事態は「ニーズ」うんぬんがなくとも、保育の専門性のないただの「子守り保育」をしていたところには以前からあったわけですが、ニーズ至上主義とでもいうものが今後保育界を席巻するのであれば、それは保育士の怠慢ゆえではなく、保育のスタンダードなものとなってしまう可能性があることだと僕は強く感じます。
そうなってしまうと、もはや社会のセーフティーネットとしての役割は保育園にはなくなってしまいます。
いまの潮流である「保育のサービス業化」ということは、10年後20年後にそのツケを払わされる大変あやういことではないかと危惧します。
専門職である人間が、利用者の顔色をうかがわなければならないという事態は、たとえば、病院にいって検査して実はガンだったとしても、その人がそう言われることを望んでいないと思えば、「あー、ただの胃潰瘍だからたいしたことないですね」と言わなければならないというのと同じことなのです。
現状の保育のサービス業化というのは、その真実を言わない病院が一方で「これを使えば健康に効果がありますよ」と高価な健康食品を一生懸命販売しているようなものなのです。
明らかにいまの保育の潮流は間違った方へと流れつつあります。
つづく。
こうままさんからいただいたコメントに刺激されて、このように実現することができました。ありがとうございます。
こんなことがありました。
某チェーン展開をしている企業の保育園でのこと。
盛夏の8月ごろ。
午後3時半をまわった時刻、2~3歳児をつれて園外に散歩に行くのを見かけました。
それが毎日のようにあるものだから、顔見知りになっていたそこの保育士にあるとき、この暑いさなかに午後から散歩に連れ出して大丈夫なの?と聞いてみました。
すると、午前中はたっぷりプール遊びもしているし活動量は十分だから、熱中症や熱射病のリスクを冒してまで本当は出るべきでないと思っているのだとのこと。
よくよく聞いてみると、親からの「外遊びをたくさんさせて欲しい」という要望を受けた園長からの指示でそうしているとのこと。
いまでは熱中症の危険性なども広く知られるようになっています。
しかしそれだけでなく、午後の園外保育(散歩)というのはリスクが高いものなのです。
午後は子供も大人も疲れてきていますし、注意力なども散漫になってしまいます。真夏ともあればなおさらです。
その分ケガやトラブル・事故のリスクというのが上がります。
家庭でひとりふたりの子供を見ているのとは違って、集団でのそれは思わぬ結果をもたらす可能性があります。
身体的な疲れや、注意力のおとろえなどはどれほど注意したところで、人間である以上避けられない部分もあります。
保育中の事故、とくに重大な事故(大きなケガや死亡事故、置き去りなど)は、そういう情報に関心を持ってあつめていると、午後の園外保育中というのがとても多いことに一般の方でも気がつくと思います。
また、同じその園では年長クラスの午睡を、これも親からの要望で、5月から取りやめることにしていました。
年長の担任に話を聞くと、就学を考えて後半の適切な時期で午睡をやめるというのは考えていないわけではなかったが、現状は時期尚早だったと感じているということ。
午後や遅番時のケガやトラブル、子供の不安定な様子など明らかに増えているので、担任としてはいまからでも午睡を再開したほうがよいと判断しているそう。
しかし、これも親の要望を受けた園長の指示でせざるを得ない状況になっているとのことでした。
しかしさらに、それを受けて年長クラスよりも低年齢のクラスの親からも「夜寝ないので午睡を年長同様にやめてほしい」という声が出てきており、それがどうなるか心配しているとも話していました。
(この事態については過去記事で述べたことがあります)
『相談 夜寝ようとしないので昼寝をやめるべきか? 追記あり2014/08/22』
保育は近年、営利企業の認証保育所制度導入、こども園構想、営利企業の認可保育園参入、新システム導入など、一連の流れの中で「保育のサービス業化」が急速に進んでいます。
そのなかで、親向けのアピールやニーズへの関心というものが注目されています。
むしろ当の子供のこと以上に、現状は親の顔色をうかがうことに保育園側は必死になっているのではないかという印象すら受けます。
この動きは営利の園だけにとどまっていません。
公立園や社会福祉法人の認可園にも当然のように波及してきています。また社会の情勢から嫌でもやらざるをえないことになりつつあります。
もともと、保育に確固たる理念もなく長年やってきているようなところも実際にはたくさんありますから、特にそういう人は簡単にいまの時流に流されています。
もちろん僕は、子供を預けている親の意見を聞いて保育の問題点を改善していくことや、適切なニーズに応えていくということを否定しているわけではありません。
既存の園が、ずさんな保育や非難されるようなことを平然と続けてきたという現実も重々承知していますから、多くの方がこれまでの保育園の体質を変えていかなければならないという意見をお持ちであることは存じています。そしてそれは僕もまったく同意見でもあります。
しかし、ここではそれらまで含めての話にすると複雑すぎるので、まずはニーズに左右されてしまうことの問題点に絞った話をさせてください。
こうままさんのコメントから『トップ保育園と下位には大きな差 東京保育園ランキングを使い倒せ』このサイトをご紹介いただきました。
ここでいうところの「保育園ランキング」というものを全否定するわけではありませんが、これにはある種のデータマジックとでもいうものがあることは実情を知るものとして指摘しておくべきだと思いました。
