デザートづくり - 2014.02.01 Sat
また、なんにもない一日よりは、ちょっとでもなにか楽しいことのあった一日のがいいとも思います。
それがたくさんあるならばなおいいですよね。
子供が自分の社会である保育園や幼稚園・学校などでの楽しいことがひとつあり、子供同士の集団での楽しいことがひとつあり、そして家庭で親子でなにか楽しいことがひとつあったならば、子供は笑顔のうちに成長していけるでしょう。
とはいえ、大人は忙しいですから毎日毎日なんかイベントをできるわけでもありません。
ならば、普段することを楽しいことにすればいいでしょう。
そんなこんなでやっているのが、デザートづくりです。
もちろん毎日というわけでもないけどね。
はっきり言って立派なものをつくっているわけでもありません。
でも、ちょっとしたものでも、一緒につくったり、つくってもらったりという経験は子供にとってとても楽しいものです。
簡単なところでは、りんごをむいてそれをアロエのシロップ漬けに入れたり。
これなんか手間はりんごをむいて出すだけとさして変わらないのだけど、子供にとってはただの果物からデザートに変身です。
あとはヨーグルトにハチミツをかけたり、いちごシロップをかけたのとか。
日頃からお菓子類などをふんだんに与えられている今時の子供だと、これくらいでは喜ばないかもしれないけど、うちの子供たちはとても喜んでくれます。
大好評だったのは、そのままだと子供は好まないようなカカオの濃い目の板チョコを包丁で薄くそいでチョコチップにしたものをバニラアイスにかけただけの簡単デザート。
こんなようなものは、夕食後にぱぱっとつくれます。
ときには一緒につくったり、またときには「みちゃだめだよー」と内緒にしながら僕がつくったり。
ほんのちょっとしたことなんだけど、それだけで一日のシメを楽しいものとすることができます。
こたつ効果もあって、この夕食後の時間がとても楽しいひとときです。
子供たちは、そこで手品を見せてくれたり、影絵をしてみせたり、絵本を読んでくれたり、その日にあったことを話してくれたり。
子供がいて本当に良かったと思える時間になっています。
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● COMMENT ●
No title
こどもがいて
子供がいることで、犠牲にするものだっていろいろあるけれど、そういう時間を有り難く感じ、味わうのが、幸せなんだな〜、と思います。
うちも簡単なおやつ作りやハンバーグ作り、大好きです。
子供の成長と共に、課題も変わってくると思いますが、臨機応変、柔軟に、親も変わる気持ちでやっていきたいと思います。(決意?)
保育士おとーちゃんも子育て中なんだな〜と感じられる記事でした。
いつも記事楽しみにしています。
楽しみ
デザートのことでご相談があるのですが、
おとーちゃんはお子さんが食事を完食出来ない時もデザートをあげていますか?
娘は2歳になったばかりなのですが、食事を完食出来る日もあれば、半分も食べない時もあります。おとーちゃんの記事を読み、
「食事をきちんと食べてからデザートを食べてほしんだよ」とか「今日はごはんあんまり食べれなかったね、ご飯がいっぱい食べれた時にデザート食べようね」と話していて、
本人もだいたい理解してくれています。
7割くらい?食べた時や苦手なものが食べられた時、体調の様子などを見て完食出来ていない時もあげることもあります。
が、同居しているため義母が食事を全然食べてないときや、私が上記のことを伝えてしまったあとにデザートあるよ!と言ってあげたりしているので、少し困ってます。
義母には、食事をきちんと食べてからの楽しみとしてデザートをあげたいと話してわかってもらえばいいのですが、
デザートって、食事をあまり食べてないときもあげたりしていますか。わたくんむーちゃんは成長的にも食べる量に
ムラがあるということはないと思うのですが、
おとーちゃんはどんな時にデザートがあるのか気になってしまいました。
毎日ありますか?
