僕の”仕事” - 2016.03.31 Thu
の一連の記事を書いてたくさんの反響をいただきました。
これらは、子育てにおける「支配」を主軸とした記事なのですが、実はこのことを書くのは初めてではありません。
『日本の子育て文化』のカテゴリのなかにも『心の育て方』のカテゴリのなかにも、これに関連する記事はたくさんあります。
「支配」でブログ内検索をかけると、ズラズラっと出てきます。
このブログをはじめたときの一番最初の記事の内容は、「子供の二の腕をつかんで誘導すること」について触れていました。
これも実は「子供を支配しなくてもいいんですよ」ということを伝える趣旨の記事です。
「子育てとは子供の”支配”ではない」ということを世の人に伝えていくことが、たぶん僕がやっていくべき”仕事”なのだと思っています。
「子供を支配することが子育てなんだ」と考えて(もしくは先入観で無意識に)子育てをしてしまうレールに多くの人は乗っています。それでうまくいってしまう人もいますが、うまくいかない現実があるのを知っているので、できるだけ早い段階で別のレールがあることを伝える仕事です。
難しい言葉で言うと「子育てのパラダイム転換」を目指しています。
なぜそれが僕の仕事なのか?
それは、僕も「子供を支配することが子育てだ」と先入観で思っていた人間だからです。そしてまた同時に、子供時代その弊害を被った人間でもあるからです。
ただ、僕は本当に偶然が積み重なって保育士になり、そこで子供を育てることを実際にたくさん経験することができました。
しかし、その中でやはり「支配」の関わりで子供の「正しい姿」を作り出そうとしていました。
周りの先輩保育士たちも、多かれ少なかれ「支配」もしくは「管理」(おだてたりすかしたり、子供だましをしたりのテクニック的な関わり。コントロール)をすることで子供に関わっていました。
一部のもともとのその人の性格や気質、自然に体得された柔らか(受容的)な子供への関わり方を持っている人だけが、「支配」にならずとも子供と関わることができていましたが、それらはその人たち自身「論理」として確立してやっているというよりも、ほぼその人の「センス」でできてしまっていることなので、「これこれこうやればいいんですよ」と人に伝えられる形で理解している人はおりませんでした。
そういうわけで僕も保育を頑張ろうと思うと、”「支配」の強化”になっていました。
しかし、それをするとものすごいのです、”ストレス”が。
保育の仕事が楽しいものではありませんでした。
後から考えると、僕自身が「弱い人間」だったことが幸いしたようです。
自分なりに頑張るのだけど、子供の「支配」を徹底することができませんでした。
もし僕が「強い人間」で子供の「支配」がうまく、それで子供を動かすことができてしまっていたら、いまも同じように関わっていたかもしれません。実際、そのままベテランになっていく人も少なくありません。
そのため、「支配」を頑張ることに限界を感じます。
それが保育士になって4~5年目だったでしょうか。
一種のスランプにおちいっていました。
その後、僕がこちらの記事
『保育が福祉なのだと感じた瞬間』
の中でも出てくるA保育士と組ませてもらったことで悟るものがありました。
このA保育士は、子供に関わる人がよくやるような作り笑いをすることもなく、端から見ているとぶっきらぼうと呼べるような関わり方をしています。子供のご機嫌を取ろうとも、歓心を買おうともしません。
ここまでだったらただの冷たい保育士です。
そういう冷たい保育士も中にはいます。しかし、このA保育士は違うのです。
子供がきちんと信頼感を持っているのですね。
ただの冷たい保育士ならば、子供はその保育士にさしたる信頼感を持ちません。そういった保育士も見てきたので、その違いはわかります。
作り笑いも、ご機嫌取りもしないけれども、もっと深いところで受け止めているのですね。子供にはそれがわかっています。
逆に、いくら子供のご機嫌とりをしても子供を心から受け止められない人も子供はわかりますから、そういう保育士にはあまり深い信頼感は持たないものです。
このA保育士にはその信頼関係がしっかりとあるから、ご機嫌取りやテクニックで子供をコントロールしなくても、子供が自然についてくるのでした。
また、それがあるために「嘘」がいらなかったのです。
好ましくないことにはきっぱりとNOと言うことができ、作り笑いもする必要がないのですね。
ただ、この人も「理論」としてしていたわけではなく、自身の体得したものとしてできているわけだったので、それを形として人に伝えられるわけではなく場合によっては誤解されてしまうのでした。
この同時期、僕は「個々の尊重」や「子供の人権」などについて学ぶようになるのですが、まだそれがそういった保育の実際のあり方や、「受容」や「信頼関係」などの気づきとつながっていませんでした。
ただ、このときに子供を「”できる子”にしなければならない」といった気負いから肩の力が抜けたようです。
つづく
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● COMMENT ●
最近考えていることですが…
続きです
たくさん本で勉強しても、それでもなかなか悩みのつきない子育て。
「生きることは悩むことだから仕方ない」といってしまえば確かにその通りなんですが、現代の子育てする親御さんにとって何がつまづきとなってしまって、こんなに悩みが深くなってしまうのかなとしばしば思い巡らせてしまいます。
支配はいつか綻びる
