元々子育てに不安を抱えている人や、うまくやらなければと強く思っている人、几帳面な人完璧主義な人などはそこで子育てにつまづいてしまいます。
多くの人にとって子育ては未経験だったり、知識や実地の経験のとぼしいものですから、それらは無理のないことです。
なので僕は「乗り越える」ということがあってもいいということを提案したいと思います。
「乗り越える」というのは、「その場をなんとかやり過ごす」とでも言い換えてもいいでしょう。
例えば2~3歳の成長期の頃、子供によってはその対応はものすごく大変です。
ただでさえ大変なのに、そこでさまざまな「○○してはならない」や「○○すべき」という様々な制約をつけてしまったら、どうでしょう?
それらを守ろうとしたら、もともと大変な上にさらに大変な努力を子育てする大人はしなくてはなりません。
特に母親一人が子育てをするというような、今のありかたの中でこういう自体になることはものすごいストレスや身体的な負担をかけることになります。
子育てを投げ出したくもなります。
投げ出せる人ならば実はいいのかもしれません。
真面目な人はそれで気に病むあまり、育児ノイローゼになったり、自己の自信喪失になってしまったり。
そのストレスから子供や周囲の人に当たったり、家族関係や人間関係を難しくしてしまったり。
それでその後々までも子育てが破綻してしまう人も少なくありません。
ネグレクトや放任などでも、それが加速化するのはこういった子育ての大変な時期を契機としてということが多いです。
そんな風になってしまうくらいならば、子育ての本当に大変な時期や、またはもともとの気質で癇が強いとか発達上の問題があって一筋縄でいかないときなど、とりあえずある意味では子育ての手抜きをして「乗り切ってしまう」ということがあってもいいと思うのです。
人はどうしても問題にあたると、なにかをすることでその状況を打開しようとしてしまいますが、人相手の場合「なにもしない」ということがその時においては最良の対応ということだってあります。
「モノでつったり脅したり、疎外感を与えることで子供を動かすのは望ましくない」「感情的に怒ったりするのはよくない」などというようなことを僕も書いていますが、本当に大変なときにまでそれをかたくなに守るのではなく、そういうことをしてでもそういう時期を乗り越えてしまっていいと思います。
多少のことは、そういう時期を乗り越えてからまた修正できるのです。
大変な時にまで自分を苦しめて、子育てそのものを楽しくなくしてしまうより、適当に落としどころを模索して子供と関わっていけばいいと思います。
家族の健康のために毎日きちんとご飯を作らなければならないと普段から思っている人でも、自分の具合の悪い時に無理せずともその日は買ってきたもので済ませてしまったりしても、それで直ちにだれかの健康に問題がでたりということにはなりませんよね。
また具合がよくなってから、いいと思うことをすればいいのです。
子育てもそれと同じでしょう。