いじめについて考える Vol.9 - 2015.10.23 Fri
前回の続きから。
似たようなケースでは、「虐待」の問題があります。
これは、かつてといまでは社会通念が変わって、以前よりは対応が踏み込めるようになりました。
なにが変わったかというと、それは「通報義務」ができたことです。
「たとえ確証が持てなくても、虐待の疑いがあるときは必ず児童相談所などの関係部署に連絡しなさいよ。もし、それをおこたった場合は罰せられますよ」
と罰則つきで制度ができました。
それが学校、幼稚園、保育園などの児童施設、医師など子供に関わるところに義務づけさています。
それによって、以前に比べるとかなり問題を未然に防いだり、事態の悪化に歯止めをかけられるようになりました。
それでもまだまだ完璧ではありませんが、着実な進歩が見られています。
そのように、いじめ問題に関しても現行の方法以外の、社会通念を変えるようなあらたな切り口を作ることでより効果的な対応を模索していくことが必要ではないでしょうか。
例えばの考えですが、子供と家庭への支援のノウハウをふんだんにもっている児童相談所の機能を拡充して、いじめ問題に関しても学校と児童相談所とが連携して対応するなどです。
学校であれば難しい、家庭に踏み込んでの対応にも、児童相談所がなんらかの法的裏付けをもって取り組むのであれば、より実効的なアプローチが可能になります。
また、学校外部の組織が加わることで、ニュースになるような深刻ないじめ問題に見られた、学校側の隠蔽体質、いじめ被害者ばかりが泣き寝入りさせられるような不誠実な学校側の対応などにも歯止めをかけやすくなります。
学校側にとっても、家庭問題への高い専門性を持っている児童相談所と協力してことにあたれることは大きなメリットではないでしょうか。
そのように、いじめをする側への援助を適切に行うことの方が、「罰則を強化」するといった「押さえつけ」の対応をするよりもはるかに児童に対する教育としてふさわしいはずです。
また、実際にいじめ問題を元から解決することにつながることでしょう。
試みに、もし厳罰化を行ったときどうなるかを考えてみましょう。
学校でいじめ行為を行ったときに厳しい処分をされるというのであれば、いじめをする側が狡猾な場合は、学校以外の例えば塾などでそれをするようになるでしょう。
もしくは、学校外の子供に対して、例えば公園で遊んでいる子や、乳幼児に対して意地悪やいじめをします。
部活などで、後輩指導の名のもとにパワハラや過剰な”しごき”などをすることもあります。
学校を卒業するまでは出さずとも、社会にでてからパワハラやモラハラなどをするかもしれません。
それでは、学校に在籍している間、厳罰があることによって問題を顕在化させていないだけで、やはり「臭いものに蓋」の教育的とは言えない対応です。
掲示板などを使った、ネット上での匿名のいじめになることも考えられます。
すでにそれは多発していますので、仮定の話ではありません。
もしくは、犬猫などの動物をターゲットとした虐待に発展することもありえます。
これまでにも、野良猫や野生の鳥類、学校で飼っているウサギやニワトリが惨殺されたニュースを多くの方が知っていることでしょう。
また、狡猾なタイプのものでなく、衝動的ないじめの場合は厳罰化したところで、そのような後先を考えずにいじめは行われるので、必ずしも抑止力にはならないでしょう。
ほかにも、集団心理で行われるいじめには、明確な首謀者がいなかったり、いじめる側といじめられる側が入れ替わるといったケースもあります。
厳罰化がいじめ対応の切り札になった場合、そのようなケースにはどう対応するのでしょう。
もし、一部の子を罰することで「一罰百戒」(見せしめ)のような対応をした場合、それをされた子供はその恨みや疎外感を抱えて成長していくことになりはしないでしょうか。
それだけでなく、いまだにいじめ問題があることを不祥事ととらえ、隠蔽する体質を学校側が持ち続けるのであれば、罰則の強化という制度を導入したところで問題解決につながるわけではありません。
むしろ、強い罰を振るえるという強権を学校に与えることにより、それを不適切なかたちで行使する学校側のある種の暴走すら懸念されます。
この辺りの学校側の意識改革も急務です。
以前紹介しましたが、静岡県などいじめ問題を「なかったこと」にするのではなく、これだけ把握して対処しているとおおっぴらに打ち出すことで問題対処するように意識改革に成功したところも現にあります。
実際のところ、いじめ問題に厳罰化が必要だと言っている政治家たちの主張には、いじめの解決のためだけではない思惑があります。
その点が僕には非常に恐ろしく感じられるのです。
おそらく気づいている人は気づいているのでしょうけれども、いまの世の中の流れではそれに歯止めがかからなそうでとても心配です。
これについては、またの機会にまとめるとして、もう少しいじめ問題解決のための手段について僕の思うところを述べていこうと思います。
とりあえず今後述べようと思っていることには、あと2点あります。
・地域参加の取り組み
・乳幼児期への育児支援アプローチ
です。
また、そこからの発展として、社会全体で子育てを考える取り組みについて、カナダでの実際に行われている政策を紹介したいと考えています。
ただ、しばらく講演等が多くあり、来週からまた多忙になってしまいますので、更新に時間がかかってしまうかもしれません。あしからず。
似たようなケースでは、「虐待」の問題があります。
