子供の心にぽっかり穴を開けてしまう Vol.3 - 2014.09.08 Mon
母親は大変まじめな性格で乳児期から「子供に正しいことをさせなければ」というスタンスで一生懸命に子供の行動の制止やダメ出し、注意などをたくさん重ねてきてしまった。
結果的にそれは「否定」の過干渉(マイナスの関わり)となってしまっている。
そこに前述のように、「かわいがったり」「受容する」(プラスの関わり)ということを知らないできていた。
プラスの関わりがほとんどない状態で、山のようなマイナスの関わりをAはこれまで生きてきた年数分積み重ねられてしまっている。
この状況は5歳の年長になった段階でちょっとやそっと良い関わりをしたとしても、その関わりの蓄積はこれまでの穴埋めに費やされるだけでAの目に見える姿を好転させるほどのところまでは簡単には届かない。
まじめな人というのは、「こうしなければ」というビジョンを強く持ってしまっているといえます。
そこにプラスしてこの母親はすぐに感情的になりやすい人でした。
いろいろ話をした上で母親も「受容」ということを心がけなければならないということは理解してくれています。
でも、まだ「こうしなければ」のビジョンは気持ち的に譲れません。なので、Aが逸脱した行動をしてしまうと感情が激してしまって、ついつい否定的な関わりを出してしまいます。頭ではそれをセーブしなければと思ってはいるのだけど、激してしまう感情をコントロールできません。
叩いたり、否定的な言葉を我慢することはできても、不機嫌な表情や状態が続くのまではなかなか抑えられません。
絵本を読んであげる、くすぐりをするなど、これをするといいですよと言われたことはまじめにするのだけど、まじめすぎるというか応用がきかないのでそういった暖かい柔らかい気持ちでの関わりというのはそれら以外の場面ではあまりだせません。
やはり以前と同じく座ってご飯を食べられなかったり、朝起きておむつからおしっこがあふれていたり、他児の親の前で他児にちょかいを出したりするとイライラやうんざりとした気持ちが顔にでてしまいます。
保育士と話をして、悩みや愚痴を聞いてもらってこんなことをしていってあげるといいですよということを伝えると、それからしばらくは子供も笑顔がでたり、素直に大人に関われたり、他児ともそれなりに遊んだりということができるのだけど、次の週くらいにはまた元の様子にもどりその月はその状態をひきずり、また翌月に「先生、どうしたらいいのでしょう・・・」というのを繰り返し、一進一退というような状況でした。
この母親自身も一生懸命努力はしているのだけど、母親自身の生育歴や性格、自己肯定感の低さなどがあって努力だけでは如何ともしがたいところがあるのでした。
母親の話によるとAが0歳の頃から大泣きしたときは泣き止むまで「無視」をしたり、泣かないようにずっとおしゃぶりをくわえさせていたり、1歳すぎてからは無視や放置をする疎外感を使って子供を思い通りにしようとしたりというのを繰り返していたとのことです。
また、泣かれると困るので家に居るときはずっとテレビを見せていたりということもしていました。
ふつうですと、取り立てて気性の荒い赤ちゃんでもなければ、0歳1歳のころはそうそう意識をしなくても「かわいいかわいい」といった関わりを自然ともらえるものです。
家族が大きければ親だけでなく、祖父母や兄姉などからもそういう経験をもらうことができます。
このAの場合は父は無関心で母も暖かく関わるということを知らない人だったので、本来ならば赤ちゃんの頃に蓄積されるであろう受容や自己肯定感というものがぽっかり穴を開けています。
それは子供のネガティブ行動として、2~3歳以降たくさん出続けていますが、Aの状況はそれだけではありません。
人間の成長の基礎の部分が欠けているので、情緒面にも問題がでています。
奇声をあげたり、日によって今日は荒れているなという様子のことがしばしばあります。
5歳になって顕著になったのは自慰行為です。「性器いじり」といった程度の軽いものではありません。何をしていいかわからないとき、何もすることがないとき、手があいているときは無意識に性器をこすっています。
また、女性や女の子にくっついたり、触れたくてしかたがありません。
大人のするような性的な感情ではないのですが、皮膚感覚的な面で無意識に求めてしまうのです。
女性保育士の胸も触ってきます。B保育士はそれを許容していましたが、あるとき「そういうことお母さんにもしてみたら?」と聞くと、
「ママの触ると怒られるからできない・・」と答えたということです。