このランキングは「第三者評価」というものが元になっているわけですが、事実上これの主な基準というものが預けている保護者からのアンケート・満足度で成り立っているということです。
実際に親からも見て明らかにわかるような優れた保育をしていたり、育児相談を受けたり、地道な親との信頼関係の構築をしてそういった子供を預けている保護者の満足度を高めているというところももちろんあることでしょう。
しかし、現実には保育の内実とは関係なしに、とりあえず親の要望を受けて満足度を高め、不満を少なくしさえすれば高い評価になってしまうのです。
最初にあげた話の園も、実はランキングの上位に入っています。
現実は、そこで働く保育士自身ですら子供のあり方、保育の実情に危機感を感じているのに、親の要望を黙って聞き入れることで「良い保育」していることになってしまっているのです。
ほかにも僕はランキングの上位に入った園の実情を知っているところがいくつかあります。
それらを保育士としての視点から保育に点数をつけるとしたら、及第点に達していないところもあります。
繰り返しになりますが、すべてがそうというわけではないでしょう。その高評価が示すとおり、優れた保育をしているところもあるはずです。
ただ、本当に子供の健全な育成のために良質な保育を展開していることと、この満足度をあげることは必ずしも一致するわけではないということです。
親から見えるところを立派にしていれば、見えないところ(例えば日中の保育内容など)手を抜いてもなんら問題なく、このランキングはあげてしまうこともできるのです。
これがいまの保育界をとりまく現状になっています。
目先の親からのニーズに振り回されてしまえば、あるところでは「子供の育ち不在」の保育が行われていってしまうことでしょう。
こうままさんの指摘にもあるように、おむつがいつ外れるかというのは個々の個性・発達の上に判断できることであって、「いついつまでに外れます」というのは子供ではなく親の方を見た保育をしているということになります。
もし、その「いついつまでに外れます」を到達すべき目標として保育士に課したとしたら、なかには意に染まないことを強いられる子供というものがでてくることでしょう。
多くの子のなかにはどうしても排泄が確立しようのない発達状況に置かれている子供だっています。そういう子はこの保育園ではとても苦しむことになるはずです。
もし、自分がそのたびに遊びを中断されて20分ごとにトイレに無理やりいかされる子供の立場になったとして、事情がわかって言葉がしゃべれるのだとしたら、「なんであんたらの宣伝や点数稼ぎのためにトイレを強制されなければならないんだ。アホか!」と言ってあげることでしょう。
しかし、それをアピールポイントとしてどうどうと発言できてしまうあたり、そういった保育園はそもそもの保育・子供の育ちというものを大して理解をしていないわけです。
子供を健全に育てることへの理念や専門性を欠いているからこそ、簡単に親の顔色をうかがって子供の育ちに関係無く、子供を思い通りにするということができてしまいます。
ここで僕が述べたいのはこれまでの保育園の擁護というわけではありません。むしろ、こういった自体を招いたことには既存の保育界の責任というものが大きいだろうと考えています。
明確な「保育」としての専門性を打ち立てられず、それを一般に広く知らしめることができなかったことが、保育士としての専門性以上に、その人その人の気分にすら左右されることのある「ニーズ」というもの発言権を大きくしてしまった原因があることと思います。
このまえ
「幸せ」ってなんなんだろう vol.3
の記事を書きました。
親の「ニーズ」というものに対して保育士が専門性を打ち出せないとしたら、例えば、この記事にあげたような事態の子供を保育士は救うことが出来ないということです。
「お父さんお母さんがいまのうちからたくさん勉強をさせたいということですね。
じゃあこの子の性格が日々ひねくれていっていますが、自分は親のニーズには逆らえないので口をつぐんでいますね。
自分が担任を外れるか、保育園を終えて小学校にいってしまえば自分は関係ないので、それまでこの子の問題行動を抑えつけておけばいいや」
ということになっていきかねないでしょう。
ただ、この事態は「ニーズ」うんぬんがなくとも、保育の専門性のないただの「子守り保育」をしていたところには以前からあったわけですが、ニーズ至上主義とでもいうものが今後保育界を席巻するのであれば、それは保育士の怠慢ゆえではなく、保育のスタンダードなものとなってしまう可能性があることだと僕は強く感じます。
そうなってしまうと、もはや社会のセーフティーネットとしての役割は保育園にはなくなってしまいます。
いまの潮流である「保育のサービス業化」ということは、10年後20年後にそのツケを払わされる大変あやういことではないかと危惧します。
専門職である人間が、利用者の顔色をうかがわなければならないという事態は、たとえば、病院にいって検査して実はガンだったとしても、その人がそう言われることを望んでいないと思えば、「あー、ただの胃潰瘍だからたいしたことないですね」と言わなければならないというのと同じことなのです。
現状の保育のサービス業化というのは、その真実を言わない病院が一方で「これを使えば健康に効果がありますよ」と高価な健康食品を一生懸命販売しているようなものなのです。
明らかにいまの保育の潮流は間違った方へと流れつつあります。
つづく。
| 2014-10-15 | 子供の人権と保育の質 | Comment : 6 | トラックバック : 0 |
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