「女性と子育て」 - 2010.05.14 Fri
僕がこどものころ、いまから20~30年くらい前ですが、しばしば産まれたばかりの赤ちゃんが誘拐されるという事件がおきていました。
こども心にも何度もそういったニュースを見たのを覚えています。
その動機の多くは、「結婚しているがこどもが産まれないのでこどもが欲しかった」というものでした。
最近ではこういう事件すっかりなくなりましたね。
いまは不妊治療も長足の進歩を遂げたということもあるのでしょうけれども、社会の価値観がかわったというのも理由の一つだと思います。
かつてはこどもをつくり、家を継がせ家名を存続させていくということに、非常な重きを置かれていました。
女性はこどもを産み育てることが期待されていました。
もしこどもが出来なければ、離婚の理由ともなっていたほどです。
こういうことは、女性に対する社会的な抑圧であったともいえるでしょう。
それゆえに、妄想妊娠・想像妊娠・偽装妊娠なんてことまであったわけです。
いまではそこまでではないにしても、やはり女性が子育てをすることは暗黙のうちに期待されています。
しかし、現代では社会の中での女性のあり方が以前とは変ってきました。
具体的にいえば、職業的に自己実現する場が広く開かれたということです。
要するに男性と同じように、女性も仕事においてキャリアを築いていくことができる世の中になりました。
このことは、実は長い歴史の中で革命的と言ってもいいほどのことなのだけど、日本では大きなムーブメントがあったわけでもなく、「なんとなく、いつのまにか」そういう社会になったというのが拭いきれない印象としてあると思います。
もちろん、男女雇用機会均等法などさまざまな社会制度の整備や、男女同権を目指す人々の活動が基盤となってきたのはいうまでもありませんが、一般人からみたところやはりいつのまにかそういう社会になったという感じではないでしょうか。
このことには理由があります。
それは、本当の意味で男女間の差を是正しようとしてこうなったわけでなく、GNPの減少、労働力の不足という問題が深刻化した結果、女性を働かせるように当時の政権がしむけたわけだからです。
(実際そうしたのが、小泉政権時代のことなのでそれほど前のことではないですね)
だから、本当の意味で女性が働き易い社会になったのかというとそういうわけではなくて、これまで男性のいたポジションに女性がそのまま来たという感じが強いのではないでしょうか。
そういうわけだから、子育てしている女性もこどもが病気したとか、そういった理由でも休みが取りにくかったり、育休・産休などの制度があっても実際は取りにくかったり、取れても職場側からは渋々だったりする状況を多く見かけます。
現代の「女性と子育て」という観点からみたとき、こういった子育てと仕事との両立のギャップが、まず問題の一つ。
もう一つの「女性と子育て」の問題は、女性の意識の変化からくる、子育て・こども観の変化というものがあげられると思います。
それは、最初に「かつては女性に対する社会的な抑圧」があったと述べましたが、現代ではその抑圧が薄れたと言えます。
このこと自体はとてもいいことだと思います。
しかし、その一方で「子育て」というくびきから開放され、必ずしも「母」としての人生を強要されなくなり、やりたいことが自由にやれるようになったといえます。
そういう、意識の変革の中で、ともするとこどもは「自分の自由を制限する存在」「手のかかるもの」「お荷物」、以前書いたような「うざい・むかつく」ものへと転落しているきらいがある、というのがもう一つの問題だと思うのです。
ここ数年ものすごい勢いで「ネグレクト」が増加しているように、保育士をしていて実感します。
かつてはそういった、育児放棄やネグレクト、虐待といったものは、多くが貧困や生活水準の低さなどが背景となって存在していました。
しかし、今では両親とも一流企業に勤めていて経済的にはなんの心配もないような家庭で、普通にネグレクトが起こっています。
子育てやこどもの面倒をみるのが嫌だという理由で、一日も早く仕事に復帰し保育園にあずける。
という人が中にはとても増えてきました。
そしてそういうことを実にあっけらかんと話せるわけです。
いい悪いは別として、かつての「跡継ぎを産み、育てる」という時代にこんなことは思っても口に出せなかったでしょうね。
そういうわけで、時代がそして親の意識が大きく変ったと感じるようになったわけです。
女性が男性と同じように社会進出を遂げられるようになった一方で、親から疎外されるようになったこどもがいるわけです。
まあ、ある意味これは不思議でもなんでもありません。
これまでの男性がいたポストに女性も納まって、同じように振舞うことが要求されているわけですから。
