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2024-04

早期教育を目指す親のあり方について考える vol.2 - 2017.04.05 Wed

一般に早期教育の是非は、早期教育”そのもの”が問題(or効果的)か否かという点で論じられますが、僕はそのレベルよりももっと身近なミクロ的な実際の子育ての場面で起こっていることから、ここでは考えています。
その焦点となるのが、「早期教育をすることにより子育てが難しくなってしまう」実際のケースの傾向から気をつけたい点を考慮することです。

僕がこれを書く動機は、子供のためによかれと思ってすることで結果的に苦しんでしまう子供や親を見てきたためです。また、そのような傾向で育てられたがゆえに大人になってからも苦しむ人の声を聞いてきたからでもあります。

子育てをする上での一助としていただければ幸いです。



では、前回からの続きです。





前回は、早期教育を目指すことで子育てを難しくしてしまう傾向として「1,感情をプラスの方に動かしにくい人」を上げました。


2,外に価値を見いだす人

以前、こんな話を耳にしました。あるお母さんの話です。

そのお母さんは”あやとり”などの昔からの遊びを子供がしていると「みすぼらしい」と感じるのだそうです。
だから子供が自分からそういう遊びを楽しそうにしていても、それを否定してスマホやゲーム機などをやらせるのだそうです。

こういった価値観を持つ人の話は実は子育ての周辺に少なくありません。


また別のある話です。

子供が3歳になって両親が共働きになるために保育園に入れることにしました。
それを旦那さんの両親になにげなく話したところ、「保育園なんて貧乏な子供がいくところだからはずかしいのでやめなさい」とすごい剣幕で言われたそうです。


また別のケースのお話。
そのお母さんは、普段子供への関心がとても低いです。
ネグレクト気味といっていいほど、子供への必要なケアをしておらず子供の姿に無関心です。
しかし、そのお母さんが子供に普段とはかけ離れた関心を見せるのが、そのお母さんの友達と子連れ同士で外出するときです。
子供にブランドものの服などを着せ着飾ってでかけ、写真をたくさん撮ってはSNSなどに載せています。
3~4歳頃からは子供を着飾らせるだけでなく、まるで周りのママ友と張り合うような形で習い事などをたくさんさせることが加わってきました。



これらの子供への関わり方に共通するのが、「子供そのもの」ではなく「子供の外に価値を見いだしている」点です。

そしてこれは、前の記事で書いた「感情をプラスの方に動かしにくい人」の問題とも、やや関連があります。
「情緒的な関係性」を子供との間に作れない人ほど、「子供の外につく価値」にウエイトを置きやすい傾向を持っています。


自身の生育歴ゆえに大人になっても生きづらさを感じる人の中にも、自身の親がブランド志向、ステイタス志向であった傾向を持つ人は少なくありません。




そのように子育ての価値を、「子供の外につく価値」に見いだしてしまう人が早期教育を過剰に子供に施していくようになると、その子供の姿、行動に問題が出てくるリスクは飛躍的に高まると思います。
また、回り回ってその親自身も、そういった子供の大変な姿から子育てが重荷になったり、子供と一緒にいることや子供を見ていることに苦痛を感じるようになりかねません。



くどいようですがこのメッセージを本当に必要な人に伝えるためには、重要なことなので繰り返し述べます。
僕はそういった気持ちで子育てしてしまう人を、否定したいと思っているわけでも、責めて言っているわけではありません。
だからどうかこの記事を読んでも、気持ちを怒りに振り向けないで下さい。

こういった子供の外に子育ての価値観を見いだすようになってしまう人は、それを自身の責任ではなくほとんどの場合「持たされて」しまっています。
多くは自身の親から与えられた生育歴によってです。


自身の持つ価値観を否定的にとらえられることはとても辛いことなので、自身を守るためによりいっそう意地を通さなければならなくなってしまいます。
その結果、子育ての続く年月を長期にわたって辛いものとしてしまう人がおります。
僕はそういった事態をあらかじめ回避できるものなら回避してもらう、もしくは軌道修正してもらうことによって、よりムリのない子育てひいてはよい人生をおくって欲しいと思っています。


それがどういう事態か少し例を挙げて見てみましょう。

ケース1
保育園に通っている子で、2歳くらいから早期教育や複数の習い事をしていた子のケースです。
その母親は上記のような価値観を外に求める傾向があり、かつ前回のような情緒的な関わりができないタイプ。
普段からあまり情緒的に安定して過ごしていない姿がすでにあったところに加え、早期教室の翌日の荒れた姿や、土日の習い事教室のはしごの週明けの荒れた姿が顕著に出ていた。