この状況にある子に5歳児並みの「できること」を要求してもそれは無理なのですが、母親はその気持ちをおさえることはできません。
話を聞いているので頭ではわかっているのだけど、ついついおむつを寝るとき外せないことを「はずかしいこと」「できるだけはやくに取れるようにしなければ」という気持ちを一旦置いておいてあげることができません。
少しでも排泄のこと気にさせてはよくないよと言われていても、「あなたの好きなヒーローもののキャラのトレーニングパンツ買ってあるからね」と期待を匂わせてしまいます。
座ってご飯を食べられないことを「〇〇ちゃんは座って食べられていると」と比べるようなことをAに言ってしまいます。
これらは結局Aの自己肯定感を下げていってしまいます。
自己肯定感のない子というのは、「受容の容れ物」に穴が開いているようなものです。
その状態でいくら「甘えさせる」や「満たす」という関わりをしても、それらは漏れていってしまってなかなか貯まりません。
まず第一に、親の方が「〇〇できるように」という意識を切り替えて、「できなくてもありのままを認める」というところに立たなければならないのですが、Aの母親にはそれが簡単ではありません。
「トレーニングパンツを履いて欲しい」という期待を親がのぞかせるということは、「おしっこをもらしているあなたじゃダメだ!」と言っているのと同様のことで、Aにはそれは大きな否定としてとらえられてしまいます。
そのようにとらない子もいますが、自己肯定感の低い人間というのは自分の否定に対してはとても敏感になっていますので、大人の方にそのつもりがなかったとしても悪い方へととってしまうものです。
大人がそれに気づかないと、自分で容れ物に穴を開けているのにそこに水を注いで「ちっともこの容れ物水がたまらないわね、頭きちゃう!」とマッチポンプでイライラを自ら作り出し、そのイライラを子供に向けるという悪循環となってしまいます。
子供の問題だけならば、第三者の働きかけで影響を与えていくこともそれなりにできなくはないのですが、大人の方にもその人の問題があるとそれは容易ではありません。
このAのケースはまさにそれでした。
Aの自慰行為を大変苦々しく思ってはいるけれども、抱きしめたり、スキンシップをとることを「甘やかしなんではないか」と頭で考えてしまって気持ちよく受けてあげられなかったりというところから脱することができません。
Aの問題の前に、母親の方の「不安」「心配」「自己肯定感の低さ」といった問題が横たわっているのでした。
母親はAに胸を触られたりすると「気持ち悪い」という気持ちが先にたって手ひどく拒絶してしまいます。
このことはAからすると自分を受け入れてもらうことを、最も受けて欲しい母親から拒否されたという経験になります。
こういう経験が蓄積されている子は、自分を素直に出すことができなくなります。
関わって欲しい保育士や、遊んで欲しい友達に蹴りをいれたり、パンチをすることで関わりを求めざるを得なくなってしまうのです。
しかし、当然ながらそれで受け入れてくれる人はそうそういません。
仮定の話が許されるのであれば、Aが2歳や3歳のときの段階で、いま母親がする気になった受容的な関わりというものが少しでも持てていたら状況はもっと楽に好転させられたはずです。
しかしいまは幼い部分が多いとは言え、5歳年長となり甘えを素直に出すことにも恥ずかしさを感じてしまうし、おもらしをしてしまうことには劣等感を感じざるを得ません。子供のいろいろな問題を解決するためのハードルが上がってしまっているのです。
一方で親の方の「5歳になっているのに・・」といった焦りはどうしてもよりおおきくなってしまいます。
もっと言えば、0~1歳の段階で子供は優しく受け止めることで育てていくんだよと誰かに教えてもらう機会があって、たとえ下手な関わりでもいいから無視や放置といったことをせずに育ててきていてもまた話は違ったことでしょう。
子供の小さいときにつくった穴というのは、それをあとから埋め戻そうとするのは大変です。
それでも親がその気になりさえすればできないことではありませんが、小さいときにその気になれなかった人がより大変になった大きいときにそうするのは簡単なことではありません。
最近の相談でも乳児期の子供に対して、無視や放置、疎外感を利用することで大人の思うとおりの姿にしてきてしまったというものが何件もありました。
親が自分を認めない、受け入れてくれないという経験は子供にとって心に穴をあけてしまうような積み重ねとなってしまいます。
ただ、穴があいただけならば自然と埋め戻されることもあるかもしれませんが、大人に受け止めてもらえないという自己肯定感の低さ・自己否定感というものを強く持っている子は、その開いた穴に「怒り」を貯めていってしまいます。