極端な話これまでの父親二人で、子育てしているようなものです。
いまの仕事のあり方・社会のあり方では、こどもまで手が回らないという状況になるのも無理ないことです。
もちろん、働いていない女性であってもこういう問題と無縁なわけではありません、それは社会全体の雰囲気がそういう方向へいっているからです。
当然ながら、昔は良かったという意味のことをいっているわけではありません。
社会の進歩の流れで、女性が男性と同じように仕事についたり活躍できるのは当然だし、とてもいいことだと思います。
しかし、男女同権になって男性と同じように遇されるようになったからそれで終点なのではなく、今後は質的な向上を求めていく時代になっているのだと思います。
それはもちろん、男性だからとか女性だからというのではなく、男性も女性も同じようにこどもを持ったならば、それに伴って必要とされる時間を当たり前のように確保できたりする社会ではないかと思います。
今の日本では考えられないようなことですが、このことは諸外国をみてみれば珍しくもなんともありません。
ドイツでは男性も育児休暇をとれるし、またそれは法律で定められた義務でもあります。
フランスでもこどものいる家庭はそれを前提とした就業規則のなかで働けばいいことになっています。
あるニュージランドの人は小さい頃は父親も残業などなく、毎日4時くらいには帰ってきてくれたといっていました。
日本よりもGNPとかははるかに低い国でも、なんだかある意味とても豊かだな~と感じますね~。
今の日本はまだそういった社会の成熟の過程の過渡期にいるのでしょうね。
まあ、社会の変化などそんな一朝一夕に達成されるものではないので、僕としてはこどもっていうのはお荷物でもないし、子育ても本当はおもしろいものなんだというのを伝えていきたいなと思っております。
蛇足ながらつけたすと、女性が受け持たされている子育ての大変さ。
旦那さんのねぎらいの言葉やちょっとした家事を手伝ってあげるだけでも大いに軽減されるものなのですよね~。
こどもの問題行動なんかも、その原因となっている母親をお父さんが助けてあげることで、良くなっていくことがけっこうあったりします。
今後は父親の育児・家庭参加というものも今後ほんとに大切ですね~。
↓励みになります。よろしかったらお願いします。
こども心にも何度もそういったニュースを見たのを覚えています。
その動機の多くは、「結婚しているがこどもが産まれないのでこどもが欲しかった」というものでした。
最近ではこういう事件すっかりなくなりましたね。
いまは不妊治療も長足の進歩を遂げたということもあるのでしょうけれども、社会の価値観がかわったというのも理由の一つだと思います。
かつてはこどもをつくり、家を継がせ家名を存続させていくということに、非常な重きを置かれていました。
女性はこどもを産み育てることが期待されていました。
もしこどもが出来なければ、離婚の理由ともなっていたほどです。
こういうことは、女性に対する社会的な抑圧であったともいえるでしょう。
それゆえに、妄想妊娠・想像妊娠・偽装妊娠なんてことまであったわけです。
いまではそこまでではないにしても、やはり女性が子育てをすることは暗黙のうちに期待されています。
しかし、現代では社会の中での女性のあり方が以前とは変ってきました。
具体的にいえば、職業的に自己実現する場が広く開かれたということです。
要するに男性と同じように、女性も仕事においてキャリアを築いていくことができる世の中になりました。
このことは、実は長い歴史の中で革命的と言ってもいいほどのことなのだけど、日本では大きなムーブメントがあったわけでもなく、「なんとなく、いつのまにか」そういう社会になったというのが拭いきれない印象としてあると思います。
もちろん、男女雇用機会均等法などさまざまな社会制度の整備や、男女同権を目指す人々の活動が基盤となってきたのはいうまでもありませんが、一般人からみたところやはりいつのまにかそういう社会になったという感じではないでしょうか。
このことには理由があります。
それは、本当の意味で男女間の差を是正しようとしてこうなったわけでなく、GNPの減少、労働力の不足という問題が深刻化した結果、女性を働かせるように当時の政権がしむけたわけだからです。
(実際そうしたのが、小泉政権時代のことなのでそれほど前のことではないですね)
だから、本当の意味で女性が働き易い社会になったのかというとそういうわけではなくて、これまで男性のいたポジションに女性がそのまま来たという感じが強いのではないでしょうか。
そういうわけだから、子育てしている女性もこどもが病気したとか、そういった理由でも休みが取りにくかったり、育休・産休などの制度があっても実際は取りにくかったり、取れても職場側からは渋々だったりする状況を多く見かけます。
