これからの保育行政について考える ―保育園に対する国・行政の姿勢― - 2013.09.30 Mon
幼稚園をいくつか見学してきて感じたことがあります。
幼稚園についてどうこうではなくて、保育園と比較することで浮き彫りになったことです。
表面的な事象としては、幼稚園の方がともすると子供ひとりあたりの人員が多いということです。
かつては幼稚園年中年長ともなれば、担任の教員ひとりでほぼ全般的にみたものですが、いまはどこも補助教員・指導員といった人がついておりました。
前の記事にも少し出ましたが、発達に問題のある子・ハンディキャップを持った子一人に一人の職員がつきっきりという様子もありました。
これらに関しては息子が小学校に上がった時にも同様の印象を受けました。
幼稚園・学校の方が人員配置がなんだかんだで多くなっているのです、より幼かったり長時間だったりする保育園よりも。
別に小学校や幼稚園が人手がたくさんあってうらやましいとか、楽をしていると言いたいのではありません。
それだけ必要に応じて手をかけられるというのは大切なことです。
ある意味学校ということで守られているのでしょう。
いじめ問題や学級崩壊なども以前から問題視されていて、人々の関心も学校に対して高まっていますしね。
それに引き換え、保育園は実質的にどんどん人が削られています。
職員配置はそのままで、児童数の定員増なども多くなっていますので、実質的に人員が削減されていたりもします。
障がいをもった子供がが入園しても、なかなか役所は人員の加配を了承しません。
この前の幼稚園でみた障がい児は、その程度が軽度な子供でした。
それでも一人に対して一人つけられる人員がおりましたが、保育園では重度の障がいを持った子供が入っても、なかなか人員を増やしてくれるということになりづらくなっています。
最近では特に厳しくなっていて、職員側から要望したのではけんもほろろに今ある人員で対応しなさいという返答しか役所からは返ってきません。
かつてはそういう要望をあげれば保育課の職員なり課長・係長なりが現場を見に来て加配するかどうかという検討をしてくれたりしていました。
最近ではそういう対応も少なくなってきて、しょうがないので保護者の方から人員配置の要望・請願を出してもらってなんとかつけてもらえるといった状況になってきています。
幼稚園・学校と、この保育園の差はなんでしょう。
僕がまじまじと感じるのは、「福祉切り」の流れです。
景気が悪くなってきた頃から、公立保育園の民営化などはぼちぼちと出ていました。
でも、それらはまだ露骨な「福祉切り」の動きではなかったように感じます。
それがあからさまに加速化してきたのは、東京都では石原都政になったころからです。
ちょうど石原都政の施策のひとつをとして「認証保育所」がスタートしました。
政治や行政の側からすると、「福祉切り」をすると二つのメリットがあります。
ひとつには福祉にかける予算を減らせば、その分が当然予算が浮きます。
もうひとつは経済界に対して規制緩和をしましたという点数を上げられることと、それが税収につながるということです。
それまで金食い虫だったものが、お金を生むようになるのだからこんなおいしい話はありません。
しかし、それは市民・国民の福祉を切り下げることを許容するという前提があればです。
福祉の流れの中からいまの行政・政治をみますと、それらは国民の側を向いているのではなく、企業・経済界の側を向いて政治を行っているように感じられて仕方がありません。
「こども園」の構想が具体化に向けて進んでいた頃、国はそのために大きな予算を考えていました。
でもこの予算、そこを利用する国民・市民のために用意されているというよりも、それらに企業が参入するための準備金や、幼稚園に保育園機能を持たせたりするための設備投資費としてその多くがあるわけです。
ゆくゆくは、本来の保育園を必要なだけ設置し運営するよりも、安上がりにするための初期投資の予算なのです。
なので、たくさんの予算を保育拡充のために用意しているように見えて、それは実質的には福祉切りするための一時的な投資なのです。
そういった政治の流れがもたらした保育というのは、結果的にいまよりもさらに手薄なものとなっていくことでしょう。
東京都の認証保育から始まった本格的な企業の保育参入ですが、それは国にも飛び火して、国ももう保育を福祉の枠の中でしない方向に舵をきっています。安倍政権はそういう構想をもっています。
都ももちろんそのつもりでいます。
それらを受けて区も、これまでのように保育を維持し守っていこうという姿勢がなくなっています。
東京23区のほとんどがそういう流れになっています。
