中川李枝子さんにその著書の中で、”とっておきの方法”として本当にすべきでないことに対しては「おててピン!」という対応を書いているのです。
こちらの記事からその部分を引用しますね。
「ときに説明するより叩いて教えるのが先、急を要するということがあります。
そんな時は『これっ、いけません』とにらみ、『おててピン!』『あんよピン!』。
ここで勢いに任せて叩くのはご法度。ごく軽くさわる程度に『叩く』のです。
ガス栓をいじる。お友だちを蹴っ飛ばす、ひっかく、髪の毛を引っぱる。
そのたびに悪い手、悪い足を軽く叩きます。でも声だけは『ピン!』と厳しく叱ってください。
子どもは『うえーん、いたいよー』と泣いて、それでおしまい。
そのうち叩かなくても『ピンよ!』とにらむだけで『いたいよー』と泣くようになり、その効果はてきめんすぎるほどでした。
先生に『めっ』と叱られ、『ピン』の響きでいけないことだったと後悔、泣いて反省を示す。
これが私の勤めていたみどり保育園の日常のひとコマでもありました。
年長児になると、不思議とこの決まりごとは消滅して『めっ』も『ピン』も不要、聞き分けのよい子になっていました」ちょうど僕も先月くらいにこの本を読んでいたのですが、この件は「ああ、今の時代に昭和の保育をずいぶんどうどうと書いているんだな~」と「あちゃー」といった気分で読んでいました。
これは、幸せな時代に幸せな家庭の幸せな子を幸せな人が育てた時にだけ通用する方法でしかないと僕は思います。
もし、若い保育士さんに「職場の先輩が子供に”おててピンッ!”って叩いているんだけど、どうなんでしょう?」と聞かれたら、「ああ、それは”おばあちゃん保育”だから、あなたは真似しないようにね」と忠告しなければならないことでしょう。
もしそれをしていったら、その保育士は例えば発達障がいなど特別な個性の強い子に対して適切な対応ができなくなります。
結局のところ、「しつけのメソッド」の枠組みの中で「できる子」相手に子育てを考えているのですね。
” 年長児になると、不思議とこの決まりごとは消滅して『めっ』も『ピン』も不要、聞き分けのよい子になっていました”この思いは、非常に主観的なものです。
ぜんぜん気にしない子もいるでしょう。
でも、一生そのようにされたことを忘れない子だって出てきます。
「しつけだからそうすることは必要」といった考えで、どれほどの保育士がどれほど不適切なことを行ってきたか……。
実際に中川さんの周りには、そのような不適切なことはなかったかもしれません。
もしくは、子供への基本的な関わり方がうまく、受容などが十分に適切に行われていたために、中川さんがそれをしてもさして問題なく子育てや保育が可能だったかもしれません。
おそらくはそうなのでしょう。
しかし、それは現代において、決して一般化できないことなのです。
それをあっけらかんと、一般の子育てしている人に言えてしまうのだから、きっと幸せなケースしかみないで、もしくは幸せなケースを念頭に置いて書かれているのでしょう。
しかし、「いけないことをしたからとっさに叩く」
これは、「動物のしつけ」「調教」と同じレベルの考え方ではないでしょうか。
まさに”しつけのメソッドによる子供観”がここにはありますね。
「子供を低いもの」「わからないもの」とみなす、子供を尊重しない見方です。
人によっては、この本を「子育ての専門家が書いているのだから」と読む人もいることでしょう。
というかほとんどの人がそう思って読むのではないかな。
その人達の中には、「おててピン」が功を奏して、それで子育てが安定化していけるケースもあることでしょう。
そういう「幸せなケース」が。
でも、「おててピン」からはじまって子供の年齢が大きくなったり、行動や自我が大きくなるに連れて、バシバシ叩きまくって、それでも子供が思い通りにならず、たくさんの暴言や怒りのなかで子育てを送らざるをえなくなってしまうようなケースだってでてくることでしょう。
結局のところ、「おててピン」は「行き過ぎないこと」を前提に「しつけのメソッド」で子育てを考えているだけなのです。
このYahoo!ニュースに転載された記事は、場合によっては子育てする人や子供を追い込むことになりかねないので、僕もここで危惧を表明しておきたいと思います。
僕に言わせれば、「おててピン」方式の子育てが行き過ぎてこじれた結果、今回の子供置き去り事件に発展しているわけです。
これでは問題視していることと、それに対する解決策が同じになっています。
そういった意味では、この記事は問題の本質をとらえていないと感じられます。
(まあ本のせんでんをしたかっ……ゲフンゲフン)
しかし、Yahoo!ニュースのコメントの流れは「”おててピン”なんかじゃ甘すぎる」という趣旨のものが多くて、「調教しろ」だとか「なめられるな」ということばが出てきています。
まだまだ子育てを心から楽しめるようになる時代が来るのは先になるだろうと感じてしまいます。