現代の「女性と子育て」という観点からみたとき、こういった子育てと仕事との両立のギャップが、まず問題の一つ。
もう一つの「女性と子育て」の問題は、女性の意識の変化からくる、子育て・こども観の変化というものがあげられると思います。
それは、最初に「かつては女性に対する社会的な抑圧」があったと述べましたが、現代ではその抑圧が薄れたと言えます。
このこと自体はとてもいいことだと思います。
しかし、その一方で「子育て」というくびきから開放され、必ずしも「母」としての人生を強要されなくなり、やりたいことが自由にやれるようになったといえます。
そういう、意識の変革の中で、ともするとこどもは「自分の自由を制限する存在」「手のかかるもの」「お荷物」、以前書いたような「うざい・むかつく」ものへと転落しているきらいがある、というのがもう一つの問題だと思うのです。
ここ数年ものすごい勢いで「ネグレクト」が増加しているように、保育士をしていて実感します。
かつてはそういった、育児放棄やネグレクト、虐待といったものは、多くが貧困や生活水準の低さなどが背景となって存在していました。
しかし、今では両親とも一流企業に勤めていて経済的にはなんの心配もないような家庭で、普通にネグレクトが起こっています。
子育てやこどもの面倒をみるのが嫌だという理由で、一日も早く仕事に復帰し保育園にあずける。
という人が中にはとても増えてきました。
そしてそういうことを実にあっけらかんと話せるわけです。
いい悪いは別として、かつての「跡継ぎを産み、育てる」という時代にこんなことは思っても口に出せなかったでしょうね。
そういうわけで、時代がそして親の意識が大きく変ったと感じるようになったわけです。
女性が男性と同じように社会進出を遂げられるようになった一方で、親から疎外されるようになったこどもがいるわけです。
まあ、ある意味これは不思議でもなんでもありません。
これまでの男性がいたポストに女性も納まって、同じように振舞うことが要求されているわけですから。
極端な話これまでの父親二人で、子育てしているようなものです。
いまの仕事のあり方・社会のあり方では、こどもまで手が回らないという状況になるのも無理ないことです。
もちろん、働いていない女性であってもこういう問題と無縁なわけではありません、それは社会全体の雰囲気がそういう方向へいっているからです。
当然ながら、昔は良かったという意味のことをいっているわけではありません。
社会の進歩の流れで、女性が男性と同じように仕事についたり活躍できるのは当然だし、とてもいいことだと思います。
しかし、男女同権になって男性と同じように遇されるようになったからそれで終点なのではなく、今後は質的な向上を求めていく時代になっているのだと思います。
それはもちろん、男性だからとか女性だからというのではなく、男性も女性も同じようにこどもを持ったならば、それに伴って必要とされる時間を当たり前のように確保できたりする社会ではないかと思います。
今の日本では考えられないようなことですが、このことは諸外国をみてみれば珍しくもなんともありません。
ドイツでは男性も育児休暇をとれるし、またそれは法律で定められた義務でもあります。
フランスでもこどものいる家庭はそれを前提とした就業規則のなかで働けばいいことになっています。
あるニュージランドの人は小さい頃は父親も残業などなく、毎日4時くらいには帰ってきてくれたといっていました。
日本よりもGNPとかははるかに低い国でも、なんだかある意味とても豊かだな~と感じますね~。
今の日本はまだそういった社会の成熟の過程の過渡期にいるのでしょうね。
まあ、社会の変化などそんな一朝一夕に達成されるものではないので、僕としてはこどもっていうのはお荷物でもないし、子育ても本当はおもしろいものなんだというのを伝えていきたいなと思っております。
蛇足ながらつけたすと、女性が受け持たされている子育ての大変さ。
旦那さんのねぎらいの言葉やちょっとした家事を手伝ってあげるだけでも大いに軽減されるものなのですよね~。
こどもの問題行動なんかも、その原因となっている母親をお父さんが助けてあげることで、良くなっていくことがけっこうあったりします。
今後は父親の育児・家庭参加というものも今後ほんとに大切ですね~。
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| 2010-05-14 | 日本の子育て文化 | Comment : 12 | トラックバック : 0 |
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