『言い聞かせる』 その2 - 2010.06.11 Fri
この前『言い聞かせる』について書きましたが、僕が思っていた以上にいろいろと反響があり驚いています。
ただ、なんとなく誤解されがちかなという部分も感じたので、今回ちょっと補足です。
ここで「言い聞かせる」といっているのは、決して「説得する」という意味ではないのです。
親が自分の主張をこどもに納得させようと、言葉を重ねるのは(場合によりけりですが)必ずしもいいことではありません。
言い方次第ではただの「小言」にしかならないので、返って言葉の価値をなくし、親への信頼感を損なってしまうこともあります。
また、そもそも「言い聞かせられない」人が、言葉を重ねれば多くの場合、「小言」になってしまうでしょう。
こどもを説得するとか言い負かすとかを言いたかったのではなくて、「出来ないこと」 「危険なこと」 「してはいけないこと」には毅然とした態度でこどもに伝えることの大切さを知って欲しかったのです。
なぜ、このようなことを言うかというと。
この頃は、こどもにそういった、けじめのある態度をとれない人がとても増えてきているからです。
「ああしろこうしろ」「それはするな」「ダメダメ」といった関わりばかりこどもにしているにも関わらず、結果的にこどもに負けてしまい、言いなりになってしまう人が急増しています。
こどもの意志を尊重することと、言いなりになってしまうことの境目がわからなくなっているみたいです。
もしくは、こどもに負けてしまったことのカモフラージュで「こどもの意志を尊重した」と自分に納得させているような親も少なくありません。
「ダメダメ→黙認」の流れですね。
こうなってしまっている人は、関わり方をもう一度みつめなおしてほしいのです。
なぜなら、親が言いなりになってしまうと、こどもはまっすぐには育たないからです。
叩かれ、虐待されている子と同じくらい問題を抱えた子になってしまうこともあります。
「言いなりになること」は決してこどものためにはなりません。
だからそのために、「食事」や「安全・命」「公共のルール、マナー」などの本当に断言していいところをきっかけにしてでも、こどもに毅然とした態度をとれるようになって欲しかったのです。
「ダメダメ→黙認」している親を見ていると、自分で言っていることに自分でも自信が持てていない様子がうかがえます。
大人がこどもに、本当に「それはしてはいけない」と言ったら、こどもが泣こうがわめこうがそれは絶対させるべきではないのです。
こどものダダや泣きに負けちゃダメ。
結果的にやらせるのだったら、最初から「ダメ」などと口にしないほうが100倍ましなのです。
そのためには、まずは軽々しく「制止」「禁止」の言葉を使わないのも大切です。
しかし、本当に何かを「してはいけない」と伝えるならば、大事なのは言葉ではなく「態度」です。
何度も何度も繰り返し言うのは、自信のなさの表れです。
1回の言葉に100%心をこめて伝えるのがいいと思います。
100%心をこめて言えないような「制止」ならば、最初から「制止」以外のアプローチをすればいいんです。
例えば、公園で高いところに登って飛び降りて遊ぼうとする子に対して、その行為が本当に危険でして欲しくないと大人が判断するのであれば、「その遊びは危ないからやめて」と本当にやってほしくないんだ!という気持ちを込めて、伝える。
別に怒る必要はないんですよ。
場合によっては怒ることも、心の表し方ですからそういうこともあるかもしれませんが、なんでもかんでも怒る必要はないですよ。
ただ、1回の言葉に全てをのせて、口先だけでなく目や表情・からだ全身で伝えるんです。
毎日大勢のこどもと接しているプロの保育士でもこういうことができるには、5年や10年かかります。
でもね、他人のこどもにそれをするのは難しいけど、我が子にならできるはずですよ。
こどもを大事に思える人ならば。
「あぶないあぶない」と口だけで言ってそのままやらせてしまう人をよく見かけますが、結局やらせてしまっているってことは、その言っている本人自身が実はたいして「危ない」とは思っていないからなんですよね。
その程度であるならば、地面に落ちている石をよけたり、落ちては危険なところに大人が立つなり、安全を確保するようにして「危ない」などと言わずにやらせればよかったのです。
