支配的な行動を示す子供 Vol.4 ―保育士としての子供への援助― - 2013.06.11 Tue
次に親へのアプローチができない場合、うまくいかなかったときや、効果的でなかった場合についてみていきます。
(いつも話が横っ飛びするのが僕の悪い癖なので、今回は補足的な部分は下に(注)として書き加えるようにしてみました)
(いつも話が横っ飛びするのが僕の悪い癖なので、今回は補足的な部分は下に(注)として書き加えるようにしてみました)
ある程度年齢が上がってから受容が必要になってくるこのような事例には、様々なケースはありますが、必要なだけの親の関わりの変化が期待できないことも少なくありません。
様々なケースとは、まだ保育士とその親との信頼関係ができておらず、こみいった話ができない場合や、話してみても理解をえられなかったとき、理解はしてもらえても親自身が効果的な関わり方をできない場合、支配的に関わっているのがその親ではなく祖父母などの第三者である場合などなど、いろいろな理由があります。
そして前号でみたような事例のように、親と話し合うことですぐ解決のいとぐちにつけるようなケースだけでなく、そのようにすんなりといかないこともまた現実には多いです。
その際は保育士が、そのたりないものを補えるだけの関わりをその子供へしていってあげるべきでしょう。
今回はそのアプローチについて書いていきます。
しかし、このことはどれほどうまく保育士が子供に援助できたとしても、次善の策にすぎません。
やはり一番良いのは親から子への関わりがいい形で行われることです。
親へのアプローチよりも、子供へのアプローチに重点をおくことにしたとしても、そのことは忘れずに視野の内においておきます。
また、それが可能になるような子供・親へのアプローチも配慮します。(注1)
まず、子供への対応の基本になるのは保育士と子供との信頼関係です。
このような大人から支配的に扱われたり、親の思い通りの子であることを要求され満たされていない子は、おおむね大人への信頼感が薄くなってしまっています。
大人への信頼・期待が高ければ、もっと大人を直接困らせたりするような形で出せているのです。
しかし、それができないからこそ、自分と同等か下の立場の人間に支配的な行動をとることで自分の心のバランスをとろうとしてしまっています。
ゆえに、信頼関係を作ることがまず第一に必要であり、重要なのです。
その後に「受容」のプロセスがくるのですが、その子のその大人への信頼が薄ければいくら受容的行為を重ねてもその効果は低いままです。
だけど、この信頼関係を作るのが現実には、なかなかに難しい仕事です。
以前にも書いたように年齢が低いうちであれば対応はしやすいのですが、もともとの大人への信頼や期待が薄い子で心の発達も進んでいる子と信頼関係を築いていくのはそうでない時に比べて大変です。
また、「可愛げがなくなってしまっている」状態にまできていればそれはなおさらです。
保育士も人間ですから、ここは言葉でいうほど簡単ではありません。ですが、これができるかどうかが保育士としての腕の見せどころでしょう。
こういった対応ができる人は「高い専門性をもった保育士である」と言えると思います。
具体的には、取ってつけたような褒め言葉などは、このような精神的な発達の進んだ子供には見透かされてしまいます。
むやみに子供に迎合するような関わりをするのではなく、「いいものはいいよくないものはよくない」と本音で関わるような誠実な態度もきちんと信頼関係を築くためには必要かと思います。
素直な部分、子供らしい部分もたくさん残っていればいいですが、そうでないところまでいってしまっていれば「ほめる」ところなど見つからなくなっているケースだってあります。
「ほめる」ことよりも「認める」ことをきちんとしていくことが、発達の進んでいる子供には大切でしょう。
作ってでも「認めて」いきます。
なにかお手伝いをしてもらったり、仕事や役割を任せたり、他児への支配的な関わりをいい形にするようにアプローチしてそのまま遊びの中心的な存在に育てて、そういったところを認めたり、達成感を持たせていくというような関わりが効果的になると思います。
こういった事例に限りませんが、子供がネガティブな部分を持っていたとしても、いい部分を増やしていってあげることでネガティブな出し方をする必要がなくなっていくようにすることができます。
怒る・叱るという関わりから出発し、それに終始してしまってはなかなかその段階に到達することは難しいです。(注2)
保育士と子供とのあいだに信頼関係をつくり、子供に自己肯定感を持たせていくこのようなプロセスを積み重ねていけば、その保育士に対して「甘え」を出してくることがあります。
