子供を潰すための3ステップ vol.2 - 2017.11.16 Thu
その前に一応明らかにしておきますが、僕は子育てをする中で子供へ肯定ができなかったり、否定することを止まめられなくなってしまう人を責めようとしてこういったことを述べているわけではありません。
そこに気づいて少しでもムリのない方向に子育ての舵をきってもらえればと思っています。
実はこのあたりの「自分が責められているのでは」と感じてしまう気持ちと、子供を否定せずにはいられない気持ちとは密接な関係があります。
その背景には、自身の生育歴や自己肯定感などが関わっています。
その辺を述べていると話がそれてしまいますので、とりあえずおいて先にすすみます。
では例えば、子供のオムツが取れないことをとても気にしている親がいたとしましょう。
その人はその気持ちゆえに、子供が排泄を失敗したりすると怒ったり、否定したりすることがでてしまいます。
自覚なしにそうやってしまう人もいれば、言いすぎであったり、怒りすぎであったり、そういう風に対応するとかえってよくないといったことを自覚している人もいます。
その排泄の失敗の場面でイライラしてしまうだけでなく、外出するといったシーンでも不快や不安、イライラがでてしまいます。
イライラがでないまでも、ついつい過干渉に「トイレ行きなさい」と言わずにはいられなくなるといったことがおきます。
「トイレ行くわよ」と声をかけたときに、すぐに従わないといった状況になるだけでも怒りがわいてしまいます。
それがこうじて、排泄にまったく関係のない状況、それこそ子供と二人で過ごす間中ずっとイライラや不快感がぬぐえないといったことがおきます。
その親当人や周りからすると、こういったことは「子供の問題」と見えるかもしれません。
その場合は、「うちの子はオムツが取れない」という問題として目に映っています。
でも、この状況の本質的な問題は、「子供の問題」ではありません。
本当の問題は、「子供があるべき姿になっていないと許容できない心理」を持っている「大人の問題」なのです。
もし、こういった状況になっていたら、この人の子育ては負のスパイラルに入り込みかねません。
本当は子供自身の問題ではないのだけど、その問題の解決を子供が要求されることになるからです。
それが具体的にどのように行われるかというと、過干渉であったり、過保護であったりです。
そしてそれらがそのやり方しだいでは、「肯定の減少」「否定の増加」になってしまいます。さらに深刻化すると「自尊心への攻撃」に発展します。
トイレに「行きなさい、行きなさい」とせっつく親の関わりは、ある種のダメだしになりえます。
子供は行きたくないと思っているのに、「行け」と親に命令されるわけです。
それは肯定的な状況ではありません。
さらに、排泄がうまくいかないことから親が四六時中イライラしていたりする状況は、子供からすると「自分は肯定してもらえていない」「否定されている」という強い不安感を与えます。
すると、子供はぐずったり、イライラしたり、ごねたり、わがままになったりという行動を取ることで「肯定してよー」というメッセージを感情的に出すことになります。
これは親の方のイライラを加速させる悪循環になります。
おもらしなど排泄の失敗を起こしたときに、怒ったり、イライラしたり、言葉や顔にださずとも落胆を心にもってしまうと子供はそこから、自尊心・自己肯定感の低下を得てしまいます。
さらに、子供に強く関わる人は「おむついつまでもしていたらおちんちん切っちゃいます」といった脅しを使ったり、「いつまでも漏らしていたら赤ちゃんです」などの自尊心を損なうような対応をしてしまうといった人もいます。。
そういったことをしなくとも、そもそもトイレに行きたくないという子に無理矢理トイレに行かせようとすることは自尊心を傷つける行為になりえます。
大人である自分に置き換えて考えてみるとわかりやすいかもしれません。
例えば、職場で上司から「あなたいまトイレに行きなさい。反論は許しません」ということをされたとしたらどうでしょう。それで命令されてトイレに行ったとしたら、おそらくその人はとてもみじめな気持ちになるはずです。
なぜかというと、排泄行為というのはパーソナルなものごとの中でも、最大限パーソナルなものだからです。
そこを他者に指図されるというのは、自身の尊厳に土足で踏み込まれることになりえます。
これは子供だとしてもそうなのです。
ですから子供は、もし上から支配的に、もしくは子供の意思を否定するように何度も過干渉に「トイレに行け」と指図されたら、でるでないに関わらずそれに抵抗しなければなりません。(ここではトイレに誘うこと全般を言っているわけではありません。その人の姿勢、関わり方、状況によって変わるのです)
