ざしきわらし考 - 2011.03.06 Sun
コメントの返信など遅くなりすみませんでした。
また相談のメールを下さったみなさんにはもうしわけありませんが、体調が良くなりましたら返信いたしますので、もうしばらくお待ちください。
今日のところは生存報告を兼ねまして、とりあえず書き溜めておいた記事をUPしておきます。
最近、子供たちが押入れのせまいところに入って遊んでいます。
むーちゃんが1歳半、お兄ちゃんは5歳。
むーちゃんはまだそれほど言葉がはっきりしているわけではないんだけど、子供どうしだとそんなことまったく関係ないみたい。
戸をしめて暗くしてクスクス笑ったり、なにやら二人で楽しそう。
押入れでそんな風にしていると、まるでざしきわらし(座敷童)が家にいるみたいです。
そんなのを見ていて、ざしきわらしの意味がなんとなくわかりました。
ざしきわらしって一種の妖怪の類とされていますが、ざしきわらしがいるとその家に福がもたらされるといわれていますね。地域によっては多少違うのかもしれませんが、概ねよいものとされているようです。
昔の人々にとっては、ざしきわらしでなくとも、家に子供がいるということ自体おそらく幸せなことだったのだろうと思います。
儒教的、先祖崇拝的なところから跡取りである子供が必要だったということもあるだろうけれども、子供がいて元気に過ごしているということ自体、そのまま幸せなことを意味していたのだと思います。
なぜなら、昔は子供が健康に育つことが必ずしも当たり前のことでなかったから。
もっといってしまえば、むしろ子供が死ぬことがあたりまえであったから。
人口統計の基礎に乳児死亡率という統計があります。
これは乳児(1歳未満児)1000人あたり何人死亡するかという率です。
これによりますと、2010年の日本では1000人に対して3人です。
世界の中でももっとも少ない部類です。ちなみに最も多いのはアフガニスタンの165人です。世界平均は45人。45人というのは日本では昭和20年代の後半と同じくらい。
世界保健機関(WHO)世界保健統計(2010年)より
これが大正時代末期では1000人中、150人を超えていました。
20人あたり3人が死ぬということです。
しかし、これは1歳未満児だけの数字ですので、子供全体ですとこれよりはるかに多くなります。
童謡「しゃぼん玉」は野口雨情が生後すぐ亡くなった自分の娘や貧困、病、間引きなどではかなくなっていく当時の子供たちを想って作った詩です。なので最初の掲載は、仏教の雑誌にされたそうです。
当時の人々も共感するところが多かったのでしょうね。その後、曲がついて歌となりました。
あまり知られていませんが、同じ大正時代にできた「どんぐりころころ」も一説にはすぐに亡くなってしまう子供たちを想って作られたということです。
「どんぐりころころ どんぶりこ お池にはまって さあ大変」 (亡くなってしまったことの暗喩)
ひげのはえたドジョウは神様の暗喩で、歌詞の2番で「やっぱりお山が 恋しいと 泣いてはどじょうを 困らせた」は天国の子供が母を恋しがっているのではないか、もっと生きたかったと悔しく想っているのではないか、という愛惜の想いなのだということです。
昔は栄養不足や、ちょっとした病気でも子供は簡単になくなりました。
だからこそ、子供が家にいて笑って遊んでいる、ただそれだけのことが当たり前ではなく、その家にとって家族にとって、とても幸せなことだったのですね。
そういう時代にいますと、ざしきわらしが福をもたらす存在というのも自然に出てきた発想だったのではないかと思われます。
今は子供が健康で育っていくことは当たり前の時代になりました。
それゆえと言うべきか、親は子供にさらにたくさんのことを望みます。
あれやこれや、子供の許容量を超えてまで要求されていることもたくさん見受けます。
昔の人ではないですが、僕は子供たちが健康でいて、笑って過ごせているならもう十分です。
あとは自分の道は自分たちでみつけていくことでしょう。
そんなのが子供たちを見ていて浮かんできた、ざしきわらし考でした。
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● COMMENT ●
子どもは「福」…そうですね~。
No title
「いてくれるだけで良い」んですよね。親も子も。
当たり前じゃないのに、当たり前に思ってしまい、うっかり忘れてしまうんですが。
シャボン玉の歌に込められた意味は昔テレビで見ていたのですが、子供が生まれてから歌ったら、泣けて泣けて仕方ありませんでした。
「風、風、ふくな」って親の絞り出すような切実な祈りですよね。
ああ、そうだった。と思いだしました。反省(笑)
お体お大事になさってください。
No title
シャボン玉の話は聞いてから、歌を聞くのが辛いんです・・(笑)
今はたくさんの子が健康に大きくなってくれるのが当たり前ですが
そうじゃない時代も少し前まであったんだなぁ・・と思うと。
自分たちが幸せに生活していることがありがたいですね。
娘はありがたいことに薬が効いてくれるようで、
成長が追いつくかどうかは分からないけれど、
でも、今すぐに命の危険があるわけではないので本当に嬉しいです。
娘の病気も、ほんの30年前には分からなかったものですし、
その時代に生まれていたら、娘もちゃんと生きられなかったかも・・と思うと
シャボン玉の歌も自分のことのように思います。
「健康で笑って過せるだけで十分」、わたしもそう思います!