これは個々によりけりですが、出せる子もいれば、自分からは出せない子もいます。
しかし、それを出させてあげることがこういった子供への援助のためにはとても大切です。
出せる子にももちろんですが、出せない子には特に意識して出せるように関わっていく必要があるでしょう。
どのようにすればいいかというと、関わりの中に常に「あなたを受け止めますよ」とでもいうような「受容的態度」をもって接することです。(注3)
直接的には、「先回りした関わり」などで引き出していくことも大切でしょう。
ここで「甘え」がでてくることも大きな前進なのですが、それは次の難しい局面に入ったということでもあります。
ここでもまた保育士の力量が試されることがあります。
なぜなら、これらの子の多くは大人への「甘え方」というものを知りません。
それを知っている子、出来ている子ならば、本当に生育上の問題となるような他者への関わり、ここでは支配的な態度、までは発展しないものです。
そういう「甘え」を出せる子ならば、「問題は一時的なもの・軽いものだった」ということが言えるでしょう。(注4)
大人への「甘えの出し方」というものをあまりわかっていない場合、その出し方が受ける大人にとって「心地よくないもの」であることがあります。
嫌がるようなことを言ったり、不快になるようなちょっかいを出したり、困らせること、その大人に対して支配的な態度をとったり、イライラするくらいまで極端にベタベタとしてきたり、などなどです。
ケース(注5)にもよりますが、やはりよい関係というのは「お互いが心地いい」ということが欠かせません、そのためにときには「それは困る・嫌だ」ということも伝え、一方で「素直な甘え」「よい甘え方」というものを子供に実地に伝えていかなくてはならないでしょう。
この点も保育士自身が、普段から子供を肯定する姿勢や受容を受け止めるという姿勢を持っている人でなければ、なかなかうまくいきません。
ここも「保育士の高い専門性」の部分だと言えると思います。
実際やってみると、とてもストレスを感じる大変な部分ではありますが、保育士には子供のより良い育ちを援助する職務についたものとしての意識とプライドをもって臨んでもらいたいです。
平たく言ってしまえば、「可愛い子」にしていくのです。
互いに心地よい、大人からすれば「この子は可愛いなあ」と思えるような「甘え」を出せるような子供にしていくことが必要だと僕は思います。(注6)
この状態まで到達し、それを維持していくことができれば、支配的な行動にもある程度目に見えたよい変化というものがでていることでしょう。
それですっかり他にも問題がないと判断されるのケースであれば、それはそれでよいでしょう。
でも、他にもなにか気になる行動があったり、問題を抱えているならば、この到達点をジャンプ台にして、注1に書いたような、「親へのフィードバック」に特に配慮していく必要があるかと思われます。
そういったケースでは、ここまできてそれはゴールではなく、ようやくスタート地点です。
そこで得られたものが、「以前より少し可愛げがでてきたかな」程度のわずかなものであっても、それを親に示しそこから母子関係・親子関係をよりよくするための援助ができることで、保育士としてはその後まで続く子供の成長に寄与したことになるでしょう。
注1 例えばこの後に述べられているように、「素直な甘え」の出せる子供に保育士がすることで、子供には自分の親に「甘え」を出せる子、親からすれば子供を「受容」しやすい状態にし、その上でもう一度親子間でよいアプローチを取れるようにしていくなどが挙げられる。
注2 このことは「してはならないことにまで目をつぶる」ということを意味するのではない。
よくないことならば、怒ったり叱ったりすることも大人の誠実な態度というものであり、それは信頼関係を築く上でも大切なことである。
ここで怒る・叱るの対象にすべきでないと述べているのは、子供が「他児へ支配的な態度を示す」という行為そのもののこと。
注3 このことは過去記事にある「全面肯定」とも関連が深い。
注4 今回は説明のためにモデルとして、根が深いケースを想定して書いています。
ご家庭で気づくような「ちょっとした気になる態度」程度であれば、ここまで深刻なものでないことが多いでしょう。
また、ご家庭では上記のように「甘え」の出せるかどうかというところが、ひとつのバロメーターになると思いますので、それによっても「成長の中で出るちょっとしたこと」なのか「きちんと向き合って対応すべきこと」なのかの違いがわかることもあるかと思います。
注5 被虐待児などでこういうものでも甘んじて受容したほうがよい場合というのもあるだろう。