いまの多くの人が子育てをしている状況、「核家族」という家族形態には「保険」がありません。
母親が子育てに向いていない人だったとしても、祖父母や叔父叔母などが身近にいればその人たちが少しなりともカバーできる部分があります。これが子育ての「保険」になっているのですが、いまはそれらはあまり望めません。
実を言うと「核家族」すら機能していないこともあって、このAの家庭のように父親が子育てに無関心であったり、父親がほとんど家にいない状況などでは「母と子」しかいないことになります。それは実質的には「不完全核家族」となっているということです。
母親ひとりで子育てがつらいときは助けを求めることも必要なのだけど、いまの状況というのはそれができないことも少なくないので、こういうことは単に「子育て」だけの問題にとどまらず難しいところです。
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● COMMENT ●
No title
やっと、楽になりました。
昨日の記事の「子供をいなす」という親のスタンス、とてもわかりやすかったです。
今までは「落ち着かせなきゃ、なんとかせねば」とやっぱり心の何処かで思っていましたが、今日は一歩引いたような感じで「そうなんだ〜、そうなんだ〜、でも困ったね〜」という感じで言っていたら、イヤイヤしてた息子がじゃあ仕方ないという風に自分で考えてお風呂にきてくれました。
そしてここからが本題で、やっと本当に子育てを気負わず楽に、息子と過ごす時間を楽しめるようになりました。
結局は、母親である自分を楽にすることができるようになり、子供に対して心に余裕を持てるようになったことが大きかったです。
そうすると、今まで見えなかった子供の気持ちが見えてくるようになり、自分も子供に素直に接するようになり、本当に色々なことがよくなりました。
きっと息子に対して、やっと自分が(親だから子だからとかあれこれ考えず)心を開いて付き合えるようになったんだと思います。
こんなに楽に1日過ごせるんだ〜。と驚きます。
今ちょうど、「ぽっかり穴を開けてしまう」の記事も更新していただいていましたが、自分もA君のお母さんのような所がありましたし、自分自身が窮屈な考え方で自分をとても苦しめてました。
先日公園に行った時に、息子がよその子に(貸してと言われてないのに)「おもちゃかしてあげたい。」と貸す姿を見たり、自分も今まではよそのお母さんの目が気になって仕方なかったのですが、ガンガン息子と砂遊びしても、「自分は自分」と気にならなくなり、そんなささいなことですが、本当に嬉しくて、「ああ、やっと終わったなあ。」と泣いてしまいました。
私には、これまでの育児はとても大変なドラマでしたが、今思うとどこのお母さんもこんなものなのかもしれないですね。やっと息子を2年半育てて、「これでいい。」が実感でき、お父ちゃんさんのブログに書かれていた様々なことが真に理解できて頭の中で繋がった気がします。
お父ちゃんさん、本当にありがとうございました。
これまで生きてきて、やっと、楽に生きれるようになった気がします。このブログと出会えたこと、その向こうに見えたお父ちゃんさんの思いやりに励まされたこと、本当に本当にありがとうございました。
これから楽しみにしてます。
お返事は不要です。
相談:ダメを多用する娘について
たとえば、『おやつ食べちゃだめだね』、『パパ、はみがきしなきゃダメ』次女(6ヶ月 )が長女のおもちゃにさわると『ダメ!』など、危なくないようなそれ程重要でないことにもダメと言います。月齢的に足の指を舐めている次女を見て『次女、ダメだね〜』と、次女のとった行動に対してではなく、次女を否定するようにきこえる言い方さえします。
私はなるべく危険なことや重要なこと(物を粗末にしないなど )に対してだけダメを使うようにしているのですが、祖父母がそれ程重要でないことにもつい言ったり、または保育園でよく使われているのかもしれません。
今迄、無視や暴力はしたことはありませんが、疎外感を与える言い方を時にはしていました(今はしないように気をつけています )。
幼い頃から可愛がっていたつもりですが、長女は自己肯定感が低いように感じられます。長女がダメを多用することで、長女自身が自己肯定感を下げている気がするのですが…
それと、これからどんどん長女と関わりをもつようになる次女にも悪影響が出ないか心配です。
長女のダメを多用する言い方を治させるにはどうサポートしていくのがいいのでしょうか?