差し支えなければ教えてください。
自ら楽しむ心
共感する部分も多く、また、改めて自分の子育てを見つめなおすのに大変役立ちそうなので、これからも時々読ませていただきたいと思っております。
私は今、今年小学校へ上がる6歳の男の子がいるのですが、彼が最近ハマっているものがデザート作りです。
最近将来の夢を話すようになり、どうやらパティシエになりたいみたいです。
らくがき帳に自分で考えたスイーツの絵を沢山書いていて、それは既存のモノを組み合わせただけの単純なものがほとんどなのですが、遊びに来たお客さんや祖父母に作ってあげて、感想を色々(しつこく笑)聞いて、ご満悦です。
子どもが、自ら喜びや楽しみを探して自己評価を高めたり、他人との関わりを作り出している姿を見ると、成長したなぁと嬉しくなりますね。
私は男性で、保育士をしていたことがありました。事情があり今は別の仕事をしていますが、このブログにも多くみられる子育ての悩みや、一般的な誤解などで、苦労したことを思い出しました。
今は大勢の子供たちと関わる仕事をしていませんが、昨今の児童虐待の現状や、日常の中で子どもに対する不健全な養育方などに触れる機会が多く、そういった子どもに不利益となる事柄を無くすことに、少しでも力になりたいと考えています。
まだ、具体的に何をしていいかわからない状況ですが、勉強していきたいと思っています。
保育士を続けておられるということで応援したい気持ちと、あなたのような専門家としての意識、子供たちへの本当の愛情というものを深く考えてくれる保育士の方が増えるといいなと思い、書き込みをさせていただきました。
これからも、頑張ってください。
あんのん☆さん
我が家だと、2歳くらいのときはもうあんまりムラがなくなっていて、取り立てて苦手なもの以外はまず残すということがなかったので、あんまりその参考にはなりません。
ただ、その当時はそうそうコンスタントにあらかじめ食事に付随してデザートなり果物なりというものを用意しておくということはしていなかったです。
食事は食事として一旦食べ終えて完結してから、あらためてそのときの子供の食事の様子やそのときある果物などを考えてあらためて出していたように記憶しています。
保育園でならば、こういうことはよくあります。
園では食事と一緒に果物などがついています。
結論から言うと、僕は気持ちよくあげます。
そもそも、デザートを食事をたくさん食べた時のご褒美という位置づけにはしていないからです。
デザートをご飯を食べさせるための「つり」の道具とはもともとしていないからです。
そのように誘導することが皆無というわけではありませんが、基本的にはそうです。
かと言って、その子供がまだ食事を食べられるはずの状況なのに、切り上げさせてしまうということもしていません。
子供と大人の「信頼関係」によって、子供は食事を食べようと、苦手なものも食べようとしてくれます。
その子のことをよく理解していれば、その子の食べられる分量、好み、その日のお腹のすき具合など、おおよそのところは把握できるはずです。
その子の食べられる分量を超えていれば、それ以上はなかなか進まないのは当然だし、苦手なものがあってもそうでしょう。また、食事の前の間食なりが多ければその日の食事の量はいつもより減ってしまうでしょう。
そういうのは踏まえたうえで、今日はこれで充分だと思えばそれでいいと思って、デザートなりを与えます。
そして、大事なことは子供への視点です。
『子供は欠如体ではない』の記事に書いたように、どうしても子供のウィークポイントがあると大人はそこが気になってしまいます。
そして特にこの少食の子に対しては、大人の方には「子供の成長のために食べてもらいたい」という強い思いがあるので、どうしても食べない部分を見てしまい、子供に対してそこを強調するような関わり方になってしまいます。
偏食や単にわがままで食べない子であればまた対応も違うけれども、もともとの少食の子供に対してそういう見方をするのはとても大きなプレッシャーとなってしまいます。
そういうのがどれほどのプレッシャーかというのは、子供の時少食だったという人に話を聞けばよくわかります。
僕はそういう子供に対して、プラスの関わり・「認める」という方法で積み重ねを作っていくことを考えています。
もともと少食の子供というのは、それはその子の個性です。
それではいけないからと大人がどれだけ躍起になったところで、即変えられるというものでもありません。
遠回りなようだけど、焦らずに、「この子は少ししか食べられないんだ」というのを認めてあげるところから出発しないとなかなかまっすぐは進めません。
「食事をたくさん食べたらデザートを食べられる」というのは優しく言ったとしても、裏返してみれば「食事を少ししか食べない子にはあげない」という釣り・もしくは脅しであることには変わりありません。
特に苦手なものを求められている子供の側からしたら、そのように感じられることでしょう。
結果的に食べなくてもあげていたとしても、そのようなプレッシャーにさらされながら食事をすることになるのはかわりありません。