他児への噛みつきや、衝動的な攻撃する行動が多くなっていた。
年齢が上がるにつれて、およそ4歳くらいから他児への意地悪な姿が強く表れてくる。
それが慢性的になり、周りの子から避けられることが多くなってきた。


一方で親の様子としては、
園側から、噛みつきや他児とのトラブルがあったことを伝えられると、子供を感情的に激しく叱責する対応が多かった。(1~2歳中頃まで)
子供の意地悪な行動を取っていることに対して無視や疎外で冷たく対応することが多くなる(2歳中頃以降)

また、子供のネガティブな姿を園から伝えられることに対抗するかのように、なにかと理由をつけてはクレーマー化していった。 
 例:「持ち物がなくなった」とものすごい剣幕でクレーム →実際は家にあった
   「園から帰ったら子供がケガをしていた」 →休日の間に家でケガした箇所だった など
   
幼児クラスになってからは、園だけでなく周囲の保護者に対しても矛先が向けられていく。
 例:「我が子がいじめられている」「のけ者にされている」 
    →実際は、その子が他児に意地悪をするのでに周囲の子供たちに避けられてしまっていたり、その子が意地悪でものを取ったりするために取り替えされるためにトラブルになっている など

実際の所は、周囲の保護者はその子がしんどい状況に置かれていることを感じ取っており、むしろその子に許容的であったり寛容であった。その母親に対しても「がんばりすぎちゃっているみたい」と同情的な人も多かったのだが、その当人から被害妄想の矛先を向けられたりすることで、周りの親も離れていってしまった。



ケース2
やはり情緒的な関わりが苦手な上に外に価値観を見いだすタイプの子育てをする家庭のケース。

1歳過ぎから家庭での早期教育をはじめる。幼稚園に3歳で入園。同時に勉強の量と習い事が増える。
笑顔がほとんど出ず、大人にも信頼感を持たない。言葉も少ない。
他児に対して攻撃的。(例:自分の近くに寄られると即押し倒すなど)

そういった他児とのトラブルが慢性的にあり、幼稚園の先生から親はたびたびそれを指摘される。

それによって余計に子供を肯定的に見られなくなり、より親子間での情緒的な関わりができなくなっていく。勉強面には手を掛けるが、それ以外には掛けない姿勢に。

小学校入学と同時に学童クラブにも入る。
小学校では、他児とのトラブルからケンカ、授業中に騒ぎ授業を妨害するなどの姿が出る。
担任から何度か呼び出され話をするが、もともと幼稚園の頃からも否定的なことばかりを言われるため学校側に不信感を大きくしており、あまり協力的な姿勢は持てなかった。

3年生で学童クラブが終了し、4年生からは鍵を持って過ごすことに。
両親とも帰りが遅く、平日は夕食もひとりで食べることが多い。

4年生のとき殴り合いのケンカをし学校に呼び出される。
その際、「私は忙しい。今後何があっても呼び出すな!」と激高して怒り以後学校からの連絡をシャットアウトしてしまう。



さて、上記のふたつは極端な例かもしれませんが、ここまでいかずともこれと同様のパターンを踏んでいくケースは少なくありません。

①子供そのものと情緒的な関係を親子間に作り出すことができず、習い事や勉強などの外部の価値観を子供に求めるようになる。

②それゆえに子供の余裕が失われ情緒の安定を欠いていくことからさまざまな不適応な姿の増加が起こる。
 ・友達とのトラブル
 ・親への反発
 ・親の言うことをスルーする、聞かないなどの消極的な反発
 ・大人への信頼関係を構築することができにくい状況からの不適応な姿  などなど。

③そこから子供を肯定できない親の心情の発生。それの悪循環。

④親自身の自己防衛のための、子供の無視や放任、周囲への反発や過剰な意識。それゆえの孤立。



できるものならば、このような傾向のある人は早期教育を加熱させてしまう前にこの轍を踏まないようにした方がいいと思います。

こういった状況にはまってしまってもそれを改善していくことはできなくはありませんが、最初から、または早い段階で避けられるならばそれに越したことはありません。
こういった問題は、あとになればなるほどその軌道修正は難しくなってしまいます。



この問題の本質は、実は「早期教育」でもなく、実際上の「子育て」ですらありません。
もとにある親自身の価値観がその発端になっているところが、最大の点です。


これが「子育ての上でのちょっとしたテクニック」くらいのものであれば、それを変えることはそう難しくはないことでしょう。
「子育ての考え方」レベルのことであっても、まあ変えることはできなくはないでしょう。
しかし、自身の価値観、生きる上での尺度となると話は別です。