相談:第一子への接し方
お忙しいとは思いますが、相談したいことがありコメントしました。3歳1歳の兄弟を育てているのですが、最近おもちゃのトラブルが多くて困っています。
弟が動き出した頃から兄の作っているレゴや線路などを触ってこわしてしまうことが多くなり、兄の方も敏感になって近づくだけでだめーー!!と大声をあげて叩いたり威嚇したりするようになりました。実際に壊しかけた時などは「壊しちゃだめだよ。お兄ちゃんごめんね」など言って弟を遠ざけるのですが、弟が近くに寄っただけで過剰反応して叩いたりする時もあり、その時はつい私もかっとなって兄を怒ってしまいます。よくないとは思いつつ、ちょっとネチネチとした言い方をしてしまうこともあります。またレゴなどたくさんあるものを少しだけ弟にも使わせてやってと頼んでも全部一人で使うの!といい貸せません。その割に少し遊ぶと飽きてしまい、めったに全部使うことはありません。
一人で使うというので弟を遠ざけて私が弟と別のおもちゃで遊び始めるとすぐに寄ってきて「弟ちゃん、こうやってやるんだよ~!」などいいながら結局弟の手に持ってるおもちゃを取って自分が主になって遊ぼうとし、また怒られないように口調だけは優しく寄ってくるのが腹が立ってしまって、お兄ちゃんはあっちのおもちゃで遊ぶんじゃないの?一人で遊ぶと言ったんだからお兄ちゃんも弟くんの遊びを邪魔しないで、などと冷たい口調で言ってしまいます。ママと弟が遊んでいて自分だけ一人なのが嫌なのはわかるのですが弟は後追いもひどく、ひとりでまだ遊べないのでどうしてもそういう形になってしまいます。
自分の使っているおもちゃに触らないで!という割にはすぐに弟(と私)が遊んでいるものに近づいて、結局それも自分のものにしようとするので困っています。
次男が産まれてから赤ちゃん返りはありつつ可愛がってもいて、以前は赤ちゃん用のおもちゃは弟の、とわかっていて手に持たせてあげたりしていたのですが、弟が成長して自分の作っているものを壊すようになったこと、また自分の普段使っているおもちゃに興味を持ち、でもうまく使えず正しい遊び方をしないのが気に入らないみたいです。例えば自分でなく私が作った積木などに手を出して壊してしまうことなども見てイライラしてるのがわかります。
元々一つのおもちゃでじっくり遊びこめず、少しやってはほったらかしで別のおもちゃにうつったり、暇つぶしのようにおやつ食べたい、と言ってきたり…児童館などでも他の子供がやっているものばかりが気になり自分の世界に没頭して何かを作ったり、ということがあまりありません。私自身が几帳面なところがあるので接し方が悪かったのだと思いますが、遊びに関しても間違っちゃいけないと思っているようなところがあり、お絵かきも「何書けばいいの?」と好きなものを書いてもいいよと言ってもわからず私に書かせたがったり、ブロックなども箱を見て同じものを作ろうとするか以前私と作ったものを何度も作り、新しいものをあまりつくりません。このブログに出会うまでは音の出るおもちゃや携帯アプリなども使わせていたので、そのせいもあるのだと思います。
あとは弟と仲良く遊んだり可愛がることも多いのですが、最近赤ちゃん返りが再燃で、すぐ弟の真似をします。ハイハイや赤ちゃん語?などはいいのですが、本棚の本を一緒になって全部床に落としたり、ティッシュを全部出してしまったり、ガラスを叩いたり…弟がやり始めると同じような赤ちゃん言葉をしゃべりながら喜んでやり出します。注意すると「弟ちゃんと一緒なの」というので受け止めてほしいのだとは思いつつ、悪いとわかっていてやること、また被害も大きいので兄の方をついきつく叱ってしまいます。
最近引っ越しをしたこと、幼稚園入学に向けて見学に行ったことなどで不安定になっているのだと思いますが、接し方に悩んでしまい、優しくしようと優しく受け止めたり、ついかっとなって叱ってしまったりこちらの対応もバラバラです…。
こちらのブログに助けられながらもまだまだ未熟な母で情けないですが、何かアドバイスをいただけると嬉しいです。
「保険」として機能しない、という事実。