kyomiuさん
花粉症のほうはこれからが本番なので戦々恐々としておりますが。(笑)
不妊治療の進歩って人類の歴史の中でもすごいことですよね。
僕の周りでもずいぶん多くの方がなさっています。
kyomiuさんのような立場の方でないと、いまではなかなか子供が産まれることが奇跡みたいなものだなんて感じなくなってしまっているけど、ほんと新しい命が誕生するなんて奇跡以外のなにものでもないですよね。
むかしの童謡にはほんと切々とした思いが入ってますね。
最近はあんまり親が子供に歌を歌ってあげる姿が少なくなっているようですが、これからもたくさん歌い継いでくれるといいなっておもいます。
てんさん
> シャボン玉の歌に込められた意味は昔テレビで見ていたのですが、子供が生まれてから歌ったら、泣けて泣けて仕方ありませんでした。
> 「風、風、ふくな」って親の絞り出すような切実な祈りですよね。
子供ができて親になるとなぜか涙もろくなりますよね。
ほんとに心のこもった歌のひとつだと思います。
あの曲楽譜を見ると、「楽しそうに(演奏する、歌う)」っていうト書きが入っているんですよ。
天国へ行った子供が笑顔でいてほしい、残された家族も悲しみを乗り越えてそれでも前へ進む、楽しそうに歌うからこそ本当にそこにある心情がでてくるのだそうです。
僕の好きな童謡のひとつです。
あおむしさん
そうかんがえるとたったひと世代前までそういう時代だったのですよね。
娘さん薬が効いてくれてよかったですね。
子供がいるってそれだけでほんとにすばらしいことです。
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そうか~、昔は乳幼児が死んでしまうこともよくある話しだったんですね。そうですよね、そこにいるだけで、福がありますよね。
実は私は息子を不妊治療の末、体外受精で授かりました。だから、本当に一歳を過ぎた今でも、毎日夜寝かしつけながら「ママ、◯◯くんを産めて本当によかったよ~。」って言ってます。当たり前にスルッと授かれなかったんで、実感として存在だけで奇跡っていうのがありますね~。この気持ちをずーっと持ち続けたいです。成長期になっても、いや、成長期だからこそかも!
野口雨情の「しゃぼんだま」の話しは、聞いたことがありましたが、「どんぐりころころ」もなんですね。今、息子が拾ってきたドングリを瓶に入れて、棒でかき回すのがブームなので、毎日歌ってますが、そんな話しがあるんですね~。
童謡って、そういう「哀」の部分もあるから、情緒に訴えていいですよね。元気な明るいだけの子どもの歌とは違いますね。
私は、「あめふり」(雨雨 降れ降れ母さんと~♪)を唄う度に、おとーちゃんの「満たされた子」を思い出します。柳の根方で泣いている子どもに傘を差し出せるのは、母さんの蛇の目に入れるからですもんね。
今回も素敵な記事をありがとうございました。風邪が早く治りますように!