保育の質 Vol.5 大人中心から子供中心へ - 2011.09.30 Fri
ずいぶん前になりますからうろ覚えなのですが、そこがかつて『大人の都合で保育しない』というのを標語にしていた時期がありました。
保育園は言うまでもなく子供のための施設なのですが、これまでにも見てきたようにその実際は、大人が上で子供が下、子供は大人に従うべき存在、そういった理論で運営されているところが少なからずありました。
そこでは保育自体が子供を十把ひとからげにひとつの型にはめようとしたり、それにそぐわない子、マイノリティーを疎外するようなことも行われてきました。
それもまた大人中心の保育と言えると思いますが、まだそういった保育も時代がそれを要請していたという側面もあるし、ひとつの保育の理念と言えば言えるものではあるかもしれません。
ですがそれとはもっと低い次元で、つまり生活の場面での「大人中心」・「大人の都合」がたくさんあったのです。そして今だにあるのです。
相談コメントより 「物の取り合いについて」 - 2011.09.24 Sat
うちは、3歳ともうすぐ2歳(1歳6カ月違い)の女の子年子です。
最近、毎日何回も玩具の取り合いをしています。
私が見ていた時は、取り合いが始まると、先に遊んでいた方に渡すようにしています。見ていない時は、違う玩具を提示して反応がある方が手を離すといった感じです。
毎日何回もあるので、正直疲れます。
なので、玩具を買うときは同じもの同じ色を与えようと思っているのですが(本人がいるときは選ばせますが、居ないときの話です)
義両親は、安い玩具でも違う種類のものを買って遊べる玩具の量があった方がいい!譲合いを教えた方がいいと言います。
たしかに、私も最初はその意見だったのですが毎日毎日取り合いをしているのでどうなのかな?と疑問に思いメールさせて頂きました。
もうすぐ下の娘が二歳の誕生日が来るのですが、プレゼントで取り合いのケンカをすると思うと、二人で遊べる物を買うべきか
一人で遊ぶ用の物(メルちゃんのベビーカーなど下の娘が反応よく遊ぶ)を買うべきか迷っています。
もし、一人用の玩具を買った場合
この子の玩具なんだと娘二人に認識させるべきか…
保育の質 Vol.4 保育業界の体質 - 2011.09.20 Tue
それは第二次ベビーブームのときです。
その際の保育園の需要を満たすために、1960年代から70年代にかけてたくさん設置されました。
その数はものすごく多く、保育士の数が足りなくなるくらいでした。
当時は公立保育園であっても、試験に名前が書ければ受かると言われたほどです。
それどころか各行政は保育士養成校(当時は保母学校)に根回しをしておいて、自分のところに優先的に就職してもらえるよう、いわゆる青田刈りまでしていました。
今ある保育士試験は、僕もそれで資格をとったのですが、すでに無資格で働いている人に後付けで資格を与えてしまおうという側面もあったそうです。
(ですので、今はもういらないという廃止論もでているそうです)
保育の質 Vol.3 「一斉保育から自由保育へ」 - 2011.09.17 Sat
保育の中でも「個人としての育ち」がまずあり、そのなかの一部として「集団への参加」という項目が考えられるのです。
しかし、長らく「集団への適応」ということを上位に置いてきた日本の保育・教育界はなかなかそこから抜け出せません。
それゆえにまだまだたくさんのそういった影響をあちこちで見ることができます。
保育の質 Vol.2 集団から個別へ - 2011.09.15 Thu
するとその話す声がガラガラでかすれているのです。
どうしたの風邪でもひいたのと聞くと・・
「保育の仕事で大きな声をだすから、こうなっちゃうんだよね~。あなたはそうならないの?」と逆に聞き返されてしまうことがありました。
よくよく話を聞くと、認可園ではあるけれどほとんど若い保育士ばかりで、日常的にみなそのように大きい声をだして子供を動かしているのだということでした。
保育の質 Vol.1 - 2011.09.14 Wed
保育の基準であげられる床面積や人員配置などの制度・運営上のこと、営利・非営利など各経営母体の差による保育の質の違いなどもそうなのですが、ここでは子供の人権からみてきたように、実際上の子供との関わり、日々の保育のあり方ということを中心に考えていきたいと思います。
それというのも、一口に保育園といってもその保育の質のばらつきにはとても大きなものがあるからです。
そのなかには古い考え方のままで、現在の社会・子供たちのあり方にそぐわなくなっているものもあります。
しかし、保育園というのはある面、他からの影響を受けない、もしくは積極的に知ろうとしない閉鎖的な面もあります。
それゆえ子供たちへのアプローチの仕方が現実に対応できなくなっていることがあったり、またそういうことに気づいていないことすらあるのです。そして残念なことにそれはあまりにも多いのです・・・。
子供の人権 Vol.4 「子供の尊重」 - 2011.09.09 Fri
しかし、それは必ずしもあたりません。
一個の人権を尊重するとは、とりもなおさず同時に他の人権も尊重するということです。
ひとつだけ持ち上げておきながら、他をおとしめたままにするというのは、人権の考え方としてありえないことです。
目の前の子供を尊重することは、つまり他の子供や、援助者である大人本人も含めて大人自体も尊重するということに他なりません。
子供の人権 Vol.3 二義的な「子供の人権」 - 2011.09.08 Thu
先にあげたような、生存権や保護される権利、教育を受ける権利などは日本ではすでに憲法や児童法などで規定されているからです。また、文化的にもそういったことはかなり以前から当然と考えられてきた歴史的経緯があります。
それもあってか、日本は当初『世界子供の権利条約』の批准に前向きではありませんでした。
はっきり言ってしぶっていたのですが、世界との協調の観点からずいぶんと他の先進国に遅れて批准することになりました。
前向きでなかった理由には、いまでも親権に子供の「懲罰権」などが含まれているように、日本でも子供は親の従属物という考え方も根強く、あまり子供を押し上げるようなことに賛同できない文化的な側面があったのかもしれません。
では、二義的な意味での子供の人権とはなにか?
子供の人権 Vol.2 『子供』の発見 - 2011.09.02 Fri
『子供』という考え方は、実は一種の発明品です。
しかも歴史的に見ればわりと最近の発明品なのです。
ヨーロッパで最初に『子供』という考え方を思いついた人は18世紀の思想家ジャン=ジャック・ルソーです。
それまでの社会は「子供は小さな大人」しかも「半人前・未熟な大人」「文明的な人間以前の状態」と考えられていた。
人間が人間たらしめるためには教育が必要であるが、大人以前の状態では「子供」という固有の世界があり、大人文化の押し付けでなく、その世界のなかで即した教育のかたちが必要である。
ということを説いた人です。
ルソー以前はもちろん、その後も長いこと子供は「子供」として守られない時代が長く続き、国連が『子供の人権宣言』を必要としたように、いまでもその問題は解決しきっているわけではありません。