子供の成長は、すごく大雑把に考えて、「もともと持って生まれたもの」「環境」「関わり」の3つが大きな柱となっているだろう。
兄弟関係の違いによってそのうちの、2つ「環境」「関わり」が大きく変わるのだから、その結果の成長が変わってくることは当然のことと言える。
二人以上の子を持っている人が、よく「一人目のときはずっと哺乳瓶を煮沸消毒してたけど、二人目の時は最初だけであとは適当にだったわよ」とか、「一人目の時はなんでもマニュアル通りにやってたけど、二人目からはちっとも気にしなかった」などと話す。
こういうことは多くの人に覚えのあることではないだろうか。
どうしても一人目の子のときは、わからないことが多いために神経質になったり、過保護になったり、かけずともよい手間をかけて大人がへとへとになっていたり、その挙句に子供と笑顔で関わる余裕がもてなかったなどということが少なくない。
そういった関わりや雰囲気などが、上の子を気難しくしたり、神経質にしたり、引っ込み思案にしたりということは往々にしてあることだ。
その一方で、二人目三人目ともなると、親もいい感じに力が抜けてくるので、子供も穏やかだったりのんびりと育ったり。
また、上の子の振る舞いを目にして学習していたりするので、親が口うるさく言うことも少なくなったりする。
いいわるいではないし、こういうことはあくまで傾向というだけのことではあるが、そういった兄弟関係のあるなし、ポジションによる育ちの違いというのはあることだろう。
「子供は多ければ多いほど子育てが楽になる」などとも言われる。
これもまたそう言った意味で真実なのだろう。
だが、このことは育てやすい子が生まれてくるわけではなくて、大人の方の子育ての経験や、落ち着き、手をかけるところと手を抜くことのバランスなどの大人の方の関わりに変化がでてくることが大きな意味を持っているはずである。
現代では子供のいる家庭の半数近くが一人っ子であり、兄弟がいる家庭でも大半が二人であり、三人四人いると聞くと多いと感じてしまうくらいになっている。
もし上の言葉のように「適度に力の抜けた子育てが子育てのひけつ」だということがある面の真実だとすると、そういう子育てをすることは難しくなっているということになる。
むしろ、一人の子どもへの期待の大きさ、あふれる情報や、危機感・焦燥感を煽るような子育てや教育の宣伝や伝聞など、よりひとりひとりの子供にのめり込むような子育てになりやすくなっている。
前回見たような、子供との関わりを回避し続けていたり、過剰な人手で子供を囲ってしまうような子育てをしている家庭では、兄弟がいてもまるで一人っ子が二人いるかのようになっているところもある。
そういった家庭の子育てはとても大変である。
兄弟のいるメリットは少なく、デメリットばかりが大きくなってしまうのだから。
僕が目にする兄弟関係のうまくいっていない家庭の多くは、親の関わり方がその原因となっている。
それには事情があってやむを得ないものもあれば、そうでないものもある。
一時的なものもあれば、ずっと根の深いものもある。
原因となるものは無数にあるだろうが、よくあるところをざっとあげてみよう。
親の神経質さ・自信のなさ、過保護・過干渉、過剰な期待、過剰な要求(過度な教育・しつけなどもここに含む)、親の思いの押し付け、多忙、無関心、親自身の育ち、兄・姉であることの強要、満たされなさ、自己肯定感の有無もしくは自己否定感、関わりの一貫性のなさ、その子その子に対する親の好悪 などなど。
昔ならば、「貧しさ」「モノのなさ」というものがあっただろうが、いまはそれらはまずほとんどない。
また、下に弟妹ができて、上の子が不安定になったり、幼児退行したり、下の子にちょっとした暴言や意地悪をしてみたり、疎外感をもったり、こういったことは誰しも通る道であり避けられないことだ。
ある面では関わりが、ある面では時間が解決してくれるだろう。
つらつら書いたのでまとまりがなくなってしまったが、こういうことがあるということを頭の隅にでもおいておくといいかもしれない。
次回はポジティブに、なにが兄弟仲をよくするかについて考えてみたい。