リンク 手塚貴晴:他に例を見ない最高の幼稚園 - 2016.01.25 Mon
僕は別段建築に詳しいわけではないのですが、ドイツの建築家ブルーノ・タウト (1880‐1938) の世界遺産にもなっている「ベルリンのモダニズム集合住宅群」をそこに住む人と他者との関わりのあり方の観点から研究したことがあって、建築は思想だと感じています。
日本にもゆかりのある方なので、熱海市や高崎市に住む方はご存じかもしれません。
さて、今回紹介したいのは、ある幼稚園についてです。
リンク先の動画や翻訳文を見ていただけばわかると思いますが、それが大変おもしろいのです。
手塚貴晴: 他に例を見ない最高の幼稚園
僕が蛇足の解説をするまでもありませんが、この根底にあるのは「自由」ということではないかと僕は感じます。
子供を型にはめるように教え込むことが教育であると考えがちですが、実は子供の学びにおいてとても重要なポイントになっているのは「自由さ」なのですね。
言葉で簡単に表すことはできませんが、それが例えば「主体性」や「自主性」といった、人が生きる上での核になるような力を養ってくれます。
いまの時代、いわゆる机に向かってする類いの”勉強”のウエイトが非常に大きくなっています。
それはわかります。
しかし、それだからこそ、その基礎を育てる部分をしっかりと大人は見据えて幼少期に育てることがなおさら必要になっているのです。
それを多くの人は、いわゆる”お勉強”を前倒しすることで量的に増やして効果を上げようとしています。
早期教育などがまさにそうですね。
でも、それだけでは危うさがつきまとっているように感じるのは僕だけではないはずです。
いま大人になっている人も、子供の頃に”秘密基地”を作ったり、そのような隠れ家的なことをして遊んだ記憶を持っている人がたくさんいることと思います。
なぜ、秘密基地は楽しいのでしょう?
その理由のひとつはやはり、そこに「自由」があるからではないでしょうか。
話はそれますが、僕は本を書いたり、講演をすることで自分の考えていることや想いを伝えることをしています。
自己表現の手段が言葉しかないということですね。
ですので、音楽を作ったり、絵を描いたり、自分の想いを形としてクリエイトできる人を常々素晴らしいなとあこがれを持って感じます。
まさにこの幼稚園の建築のように、自分の思いを語らずとも、しっかりと表現しさらには現実の子供の姿として実現してしまっていることに、ただただ感嘆するばかりです。
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● COMMENT ●
思いを受け継ぐことの難しさ
私の地域では公立小学校も一時期オープンスペースの校舎が流行りましたが、今はまた従来の校舎が採用されることが多いようです。
理由は、管理が難しいことと、建物が特殊なので修繕費が大変ということでした。
インタビューの中に「園長先生の考え」ということが出てきましたが、先生方を始め、校長先生も短期間で入れ替わる公立小学校では、建築家さんが建物に込めた思いを受け継いでいくのは、並大抵のことではないんだなと感じました。
誰もが使いやすい建物は、当たり障りのないデザインになってしまうんですね。
それこそ、建物=どんなこどもを育てたいか、ということを如実に物語っていると思います。
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