リンク ”参加”と”排除”について考える~公立学校の発達障害に関する意識調査から - 2016.03.09 Wed
(リンク先記事の元になるのは、東京都教育委員会が2015年に行った『都内公立学校における発達障がいに関する意識調査』)
発達に特徴があったり、障がいを持っていたりする要支援児への対応を考える際に、「量的平等と質的平等」がたびたび問題になったりする。
こういったことが適切に理解されていないために、現場の人間はしばしば大きく誤解をしたり混乱をきたしている。
例えば、ある行事に頑張らせて参加させることが、その子への尊重となるのか、それとも無理に参加させずとも、その子なりの時間を過ごした方がその子の尊重となるのか・・・・・・。
それを考える上でもっとも重要な『尊重』ということが適切に理解されていないので、しばしば各職員がバラバラの見解になってしまうのを見かける。
考慮すべきポイントはたくさんあるが、忘れてはならないのは、その子供本人の意思である。
しかし、「子供だから」「わからない子だから」「障がい児だから」、そのような先入観から大人はその子の意思を聞き取ることすら忘れ去ってしまうことがしばしばある。
子供本人の意思の確認もないところで、大人が一方的な決めつけで対応をしていけば、どちらにしてもそれは大人のエゴや自己満足にすぎなくなってしまいかねない。
ノーマリゼーションについても適切に理解されていない現状では、大人の考える「よかれ」は子供の本当の利益になっていないという場面も多々見られる。
”協調・画一”を重視してきたこれまでの日本の子供観からは、多様な子供への対応がまだまだ理解されていない。
このリンク先にある、「参加と排除の見取り図」は、子供への対応を考える際の参考になるカテゴリーがわかりやすく書かれている。
各保育園、幼稚園における要支援児への対応には、その保育者、もしくは施設の「子供の尊重」の理解の程度がはっきりと表れるところである。
要支援児に対して、「子供の尊重」「個人の尊重」を踏まえられた対応をしているのならば、定型発達の子供にたいしても適切な尊重をなされている割合がはるかに高くなる。
要支援児への対応には、「子供の尊重」「個人の尊重」の実践的な理解が色濃く表れるからである。
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