「子供の心にぽっかり穴を開けてしまう」の一連の記事には、その真っ只中とも言えるわたし。賛同致します。
わたしの感覚と少し違うかな?と思うところもあります。
それはおそらく、おとーちゃん様が「保育のプロ」だからこそ、の、一般的な感覚との差だと思うのですが、vol.2の、この部分↓
>衝撃の事実というのは、それまで一度もこの母親がAに絵本を読んであげるということがなかったということです。
「絵本を読んであげなかった」というだけではなくて、膝に座らせて本を読んであげたりするといったことを子供にするものということ自体をこの母親はきちんとは知らなかったのです。
そこからいろいろ話を聞くと、子供をかわいがったり楽しく一緒にスキンシップを持ったりという関わりを子供にするということそのものを認識していなかったのです。なので当然ながらそのようなことを子供にもしたことがなかったとのこと。
「保育のプロ」で、乳児、幼児には「受容」が何よりも大切。それが基礎になっている「保育のプロ」には驚愕かもしれないのですが、一般人の私にとっては、ただ単に、「子供と関わるのが苦手なお母さん」という認識で、「驚愕」というほどでもないなぁ。と思ってしまいました。悲しいことにそれが今の日本の「子育て」の現状だと思います。
それから、他の血縁者が「保険」になるか。ということをあげてみても、実際にはならない、ということが多々ある、という事実。その辺はおとーちゃん様もきっと気づいているのでしょうが・・・。祖父母がそろって、「しっかり躾タイプ」の子育てを良しとしてしまっている場合、いわゆる「○○できない」ことに対して、「母親がしっかり子育てできてないからだ」のように、母親を攻撃し、母親自身の「自己肯定感」がますます下がってしまい、「負のスパイラル」の元になってしまうことも少なくないはずです・・・。
昔、相談形式の掲示板で、不思議な投稿を見たことがあります。
「妹が離婚し子供を連れてシングルマザーになりましたが、子育てに積極的でなく、家に幼児を残し遊びに出掛けてしまいます。明らかに邪見にあしらっているのをみているとかわいそうでなりません。わたしは母親(幼児からみると祖母)に引き取って育ててはどうかと話ましたが、イマイチ良い返事ではありませんでした。わたしは祖母にあたる母親が引き取って育てるのが一番だと思うのですが、母親をどう説得したら分かってもらえるでしょうか?」
概ねこんな内容でした。
子供がその状態では発達上良くないと感じていて、尚且つ、手を差し伸べられるところにいて、自らは動かず、状況を打破しようと実行したことは、「母親に丸投げ」です。
遠回しに・・・誰も(その相談を投稿している本人でさえ)その子供を助ける気はないんです。という投稿文に本当に嫌な気分になってしまったことを思い出しました。
長々と感情のままに綴りましたが・・・、昨今の子育て、難しいのは「母親の意識」の問題だはではなく、その周りの「社会全体の問題」、「日本の社会有り方」にも多大にあると感じます。
「日本の子育て」、「個人主義の社会」、「子育てはすべて実母(実父)の責任という社会」
ひっくりかえって欲しいと本当に思います。
現在では一部の人しかたぶん実感のない、「子育ては社会全体でするもの」という意識。日本全体に広がってほしいなぁと心底思います。
小学1年のクラスメイトでよくスカートめくりや抱きつきを手当たり次第する子がいました。
当時はみんな不愉快だったんですが、お母さんが病気で入院していて亡くなったので寂しかったんだなって今回のブログを読んで思い出し彼を理解することができました。
娘はたまに理不尽な嫌がらせを受けることがあります。
でも今回のことで、先々娘に対し相手の気持ちを理解してもらうきっかけにもなるのでありがたかったです。
子育てを間違えると子どもだけでなく孫の代そしてそのまた下というように負の連鎖みたいになるのが怖いと思いました。
これからも楽しみにしています。
Mameoさんへ
4歳と1歳半の子を育てている者です。
Mameoさんの今の状況、少し前の我が家にそっくり!