これは、かつてといまでは社会通念が変わって、以前よりは対応が踏み込めるようになりました。
なにが変わったかというと、それは「通報義務」ができたことです。
「たとえ確証が持てなくても、虐待の疑いがあるときは必ず児童相談所などの関係部署に連絡しなさいよ。もし、それをおこたった場合は罰せられますよ」
と罰則つきで制度ができました。
それが学校、幼稚園、保育園などの児童施設、医師など子供に関わるところに義務づけさています。
それによって、以前に比べるとかなり問題を未然に防いだり、事態の悪化に歯止めをかけられるようになりました。
それでもまだまだ完璧ではありませんが、着実な進歩が見られています。
そのように、いじめ問題に関しても現行の方法以外の、社会通念を変えるようなあらたな切り口を作ることでより効果的な対応を模索していくことが必要ではないでしょうか。
例えばの考えですが、子供と家庭への支援のノウハウをふんだんにもっている児童相談所の機能を拡充して、いじめ問題に関しても学校と児童相談所とが連携して対応するなどです。
学校であれば難しい、家庭に踏み込んでの対応にも、児童相談所がなんらかの法的裏付けをもって取り組むのであれば、より実効的なアプローチが可能になります。
また、学校外部の組織が加わることで、ニュースになるような深刻ないじめ問題に見られた、学校側の隠蔽体質、いじめ被害者ばかりが泣き寝入りさせられるような不誠実な学校側の対応などにも歯止めをかけやすくなります。
学校側にとっても、家庭問題への高い専門性を持っている児童相談所と協力してことにあたれることは大きなメリットではないでしょうか。
そのように、いじめをする側への援助を適切に行うことの方が、「罰則を強化」するといった「押さえつけ」の対応をするよりもはるかに児童に対する教育としてふさわしいはずです。
また、実際にいじめ問題を元から解決することにつながることでしょう。
試みに、もし厳罰化を行ったときどうなるかを考えてみましょう。
学校でいじめ行為を行ったときに厳しい処分をされるというのであれば、いじめをする側が狡猾な場合は、学校以外の例えば塾などでそれをするようになるでしょう。
もしくは、学校外の子供に対して、例えば公園で遊んでいる子や、乳幼児に対して意地悪やいじめをします。
部活などで、後輩指導の名のもとにパワハラや過剰な”しごき”などをすることもあります。
学校を卒業するまでは出さずとも、社会にでてからパワハラやモラハラなどをするかもしれません。
それでは、学校に在籍している間、厳罰があることによって問題を顕在化させていないだけで、やはり「臭いものに蓋」の教育的とは言えない対応です。
掲示板などを使った、ネット上での匿名のいじめになることも考えられます。
すでにそれは多発していますので、仮定の話ではありません。
もしくは、犬猫などの動物をターゲットとした虐待に発展することもありえます。
これまでにも、野良猫や野生の鳥類、学校で飼っているウサギやニワトリが惨殺されたニュースを多くの方が知っていることでしょう。
また、狡猾なタイプのものでなく、衝動的ないじめの場合は厳罰化したところで、そのような後先を考えずにいじめは行われるので、必ずしも抑止力にはならないでしょう。
ほかにも、集団心理で行われるいじめには、明確な首謀者がいなかったり、いじめる側といじめられる側が入れ替わるといったケースもあります。
厳罰化がいじめ対応の切り札になった場合、そのようなケースにはどう対応するのでしょう。
もし、一部の子を罰することで「一罰百戒」(見せしめ)のような対応をした場合、それをされた子供はその恨みや疎外感を抱えて成長していくことになりはしないでしょうか。
それだけでなく、いまだにいじめ問題があることを不祥事ととらえ、隠蔽する体質を学校側が持ち続けるのであれば、罰則の強化という制度を導入したところで問題解決につながるわけではありません。
むしろ、強い罰を振るえるという強権を学校に与えることにより、それを不適切なかたちで行使する学校側のある種の暴走すら懸念されます。
この辺りの学校側の意識改革も急務です。
以前紹介しましたが、静岡県などいじめ問題を「なかったこと」にするのではなく、これだけ把握して対処しているとおおっぴらに打ち出すことで問題対処するように意識改革に成功したところも現にあります。
実際のところ、いじめ問題に厳罰化が必要だと言っている政治家たちの主張には、いじめの解決のためだけではない思惑があります。
その点が僕には非常に恐ろしく感じられるのです。
おそらく気づいている人は気づいているのでしょうけれども、いまの世の中の流れではそれに歯止めがかからなそうでとても心配です。
これについては、またの機会にまとめるとして、もう少しいじめ問題解決のための手段について僕の思うところを述べていこうと思います。
とりあえず今後述べようと思っていることには、あと2点あります。
・地域参加の取り組み
・乳幼児期への育児支援アプローチ
です。
また、そこからの発展として、社会全体で子育てを考える取り組みについて、カナダでの実際に行われている政策を紹介したいと考えています。
ただ、しばらく講演等が多くあり、来週からまた多忙になってしまいますので、更新に時間がかかってしまうかもしれません。あしからず。
| 2015-10-23 | 日本の子育て文化 | Comment : 6 | トラックバック : 0 |
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