東京23区はこれまで保育水準を高めるべくかなりの意識をもっていました。
なので全国的に見ても比較的保育の質が守られていた方です。
しかしここにきてもうそうではなくなってきました。
いままで、区の予算で保育の質を高めるための研修等それなりにあったのですが、あからさまにそれらはなくされています。
むしろ当局は民間との差をなくすために、質が下がることを望んでいるかのような感じもします。
それまで区が子供一人ひとりに昼寝用の布団を用意していたところが、布団の配備・維持にかける予算を減らすために簡易寝台のようなものに切り替えたりもしています。
水分補給用に麦茶を用意していたものが、湯冷ましになったり、水道水を飲ませなさいという指導がきたり。
子供たちの給食のおかわり用に余分に用意していたものを、「規定量を出しているのだから必要ない」とおかわりなしになったり。
もう、ものすごい勢いで保育園にはあからさまな予算削減が来ています。
しかも、その風は国・都といった上部組織から吹いてくるので、大変強い勢いです。
23区のなかでもある区は、以前から質よりも表面的なサービス重視で、かなり革新的、はっきりいって無茶ぶりな保育行政をしていたところがありました。
その頃はその区単独の動きだったので、ほかの22の区はそちらに合わせることなく、22区で大体足並みを合わせてそれなりに質も維持しようという保育行政をしていました。
しかし、いまは国・都からしてそういう動きなので、多くの区が質の切り下げの方に遠慮会釈なく踏み切っているという感じがします。
強引な手腕をもった管理職が保育関係の役所の長になって、ばっさばっさとやっています。
保育士のなかから園長に取り立てられる人も、よりよい保育を構築出来る人よりも、役所の意向に素直に従うタイプの人がなる傾向が強くなっています。
一般の人はこういう動きがあるというのは気づいていないと思います。
でも、近年それがものすごい勢いになっています。
僕も正直こんな短期間にここまでのものになるとは思っていませんでした。
いまの政治の動きがこの「福祉切り」のまま安定化することになったら、10年後保育はただのサービス業になって福祉ではなくなっているとしても不思議ではないような気がします。
幼稚園についてどうこうではなくて、保育園と比較することで浮き彫りになったことです。
表面的な事象としては、幼稚園の方がともすると子供ひとりあたりの人員が多いということです。
かつては幼稚園年中年長ともなれば、担任の教員ひとりでほぼ全般的にみたものですが、いまはどこも補助教員・指導員といった人がついておりました。
前の記事にも少し出ましたが、発達に問題のある子・ハンディキャップを持った子一人に一人の職員がつきっきりという様子もありました。
これらに関しては息子が小学校に上がった時にも同様の印象を受けました。
幼稚園・学校の方が人員配置がなんだかんだで多くなっているのです、より幼かったり長時間だったりする保育園よりも。
別に小学校や幼稚園が人手がたくさんあってうらやましいとか、楽をしていると言いたいのではありません。
それだけ必要に応じて手をかけられるというのは大切なことです。
ある意味学校ということで守られているのでしょう。
いじめ問題や学級崩壊なども以前から問題視されていて、人々の関心も学校に対して高まっていますしね。
それに引き換え、保育園は実質的にどんどん人が削られています。
職員配置はそのままで、児童数の定員増なども多くなっていますので、実質的に人員が削減されていたりもします。
障がいをもった子供がが入園しても、なかなか役所は人員の加配を了承しません。
この前の幼稚園でみた障がい児は、その程度が軽度な子供でした。
それでも一人に対して一人つけられる人員がおりましたが、保育園では重度の障がいを持った子供が入っても、なかなか人員を増やしてくれるということになりづらくなっています。
最近では特に厳しくなっていて、職員側から要望したのではけんもほろろに今ある人員で対応しなさいという返答しか役所からは返ってきません。
かつてはそういう要望をあげれば保育課の職員なり課長・係長なりが現場を見に来て加配するかどうかという検討をしてくれたりしていました。
最近ではそういう対応も少なくなってきて、しょうがないので保護者の方から人員配置の要望・請願を出してもらってなんとかつけてもらえるといった状況になってきています。
幼稚園・学校と、この保育園の差はなんでしょう。
僕がまじまじと感じるのは、「福祉切り」の流れです。
景気が悪くなってきた頃から、公立保育園の民営化などはぼちぼちと出ていました。