もしくは、「そこからだとちょっとぶつかって怪我する危険があるから、こっちの低いところからなら大丈夫じゃない?」などと代替案を提示するとかね。
もし、そういう傾向のある人なら、なんでもかんでも軽々しく「制止」や「禁止」を使わないで、本当に心の底からから思うときに使うようにしたほうがいいですね。
口先だけの「制止・禁止」を使うとこどもに、心のこもってない言葉や自信のなさを見透かされてしまうので、他の場面でも大人の言葉に耳をかさない子になってしまいかねません。
かつてこんな事例がありました。
4歳の男の子、延長番の保育室でのこと。
本来はその子は延長番には入っていないので、6時30分には迎えに来てもらわなければならなかった。
しかし、その時間に15分ほど遅れて母親が迎えにくる。
母が迎えにきたのでこどもを引き渡す。
一度延長番の保育室を出たのだが、しばらくしてもまだ廊下におり、保育室のドアをバタンバタンと開け閉めして遊び始めてしまう。
保育室にはまだこどももおり、延長番なので1~2歳の小さい子もいる。
そのこどもたちも気になってしまい遊びができないし、危険なことでもあるので、「ドアで遊ぶのは危ないし、小さい子たちもびっくりしちゃうからやめてね」と一度その子に伝える。
しかし、そう話しているときも目が合わない。
それでも耳には入っているので、一度やめるが、またちょっとしたら同じようにドアを開け閉めして遊びだしてしまう。
母親はその間、特に注意するわけでもなく近くにいる、だがとくにこどもを見守っている風でもない。
引渡し後でもあるし、親にきちんと責任をもって自分のこどもを見て欲しいので、二度目は親に「ドアで遊ぶのは危ないから、お母さんから伝えてあげてください」と話す。
しかし、母親は「こどもがやりたいっていうからやらせているんです」との答え。
その場は、その子もそれに飽きたのか、親に話したことで「これはまずい」と思ったのかそれでこどもからやめた。
このときのことは「ダメダメ→黙認」の流れになっているわけではないのだが、その子は普段の親のかかわりで「ダメダメ→黙認」で親が言いなりになってしまうことがが多く、親の言葉はもちろん保育士の言葉も聞かない、話そうとすると目がおよぐ子になってしまっていた。
また、同じことをしてもあるときは「ダメダメ」いうのに、あるときは無関心に見ているだけだったりと、親のかかわりに一貫しないことが多く、この子は人に対する信頼感を失ってしまっているようだった。
しばしば、「こどもの自由にさせること」を「こどもを尊重していること」と考える人がいますが、必ずしもすべてがそうなるとは限りません。
親がいいなりになり、こどもは常に思い通りに振舞うことが許されていても、家庭の外にでたときに、どうしても思い通りにならないことにつきあたります。
保育園や、スーパーや公園だって社会です。
そこでは常にその子の思い通りになるわけではありません。
そういう場に、その子が立ったとき普通ならなんでもないことに多大なストレスを感じなければならなくなってしまいます。
そして、成長とはどんどん家庭から離れていくことです。
つまり、どんどんストレスを感じる場は増大していってしまいます。
だから、なんでもかんでも「こどもの思い通りにさせる」という習慣は必ずしも、こどもの幸せにはつながらないのですよね。
学校だってそうですね。
勉強が面白くなくたって、せめて部屋の中にいて、自分の席に座っていなければなりません。
しかし、いまではそれすらできなくなっている子が大勢います。
小1プロブレム、学級崩壊など聞いたことがあると思います。
医者に行けば「この子はLDですね」(LD=ラーニングディスアビリティ=学習障害)といわれる子も多いです。
たしかに脳組織に物理的な損傷があったりして、学習困難な状況になったりするLDもありますが、いまLDやADHD(注意欠陥他動性症候群)といわれる子の中には、少なからず幼少期の親の養育姿勢にも原因がある子がいるような気がしてなりません。
(もちろん養育姿勢に問題がなかったとしても、原因がわからずなっているものもたくさんあるのは知っています。それを非難しているのではありません、ご理解下さい。)
ちょっと話がずれてしまいましたが、以上が『言い聞かせる』で伝えようと思ったことです。
↓励みになります。よろしかったらお願いします。
ただ、なんとなく誤解されがちかなという部分も感じたので、今回ちょっと補足です。
