「複数の保育士が」という点。また、園長の弁護「何度注意しても危険な行為を続ける子どもの手をはたくことはあったが、グーで殴ったり蹴ったりはしていない」
こうした見解を聞けば、ここが組織ぐるみでこうした子供に暴力を振るうことを許容していることがわかる。
こうしたケースの施設側の弁明を聞くにつけ感じることがある。
それは、あまりにおそまつな見識に立っているということ。
自己弁護のつもりなのかもしれないが、「グーで殴っていない」は少しも弁護になっていない。
しかし、その園長からすると「握り拳でなければ暴力ではない」という認識なのだろう。正直なところ、あきれて言葉も出ない。
平手だろうがデコピンであろうが、保育施設としての認可を受けて国家資格をもった保育士が職員として働いていて、人様から預かった子供に暴力を振るうことは毛ほども許されることではない。
「グーで殴っていないから悪いことなどしていない」という弁解は、世の人をして「保育士とはこの程度のものなのか」と思わせることだろう。
自己弁護にすらなっておらず、暴力を子供に振るっていましたという自白のようなものになっている。
また、職員個人の問題にして幕引きを図ろうとするケースが多く見られる。
施設長や理事者の管理・監督責任は?
なぜ、日本の社会では「責任者」と呼ばれる人が、しばしば不始末があっても責任を逃れてしまうことがあるのだろう。
施設長が、その不適切な状態を知っていて看過していたのならばそれは問題だ。しかし、知らずに起こっていたというのであれば、やはりそこには監督不行届という責任問題が発生する。
そして、保育施設という小さな施設内で起こっていることは、そこにいる職員、施設長がまったく知らない気づいていないということは、そう簡単には起こらない。
不適切保育が、職員個人の問題から発生することもある。しかし、組織や経営者、施設長の姿勢が下地となって引き起こされることも少なくない。
例えば、保育の質などお構いなしに、職員への不当な待遇や、サービス残業の強制など過剰な労働の要求、ハラスメントなどが常態化していれば、そこで働く職員は、そうした負荷を弱いところ、つまりは子供へぶつけるようになっていく。
ゆえに、不適切保育の不祥事が明るみになったところは、たとえその職員が解雇されたとしても、必ずしも安心して預けられるとは限らない。
さて、では視点を変えてみてみよう。
なぜ、こうした不適切保育が現状山のように起きているか?
僕の立場から言えることのひとつは、明らかなスキル不足である。
言うことを聴かない子に対して「しつけ」と称して暴力を振るうといったことが起こるのは、そういう状況にある子に対してどう関わればいいかわからないがゆえにひき起こされる。
保育の専門性が欠けているのだ。
「言うことを聴かない」「他児に乱暴をする」
こうした子がいた場合、適切な保育としてのスキルを獲得していれば、信頼関係の構築から初めて、肯定不足の解消、自己肯定感、自尊感情の形成、適切な他者との関わり方の構築、ものごとに取り組む意欲の形成、こうしたことを通して安定的な姿を導いていくことができる。
しかし、それらのスキルを持っていなければ、威圧、管理、支配、疎外等をさまざまな形でもちいて、大人の望む姿に力技で持っていこうとする関わりにならざるをえない。
また、同時にそのときにそこに関わる大人のメンタルは、自己防衛へと傾く。
「その子が悪い」「あの子は甘やかされている」「あの子は家庭でしつけがされていない」
「その親が悪い」「あの親はモンスターペアレンツだ」
こうした犯人捜しの心理におちいってしまい、援助が必要な子、家庭に対してほど、その逆のことをしてしまう。
このような意識では、自分たちの職業上のスキルを上げることなく、保育上の不適切さが守られ維持されていってしまう。
保育施設の不適切な行為の背景には幾重もの問題があるが、そのひとつにはこの保育上のスキル不足の問題がある。
上の記事内でもその園長が述べているように、資格を持った保育士が「しつけ」のレベルでしか保育を考えていない。「しつけ」のスタンスから保育をすると簡単にモラルハラスメントの状況におちいり、不適切保育は起こるべくして起こる。
こうした事件やニュースにならずとも、疎外や言葉による暴力などの精神的な虐待が容易に引き起こされる。
保育士が保育を「しつけ」で考えているレベルというのは、素人さんのレベルということであり、それは保育士養成校の敗北であり、児童福祉法や保育所保育指針の敗北であると言える。
しつけの観点から保育をしたら、不適切な行動をする子は「罰するべき存在」に見えるようになってしまう。
この状態は、保育士として専門性、そしてそれに基づいた実際上のスキルの欠如にある。
しかし悲しいかな、そのレベルに多くの保育施設があるのが現実。
適切な対応法がわからないがゆえに、スマートな威圧、スマートな管理、スマートな支配を保育士の技術なのだと勘違いしてここまで来てしまっている施設、保育士は多い。
そうしたスキルしかなければ、その状態の自分たちの仕事を正当化せざるを得なくなる。場合によっては事件性のあるケースのように、暴力までも正当化しようとしてしまう。
せっかく、子供に携わる仕事を選んだのに、保育をそういうものとしてしまうのは大変もったいないこと。
本当にお願いだから子供に不適切な関わりをしてしまう前に、僕を研修に呼んで欲しい。
理念だけでなく、実際に生かせるスキルとして保育を伝える。それだけでなく、保育者のケアやモチベーションアップにも協力して、子供にとっても保護者にとっても職員にとってもよりより保育にするために力を貸すので。