弟が近付いただけで威嚇や暴力、オモチャは貸せない、そのくせ弟が別のオモチャで遊んでいると「僕もやりたい~」と横取り、弟の真似をして赤ちゃん言葉を話したり悪さをしたり…。我が家のお兄ちゃんもそんな感じでした。
>お兄ちゃんはあっちのおもちゃで遊ぶんじゃないの?一人で遊ぶと言ったんだからお兄ちゃんも弟くんの遊びを邪魔しないで、
これを言いたくなる気持ち、すご~く分かります!と言うか、以前の私も言ってました!
でも、以下のように言い方を変えてみました↓
「アナタは一人で遊ぶって言ってオモチャ独り占めしてたくせに、何こっち来て弟のオモチャ取ってんの~? そんなことする子はこちょこちょだぞ~!」
と、くすぐり攻撃をして親子で笑った後、
「はい、じゃあ皆で一緒に遊ぼうか。ちゃんと『オモチャ貸して』って弟に言ってね」
と言うと、お兄ちゃんも割とすんなり「貸して」と言えるし、私も気持ちが切り替わって3人で楽しく遊べました。そして、皆で一緒に楽しく遊ぶ時間が増えたら、お兄ちゃんも自然と弟にオモチャを貸せる時が増えたように思います。
あまり参考にならなかったらごめんなさいm(_ _)m
お互い頑張りましょう!
No title
私自身もここまで極端ではなかったですが、意図しない自然体だと表情が乏しく無口なことや、何かに没頭したりぼんやりしてると外からの入力が入りにくく無視してしまう形になる性格と、父親が無関心で1人きりの育児をしてたことから、一時期子育てをこじらせていて、三歳の終わり辺りから意図的な受容の態度を心掛けるようになってから好転したクチなので、ぽっかり空いた穴を埋める作業がどんなに徒労感を味わう大変なものなのかわかります。B保育士さんは、ほんとにすごい方ですね。
親が自分で何とかしたいと気付く、そして自己肯定感の低いタイプの大人が相談したいと思える気持ちになるところまで持っていけるのは並大抵のことではないと思います。
私の場合は、子供を受容するときにネガティブてんこ盛りの反応をされて大人が感じる徒労感は、生まれてから今まで子供自身が親に対して味わい続けていた徒労感や失望の気持ちが単純に返ってきてるだけだったことにと気付き、初めて自分がどうすればいいか真剣に考えるようになりました。
3年半かかって貯めた貯金は、ツケを払うのに3年半かかるかと思いましたが、幸運にも大方は半年か一年で解消しました。子供の心の柔軟性を実感しました。
まあ、8歳の今でもたまに顔を出したり、私自身もそうそう変わるものでもないので、根の深さを感じることもありますが、私なりに精一杯やってきて、今でも精一杯やってる自負はあるので、仕方ないなーと前向きに今できるフォローを考えるようになりました。
気づいても受容を実行する困難さとかが、身につまされる事例です。
保険についても、本当に同感です。
確かに保険になれる身内ばかりではないとは思いますが、親自身がそのとき子供にいいことだ!と信じきってやってる事も実はそうではないと言うことが子育てには沢山あるなと実感する毎日なので、いろんな大人に良い手助け悪い手助け含めて、かく乱要因?というか、子育てが純化しないように、多様性を保てるように、そして最後に責任と自信をもって決断するのは親であれるように、と思います。難しいのですけど…。
おとーちゃんさんのサイトのように、たくさんの具体例とたくさんの助言がある場所は、本当に有り難いものだなと、改めて感じました。いつもありがとうございます。
私のダラダラと長い文章にコメントをつけていただきありがとうございます!