そこで抵抗しないと自我の獲得に支障をきたすことを子供は自分で理解しているからです。
多くの人が、子供の排泄が自立することを気にかけているでしょうけれども、あとは程度の問題です。
子供を「肯定できない」「否定してしまう」「自尊心を傷つけてしまう」ところまでいってしまうのであれば、それは黄色信号、赤信号になっています。
このようにこういった問題の本質は、「子供の問題」ではなく「大人の問題」としてあります。
ここにブレーキをかけられるかどうかは、その人自身が「気づいていること」に関わってきます。
ついつい子供にイライラをぶつけてしまったとしても、「自分はそういうところがあるな、焦っているな」といった自覚が少しでもあるならば子供の受ける負荷は減ります。
しかし、「子供の問題だ」「子供が悪い」という方向でずっと関わられてしまうと、子供の受ける負荷はだんだんと大きくなっていきます。
今回は排泄を例にあげましたが、もし、その人自身が生育歴の中で、排泄の失敗を厳しく詰られていたり、失敗したことでおしりを叩かれたことがあるといった人だと、こういった問題にはまりやすいですし、それは過激化しやすいです。
つまりは、子育ての負の連鎖がおこってしまいます。
こういった問題を乗り越えていくためには、子供に問題を押しつけないことと同時に、親自身が自己否定にもならないようにすることが大切です。
「子供のオムツが取れない・・・・・・。私のせいだわ・・・・・・」
この思考にはある種の飛躍があります。オムツが取れないのは、必ずしも親のせいではありません。しかし、子育てが強迫観念的になってなにごとにも焦ってしまういまの子育ての状況では、そこに論理の飛躍があることも気づかずこういった思考におちいってしまう人が大変多いのも事実です。
このようになっても、子育てはつらいものになります。
「子供を責めるか」、「自分を責めるか」の二択しかない子育てはあやういものです。
昔の子育てが特殊なスキルでなかった時代の人は、このあたりの感覚を自然とつかめていたようです。
なかには神経質になってしまう親がいても、「うまくいっていないように見えても、大きくなればどうにかなる」といったおおらかさを持った空気感がバランスをとってくれていました。
いまは、そもそもその家庭や親、子供に関わる人の数自体が少ない、もしくは皆無なのでそういった空気に触れる余地がなくなってしまっています。
・子供の成長が思わしくいっていないと感じる人。
・「○○できなければ」と強く考えてしまう人。
・「いい子にしていない子の親である自分を周りの人はどう思っているだろうか・・・」
そういった気持ちになってしまう傾向のある人は、その人の持つ気持ちのあり方ゆえにかえって子育てが迷走しやすいです。
また、子育てがさらなる自己否定をもたらしたり、自己否定から防衛するために、周囲の人に怒りをまき散らしたりといったことも起こりえます。
こういった問題って理屈ではないので、そこにその問題があることがわかっていてすらなかなか簡単に解決するものでもないのが難しいです。
自分で気づけて、ある程度でも客観視していける人であれば、こういったことがあったとしても多くの場合結果オーライになるのが子育てでもあります。
しかし、自分ではどうにもならないレベルで感情が渦巻いてしまう人は、それこそ子育て以前のところで、カウンセリングなり、人に自分の気持ちを受け止めてもらうといったケアがいるかもしれません。
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● COMMENT ●
何かをやらせたり、早くしろと急かしたり、、、。
現在そうせざるを得ない状況ではあるものの、もっと子供自身が納得いく形でやって欲しいという思いからかけ離れすぎてしまい、ほんとにしんどいです。そして、やらなきゃいけないのにちっともやろうとしない、そのくせ後になって、出来てないことに対してパニックになって騒ぎ出す子供にうんざりしてます。そして、出来ない子にさせてしまった原因を探して、周りや自分を責めています。まさに、記事にある通りなのです。こんな苦しい思いしてまで、今これをしなきゃいけないのか????!とそんなことばかり考えてます。
あ〜もう、やらなきゃ!!と焦っていること、ぜーんぶ放り出して、息子とのんびり過ごしたいです………。
本当にその通りです。
私は、子供が出来ないことは、きっとすべて自分のせいだと思い込んでしまい、ゆえにその逃げ道として、表向きは、子供を責めてしまいます。
うちの子は、発達が遅いから、だから出来ない。ということを表面的な理由にして、自分の未熟さを棚に上げてしまっています。
