今回は排泄の自立への移行の見極めについてです。
これも当然ながら個人差が大きいものなので、みんなこのとおりというものではありません。
ここにあげるようなことがちっともできていなくても、排泄が確立してしまう子もいますし、逆にこういうことがしっかりできているのになかなか確立にいたらないという場合もあります。
また、統計をとっているわけでもなく僕の感じたこと程度なので、あくまで参考例くらいに思って読んでください。
まず、排泄というのは「自立」ということが大きく関わってくるものです。
この「自立」というのは、内面的な精神的な意味での「自立」もそうですし、実際の行動面、たとえば生活における日々の行いなどの具体的な「自立」の両方ともあります。
ですから、例えば食事が最後まで座って食べられないような段階の子供は、まだ排泄の自立は確立できない可能性が高いです。
本来座って食べるべき食事を、それができないということであれば、行動においての「自律」(=自立)ができないということであり、精神的な意味でも大人への依存が多い、つまり「自立」していないことの表れと言えるでしょう。
こういう段階にあるにも関わらず、大人の焦りでおむつからの移行や、一般に行われる「トイレットトレーニング」を大人が課してしまうと、子供にはその準備ができていないので、そこでの問題がでてくるというようなことも多くなりがちです。
ほかにもざっとあげていきましょう。
・大人の話をスルーしてしまう子
・話していても目が合わない
・話が一方通行
・親への依存が強い
・さまざまな生活面で自分でやろうとすることが少ない
・大人に対しての、言葉もしくは意思の疎通が少ないorできない
・指しゃぶりなどの情緒面からくるクセが強く残っている
・成長期によく見られる「癇癪」(かんしゃく)が長引いていたり などなど
これらは一部にすぎませんが、例えばこういうことがあげられます。
一般にこういう状態の子供は「幼い」と漠然と捉えられているかと思います。
このほかにもこういった具体的なものだけでなく、言葉ではうまく書き表せないような雰囲気みたいなものもけっこう大きな決め手になります。
しかし、排泄とは不思議なものでちっとも幼さを感じさせないようなしっかりとした子でも、なかなか自立できない子もいます。
月齢も高く、クラスでももっとも頼りになる「お姉さんな」子供が、ほかの幼い子よりもずっとあとまでおむつだったりおもらしが続いたりなどということもあります。
こういうのはその子の体質に起因するのかもしれませんし、たんに個性のばらつきというのもあるでしょう。
ですが、こういうもののなかには「これは情緒面から来ているな」と感じられるものもあります。
例えばこんな事例です。
4月生まれで月齢も最も高い、言葉の理解や意思の疎通もしっかりしている。
お手伝いもちょっと頼むだけですぐ把握してしっかりとこなせてしまう。
遊びも上手。体の発達も進んでおり、体格もいいし、運動なども得意だし好んでいる。
しかしおむつがなかなか外れなかった、親の焦りもあってまだダダ漏れに近い状態でパンツへ移行したが確立するのはかなり長引いた。
日中パンツで失敗することが少なくなったあとも、午睡時や夜間の就寝時のおねしょが6歳を過ぎても続いた。
こういうものです。
上に述べたような発達ぐあいだけ見たら、もっとも早く外れそうですが、実際はそうなっていません。
なかにはまれに身体的な機能が不全で、溜められなかったり、排尿がうまくいかないということも、本当にごくごくまれにですがあります。
これは医療分野の問題になります。
ですが、このケースは情緒面での懸念が何点かありましたので、おそらく原因となるのはそこではなかったかと推察されます。
その情緒面の懸念とは。
父母共働きなのですが、両親とも夜勤のある仕事で、夜母親がいないことがたびたびあったり、朝起きると父親だけで母がいなかったりということが多かった。
これが生後すぐからずっとつづいている状況。
またその0歳のときから保育時間も長く(ほぼ開所から閉園時間まで)、ときにはその後さらにベビーホテルや託児所に預けられることもあった。
すぐ下に妹がおり、早い段階から「お姉さん」でいることを要求されてしまっていた。
そういった経緯のあるせいか、性格的に我慢したりうちにこもってしまう部分が強くなっていた。
というものです。
ここまではっきりとしていなくとも、情緒面の未発達・なんらかの情緒面の問題からも、排泄の自立に踏み切れないものがあるということは知っておく必要があるかと思います。
ですので、慢性的に「満たされない」状態というのも「排泄の自立」にはひとつのマイナス要因になると言ってもいいかもしれません。
この「満たされない」というものも「情緒面の問題」になるからです。
よく下に赤ちゃんが生まれると、「退行現象」として「夜尿やおもらしがぶり返す」なんていうのは、広く知られていることだと思います。
これもそういった「情緒面が排泄につながっている」ということの証左でしょう。
あと「怒られまくっている子」にもしばしば、身体や行動面の成長にはそぐわずに排泄の自立が進まない子もいます。
これも自己肯定感や情緒的な部分が影響していると考えられます。
僕はこれまでたびたび「排泄の自立を大人が望むことで子供に強要していく」ことへの心配を示唆していますが、
前半にあげたような「行動面の幼さ」の場合は、そうされつつも(そのトイレットトレーニングの成果・よし悪しとは別に。それこそそのトレーニングが意味のないものであったとしても)時間の経過で成長していく部分もありますので、何とかなっていってしまうことも多いです。
しかし、この情緒面からくる排泄の自立の困難さの場合は、時間ベースの成長ではカバーできない部分も多いので、もしその移行における対応がまずいと、その問題は蓄積されていってしまう可能性があります。
こうなると人格形成上も心配なことが多くなってしまいます。
また、なかには「行動面の幼さ+情緒面の問題」というような両方ある場合だってあります。
身体面・精神面ともに幼いところに、さらに満たされていないなどの情緒面の問題もある場合、これで大人に排泄の自立を求められてしまうことは、子供にとってかなりの無理難題です。
それをしてしまうのは非常に心配です。
そうならないためにも、年齢や月齢で割り切ったり、大人の思い・エゴだけで排泄への移行を考えるのではなく、
個々の子供の成長・発達そして情緒の「見極め」という視点をもって、「排泄の移行」へと臨んでもらいたいと思います。
最後にひとつ。こういう排泄の自立とかだととても顕著なのだけど、
「簡単に考えすぎてもよくないし、かといって難しく考えすぎてもまたよくない」ということを感じます。
できるだけおおらかに余裕を持って、ほどのよいところ↑のまんなかあたりを、のんびりフワフワとやっていくのが子育ての秘訣かなと思います。
「強い大人・弱い大人」のテーマなんかも同じだね。どちらかにかたよるのではなく、とはいっても別に決まったラインがあるわけでもなく、こだわらずにまんなかあたりをフワフワとしていけるのがいいようです。