カウンセリングなどが一般的となっているアメリカなどであれば、学校などがこういった親と接する際は子育ての問題とは別に、「まずあなたがカウンセリングに行くことをお勧めします」といった対応がされるそうです。
しかし、日本では現状そういうことはありません。
ですので、たまたまその家庭内やその親の周囲の人からの支えで問題が解決の方向に行かない場合、解決が非常に困難になってしまいます。



僕のように幼少期の子育てをメインテーマにしている人間からすると、そのような深刻な問題を防げる段階で防ぐことをまず考えます。

僕は、この「早期教育加熱」の現代の子育ての問題の、根っこにあるのは実は「勉強熱心さ」などよりも、
「どう子育てしたらいいかわかんないよ!」という親の不安や戸惑いにこそウエイトがあるのではないかと感じています。



今回の記事は正直書くことをためらったことでもあります。
人の価値観や考え方への言及は、基本的にそれで人を変えることはできませんし、なおかつ反発や怒りを向けられるリスクが高く僕としてもそれはあまり気持ちのいいことではありません。

ですが、この問題により本当に子育てや人生を辛いものにしてしまう人が少なくありません。
またこういった問題に触れてものを言う人そのものが僕の他にはあまりいないようなので、これを伝えることが僕の使命だと思って書いた次第です。


もし、ここで述べたような問題をご自身が抱えていると思われた方がいらっしゃいましたら、子育てのこととして「子供への要求」にしてしまう前にカウンセリングなどで、ご自分の問題として向き合った方がいい場合もあるかと思います。

カウンセリングの方法やカウンセラーの方などもいろいろありますので、ご自分に合うと思われるものを探してみるといいでしょう。
カウンセリングにも本当にいろいろあります。
長期にわたってただ話を聞いてもらうことで自己解決を目指すものから、なんらかのアドバイスにより行動的な対処を考えるもの等々。
また、そのカウンセラーの専門性や相性といったものもあります。

僕も子育てカウンセリングとして、ホームページからメールでの相談、また対面での相談を承ってはおりますが僕でなくとも多くのカウンセラーがこういった問題の専門性は持っていることと思います。


早期教育の問題については、また少し視点を変えてもう少し見ていきたいと思います。

つづく。

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● COMMENT ●

こんにちは

いつもありがとうございます。
(下記自分語りになってしまいましたmm)

ズレた話になるのですが…
「クレーマー化していった」お話がありました。
人は自分の経験してきたことが多いことが自信とも繋がるため、
それを体系化し、新しい出来事や対人関係は、その体系のいずれかに
押しはめて表面的だったり一面だけだったりと決めつけて見る人が非常に多いです。
私は、それで、「クレーマー化した人なんじゃないか」と思われることが多いです。
というか多分、「事なかれ主義」の人が多いので、
(保育園などに対して)そういう事を言う人が少ないから、
なにかを言えば「嘘をでっちあげて自分を攻撃してきてるに違いない」
と捉えられてしまう、という感じが多いのです。

私も毒家育ちです。いじめる体質ではなくて、いじめられやすい体質になってしまいました。
が、こどもに対してそのまま流さないように気をつけたいと思っています。

私の母は、過干渉かつ放任でした。要するに尊重しておらず、心に土足で踏み込む。
その結果、人生詰んでしまう方向へしか行けないし、
自己存在否定が抜ける日は来ないのではないかと思う人間になってしまいました。

うちとは真反対で、
お子さん4人を東大に行かせたママで最近有名な方がいらっしゃいますが、
結果的に子供は親を尊敬し、感謝していて、かつ自立心もしっかり育っています。
親のレールという単純なものではないんですよねえ。
私は結婚式で親への手紙を書きましょうと言われたけど、
何も言葉が思い浮かびませんでした。
人がもつ感情を知覚し認識し、表現するすべもない以前に、
湧かない、持っていない感じなのです。

おとーちゃんさんのおっしゃる内容を、
表面的に捉えてしまうと、またただの形骸化で形式にこだわるということになってしまいそうですね。
そうではないこと、わかります。
一方で、これはやったらダメなんだな、あれをやればいいんだな、
という画一的な捉え方になってしまわないようにしようと思います。

あと、こどもの姿に様々な問題があらわれている時、親もわかっているししんどくているわけで、
それを「問題がありますよ」と言われると、身内の恥みたいな気がしたり、
何も問題はないはずなのだ、という感覚が優先されて、怒りとして「(親にとって)正しくない姿」
のこどもへ非難を向けたり、夫婦で言い争ったりということになりそうですね。
んー、うちがまさにそうでした。
(母は放任で全く教育しませんでしたが、こどもである私や兄には様々な問題が表出していて、
それをめちゃくちゃ非難されてという悪循環でした。おとーちゃんさんに学ばせてもらって、
よりよく客観的にわかるようになりました。ちなみに父は恐らく自己愛人格障害かつアスペと思われるので、
全ての自己責任を他人へ転化かつ、我が道以外眼中になしなので論外の上で)

ちょっとわかりづらい感想ですみません(ーー;)

どう子育てしたらいいか分かんないよ!

