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2024-04

名前を呼び捨てにすること ~子供の人権~ - 2018.01.17 Wed

男性保育士の話からのつづき。

なぜ子供を呼び捨てで呼ぶべきでないのか?


◆「男性だから許される」はない
女性でもこの問題は同様ですが、一般的な男性観から、男性保育士の中には「男性だからそれが許される」といった感覚を持つ人もいるようです。





これは性差を強調することであり、男女平等を旨とする現在の社会においてそれはそぐわしいことではありません。
ゆえに、「男性だからそれをしても許される」という意見や意識は、論理的な主張になりえません。

この点、男性であろうと、女性であろうと関係ないのです。
このような主張をしてしまうと、男性保育士は社会的に受け入れられない方向にいきます。

男性保育士の方は、この見解におちいらないよう気をつけましょう。



◆閑話 アニメ『サザエさん』に見る一般的男性観

あのアニメはあのアニメなりに、その時代の意識を反映させるべく意識をしていますので、現在は変わっているかもしれませんが、かつてはその時代の感覚のまま性差をそのまま出している表現がありました。


例のごとく、カツオ君がなにかをやらかしたときに、

ふね「おとうさんにいいつけますよ」

また別の場面では、

サザエ「とうさんが帰ってきたら叱ってもらいますからね」


この言葉に違和感を感じますでしょうか?
または、この違和感の正体がわかりますでしょうか?


この言葉には、前提として「男性が叱るもの」「男性は子供に強く出るもの(or出ていい)」というとらえ方があります。

この感覚は、上で述べたような「男性だから子供を呼び捨てにしていい」といった理解を人に持たせる背景にあるものと同じです。

また、それが派生すると「男性は子供に体罰を振るっていい」といったものへ発展する可能性を秘めています。



このふねさん、サザエさんのスタンスは子供を適切に子育てする見地から見ても不適切な対応と言えます。

もし、その子供の行動を見た当事者として、ふねさんなり、サザエさんなりがいるのならば、その人自身の意見・感覚から「その行動はおかしい」とか「それはやめて下さい」と伝えるべきことです。

これが、1対1、人対人としての適切な関わりです。

にもかかわらず、そこにいた当事者でもない人を出してきて、「その人から叱ってもらう」というアプローチは、完全に「子供を力で押さえつける」(威圧)方向での子育てになってしまいます。

これをすれば、子供は力で押さえつけられているときだけは大人の要求する行動を取るが、その押さえつけがないところでは大人の要求に自発的に従わない子に導いてしまいかねません。


ここからわかることは、男性だから女性だからといった価値観や、どちらが上だから下だからといった価値観でもなく、子供も大人も同じウエイトを持った人対人の関係から子供へのアプローチを出発することの大切さです。


子供にすべきでないことを指摘するのならば、「誰かに叱られるから」(威圧)ではなく、「私が嫌です」と正直な気持ちや感情を提示する「信頼関係」を用いた関わりの方がそぐわしいのです。

閑話休題。


ここからが本題です。


◆呼び捨てにしてきた事実の背景

子供を呼び捨てにすべきでない理由は、子供の人権にあります。

人間の人権は、誰しもが等しいものです。
そこに、年齢や性別、国籍、人種といったことの差異はありません。
人権の観点から見れば、子供も大人も同様ということがわかります。


しかし、それが昔からまっとうされていたわけではありません。

子供はその未熟さゆえに、不十分な人間と見なされていた時代があります。
そもそも「子供」という、現在ではだれもが当たり前と考えているとらえ方そのものがありませんでした。

当たり前すぎて、現在ではいちいち気に留めることもなくなっていますが、では「子供」とはなんでしょう?