注6 本来ならばこのプロセスというのは1~2歳のときに、子供は成長の段階として持っているのですが、こういうケースではそこから引きずってきていることが多いです。
様々なケースとは、まだ保育士とその親との信頼関係ができておらず、こみいった話ができない場合や、話してみても理解をえられなかったとき、理解はしてもらえても親自身が効果的な関わり方をできない場合、支配的に関わっているのがその親ではなく祖父母などの第三者である場合などなど、いろいろな理由があります。
そして前号でみたような事例のように、親と話し合うことですぐ解決のいとぐちにつけるようなケースだけでなく、そのようにすんなりといかないこともまた現実には多いです。
その際は保育士が、そのたりないものを補えるだけの関わりをその子供へしていってあげるべきでしょう。
今回はそのアプローチについて書いていきます。
しかし、このことはどれほどうまく保育士が子供に援助できたとしても、次善の策にすぎません。
やはり一番良いのは親から子への関わりがいい形で行われることです。
親へのアプローチよりも、子供へのアプローチに重点をおくことにしたとしても、そのことは忘れずに視野の内においておきます。
また、それが可能になるような子供・親へのアプローチも配慮します。(注1)
まず、子供への対応の基本になるのは保育士と子供との信頼関係です。
このような大人から支配的に扱われたり、親の思い通りの子であることを要求され満たされていない子は、おおむね大人への信頼感が薄くなってしまっています。
大人への信頼・期待が高ければ、もっと大人を直接困らせたりするような形で出せているのです。
しかし、それができないからこそ、自分と同等か下の立場の人間に支配的な行動をとることで自分の心のバランスをとろうとしてしまっています。
ゆえに、信頼関係を作ることがまず第一に必要であり、重要なのです。
その後に「受容」のプロセスがくるのですが、その子のその大人への信頼が薄ければいくら受容的行為を重ねてもその効果は低いままです。
だけど、この信頼関係を作るのが現実には、なかなかに難しい仕事です。
以前にも書いたように年齢が低いうちであれば対応はしやすいのですが、もともとの大人への信頼や期待が薄い子で心の発達も進んでいる子と信頼関係を築いていくのはそうでない時に比べて大変です。
また、「可愛げがなくなってしまっている」状態にまできていればそれはなおさらです。
保育士も人間ですから、ここは言葉でいうほど簡単ではありません。ですが、これができるかどうかが保育士としての腕の見せどころでしょう。
こういった対応ができる人は「高い専門性をもった保育士である」と言えると思います。
具体的には、取ってつけたような褒め言葉などは、このような精神的な発達の進んだ子供には見透かされてしまいます。
むやみに子供に迎合するような関わりをするのではなく、「いいものはいいよくないものはよくない」と本音で関わるような誠実な態度もきちんと信頼関係を築くためには必要かと思います。
素直な部分、子供らしい部分もたくさん残っていればいいですが、そうでないところまでいってしまっていれば「ほめる」ところなど見つからなくなっているケースだってあります。
「ほめる」ことよりも「認める」ことをきちんとしていくことが、発達の進んでいる子供には大切でしょう。
作ってでも「認めて」いきます。
なにかお手伝いをしてもらったり、仕事や役割を任せたり、他児への支配的な関わりをいい形にするようにアプローチしてそのまま遊びの中心的な存在に育てて、そういったところを認めたり、達成感を持たせていくというような関わりが効果的になると思います。
こういった事例に限りませんが、子供がネガティブな部分を持っていたとしても、いい部分を増やしていってあげることでネガティブな出し方をする必要がなくなっていくようにすることができます。
怒る・叱るという関わりから出発し、それに終始してしまってはなかなかその段階に到達することは難しいです。(注2)
保育士と子供とのあいだに信頼関係をつくり、子供に自己肯定感を持たせていくこのようなプロセスを積み重ねていけば、その保育士に対して「甘え」を出してくることがあります。
これは個々によりけりですが、出せる子もいれば、自分からは出せない子もいます。
しかし、それを出させてあげることがこういった子供への援助のためにはとても大切です。
出せる子にももちろんですが、出せない子には特に意識して出せるように関わっていく必要があるでしょう。
どのようにすればいいかというと、関わりの中に常に「あなたを受け止めますよ」とでもいうような「受容的態度」をもって接することです。(注3)