まさに。どう子育てしたらいいか分かんないよ!です。

最初の寝てる時期は、可愛いなーすやすやおっぱいーで済んでいましたが、半年過ぎて動けるようになってくると、本当にどうしていいか何も知らないことに気付き、その場限りの対応をしたり慌ててネットで検索したり・・・
日中は一人だからその繰り返しに疲弊したり、言葉も通じないし体内リズムも違うからいらいらしたり、夜泣きの多い時期なんてもう・・・
そんな中このブログを知り、とても救われました。勉強になったし、見通しが付きました。
でも読んだだけの見通しって、本当には自分に見に付かないんですよね。

この3月からパンツに切り替えた子供は、月末にはもう完全にパンツに移行していました。
抱っこでトイレ行ってるしズボンとパンツも自分で脱がないけど、でもしばらく大変だからと覚悟していたので、なんだか拍子抜けしました。
そして、ああ大丈夫なんだな、と実感しました。
この人はこうやって、なんか最初慣れなくて失敗しつつも、それなりにやっていって明るく優しくやってけるんだな、このままで大丈夫なんだな、と。

でもやっぱり体験しないと見に付かない。そしておとーちゃんのお話が、その大きな助けになってくれてるのは確かです。
本当にありがとうございます。

はじめまして、aと申します。
二十代後半、一歳の息子がおります。
ブログ、いつも拝見させていただいておりますが、書き込むのは初めてです。
例にあげられていた母親像が私の母と似ている部分があったため、身の上話を聞いていただきたくなりました。
お忙しいことと思いますので、軽く目を通していただければ幸いです。

家は母子家庭でした。母は医療系の仕事をしており、帰ってくるのは8時すぎでした。
仕事のことでストレスがあり、あまり情緒的な関わりはありませんでした。
外面だけは良く、幼い私にとっては自慢の母でした。
兄弟は2つ違いの兄がおりますが、小学生のときは毎日、兄からの暴力がありました。
母が帰ってくる夜まで、ベランダに出されたり、おもちゃの銃で撃たれたり、体に痣ができるくらい殴られたりしました。
言葉の暴力もありました。
母に兄の暴力をうったえても、疲れてるのにそんな話やめてと言った感じに軽く流されてしまいました。
私は人生の半分以上、兄への憎しみをいだき成長しました。
今思えば、兄じしんも、母からのネグレクトや精神的な攻撃により枯渇していたんだと思います。
話がそれてしまいましたが、母がいかに外面を重視していたか、思い返すと色々あります。
小学校の時、友達をつれてきました。
日曜だったのでめずらしく母がいました。
友達が帰った後、あんな暗い子とはあそぶなと言われました。
私自身、内気な性格だったので気の合う友達だったのですが、母から言われた言葉の衝撃はすごかったです。
中学になり、母に認められたくて無理して運動部に入りました。クラスのポジションは、明るすぎる変な奴でした。
無理して明るくふるまったため、いじめられましたが、母にうったえても聞いてもらえないことを知っていたので、1人で抱え込みました。
それでも、ずっとずっと明るいキャラを演じていました。高校に入ってからも。
母はそんな私の学校での立場に、満足そうでした。
私は学生時代、辛かったです。不登校を許されなかったので、逃げ場がなくて、どうしようもなかったです。
大人になった今、パニック障害を発症しました。

思い返すと母は、私の功績に対して、自分の物にしました。
例えば、絵で賞を貰った時は「さすが私の子!絵の才能は遺伝や!」
三者面談で褒められたら、「私の教育は間違ってなかった!」
逆に、私の悪い面が出ると、私本来の気質のせいにしました。
中学の時、母からの伝えられたのは私の幼少期の事、、
言葉が遅く、人見知りが激しかったので、母の友人から発達障害の本を渡されたと。
生まれつきトロいからという事理由に、私の不出来な点を責めました。
私は頑張った事を褒められた事はありません。
それに対しての、認めて欲しいという欲が今でも根強く残っていて、それが子育てに影響しているかもしれません。

息子には同じ思いをさせたくないので、日々、抱きしめたり、言葉で愛を伝えたり、ある意味教育熱心になってしまっていることは自覚しています。

母への感謝はありません。それどころか憎しみに近い感情を持っています。
時には過去に対して無関心になれますが、波のようにぶり返してきます。
あまりまとまりのない文章ですいません。
読んでいただきありがとうございます。


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