でも、それらはまだ露骨な「福祉切り」の動きではなかったように感じます。
それがあからさまに加速化してきたのは、東京都では石原都政になったころからです。
ちょうど石原都政の施策のひとつをとして「認証保育所」がスタートしました。
政治や行政の側からすると、「福祉切り」をすると二つのメリットがあります。
ひとつには福祉にかける予算を減らせば、その分が当然予算が浮きます。
もうひとつは経済界に対して規制緩和をしましたという点数を上げられることと、それが税収につながるということです。
それまで金食い虫だったものが、お金を生むようになるのだからこんなおいしい話はありません。
しかし、それは市民・国民の福祉を切り下げることを許容するという前提があればです。
福祉の流れの中からいまの行政・政治をみますと、それらは国民の側を向いているのではなく、企業・経済界の側を向いて政治を行っているように感じられて仕方がありません。
「こども園」の構想が具体化に向けて進んでいた頃、国はそのために大きな予算を考えていました。
でもこの予算、そこを利用する国民・市民のために用意されているというよりも、それらに企業が参入するための準備金や、幼稚園に保育園機能を持たせたりするための設備投資費としてその多くがあるわけです。
ゆくゆくは、本来の保育園を必要なだけ設置し運営するよりも、安上がりにするための初期投資の予算なのです。
なので、たくさんの予算を保育拡充のために用意しているように見えて、それは実質的には福祉切りするための一時的な投資なのです。
そういった政治の流れがもたらした保育というのは、結果的にいまよりもさらに手薄なものとなっていくことでしょう。
東京都の認証保育から始まった本格的な企業の保育参入ですが、それは国にも飛び火して、国ももう保育を福祉の枠の中でしない方向に舵をきっています。安倍政権はそういう構想をもっています。
都ももちろんそのつもりでいます。
それらを受けて区も、これまでのように保育を維持し守っていこうという姿勢がなくなっています。
東京23区のほとんどがそういう流れになっています。
東京23区はこれまで保育水準を高めるべくかなりの意識をもっていました。
なので全国的に見ても比較的保育の質が守られていた方です。
しかしここにきてもうそうではなくなってきました。
いままで、区の予算で保育の質を高めるための研修等それなりにあったのですが、あからさまにそれらはなくされています。
むしろ当局は民間との差をなくすために、質が下がることを望んでいるかのような感じもします。
それまで区が子供一人ひとりに昼寝用の布団を用意していたところが、布団の配備・維持にかける予算を減らすために簡易寝台のようなものに切り替えたりもしています。
水分補給用に麦茶を用意していたものが、湯冷ましになったり、水道水を飲ませなさいという指導がきたり。
子供たちの給食のおかわり用に余分に用意していたものを、「規定量を出しているのだから必要ない」とおかわりなしになったり。
もう、ものすごい勢いで保育園にはあからさまな予算削減が来ています。
しかも、その風は国・都といった上部組織から吹いてくるので、大変強い勢いです。
23区のなかでもある区は、以前から質よりも表面的なサービス重視で、かなり革新的、はっきりいって無茶ぶりな保育行政をしていたところがありました。
その頃はその区単独の動きだったので、ほかの22の区はそちらに合わせることなく、22区で大体足並みを合わせてそれなりに質も維持しようという保育行政をしていました。
しかし、いまは国・都からしてそういう動きなので、多くの区が質の切り下げの方に遠慮会釈なく踏み切っているという感じがします。
強引な手腕をもった管理職が保育関係の役所の長になって、ばっさばっさとやっています。
保育士のなかから園長に取り立てられる人も、よりよい保育を構築出来る人よりも、役所の意向に素直に従うタイプの人がなる傾向が強くなっています。
一般の人はこういう動きがあるというのは気づいていないと思います。
でも、近年それがものすごい勢いになっています。
僕も正直こんな短期間にここまでのものになるとは思っていませんでした。
いまの政治の動きがこの「福祉切り」のまま安定化することになったら、10年後保育はただのサービス業になって福祉ではなくなっているとしても不思議ではないような気がします。
| 2013-09-30 | 保育園・幼稚園・学校について | Comment : 23 | トラックバック : 0 |
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