「排泄の自立」というと多くの人が「あ~トイレトレーニングのことね」と思い浮かべるのでしょうけど、この「トイレトレーニング」という言葉がどうにも危険な響きを持っていると感じるのです。
「トレーニング」って「訓練」のことでしょ。
そうするとこれを聞いた人って「トイレは訓練するもの」「訓練してできるもの」「訓練しなければいけないもの」と暗に考えてしまうと思うのです。
しかし、たくさんの子供を見ていて「訓練」してできるようになるとはどうしても思えないのです。
その発達段階に至っているならば訓練なんかまったくしていなくても出来るようになってしまうし、その段階にきていなければ、いくら「訓練」を積み重ねたところで出来ないものは出来ないのです。
そしてその発達段階に至っていないにもかかわらず、「訓練」を積み重ねることでさまざまな状態・問題を引き起こしてしまうこともたくさんみています。
なのでどうにもこの「トイレレーニング」という言葉、それによる世間に流布している先入観が心配でしかたがないのです。
「うちの子はトイレトレーニングをしたらきちんとトイレで出来るようになりました」という人ももちろんいると思うのですが、それはトイレトレーニング以前もしくは最中に子供の発達段階が自立できるべき段階に達したということであって、トイレトレーニングをしたことが自立に至った直接の原因ではないと思います。
「トイレのしつけ」なんていう言葉を聞くともう冗談抜きで恐ろしさを感じてしまいます。
「しつけ」という言葉は非常に日本人の中に美徳として刷り込まれてしまっているので、『目的は手段を正当化する』で排泄の失敗を叱ってしまったり、なじってしまったり、辱めてしまったり、そんな人格をつぶすようなことまで平気で(そしてそれを省みることもなく)行われてしまうのでほんとに怖いのです。
もちろん「トイレのしつけ」という表現をしているからといって、それの内容がすべて悪いものだというわけではないのですが、「訓練」にしろ「しつけ」にしろ先入観というものは時としてものをありのままに見せなくなってしまうのではないかということです。
一般的に「トイレトレーニング」はどんなことをしているのでしょうか。
例えば、「トレーニングパンツ」というものがあり、これは当たり前のものと受け入れられていますね。
「トレーニングパンツ」の目的は、
・オムツでないものをはくことで、排泄への意識を高める
・オムツとちがい濡れる感覚をわからせることで、排泄の自覚を持たせる
・もれてしまっても、染みとおりにくいので服や床が濡れない
といったことなのでしょうか。
おそらく最大の存在理由はまんなかの「濡れることで自覚させる」というものだと思います。
これを使う方はおそらく「濡れて自覚させるようにすれば、トイレですることを覚える」のだろうと思って使っているのでしょう。
しかし実際は、まだ発達段階がそこまで到達していない子だと、トレーニングパンツにもらしていても、そのまま遊んでいます。
段階がそこまでいってしまえば、オムツにしていたとしても「おしっこでた」と教えることもできます。
つまり、濡れたからといって排泄の自立が進むというわけではないのです。
「紙おむつよりも布オムツのほうがオムツがとれるのが早い。それは布だと濡れた感覚がしっかりあるからだ」なんて話も聞きますね。
これもトレーニングパンツを肯定する根拠(?)となっているような気がします。
もっともらしく聞こえますが、どうでしょう?
むしろ、布オムツを使うということは、オムツ換えの回数だけ考えても紙オムツの子に比べて少なくとも2倍~3倍は多くなります。
そのたびに、その子は大人からオムツ交換という関わり、人との交流をもらうのです。
暖かい養育者がそれをするならばその関わりの蓄積というのは、紙おむつの子に比べてずいぶんと多くなるわけです。
たかがおむつ交換ですが、
オムツが濡れることで泣く(という自己主張) → 「あ、おしっこでたのかな?」(大人の気づき、受容)
→ 「じゃあきれいにしようね」(人との関わり、ケア)
→ 「ハイ、これでさっぱりしたね。もう大丈夫だよ」(安心感)
こういったことを暖かくしてもらうことで、子供は
自己肯定感を得ていきます。
その積み重ねたるやそうとうなものです。それが紙おむつに対して単純にみて3~4倍は多いんですよ。
受容や肯定的な関わりの経験が、子供の情緒・心をしっかりと育てていくことでしょう。
僕は「濡れる感覚」などというものよりも、こちらの要素のほうが布オムツを使っていると取れるのが早いという結果を導いているのではないかと思います。他にも布をにするというのは、それだけの手間を受け入れていたり、子供に手をかけてあげようという意思の現われだったりしますからね、そういった要素が布だと自立が早いに向かわせているのでしょうね。
(別にだからといって布オムツにしなさいと言っているわけではないですよ、誤解しないでね。何事にも利点欠点はあるのだから、自分に合うものを使えばいいんですよ。よい関わりは他にもいくらだって出来るからね、紙おむつを非難してるわけじゃないよ。うちもずっと紙だし~。)
ちょっとそれてしまいましたが、そんなわけでトレーニングパンツの必要ってないのです。
「トイレトレーニング」ってほかにどういうことをするでしょうか。
「時間でいかせる」というものなんかもそうですね。
「はじめのうちは1時間。感覚があいてきたら2時間で誘ってトイレへいきましょう」なんて書いてあるものがありますね。
これをすることでトイレでするという習慣、経験を身につけさせていくというもののようですが、僕からすると「はぁ?」です。
おしっこを溜める経験を奪ってしまうので、明らかに逆効果です。(その辺の理由は
過去記事に書かれています)
これを続けると覚えるのは「しぼりだし」とトイレで遊ぶことです。
おしっこがたまったという感覚はないのに、大人が「ここでおしっこしろ」というので、いわれるままに「しぼりだす」のです。
これを続けていくことで、いくつになっても「いつおしっこにいけばいいのかよくわからない」という子が出来上がります。
早期から「トイレトレーニング」を始めたにもかかわらず、小学校に行ってもおねしょするなんていうのはこういうことも原因になっていると考えられます。
そういうわけで、この「時間で誘う」というのも意味のないことです。
まだ、排泄に関する知識の少なかった時代のなごりですね。今もまだ「常識」になっていますが・・・。
長くなってしまったのでまた次回~~。
むーちゃんメモ:「のりとしらすはむーのそうるふ~どだお」(むーちゃん談)
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