ここで「言い聞かせる」といっているのは、決して「説得する」という意味ではないのです。
親が自分の主張をこどもに納得させようと、言葉を重ねるのは(場合によりけりですが)必ずしもいいことではありません。
言い方次第ではただの「小言」にしかならないので、返って言葉の価値をなくし、親への信頼感を損なってしまうこともあります。
また、そもそも「言い聞かせられない」人が、言葉を重ねれば多くの場合、「小言」になってしまうでしょう。
こどもを説得するとか言い負かすとかを言いたかったのではなくて、「出来ないこと」 「危険なこと」 「してはいけないこと」には毅然とした態度でこどもに伝えることの大切さを知って欲しかったのです。
なぜ、このようなことを言うかというと。
この頃は、こどもにそういった、けじめのある態度をとれない人がとても増えてきているからです。
「ああしろこうしろ」「それはするな」「ダメダメ」といった関わりばかりこどもにしているにも関わらず、結果的にこどもに負けてしまい、言いなりになってしまう人が急増しています。
こどもの意志を尊重することと、言いなりになってしまうことの境目がわからなくなっているみたいです。
もしくは、こどもに負けてしまったことのカモフラージュで「こどもの意志を尊重した」と自分に納得させているような親も少なくありません。
「ダメダメ→黙認」の流れですね。
こうなってしまっている人は、関わり方をもう一度みつめなおしてほしいのです。
なぜなら、親が言いなりになってしまうと、こどもはまっすぐには育たないからです。
叩かれ、虐待されている子と同じくらい問題を抱えた子になってしまうこともあります。
「言いなりになること」は決してこどものためにはなりません。
だからそのために、「食事」や「安全・命」「公共のルール、マナー」などの本当に断言していいところをきっかけにしてでも、こどもに毅然とした態度をとれるようになって欲しかったのです。
「ダメダメ→黙認」している親を見ていると、自分で言っていることに自分でも自信が持てていない様子がうかがえます。
大人がこどもに、本当に「それはしてはいけない」と言ったら、こどもが泣こうがわめこうがそれは絶対させるべきではないのです。
こどものダダや泣きに負けちゃダメ。
結果的にやらせるのだったら、最初から「ダメ」などと口にしないほうが100倍ましなのです。
そのためには、まずは軽々しく「制止」「禁止」の言葉を使わないのも大切です。
しかし、本当に何かを「してはいけない」と伝えるならば、大事なのは言葉ではなく「態度」です。
何度も何度も繰り返し言うのは、自信のなさの表れです。
1回の言葉に100%心をこめて伝えるのがいいと思います。
100%心をこめて言えないような「制止」ならば、最初から「制止」以外のアプローチをすればいいんです。
例えば、公園で高いところに登って飛び降りて遊ぼうとする子に対して、その行為が本当に危険でして欲しくないと大人が判断するのであれば、「その遊びは危ないからやめて」と本当にやってほしくないんだ!という気持ちを込めて、伝える。
別に怒る必要はないんですよ。
場合によっては怒ることも、心の表し方ですからそういうこともあるかもしれませんが、なんでもかんでも怒る必要はないですよ。
ただ、1回の言葉に全てをのせて、口先だけでなく目や表情・からだ全身で伝えるんです。
毎日大勢のこどもと接しているプロの保育士でもこういうことができるには、5年や10年かかります。
でもね、他人のこどもにそれをするのは難しいけど、我が子にならできるはずですよ。
こどもを大事に思える人ならば。
「あぶないあぶない」と口だけで言ってそのままやらせてしまう人をよく見かけますが、結局やらせてしまっているってことは、その言っている本人自身が実はたいして「危ない」とは思っていないからなんですよね。
その程度であるならば、地面に落ちている石をよけたり、落ちては危険なところに大人が立つなり、安全を確保するようにして「危ない」などと言わずにやらせればよかったのです。
もしくは、「そこからだとちょっとぶつかって怪我する危険があるから、こっちの低いところからなら大丈夫じゃない?」などと代替案を提示するとかね。
もし、そういう傾向のある人なら、なんでもかんでも軽々しく「制止」や「禁止」を使わないで、本当に心の底からから思うときに使うようにしたほうがいいですね。