コメントを読んで大人気なく、子供と意地の張り合いをしてたなぁと気づきました。確かにこんな言い方をしてもますます頑なになるばかりで何も好転しませんよね。こんな時こそくすぐりなどで心をほぐしてお互い笑顔になると、その後あんがいスッと貸せたりすることもあるかもしれませんね。
言い聞かせようとするより、そうやって皆で笑って、その後仲良くあそべるようなやり方、いいですね^o^実践してみます!
ありありさん
家庭であまりつかっていなかったとしても、外の世界で使われたりしていれば簡単に覚えてしまいます。
また強い言葉というのは子供にとってある意味魅力的でもあります。
>ダメを多用する言い方を治させるにはどうサポート
「言葉を使う」という過去記事がありますが、↑これは子供を「どうにかして、このようにしてやろう」という大人が子供をこねくりまわして子どもの姿を改変しようという立場に立って子供をみたときの視点です。
僕はその「どうにかしてやろう」のまえに、きちんと大人の心情・どう思っているのかということをストレートに伝えてみることが大切だと考えています。
「私もつい使っちゃうことがあるけれど、本当はダメって言ってしまうのはしたくないと思っているんだよ。だからあなたにもあんまり使って欲しくないな。ダメダメいってたらあなたまで自分のことをダメって思う子になってしまわないか心配なんだよ」などのように、正直に自身の感じるところをまずは伝えてみたらどうでしょう。
それで多少なりとも子供自身で気をつけようと思うかもしれません。
「どうにかしてやろう」という大人が子供の姿をこねくりまわして作り替えようとする視点は、それをして結果を見守ってからでも遅くはないはずです。
Mameoさん
そんなときはある程度そのように口うるさくなってしまうのもやむを得ないともいます。
とはいえ、その状態がくせのようになると過干渉の影響が強くなってしまいます。
それが子育ての難しさを生み出してしまいますので、そこは避けたいところです。
子供の行動が気になってしまうと干渉する必要がない場面でも大人の方が強く関わることを抑えられなくなってしまいます。
程度が1のときにも10のときにもついつい大人はフルスロットルで強く関わってしまいます。
これをしていると、子供は人間関係を身につけられなくなってしまいます。
なので、本当に関わる必要がない場合は、大人が介入するのをちょっと我慢して子供同士でやらせてみる、
そして実地の経験値を子供に身につけさせることで長い目でみると子供同士で頃の良い関わり方というのを身につけられるかもしれません。
ほかには、そういったやりとりになってしまう以前のところで子供の姿を安定させていく方法です。
・今一度お兄ちゃんの方に先回りした関わりなどで気持ちの余裕を持たせる。
・認めるプロセスを意識して、お兄ちゃんに「自信」を持たせることで弟に落ち着いて関われるようにする
・「言葉を使って」親としての自分の心情をきちんと伝える。
子供が思ったように行動しないことでイライラをため、その状態をどうにかしようとするのではなく、「楽しく一緒に遊びたいと思うけれど、弟にきつく当たられると気持ちよくそれができない」など、自分の思うところを自分の言葉でストレートに伝える。
これですぐどうにかなるわけではないけれども、それをせずにどうにかしようとしても子供はどうすべきか自分ではわかりませんので、子供が自律的・自発的に行動できるための布石と考えましょう。
ちゃあさん
このAの母親のケースは
「苦手」だからできないというレベルではなくて、本当にそう関わるということを「まったく知らなかった」というものです。「苦手」程度ならば驚きませんが、まあそういうわけです。
>それから、他の血縁者が「保険」になるか。ということをあげてみても、実際にはならない
これもたくさんある実際のケースでは、たしかにそういうものも多いです。
子供に無関心なお母さんの母親(祖母)もやはり孫に無関心だったりということもよくあることです。