現代では、子供は守られ、食事をしたり清潔にしたりといった基礎的なことも含めて適切に養育され、教育を受け、遊び、健やかに大人になっていくべき存在としてあります。さらに忘れてならないのは、子供が親(大人)の従属物でなく、独立した主体ということです。

しかし、それは昔からではありませんでした。
子供の命は安かったり、子供の健康を社会的に守ってあげる必要もなかったり、教育を受ける権利が保障されていなかった時代・社会があり、そこからだんだんと現在に至るまで改善されてきています。

このあたりは、ルソーの『エミール』から「子どもの権利条約」への流れで、保育士になる際にみな学んでいます。

そのさらに元には「近代的自我」ということがあります。「人権」という概念を理解するには「近代的自我」が密接に関連しています。
「近代的自我」の確立ゆえに、「個人の独立」があり、そこから「個人の尊重」「個人の人権」「市民権」といったものが派生します。
そこに遅れて「子供」という概念の確立が加わり、ようやく「子供の人権」に至ります。
この部分は、あまり保育士養成の過程では習わないかと思いますので、ここでは軽く触れるにとどめておきましょう。


何が言いたいかというと、現在当たり前と思っている「子供」というものは、もともとあったものではなく、社会の進歩にともなって先人たちが築きあげてきたものだということです。
また、それは同時に壊れてしまう可能性もはらんでいるということです。
その時代時代を生きる人が守っていかねば、簡単に壊れてしまう砂の城のようなものです。
ですから、その時代に生きる人は、それら人権を損ねることなく、むしろ向上させ、次の時代にバトンタッチしていく責務があります。




◆それらを踏まえて、名前を呼び捨てにすることを今一度振り返ってみましょう

1,かつて子供が尊重されていない時代があった
         ↓
2,多くの人の努力で子供を尊重する時代になってきている


現代はこの2,のところにいます。
子供を呼び捨てにするといった行為は、1,の時代にしていたことです。

では、2,の時代である現代において、子供を守る立場である資格を持った保育士が呼び捨てにすることは果たして許容されることでしょうか?

このことは、保育士でない一般の人であったとしても尊重して守っていくべきことであるのですから、保育士がその点に留意しなければならないのは言うまでもないことです。

大人が子供を呼び捨てで呼ぶことは、「大人が上で子供が下」という上下意識を強調するものであり、そこから子供の存在を軽んじる方へつながる可能性を否定できません。
私たちの歴史は過去にそういった子供を不当に扱っていた時代を経てきており、その片鱗はいまに至ってもまだ残っている現実の中におります。
だからこそ、保育者が率先してそれに留意していかなければならないのです。


(もし、子供の呼び捨てが人権を損なわない例外があるとすれば、同時に子供にも大人を呼び捨てで呼ばせるケースです。
インターナショナル系の保育施設などは、このケースが該当し、文化的な経緯とあいまって、一定の論理的主張となりえるでしょう。
ただし、現状の日本の子育て文化の中では、外国のような上下関係を強調せずに人を愛称としての呼び捨てで呼ぶ文化が一般的とは言いがたいため、このケースをすべてに当てはめることには無理があると言えます。
それゆえ、一般的な保育施設では園側が「我が保育園ではそのようにしています」と主張したとしても、預ける保護者側が必ずしもそれに同調できるとは限らないのでそれが適切と判断できる状況は多くないでしょう)



◆子供の人権についての法的根拠は?
児童福祉法のさだめるところや、「子どもの権利条約」への批准にあります。
条約への批准には、法的効力があります。
よって、日本国民には、子供の人権を守り、それをさらに推し進めていく義務があるのです。
いわんや保育士をや。




◆「自分にはそんな悪意はない」という主張に対して

「私はそれをしていたが、そんな差別的な意図はなかった」という反論があった場合。

それ自体は、「ああ、そうだったのですね。今後重々注意して下さいね」と返していいでしょう。

無知は必ずしも罪ではないからです。
しかし、本来理解していなければならない有資格者が無知であったというのは、あまり褒められたものではありません。実際はあってはならないことですが、人は誰しもあやまちをおかすものですから、そこは理解をうながして許容していっていいでしょう。


