このことはきちんと勉強しこどもの育ちを考えている保育園では、もう20年以上前から取り組んできていました。
いま思えばちょうどそのくらいの世代が引きこもりになっているので、現場の人たちにはここまでとはいかなくても、ある程度この問題の芽は見えていたのですね。
そのころまだ『自己肯定感』なる言葉はなかったか、一般的でなかったので、こどもに携わる職の人たちは「こどもに自信をつけさせる」「自信を持たせる」とよく言っていました。
こどもを「可愛いと思えない」「褒められない」「認められない」「大切に思えない」。
こういった親にとにかくこどものいいところを見せてあげて、少しでも認めてもらい「こどもに自信をつけさせてあげよう」と取り組んできていました。
自分のこどものことを可愛いと思えない親でも、我が子をほめられれば悪い気はしないものなので、いろいろ見つけたり、手伝いながらも一緒にすることでいいところを引き出してあげて、親に伝えていったりしてきました。
でもね、本当は「親に可愛いと思われてない子」だから褒めるとこなんてほとんど無いのよ。
実際はその10~20倍くらい注意することがたくさんあるの。
しかし、そこを見てしまったらその子は伸びなくなってしまうってわかるから、なんとかいいところを見つけていったりね。
そうやっていいところをお母さんに教えてあげて、少しでもこどもを認められるような、可愛いと思えるようなところを作ってあげるの。
ところがどっこい、そうやって涙ぐましいまでの努力をしていいところを教えてあげても、響かない親がいるのね。
なぜなら、その親自体が自分を自己否定してたり、子育てにつかれきっていたり、エゴが強くてこどものことを素直に受け取れなかったり・・・。
だから、まず親から褒めていったりするのですよ。
髪型がかわればその都度、声をかけたりね・・。
お世辞言ったり、もともと人付き合いなんかの得意でない僕にはそれが大変だったな~。
まあ、それもこどものためと思えばね、なんとかやってきたけど。
もう、そういうのに疲れちゃってぐったりしちゃう時期もありました。
こどももきちんと見れて、さらにああいうことがさらっとできる先輩はすごいな~って今でも思います。
あ、なんかグチっぽくなってしまったけど・・。
しかし、そうまでしてもなかなかこどもに自信を持たせるようにするのは簡単ではありませんでした。
相当努力すればこどもを変えることはある程度できます。
でも、親を変えることはまずたいていできません。
その親本人が変わろうと思わない限りは、まず無理です。
だから問題の根が親子関係にある場合は、なかなかその子に十分なところまで自信をつけさせてあげるというのはとても難しいです。
それでももちろん保育士の働きかけで、相当かわりますよ。
でも、こどもが本当に求めているのは、「親のよい関わり」なのですよね。
自分に自信のない子がどうであるかというと。
・集団での遊びや運動などに参加したがらない、できない ・絵が描けない、描けてもとても小さい ・意地悪になる ・自己主張ができない。生活で必要なことも伝えることができない ・笑顔がでない。顔の表情自体がない などなど、色々ですが、親子関係により自信がもてない。「自己肯定」できない子というのは、小さいうちからかなりはっきりとわかります。
(ただし、こういったことは他の原因でもなりますので、↑のようだから「自己肯定」できていない子とは限りません)
家庭でできないのならば、そとで理解し受け止めてあげられるところがあれば、まだ多少は救われるのですが、
・集団での遊びや運動などに参加したがらない、できない ↑みたいな子は、個性を尊重するよりも、画一的で「できること」を重視したりする保育園や幼稚園でだと、「やる気がない」「ふざけている」「意欲に欠ける」などと判断されてしまいがちになります。
外でもこういうように否定的な見方をされてしまえば、ますます「自己肯定」できず、自信が持てないほうへといってしまいます。
日本の「しつけ」、「教育」はその他大勢と協調してできることを最重視する傾向があるので、これまでにもこのようにされてきてしまった子はとても多いと思います。
そして残念なことに、今でも21世紀になった現在でも、やはり多くのところがこのように「協調性」を最重視して子育てしています。
こういう現状では「引きこもり」も「ニート」問題もなかなか改善には向かわないのではないかと思います。
長くなったので今日はここまで。おやすみなさい~。
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