口先だけの「制止・禁止」を使うとこどもに、心のこもってない言葉や自信のなさを見透かされてしまうので、他の場面でも大人の言葉に耳をかさない子になってしまいかねません。
かつてこんな事例がありました。
4歳の男の子、延長番の保育室でのこと。
本来はその子は延長番には入っていないので、6時30分には迎えに来てもらわなければならなかった。
しかし、その時間に15分ほど遅れて母親が迎えにくる。
母が迎えにきたのでこどもを引き渡す。
一度延長番の保育室を出たのだが、しばらくしてもまだ廊下におり、保育室のドアをバタンバタンと開け閉めして遊び始めてしまう。
保育室にはまだこどももおり、延長番なので1~2歳の小さい子もいる。
そのこどもたちも気になってしまい遊びができないし、危険なことでもあるので、「ドアで遊ぶのは危ないし、小さい子たちもびっくりしちゃうからやめてね」と一度その子に伝える。
しかし、そう話しているときも目が合わない。
それでも耳には入っているので、一度やめるが、またちょっとしたら同じようにドアを開け閉めして遊びだしてしまう。
母親はその間、特に注意するわけでもなく近くにいる、だがとくにこどもを見守っている風でもない。
引渡し後でもあるし、親にきちんと責任をもって自分のこどもを見て欲しいので、二度目は親に「ドアで遊ぶのは危ないから、お母さんから伝えてあげてください」と話す。
しかし、母親は「こどもがやりたいっていうからやらせているんです」との答え。
その場は、その子もそれに飽きたのか、親に話したことで「これはまずい」と思ったのかそれでこどもからやめた。
このときのことは「ダメダメ→黙認」の流れになっているわけではないのだが、その子は普段の親のかかわりで「ダメダメ→黙認」で親が言いなりになってしまうことがが多く、親の言葉はもちろん保育士の言葉も聞かない、話そうとすると目がおよぐ子になってしまっていた。
また、同じことをしてもあるときは「ダメダメ」いうのに、あるときは無関心に見ているだけだったりと、親のかかわりに一貫しないことが多く、この子は人に対する信頼感を失ってしまっているようだった。
しばしば、「こどもの自由にさせること」を「こどもを尊重していること」と考える人がいますが、必ずしもすべてがそうなるとは限りません。
親がいいなりになり、こどもは常に思い通りに振舞うことが許されていても、家庭の外にでたときに、どうしても思い通りにならないことにつきあたります。
保育園や、スーパーや公園だって社会です。
そこでは常にその子の思い通りになるわけではありません。
そういう場に、その子が立ったとき普通ならなんでもないことに多大なストレスを感じなければならなくなってしまいます。
そして、成長とはどんどん家庭から離れていくことです。
つまり、どんどんストレスを感じる場は増大していってしまいます。
だから、なんでもかんでも「こどもの思い通りにさせる」という習慣は必ずしも、こどもの幸せにはつながらないのですよね。
学校だってそうですね。
勉強が面白くなくたって、せめて部屋の中にいて、自分の席に座っていなければなりません。
しかし、いまではそれすらできなくなっている子が大勢います。
小1プロブレム、学級崩壊など聞いたことがあると思います。
医者に行けば「この子はLDですね」(LD=ラーニングディスアビリティ=学習障害)といわれる子も多いです。
たしかに脳組織に物理的な損傷があったりして、学習困難な状況になったりするLDもありますが、いまLDやADHD(注意欠陥他動性症候群)といわれる子の中には、少なからず幼少期の親の養育姿勢にも原因がある子がいるような気がしてなりません。
(もちろん養育姿勢に問題がなかったとしても、原因がわからずなっているものもたくさんあるのは知っています。それを非難しているのではありません、ご理解下さい。)
ちょっと話がずれてしまいましたが、以上が『言い聞かせる』で伝えようと思ったことです。
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| 2010-06-11 | 子育てノウハウ? | Comment : 19 | トラックバック : 0 |
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