しかし、
「自分にはそんな悪意はないのだからやっていいのだ!」という強弁につながってしまう人はまた別です。

知らずに間違ってしまったことが大目に見て許されたとしても、不適切であることを指摘されたのであれば、それを理解するよう努めるのが社会人としての大人の態度です。
問題を明確に指摘されたにもかかわらず、自身の我を通そうというのは、大人になりきれていない未成熟な態度と言えます。

類するものに、「私は愛情を持ってやっているのだ」というものもあります。


「悪意がないのだからやっていい」というのも、「愛情があるのだからやっていい」という主張も、人間的にはあまりに幼い未成熟な態度と言えます。

これは児童虐待をする人の主張に通じます。
「これは悪意なくしつけとしているのだから暴力を使うことに問題ない」
「愛情があるから子どもに暴力を振るっていい」
このような主張が現代において通らないことは、当然のこととして理解できることと思います。



ちなみに、この「悪意がないのだからやっていいのだ」という主張は、先般、芸能人がブラックフェイスをしてコントをした事件と同様の構造を持っています。

いまだに正式な謝罪がでていないようですが、その態度は「悪意がないのだから問題がない」という、社会的に大変未成熟な主張にしかなりません。
諸外国も注目する事件なだけに、国際社会の一員として大人の対応が求められていると言えるでしょう。

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● COMMENT ●

親から子の場合

親が子供を呼び捨てにするのも人権蹂躙に当たりますでしょうか?
子供が親を名前の呼び捨てにせず、「お父さん、お母さん」「パパ、ママ」などと呼んでいる場合です。
ただ、本当に平等にするなら子供が「お父さん、お母さん」などは言えなくなるのでは?
子供を「◯◯君、◯◯ちゃん」と呼んでいるなら、子供も親のことを同じように呼ばなければならない、となりそうです。
それはそれで不自然に思うのですが、不自然と思う理由は説明できません。私が無意識に人権意識が欠けているのかもしれません。

Re: 親から子の場合

家庭で子供を呼び捨てにしたとしても、必ずしも人権を損なうことにはならないので安心して下さい。
家庭内の場合は、そこに文化的な経緯が入るからです。

ただ、体罰をしたり、食事を抜いたり、自尊心を傷つけたり、罰として屋外に放置する、精神的な束縛、友達や恋人や将来の進路を勝手に決めるなどをする行為は、家庭内であっても人権を傷つける行為になります。
このことは、大人でも自分に置き換えると理解しやすいです。(会社で同様のことをされたり、配偶者から同じことされたとき自身がどう感じるか考えてみる)

それら子供の人権を損なう行為を、子育て(一般には「しつけ」)のためにしたとしても、子供を適切に導くことはできません。
それをしたとしても、親から子へのハラスメントにしかならず、子供の健全な成長になるどころか、長きにわたっての生きにくさの獲得をさせてしまいかねません。



保育園や学校などの施設の場合は、
呼び捨てで呼ぶ人の中にも、もちろん親愛の情でする人もいるかもしれませんし、人権を損なう文脈でする人もでてきます。
そこに線引きをすることができません。
ゆえに、統一して呼び捨てにすべきでないというのが、合理的な判断になります。

だからこのとき、「私は悪意がないからそれを今後もするのだ」という主張はできないのですね。

Re: 親から子の場合

ご返信ありがとうございます。

「お父さん、お母さん」「先生」と呼ぶ以上、上下関係は必ずあるものだと思いますが、先生の場合は特定の生徒だけに親愛の情を示して呼び捨てというのも逆に贔屓のようにもなるので避けたほうがいいでしょうね。

仕事や結婚相手への介入は家族であれば難しい問題ですね。子から親への介入も時にはありそうです。(再婚相手の反対や転職など)

本文とずれますが

投稿内容が自分のもの以外も編集できるようですので、システムの見直しをされたほうがよろしいかと思いますが大丈夫でしょうか。
管理人様のコメントも編集のリンクが押せましたので。


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