この状態で子供は、食事を楽しく、食事を好きに、食事に前向きになれるかといったら、たいていの場合は「食事そのもの」が苦手になっていく方向に子供を追いやってしまいます。
「好きこそものの上手なれ」で、そのものが苦手でなくて好きでいればいつかは何事もそれなりに進歩するものです。
乳幼児からの個性として本当に少食の子が、それなりに一人前の量を食べられるようになるのが小学校高学年、中学生になってからなどということも珍しくありません。
なので、大人の配慮として少なくとも「食事を苦手にしない」ということには気をつけないとなりません。
よしんばどれだけ大人が叱咤激励しようとも、もので釣ろうとも、個性として食べられない子は、そうそうすぐに食べられるようになるものではありません。
ちょっとずつちょっとずつ、そのいいところを認めて、プラスの関わりを積み重ねていくのが遠回りのようで結局は最短距離であることがおおいです。
「今日は昨日よりもたくさん食べられたね。よかったよかった。ハイ、果物どうぞ」と笑顔であげればいいし。
「苦手な野菜があったのにたくさんたべられたね」「苦手な野菜があったけど一口だけ食べられたね。はいどうぞ」で気持ちよくあげます。
「今日はあんまり食べられなかったね。まあそういう日もあるよね。はい、デザートおいしいよどうぞ」、「これはあんまり好みではなかったかな、でも大きくなったら食べられるようになるよ」でもいいのです。
そのときのプラスの関わりは小さいけれども、2日後、3日後、1ヶ月後、1年後、それらはその分だけ大きな力になっていきます。
少食の子、食の苦手な子は、食事自体がけっこう高いハードルです。
果物なりデザートなりを喜んで食べるのであれば、少なくともそこだけでも「いいもの」にしておいてあげたほうが「食」を好きになる材料ともなりますよね。
もし、少食の子というわけでなく、デザートに目移りしてしまって食事の方が進まないというようなケースだったら、食事中は目の届くところにそれを置かないなどという配慮もできるかと思います。
ようパパさん
昔だったら家庭や地域などに任せておくだけでなんとかなっていた子供の問題が、いまでは真剣に社会全体で取り組まなければならない時代となってしまいました。
しかし、どうにもその動きは後手後手で、まだまだ必要なまでの援助や施策が行われているとは程遠い状況です。
本来ならば、これまでの知識や経験・専門性を持った保育士がなにがしかの力となるべきなのですが、実際のところそれらは埋没したままです。
また、保育業界全体としても、それらに応えうる真の力はまだまだ不足しているということも否めません。
個人の力ではできることはほんとうにわずかでしかありませんが、それでも何かの力になれればいいと思っております。
ステキです
子供への眼差しや接し方、声かけがステキです。
ニッコリ笑顔で、相手を認める言葉を掛ける。
それが出来ないまま子供がもうすぐ8歳になります。
今日からまた、ニッコリ笑顔を心がけてみます。
----------------- おとーちゃんのブログより ---------
ちょっとずつちょっとずつ、そのいいところを認めて、プラスの関わりを積み重ねていくのが遠回りのようで結局は最短距離であることがおおいです。
「今日は昨日よりもたくさん食べられたね。よかったよかった。ハイ、果物どうぞ」と笑顔であげればいいし。
「苦手な野菜があったのにたくさんたべられたね」「苦手な野菜があったけど一口だけ食べられたね。はいどうぞ」で気持ちよくあげます。
「今日はあんまり食べられなかったね。まあそういう日もあるよね。はい、デザートおいしいよどうぞ」、「これはあんまり好みではなかったかな、でも大きくなったら食べられるようになるよ」でもいいのです。
そのときのプラスの関わりは小さいけれども、2日後、3日後、1ヶ月後、1年後、それらはその分だけ大きな力になっていきます。
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温かい気持ちになりました。素敵な記事をありがとうございます。
自分の子供時代の団欒を思い出したり、我が家でもいつかこうなるといいな、と思ったりします。
先日から、自分が落ち着いて過ごすことができるようになり、息子が今までなかったほど落ちついてきて、沢山甘えてくれるようになりました。
今になって思うと、努力はしてはいましたが、様々なことがちょっとずれていてそれにすら気づけてなかったので、息子から見たら「やっと普通の母親のスタートラインにママが来てくれたなあ。」という感じなのだと思います。
お父ちゃんさんのブログにコメントを書き込み始めたことで、より真剣に記事を読み、考えることになったことが、自分を変えて行く原動力になりました。
私自身が子供(弱い大人)で、母親になってから割り切れないことが沢山ありクヨクヨしていたのですが、息子にためには強くなってとにかくやるべきことをやる、という風に変わりつつあります。
ここ数日、息子とのやりとりやスキンシップで、自分ははじめて人との触れ合いを感じたような気がします。
本当にお世話になりありがとうございました。
お返事は不要です。