おとーちゃん、よく話してくれました。ありがとうございます。
私は4歳の子を持つシングルマザーです。
子供が生まれた時は婚姻中でした。自分の育児が不安だらけで、こちらのブログに行き着きました。3年前です。
受容されていない子供の問題行動を読んで、夫とそっくりだと思いました。
結局私は夫にモラルハラスメントを受けている事に気づき、離婚することができました。
色々な情報に触れ、自分が支配されて育ったから、結婚生活も支配関係を作ってしまった事に気づきました。
夫の支配から離れましたが、今度は母、妹からの不適切な関係に困っています。
母の育児はおどし、ごまかし、おかし、おもちゃ、嘘のオンパレードです。
今子供は、周りの方々の助けも受け、受容されて育っているようです。
離婚直後はかんしゃく、多動、夜泣きなど、問題行動がありましたが、今ではとても落ち着いています。受容されたのでしょう、成長もついてきました。
私は支配と暴力の仕組みに気づくことができました。
おとーちゃんのブログからも学びました。本当にありがとうございます。
支配はその時はなんとかなるかしれませんが、長い目でみれば必ず綻びが出てくるのではないでしょうか。
私には大きなことはできませんが、子供を愛して育てていきたいです。
私の家族が抱えてきた負の連鎖は、私は断ち切ります。
今子供がとてもかわいいです。離婚までの2年間の育児を取り戻すように、可愛がっています。
本当に育児は、いつからでもやり直せると思います。
今の日本の育児事情は問題も多いですが、それでも少しずつ良くなってきていると思います。
こうして、受容の方法が皆で共有されいますし。
皆さんのコメントからも励まされます。
おとーちゃんの記事、これからも楽しみにしています。
今回の記事、涙が止まりませんでした。
同感です
特にこの”支配的な子育て”に関する記事は自分を反省する機会になったことはもちろんですが、私が今住んでいるドイツで、そしてドイツ人の夫を見ててよくここの部分で日本との違いの大きさを感じていたので(全てのドイツ人が同じわけではもちろんないけど)なんだか賦に落ちました。
日本に帰る度に ”なんで大人は子供を一人の人間として扱わないのだろう。なんで上辺だけであしらうんだろう”って思っていました。
また、そういう大人の自分に対する自信のなさがチラチラ見えてきていました。”何を怖がっているんだろう”って。
あ、そうか、私達はこういう感じで育てられてきたんだな。って。だから自分の子供にもそういうふうにしてしまうというか、他の方法を知らないんだなって。
それからとかちさんのコメントを読ませていただいてとても共感しました。
私も常日頃から ”子育てはセンスだけでできるものではない”と思っていて車を走らせるのにも勉強して免許をとるのに、子育てだけは ”できて当たり前”という前提で急に母親になってしまってあたふたしているのにまわりから得られるアドバイスって ”もっと愛情をもって”とかただの
誤魔化しや、その場しのぎのノウハウだったりで。
もちろん人間相手だから勉強をしてそれがそのまま当てはまるわけではないし、やっぱりハートは大切なんだけれども、親もある程度の発達心理学みたいなものを勉強するともっと子供のことがわかって自分の子供への見方も冷静になれるんじゃないかと思いました。
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本当は子育ても家事も、上手くやるためのメソッドやルール、体系的な理論や考え方がきちんとあって、それを学ぶと学んでないではだいぶ違うように思います。もちろん、一口に理論と言っても一人一人合う合わないがありますし、同じやり方でもそれぞれで気をつけるべきところなどは変わってくるでしょうから、やる人自身が実践を積み重ねて自分のものにしていく必要がありますが。
最近では、「なぜ家事を効率よくやりたいか?」とか「心地よい家にするには、そもそも家族は何を求めているのか?」とか、そういった根本的な気持ちにまず焦点を当てて、それからそのために必要な考え方を導いていき、その上で細かいテクニックを伝授するといった家事本が増えていっているように思います。きっと多くの人が、漠然と料理して掃除して子育てして、“何となく”で家の中の仕事をしてきて、でもそれではなかなか上手くいかない何とかしたいけど何をどうすればいいか分からない…というモヤモヤした気持ちを抱えてきたからだと思います。
家の中の仕事が重視されていた昔であれば、世代間で自然と上手いやり方が伝わっていったのでしょうが、現代は家の外に学ぶものが多すぎてなかなか中のことまで伝わらない、そもそも伝える人がいないというところまで来ているような気がします。
それでも、家事に関してはまだやりやすい方かもしれません。人間を育てるという子育てにおいては、理論もやり方も千差万別で、「子育てのやり方を学びたい」という人をあれやこれやで翻弄してきます。
「部屋を片付けてこんなインテリアにしてみたい」という願望ならやろうと思えば出来ますが、「子どもを礼儀正しくて優しくて勉強を一生懸命出来る子にしたい」と願っていろんなメソッドに手を染めてみてもこれはなかなか難しいし、たとえ親が目標を達成出来たと思っても子ども本人は決して満たされてはいないかもしれない…。(まぁ、インテリア云々の話も、本人以外の家族がよしと思っていなければ、家族みんなが心地よい家造りに成功したとは決していえない訳ですが)
現代のお母さんは、勉強熱心で、子育てに関して何冊も本を読んでこられたという方がたくさんいらっしゃるんじゃないかと思います。