直接的には、「先回りした関わり」などで引き出していくことも大切でしょう。
ここで「甘え」がでてくることも大きな前進なのですが、それは次の難しい局面に入ったということでもあります。
ここでもまた保育士の力量が試されることがあります。
なぜなら、これらの子の多くは大人への「甘え方」というものを知りません。
それを知っている子、出来ている子ならば、本当に生育上の問題となるような他者への関わり、ここでは支配的な態度、までは発展しないものです。
そういう「甘え」を出せる子ならば、「問題は一時的なもの・軽いものだった」ということが言えるでしょう。(注4)
大人への「甘えの出し方」というものをあまりわかっていない場合、その出し方が受ける大人にとって「心地よくないもの」であることがあります。
嫌がるようなことを言ったり、不快になるようなちょっかいを出したり、困らせること、その大人に対して支配的な態度をとったり、イライラするくらいまで極端にベタベタとしてきたり、などなどです。
ケース(注5)にもよりますが、やはりよい関係というのは「お互いが心地いい」ということが欠かせません、そのためにときには「それは困る・嫌だ」ということも伝え、一方で「素直な甘え」「よい甘え方」というものを子供に実地に伝えていかなくてはならないでしょう。
この点も保育士自身が、普段から子供を肯定する姿勢や受容を受け止めるという姿勢を持っている人でなければ、なかなかうまくいきません。
ここも「保育士の高い専門性」の部分だと言えると思います。
実際やってみると、とてもストレスを感じる大変な部分ではありますが、保育士には子供のより良い育ちを援助する職務についたものとしての意識とプライドをもって臨んでもらいたいです。
平たく言ってしまえば、「可愛い子」にしていくのです。
互いに心地よい、大人からすれば「この子は可愛いなあ」と思えるような「甘え」を出せるような子供にしていくことが必要だと僕は思います。(注6)
この状態まで到達し、それを維持していくことができれば、支配的な行動にもある程度目に見えたよい変化というものがでていることでしょう。
それですっかり他にも問題がないと判断されるのケースであれば、それはそれでよいでしょう。
でも、他にもなにか気になる行動があったり、問題を抱えているならば、この到達点をジャンプ台にして、注1に書いたような、「親へのフィードバック」に特に配慮していく必要があるかと思われます。
そういったケースでは、ここまできてそれはゴールではなく、ようやくスタート地点です。
そこで得られたものが、「以前より少し可愛げがでてきたかな」程度のわずかなものであっても、それを親に示しそこから母子関係・親子関係をよりよくするための援助ができることで、保育士としてはその後まで続く子供の成長に寄与したことになるでしょう。
注1 例えばこの後に述べられているように、「素直な甘え」の出せる子供に保育士がすることで、子供には自分の親に「甘え」を出せる子、親からすれば子供を「受容」しやすい状態にし、その上でもう一度親子間でよいアプローチを取れるようにしていくなどが挙げられる。
注2 このことは「してはならないことにまで目をつぶる」ということを意味するのではない。
よくないことならば、怒ったり叱ったりすることも大人の誠実な態度というものであり、それは信頼関係を築く上でも大切なことである。
ここで怒る・叱るの対象にすべきでないと述べているのは、子供が「他児へ支配的な態度を示す」という行為そのもののこと。
注3 このことは過去記事にある「全面肯定」とも関連が深い。
注4 今回は説明のためにモデルとして、根が深いケースを想定して書いています。
ご家庭で気づくような「ちょっとした気になる態度」程度であれば、ここまで深刻なものでないことが多いでしょう。
また、ご家庭では上記のように「甘え」の出せるかどうかというところが、ひとつのバロメーターになると思いますので、それによっても「成長の中で出るちょっとしたこと」なのか「きちんと向き合って対応すべきこと」なのかの違いがわかることもあるかと思います。
注5 被虐待児などでこういうものでも甘んじて受容したほうがよい場合というのもあるだろう。
注6 本来ならばこのプロセスというのは1~2歳のときに、子供は成長の段階として持っているのですが、こういうケースではそこから引きずってきていることが多いです。
| 2013-06-11 | 保育園・幼稚園・学校について | Comment : 23 | トラックバック : 0 |
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