私の義理親が幼児教育をしており、立派な子供を育てるノウハウを私に身に着けようと指導していましたが、私は、それを受け入れられられなくなり、自分の子育てを取られまいと拒絶しました。
どこかで、義理親より立派に子育てできないといけない。というハードルと、現実との兼ね合いが出来ずにいます。
オムツが取れないのは、親の責任でない、と言いながら、それは、親の責任だよ、という風に本当は考えています。
保育士おとーちゃんのブログは、すごく参考ななるときと、返って自分を責めてしまうことがあります。
ただ、おとーちゃんは、いつも私のような弱い母親を責めているわけじゃないよ、と逃げ道を作ってくれているので、私は、とても救われています。
私は、まさにこのブログに書いてある通りの間違いを侵しています。
まだ間に合う、と信じて、明日からは、もっと子供をありのままに受け止めたいと思います。
いつもたくさんの気づきをありがとうございます。
必死の理由
もう5歳になりますが、障害があるため、来年就学相談を受けなければならず、支援学級に入るためにはオムツが外れていることが必須だからです。
来年までになんとしてもオムツを外したい。それが、彼女の今後の人生の進路に関わってしまう。
そんな、必死な親の気持ちもわかってほしいです。d( ̄  ̄)
>たんぽぽさんへ
「下の子は穏やかで~…」と書いてありましたが、ママのそうした気持ち(=下の子の方が育てやすい)と感じている気持ちを、上のお子さんは本能で悟っているのではないかな、と思いました。
だから、おしっこを促されても抵抗する(=ママに対して何か不満があるから)、パンツを濡らしてしまう(=そうすればママが自分の面倒を見てくれるから、無意識的に)のかな…なんて、素人ながら考えてしまいました。
今まで、保育士おとーちゃんさんのブログを読んできただけの一ファンな私が、こんなことを言うのはたいへん差し出がましいと思うのですが…。
上のお子さんが尿意を感じた時に、「おしっこに行きたくなったら、すぐママに言ってね。そしたらトイレまで一緒に行くからね」と言ってあげたら、トイレ問題は少しは改善するのではないかなぁ、という気がします。
本吉圓子先生の「あふれるまで愛をそそぐ」という育児本があるのですが、その中に、「子供はトイレについてきてもらうことが大好き」という一節がありました。「大人だと、誰かにトイレについてきてもらったり、トイレを待っててもらうのは気詰まりなもの。でも、子供はたったそれだけのことが嬉しい」のだそうです。
もしよろしければ、ぜひ御本を読んで見て下さい。
上のお子さんと、たんぽぽさんが、日々穏やかに過ごせますことをお祈りしています。
にこさんへ
おっしゃるように、上の子は、私にかまって欲しいようなのです。おもらしをするのもその表れなのかもしれません。寝るときもママと一緒じゃないと寝れない、着替えるのもママが着替えさせてくれないと着替えられない、お風呂もパパと一緒じゃ嫌で、ママじゃないとだめ。どこまでも私にかまって欲しいようなのです。できるはずのことでも、「できない」、「ママやって」とこちらが折れるまで泣きながら訴えます。こういう不機嫌な状態が、下の子が生まれる前から、私にとっては上の子が生まれて以来ずっとと思えるくらい、ずっと続いています。できるだけ満たしてあげたいと思ってやってきたのですが、いつもいつもというわけにはいかず、「今はママ手伝えないから自分でやって」と言ってしまいます。
上の子が1歳くらいの時からおとーちゃんのブログは拝見し、育児の拠り所にさせていただいていますが、まだ理解が足りないようです。
「トイレまで一緒に行くからね」と言うのはとてもいいと思いました。今度言ってみます。ご紹介いただいた書籍も読んでみようと思います。母としての試練の日々です。
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そんなに考えなくてもそのうちとれる、自我がそれなりに育ってきたらトイレでするのが当たり前になる、ということが経験的にわかっていたら、そんなふうに思い詰めたりしなかったと思います。
今日5歳の誕生日だった息子、今でも寝るときはオムツだし、ウンチが出たら「うんちでた~」とおしりを拭いてもらいます。夜オムツが濡れているわけではないのでオムツを買うタイミングで「まだオムツにする?」と聞いて、本人がもういいと言ったらやめようと思っていますし、そのうち人におしりを拭いてもらうなんて恥ずかしいと思うやろ、とさして気にしていません。
こうやって親も経験を積んで立派な(?)親になっていくんでしょうかねぇ。