祖母と母親で子供の世話を押しつけ合っているだけだったりということもあります。しかしそれでも無関心な母親が完全一人で子供を養育している状態よりはややリスク分散ができるので、あくまで消極的ではありますが保険として機能しないわけではありません。
ただ、今回の記事はこういった放任や養育者に攻撃的な家族のお話ではなかったので、そういったケースへの言及は除外しておきました。
現代はこれまで地域や家族間で行われていたこういった大きな意味合いでの子育てが不可能になっているものを、社会福祉としてのシステムで補わなければならない段階にきているのですが、その社会福祉としての子育て支援もまだまだ十分でないのでとても難しくなっているようです。
同じようなこと
この記事にあった「性的ではないが女性に対して肌の触れ合いを求めてしまう」という文で納得できることがありました。
小学校1年の子どもの同級生なのですが、子どもを迎えに行った時によく一緒になり、その際に私に対してずっと休むことなく話しかけ、手をつないできたり、体を触ってきたりします。
正直、私は自分の子のために迎えに行っているので、その子のマシンガントークがやや辛くなり、そのお話はお母さんにしてあげたら?きっと喜ぶよ?と言ってしまいました。
そうしたら、「お母さんは家にいないから(実際は在宅しています)」と素っ気なく答えておしまいでした。
その子の下に小さい子がいるようで、そちらにかかりきりであまり甘えられていないようです。
そういった子を小学校に入ってから何人か見かけるようになり、何ともやりきれない気持ちです。
このままそういった子達が「物わかりのいい子」としてさびしさをスルーされ続けたら、親に対して何も期待しない子になってしまうのでは、と思ってしまいます。
そして、自分はちゃんとやれているんだろうかと悩んでしまいます。
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私はなるべく愛情たっぷりを心がけていますが、イライラするとき、自分の思うようにならないとき、疲れてるのにうるさいときなど、自分でも驚くほど嫌味な言い方をしていたりして、後で良くなかったなあと思うことがあります。
程度の差はあれ誰でもきっとそういうことはあるし、また明日になったらたっぷりかわいがればいいとは思いつつ、できれば減らしていきたいです。
いくつか前の記事にもありましたが、親が表情豊かかどうかって思っているより親として大切な要素な気がしますね。
私は子どもと関わる仕事をしていて、仕事の同僚ママ達と遊ぶ時と、その他のママ友と遊ぶ時と、なんか違うなー、何かが違って、その何かが原因でそれぞれの子どもたちの反応も違う気がするなーと常々思っていたのですが、それは表情の豊かさ、表現の大きさだったんだとおとーちゃんの記事を読んで腑に落ちました。
仕事の同僚ママは、着替えや食事の時も歌や手遊びを多用したり、何か頑張ったら拍手したりハイタッチしたり、逆に怒るときは大げさに眉をひそめたり声を低くしたり、もう怒ってないよと伝えるときには満面の笑顔になったり、気持ちがとてもわかりやすいんですよね。
他のママ友は、もちろん人それぞれなんですけど、褒めるときも注意するときも大人に対するのと同じというか、あまり感情の起伏が感じられないなと思う時もあります。その人が子どもを愛していないとか性格に難ありという訳ではなく、接するときの高低差が少ないというか。それって子どもにはわかりずらいのでしょうね。
仕事の同僚ママは、仕事でやっていることをしているだけなんですけどね。
育児をするうえで、そういうことを知っていたら、きっともっと楽になるのでしょうね。
長文すいません。自分なりの気付きを得て、少し興奮してしまいました!
Aくん、もちろん5歳では色々大変なんでしょうが、それでももっと年がいく前にこのような関わりを持ってもらえて本当に良かったです。このまま中学生、高校生にならなくて良かったなと思いました。